三番:手続き

 化学室でビーカーを洗っている最中のぶきは目を丸くした。自分の力で解決しろ、とは言ったがけっとうをするとは思っていなかった。

 ことの外見は赤い目と黒いかみという色味の強い物だが、基本的に箱入りぼっちゃんがけていない気質だ。入学前などはいかにも育ちの良さそうな少年だった。

 それがいまやとうそうしんで目をかがやかせながら勝利へと目指している。あわだらけの手がビーカーを持ったまま止まっても仕方ない。


「というわけで、先生! ぼくに決闘を行う許可をください!」

「あー、その前に……古寺こでら! 颯天はやて! 洗うの手伝う約束を放り投げてどこに行く!?」

「決闘やで、先生! そんなくさいことやってるひまあらへんよ!! これはかせぎ時やー!」

「古寺が鹿しないためのかんをしてくる。今度また洗うので」


 声はあっさりと遠くへと消えていき、矢吹が仕方ないといった様子でさきほどまで二年の授業をしていたと説明した。

 残された矢吹はビーカーを洗うのを再開しながら、相手の名前とかいさい日時をたずねていく。真琴は迷わずに一年B組のマナベ・のると告げた。

 日時は本日放課後のすぐ。それを聞いて矢吹は洗い終えたビーカーを置き、きんで手をきながら考えるように視線を上に向ける。


「それは……悪くないな。うん、むしろ、良い」

「本当はゴールデンウィーク後にするかどうか迷ったのですが、善は急げです!」


 四月も終わりを見せ始めた時期。あと少しえていれば長期きゅうであるGWになり、学校に通わずに済む。

 しかし真琴は先刻、実流にたんを切った。それなのに間を置いては、文字通りけになってしまう。少しずかしいことは目に見えていた。

 なにより現時点が一番やる気があるのだ。この勢いでり、勝利をもぎ取る。真琴は矢吹を見上げ、どうだろうかと視線を向ける。


「GW後にしとくとむしろやっかいだったな。学生は全員りょうせいかつ。帰省は手続きと金がかかるから、ほぼ全員がこのB1保護区に残る。休み中、買い物で天敵とばったりどころが、りょうないで会うことも多い」


 矢吹は真琴の指定日時に対して満足げにうなずくが、顔色はあまりえない。白衣のポケットから銀色のプレートを取り出し、それに視線を向けて集中する。

 真琴が首をかしげれば、プレートには【けっはっぴょう】と書かれている。名前としてはとても先生らしいが、どこか矢吹にはミスマッチな印象の能力名だ。

 そういえばと真琴が、保健室でかぐわしいかおりと、もりげる万桜まおに対し【きゅうぶっ】という能力名をさけんでいたのも気になり始めたころ、矢吹は深い息をんでから告げる。


「どんな結果になってもこうかいすんなよ。負けても勝っても、変わらない結果が見えた」

「それが先生の能力なんですか?」

「一応な。おかげでとうばつたいにいたころは指示投げ役として仲間に首根っこつかまれて最前線よ。いやになるよなー」


 のんに昔話をする矢吹だが、真琴はしょうげきの事実を聞いたと言わんばかりにおどろく。目の前のだらしなさそうな担任が討伐鬼隊だったのだ。

 しかし考えてみればかれは真琴の母親を知っていた。母親は討伐鬼隊に所属する数少ない女性隊員であり、知るには所属先が同じでなければあり得ない。


「ま、その友人はいまや隊長様としてがんってるけどなー。おれは……あることでいやになっちまって、気楽な担任生活だ」

「あること?」

「鬼を退治する最中、どうしても殺す必要があった。俺の指示で友人が恩師にめいてきいちげきあたえた。それだけだ」


 そう言って矢吹はれたくろかみを手でみだす。それ以上は口にせず、少しだけちんもくした。煙草たばこがあれば吸いそうなふんだ。

 真琴は色々な人に様々な事情があることを知る。表面上だけでは掴めないそれにれて、真琴は難しいと感じる。

 波戸なみとしゃおんも、目の前の矢吹も。だれひと簡単な人間はいない。つらいことがあっても、それを見せずに生きているのだ。


「で、どうなんだ? 相手はごわい能力を持っているが、はっきり言おう。お前の能力の方が有利だ」

「え? え、でも僕はまだ一回も使ったことが……」

「じゃあ勝てないか?」

「勝ちます」


 ちょうはつするように尋ねれば、真琴は迷いのない目で勝利宣言する。赤いひとみまぶしくて、矢吹は思わず視線をらす。

 短時間で男前を上げたもんだと感心した矢吹だが、勝つかどうかはまだ決まっていない。能力でかくにんしたところで、結果は五分五分。

 能力的に真琴の方が有利だが、実流は使いこなしている経験値がある。最終的には意地の張り合いになるだろうと矢吹はしている。


「……よし。思いっきりやってこい! 勝ったらGWで焼き肉おごってやる!」

「全力で勝ちます!!」


 焼き肉と聞いて真琴はさらにやる気を見せる。やはり男たるもの肉だよな、と矢吹は坊ちゃん相手にも通じる真理を見つけた気分だ。

 職員証をポケットから取り出し、職員用のしんせいアプリを起動して矢吹は手続きを進めていく。しんぱんやくの教師はコンピュータによるランダムちゅうせんだが、今回は万桜になる。

 決闘内容の確認メールが真琴と実流の学生証に送信される。そくに両方からYESと返事が来たことを確認し、矢吹は手続きかんりょうボタンをす。


 日時は本日放課後三時。けは現在より起動。場所は校内地下一階に設けられた決闘場A室。


 矢吹が真琴にバトルチップ相場アプリを起動してみろとうながし、真琴は目まぐるしい変動に目を丸くする。

 一学年にクラスは三つ。一クラスにつき約四十人。三学年合わせて約三六十人の計算となるが、アプリ内ではすでに五百人以上が賭けに参加している。


「賭けに関しては中等部も参加できる。決闘は高等部からだ。つまり七百二十人は参加できるんだが、これはあっとうてきだな」


 笑う矢吹に対し、真琴は画面から目をはなせなかった。どういった法則で賭けをしているのかわからないが、実流との差が明らかなのだ。

 実流に賭けた人数は現在五百十二人。その数は少しずつだがじょうしょうし、総合きんも真琴が見たことない数字になっている。代わりに配分は少ないが。

 逆に真琴に賭けた人数は三人。その数からは一向に上昇せず、配分量は大きいが明らかにというらくいんを押されているとわかる数字だ。


「ちなみに教師は参加禁止な。職業的にアウトだし、しんぱんや申請手続きなどする面も強い」

「じゃあ僕に賭けているのは生徒だけ……」


 真琴は三人の内一人は確実に遮音であると自信が持てた。そのことがうれしくて、思わずにやける。だれかに信じてもらえる嬉しさ。

 しかし残り二名はわからない。真琴は心のどこかでひろと広谷だったらいいのにというあわい期待をく。やはり入学式前に仲良くしてくれたことは喜べた。

 この決闘を機に仲直りできたらいいと思うが、ぬぐいきれない不安が存在する。そんな真琴の背中を矢吹がたたいて気合いを入れる。


「今の内にやれることやってこい! 後は本番だ」

「は、はい!」


 はげまされた真琴は矢吹にていねいなおをして、化学室から去る。ろうを走らない辺りが、らしい、と矢吹は笑う。

 そして電子職員証の通話画面を起動し、手慣れた動作でとある知り合いに電話をつなげる。昔話をしていたら思い出したことがあったのだ。


「あ、御門みかど? 今暇? 俺はちょうひまだから話聞けよ。どうせ煙草ぷかぷか吸って机に足かけてる重役姿勢してるんだろうが。能力は使ってねーよ、使わなくても目にかぶっつーの」


 気安い態度で顔が見えない相手に話しかける矢吹は回転の背もたれにうでを乗っけながらまたがる。だらしない格好だが、矢吹には似合っていた。


「お前が助けた学生、そう、スメラギさんのむす。今日決闘するんだよ。思い出すよなー、お前にボコられた俺がいかに仕返しをけまくった日々が」


 そこで職員証の音を出す部分が機械的なきしみをひびかせる。通話している相手のごえが大きすぎて、機械が限界をうったえているのだ。

 矢吹はそれを見越した上で耳から職員証を離していた。しかし機械に限界を感じさせる音量は、人間の耳にも痛い物である。矢吹は片耳を押さえつつ、話し続ける。


「ちなみに内容がいじめっ子を見返す、だ。おもしろいだろう? 相場は……圧倒的不利。みないじめられっ子は勝てないとんでいるんだよ。もちろん情報を流したやつもそう思ってるんだろうな」


 通話相手の返答を意味もなく頷きながら聞いた矢吹は、相手の声に笑う。当たり前だろう、と言った。第三者からもフォローされていない現状。

 真琴はめんではないが、えんぐんめないはいすいじん状態だ。もしも負けたらどうなるか、そのさんさを矢吹は伝えなかった。根底にはのうに浮かぶきょうの存在。


「お前な、あの、スメラギさんの息子だ。ちなみに母親の方な。正直ばく打てなくて半分安心の、半分残念だ」


 矢吹の言葉に通話相手はだまってしまう。おたがいにスメラギの名前が付く女性に関しては良い思い出を探す前に、おそかる恐怖のおくを共有している。

 その血を持つ息子が真琴なのだ。性格の大半は父親似だと思うが、少量だけ母親のあらしょうを持っている気配を矢吹は感じていた。武力行使をするあたりが特に。

 だからこそ賭けてみたかった。危機的じょうきょうを打破できるかどうかを一人の男に賭ける。これ以上ない熱い勝負へ参加できないことに矢吹はかたを落とした。


「……そいつな、命を賭けるに値する友情を探して来いって、げんぞうさんに言われて来たんだよ。そう、スメラギ・源藏。みことさんのけい


 長い沈黙が降りる。矢吹は上体をらして椅子を軋ませる。相手もおそらく同じ光景がまぶたうらに浮かんでいると確信してつぶやく。


「お前も頑張れよ。俺は適度に見守るさ。御門隊長、怜音れおん隊長のためにお前はそこでのし上がれ」


 そう言って矢吹は通話をしゅうりょうする。なつかしい恩師とその親友の名前を出したことに果てしないろう感を味わう。

 少しだけ椅子を何度か揺らした後、反動をつけて立ち上がる。生徒の勇姿を見てやるかと決闘場へと歩き出していく。

 学校中がにぎわいを見せていたが、バトルチップ相場は真琴へ賭ける人数にちがいはない。臆病者チキンばかりだな、と矢吹は溜息をついた。




 廊下を歩いていた真琴の前にひろゆうが現れた。今までけられてきた反動で、真琴は久しぶりと嬉しそうに声をかけようとした。

 しかし目の前の二人はうつむいたまま言葉を出さない。さすがの真琴もおかしいと感じて、周囲を見回す。すると少し離れた曲がり角から見えるかげが一つ。

 見覚えがある立ち姿だった。実流といっしょに真琴をイジメていた少年の一人であり、真琴から一時プレートをうばった相手だ。


「知ってるかぁ? 真琴ってやつ、自分のプレートで人を殺しかけたんだとよ! そりゃあ誰も賭けないさ! そこの二人も実流に賭けたんだとよ!」


 大声で、明らかに聞かせる目的で響いた言葉に真琴は目つきを強くした。曲がり角にいた少年は姿を消したが、広谷と裕也は俯いたままだ。

 決闘をすると言った手前、明らかなぼうがい工作はできない。だけれど心理的なめはできる。実流の指示かどうかはわからないが、少年は真琴をおとしめに来たのだ。

 しかも仲が良かった二人を使って。広谷と裕也は最初はお互いに沈黙していたが、最初に口を開いたのは裕也だった。


「俺、だって……自分が大切なんだ!! 嫌だけど、身を守るしかないんだ!」

「真琴くん、今なら申請取り下げできる。圧倒的に不利なんだ……やめようよ」


 広谷のやさしいこわに真琴は首を横にる。不利なのは最初から承知している、その上で戦うと決めたのは真琴自身だ。

 すでに校内に設置された電子けいばんにはせまる決闘を大体的に告知している。いまさら取り下げたところで真琴が馬鹿にされるだけだ。

 もう逃げないと真琴は決めた。どんな結果になっても後悔しないとかくを固めた。あとは戦うしかない。


「……人、殺しかけたのは本当か?」


 裕也の言葉は真琴の心をえぐる。彼は真琴がそうしたと信じかけている。広谷に目を向ければ、視線が合わないように別方向へ顔を逸らす。

 短い期間とはいえ一緒にさわげるような友情があると思っていた。それなのに二人は真琴を信じてくれない。イジメを行う誰かの言葉に頷こうとしている。

 真琴はそのことが辛かった。否定しても信じてもらえない気がして、真琴は別の言葉を二人に伝える。


「見てて。僕は僕自身全てめて、実流と戦うから」

「勝てるわけねぇじゃん。うわさでも勝率はないって言うし、戦うだけじゃん」

「……僕も。痛いのは苦しいし、もっと楽な道が……」

「楽な道を選んだ二人は、どうして僕の顔を見れないの? 自分のため逃げたくせに、いまさら味方面はやめろよっ!!」


 気付いたら叫んでいた。真琴はこんな激情が自分の中にまだねむっているとは知らず、声を上げた後に驚いた。

 裕也と広谷も同じである。おだやかそうで育ちの良さを感じさせる真琴が、ここまで荒ぶる態度を見せるとは思っていなかった。

 そして真琴のてき通り、結局二人は顔を逸らす。真琴の顔も見られないまま、小さな声で言葉を続けようとする。


「っ、僕は……僕だって、一人は嫌だ」

「じゃあ、なおさら……」

「でも、これは僕の戦いだ。だから二人に、無視を続けた君たちに、口を出されたくない」


 まらないみぞが見えてくるようで、真琴も視線を逸らしたかった。それでも意地で二人の顔にぐ赤い目を向ける。

 強い輝きを宿す赤い目はおうの血を強くぐ証。真琴自身は鏡を見ない限り確認できない、あざやかな色だ。二人の目にその色は映らない。


「それに僕が勝つと信じて賭けてくれた人を知ってる。友人、と呼べるような人じゃないけど……僕に勇気をくれた」


 ぐうぜんに、それでも何度か危機を救ってくれた遮音。知り合って一日もっていない上に、情けないところばかり見せてしまったと真琴は痛感している。

 どれだけ話したら友達かわからない。どこから友情を語れるかわからない。入学式前に出会った二人ですら、こんなにもきょが離れてしまったから、真琴は遮音をどうとらえていいかわからない。

 だけれど二人よりも力をくれる。負けたらなぐさめてくれるとは思わないが、勝ったら嬉しさを伝えたい相手だ。この距離感をどう呼べばいいか、真琴は知らない。


「だから僕は勝つ。同情で止めるくらいなら、非情に見放して。その方が楽だ」

「……っ、行くぞ、広谷!」

「え、あ……うん」


 真琴の冷たい声に裕也は耐えられなくなり、広谷を連れて地下へと向かう。おそらく決闘場に足を進めたのだろう。言葉通り、真琴を見放して。

 これでいいのだと、真琴は自分に言い聞かせる。もう一度仲良くなれたらいいな、と考えた自分があまかったのだと自己暗示をかけていく。

 そうでないと足を止めてくずれたくなる。大事な勝負前になみだを流してやる気をぐわけにはいかない。真琴は深呼吸して気分を落ち着かせる。


「……よし、行こう」


 ほおを軽く叩いて気合いを入れた真琴。胸のおくげるようなおもいの正体を掴むため、決闘場へ足を向けた。

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