色欲編

青い鳥を追いかけて色欲から逃れたいビーストパスト

1話「ラストのラスト」

 うすぐらい部屋がれる。窓のすぐ横を電車が通り過ぎていった。

 あかぼうはすやすやとている。起きてはだ。そのままゆっくりと夢の中へ。

 暑い。痛い。苦しい。しかしまんしなくては。けもののようななまぐさい息にを覚えながら、口元をさえる。


 重い。体も、空気も、心も。はだねばついている気がした。けていくようで気持ち悪い。

 視界が揺れる。内臓をえぐられている気分だ。快感なんてどこにもない。早く終わってほしい。

 本ではこれが愛情の確かめ方とあった。宗教では人間の罪とあった。どちらを信じればいいのだろうか。


 一つだけわかるのは、このおやだれでも構わなかったという事実だけ。

 実の子供をくのは、都合が良いから。金もかからず、口止めも容易。きんじょも見知らぬふり。

 ああ、早く決めなくては。この男が赤ん坊に手を出す前に。


 ――殺さないと。




 暑いなー、とぼくかがみテオは窓から青い空を見上げる。太陽の位置は高く、まだ夕焼けはおとずれそうにない。

 ストリートミュージシャンとはいえ、こんな誰もがすずしさを求める昼間は室内で他の作業を進める方がいい。それくらいは僕だって心得ている。日焼けするとお肌が痛くなるしね。

 くぬぎもこんな日に着ぐるみはつらいだろうし、とりあえず次の新曲のメロディラインを考える。けれど思いつかない時は、とことんかびがらない。げきが足りない。


 ゲーム、映画、アニメ、本。なんでもいいから新しい物にれたいけれど、なんか僕が求めているものとはちがうというか。今はもっとぼくなのが好ましい。

 家庭的な曲、とかどうだろうか。しかし僕はそういうのにえんがない。お母さん……もまだよくわからないし。お父さんは少し慣れてきたけれど、みがうすいや。

 こずえなんかお父さんやお母さんの話になると、街角で演説する不思議な人みたいなテンションでトリップしちゃうし。あずさとかは直接は駄目だし、かばかしも椚と梢の中間的な立ち位置だからみょうだなー。にれきりはお仕事中だったら命の危険があるね。


 やっぱりサイタに聞くのが一番かな。もしくはヤマト。なんかララとクルリは僕とは違う感じで家庭というかんきょうえんどおい気がするし。ヤクモは方向性がズレている予感。受験生のじゃは駄目だってサイタにねんしされたしね。

 れいだんぼうゆかの上でころがりながら、うさぎの顔を模したきょだいクッションを抱きしめる。部屋の中にある椚用のだしなみ鏡には僕が映る。

 首筋くらいにびたくろかみ。その一部はつむじから赤く染まっていて、三つ編みにしてまとめている。がらみたいな目は左右で違う色。緑と青のひとみはどちらも退たいくつそうだ。白い首筋にある赤いりんあざにもおもしろい変化など表れない。


ひまだなー」


 結局、口から出たのはあいない感想。

 仕方ないから起き上がる。平日の昼間はサイタたちがいないし、つまらないや。早く夏休みになると良いよね。

 けいたい電話をパーカーのポケットに入れて、愛用の兎リュックを背負う。小さな欠伸あくび一つこぼして、外へと向かうだけ。


 東京って美術館や個展かいさい、他にも色々なお店があるからきない。特に最近面白いなと思ったのは、女の子が身につけているバッグかな。

 ブランド品から手作りまで。その人の個性が表れている。服装よりも、くつやバッグを見る方が楽しい。

 中にはアニメやゲームのキャラクターのかんバッジで外装をほどこしているとうめいなバッグ。愛がまっていて面白い。僕もああいう兎バッグ作ってみたいな。まあ梢辺りがお父さんのバッグを作っていそうで、それは重そうな気がするけれど。二つの意味で。


 そうやって気ままに歩いていたら、どうにも学生服を多く見かける。駅前なんかでは期末テストの結果を話し合っている学生がいた。テストがあると、授業って早く終わるのかな。

 すると使い古したエコバッグと、お守りの青い鳥形のすずが一つ揺れている学生かばんの少女が目にとどまった。思わず足を止める。れいな音。好きな音色だった。

 小走りの少女を見失わないように歩く。青い鳥を追いかけるなんて、まるでソフィアが話してくれた童話みたいだ。ああ、確かそれは少しだけ悲しいような、綺麗で、希望がかいえる絵本だったかな。


 少女が立ち止まる。よく見るととても小さい。中学生かな。こけしみたいなふうぼうで、黒かみにはこれまた青い鳥のヘアピンが夏の日差しを受けてかがやいている。

 こんいろはんそでセーラー服にわずかな見覚えがあったのだけれど、思い出す前に目線が合った。いた少女ではなくて、かのじょの横に立っている青年だ。

 半袖のシャツに黒のスラックス。それだけだと会社員みたいだけれど、かみがたかんがあった。椚に似ているというか、ホスト風と言えば良いかな。おおかみを連想させるカットだ。


「おい、おれの妹に何か用か?」


 あやしむ目つきでにらまれてしまう。明るい茶色の瞳は日本人にしてはめずらしいかもしれない。この島国では黒が多いからね。はんようせいがあるように見せかけた個性みたい。


「うん。鈴の音、綺麗だったから」

「……は?」


 妹を背にかばいながら、青年はあと退ずさりしている。けれど肌をすようなけいかいの気配に少し変化があった。まどいが混じって、揺れている。

 僕としては困らせたいと思ったわけではないし、同じ鈴を持っている他の人にたずねても良いのだけれど。まあとりあえず鈴の名前だけ聞いてしまおう。


「その鈴の商品名が知りたいんだ」

すいきんすずだけど……うちの妹がわいいからってストーカーしてたのかと思ったぜ」

「もう、兄さん。えっと、あの……もしかして駅前でよく歌ってる、白雪さんですか?」

「そうだよ。えへへ、なんか知ってもらえててうれしいや」


 自分の知名度なんてわからない。CDがどれだけ売れているかも椚に任せているし、僕はただ好きにやるだけ。だからこそあくしていると言われるのはなんだか幸せ。


「クラスの子に曲かせてもらって……綺麗な声だと」

「そう? じゃあこれあげる。困らせちゃった……お礼?」

「おびだろ」

「それそれ。いやー、れいやマナーって難しいよね」


 兎リュックの背中に手をみ、持ち歩いていたはんばい用CDを取り出す。椚に僕の意志で配って良い分だってわたされていたやつ。なんだっけ、はんそくだったかな。

 CDを受け取った少女は少し困った顔になったけれど、大事そうにかかえて頭を下げてきた。なんか小動物が動いているみたいで可愛い印象の子だ。


「じゃあ僕はこれで。すーいきんすずー」

「待て待て待て!」


 商品名を忘れないために適当なメロディで歌う。そのまま去ろうとした僕のパーカーフードをつかんだのは、お兄さんの方だった。

 軽く首がまったので、やむなく立ち止まる。なみだで振り向いた僕に、かれは気まずそうに告げてきた。


「タダではもらえない。なにかおごるから、少し付き合ってくれよ」

「気をつかわなくて良いのに。見かけによらずりちなんだね」

「……成人だよな? その思ったことを口からポンポン出すのはあくへきか?」

「歌手だからかな。本音を口に出せないと、歌詞にするって難しいんだよ」

「まあいいや。なにか食べたいのは? 高いのは無理だけど、量に関してはオススメの店があるんだ」

「じゃあ家庭的な味!」


 そうだ。これは新曲のかりになるかも。家族、それらを五感で味わえば作れるかもしれない。

 ただ彼は理解不能といった顔をしている。なにか変なこと言ったかな。まあいいや。僕は期待をふくらませていくだけ。

 少女とひそひそ話をした彼は、いき交じりに問いかけてきた。


「仕方ない。俺達の住居に来いよ。丁度、昼飯を作るところだったからな」


 エコバッグを掴んだ彼は、僕を手招きする。少女の方も戸惑いつつ帰り道を辿たどっていく。他人の家に招かれるなんて、なんだかわくわくする。

 半ばスキップしながら僕はついていった。




 こうしたの年季が入った二階建てアパート。電車の音で揺れる部屋の一つが、彼らの生活空間だった。


「改めて。俺はあおシュウ。妹はミチルだ」

「僕は鏡テオ。えっとね、めいがあるはずだからちょっと待ってね」


 兎リュックの中身をたたみの上にばらまく。色々入っているので、慣れない道具を探す時はこれが一番わかりやすい。ちゃぶ台にひじけていたシュウは予想外なことが起きたと、目を丸くしている。

 ミチルは小さな台所でなべの中にちゅうめんを入れて、きゅうりやトマトを切っているちゅうだ。電車の音がガタンゴトンとにぶひびいてきた。お湯がぐつぐつとふっとうする音と合わさって、まるでたいたたいているみたい。

 名刺入れを拾い上げて、一枚取り出す。古い電灯が必要ない昼間で良かった。どうやら僕の名前は日本人にとって長くて読みにくいらしい、シュウもぎょうしている。


「英語……じゃない?」

「あ、それはドイツ語の方だった。ごめんね、こっちが日本語用」


 失敗しちゃった。色んな国をわたあるいてきたから、各地に僕のファンがいるらしい。彼らのためにもと、椚が多国用に名刺を何種類か作っている。

 それでもシュウは名刺から目をはなさない。そんなに珍しい名前ではないのだけれど、やっぱり平時使用言語が一つしかない島国だと難しいのかも。


「日本語ペラペラだったからカラコン使用した派手な奴かと思ったんだが……」

「僕、言語を覚えるの得意なんだ。特にリスニングは」


 少しだけまんげに言ってみる。これに関しては椚や梢がいつもとは違う様子でめてくれた。まあ筆記は逆に大の苦手なんだけどね。ドイツ語でも自分の字が読めない時あるし。


「これってふすま? かべがみいろせてるけど、綺麗な模様」

れだから開けんなよ。きょうだい三人暮らしで、家財やとんとか入れてんだよ。あと色褪せているは余計だ」

「どうして? アンティークみたいなものでしょう? それともヴィンテージかな」

「そういうこうしょうな物といっしょにすんなって。古アパートのきたない部屋に価値は宿らねぇよ。まあ代わりにちんたいが安くて、こちとら大助かりだ」


 快活に笑うシュウの顔をながめる。彼の顔はしゅう関係なしに人目をくと思う。けれど彼のがおがとてもてきだった。写りも良さそうだけれど、それ以上に動いている姿がりょくてきな人だ。

 はなやかなのは、じょうがしっかりしているからなのかも。薔薇ばらみたい。とげがあっても、それが気にならないくらいの大輪をかすような。

 最中、鼻をかすめたしそうなにおい。たまごを焼いているみたい。そういえば三人暮らしって言っていたな。部屋をわたして、ふとした違和感。


「あれは?」

「勉強机だよ。ちゃぶ台は一応食事用な。まあ俺から兄妹への入学祝いみたいなもんだ」


 小さなライトと参考書が置かれた四角い机が一つ、かべと向かいあっている。その横には学生服や鞄をかけておく小型ハンガー台。

 視線を動かすと鏡台が一つ。こちらは勉強机よりも古くて、木目に味が出ている。しょうひんが置かれているが、口紅などは見当たらない。横には整えられたスーツが壁に掛けられている。


「親は?」

「どっちも死んじまったよ。まあ昔の話さ」


 打ち切るような、強い言い方だった。もしかして聞いてはいけないことだったのかな。


「そうだ。おーい、ミチル。チヅルかられんらくは?」

「ないよ。いつものことだよ、兄さん。どうせ私達の知らない所にいるんだよ」

「全く、仕方ない奴だな。学校もサボっているみたいだし、なにやってんだか」

「誰?」

「俺の弟で、ミチルのふたの兄だよ。髪も青く染めちまって、兄ちゃんは悲しいぜ」


 湯飲みに入れた麦茶を一気飲みするシュウだったけれど、そんなになやんでいる様子はなかった。むしろミチルの背中から、不思議なふんただよう。


「へえ。僕もお母さんが死んでて、双子の弟がいるよ。なんだか似てるね」

「まじか。ははっ、ぐうぜんだな」


 笑い合っていたら、お皿とはしを運ぶようにミチルがシュウに声をかけてきた。そろそろ昼食が完成するらしい。

 お箸が使えるかかくにんされて、僕はフォークとかの方が楽だと伝える。シュウが立ち上がった後、もう一度部屋を見回す。生活感は確かに存在しているし、新曲のヒントになりそうな要素が散らばっている。

 けれど足りない。どうにもこの違和感が消えない。でも美味しそうな冷やし中華を目の前に、僕の疑問はかへと飛んでいってしまった。


「じゃあいただきまーす!」

「どうせチヅルは外食だろうし、好きなだけ食え。ほら、ミチルも」

「う、うん」


 妹のおわんに生ハムを大量に盛るシュウはいいお兄ちゃんに見えた。のどしがなめらかで、酸味がいたしるは夏のもうしょまぎらわせてくれた。クーラーはあったけれど、日差しが強すぎてじゃっかん負けていた。

 でも部屋のすみせんぷうが置かれていたから、だんはそれで暑さをしているのかも。だってクーラーから異音がした。あまり使っていないせいか、故障一歩手前みたいな。

 きん卵にトマト、そして胡瓜。全体的にさっぱりしていて、色合いも素敵だった。なによりヘルシーな気分。小食の僕でも、少しだけ普段より食べられた気がする。


「そうだ、今度CDプレーヤーを買ってきてやるよ。早めの誕生日プレゼントな」

「え? でも……」

「それくらいえんりょするなって。ちゃんと兄ちゃんはかせいでいるんだからな」


 ミチルの頭をでるシュウは、携帯電話で安売り情報を調べ始めた。どこそこのお店が安いとか、つうはんたよらないらしい。

 おなかいっぱいになったし、ヒントも得た。僕はゆっくり立ち上がって、兎リュックを背負う。


「じゃあ僕は行くね。お昼ご飯ありがとう、美味しかったよ」

「おう。駅前で歌ってんだろ? 今度暇があったら寄ってやるよ」

「えへへ。それは張り切っちゃおうかな。あ、そうだ。シュウはどんなお仕事?」

「接客業だよ。トークとお酒、少しの煙草たばこ。苦くてあまい、そんな夜をプレゼントする素敵な仕事だ」


 その言葉に僕はみを返す。夜の住人なんて、それは確かに輝いていそうだ。だってくらやみの中で動くんだもの。光が一緒にあるはずだ。

 もう一つ、新曲の手掛かりを手に入れた。僕は鼻歌交じりに歩いて行く。メロディラインは今から決めてしまえばいい。筆も紙も必要ない。

 歌声だけで音楽は作れるのだから。




 夕焼けを背に、駅前で歌う。新曲ろうはまた今度。いつも通り人が集まってはくしゅを送ってくれる。その中にひときわ目立つ青が見えた。

 夕焼けの下では少しだけちがいな空色。そんな綺麗なかみの男の子がこちらを眺めている。椚と梢はCD販売に追われるため、僕が静かに近付いていく。

 長い髪をひとまとめにして、馬のしっみたいに揺らしている。それとも鳥のはねかざりかな。背は小さくて、顔立ちもミチルにそっくりだった。


「こんにちは。うちの兄貴と妹が世話になったみたいで」

「僕の方こそ。えっと、チヅルでいいのかな」

「まあね。本当はチルチルって名前だったんだけど、それは日本ではきついと思ってさ」


 小首をかしげる仕草は大人っぽいのに、笑う顔は子供らしい。

 半袖シャツにしちたけのズボン。服装も中学生の年相応だけれど、白い肌と手足の細さに違和感を覚える。としごろの男の子だったら、もう少し肉付きが良さそうだけれど。

 そのせいか中性的な印象だ。チヅルは会えて満足したのか、青い鳥の鈴が鳴る学生鞄片手に背中を向けた。すると不思議な気配。


「ねえ、チヅルって固有ほう所有者?」

「そうだよ。ミチルは通常者だけどね。二人に一人は当てはまる……ありふれた話さ」


 意地悪な物言いだった。ためすような、みするような。

 鳥は飛び立っても羽根を残すわけではない。かんもうに自然にけるだけ。だからだろうか、チヅルはこんせき一つ残さず人波にまれてしまった。

 まるで最初から存在していなかったみたいに。僕はただくすだけだった。




 薄暗くした室内に派手な光が散っている。からみついてくるうでさそわれて、体を寄せる。やわらかい肉体に、鼻をくすぐる甘い匂い。常連の客に、男はほほむ。

 まるでなぞかけを楽しむように、客の女はくちびるふるわせる。現実を忘れて、一時の夢にかんな毒をむ。

 

「ねえ、ビースト。七つの童話からきらいな物を一つ選んで」


 並べられた物語を前に、男は一つを口に出す。

 しなだれかかる女が問いかける。どうして、と。やさしく。


「獣は愛されたって、人間にはなれないからだよ」


 ちょうするように男はささやく。明るい茶色の瞳がいやな熱で揺れる。


「うふふ。ビーストなら大丈夫よ。ね、シュウ?」

「さあ。今だって誰かに愛されたい獣なのかもよ、俺は」


 酒でのどらし、男は煙草の匂いをぐ。ここい日常の感覚。彼にとって夜の時間こそが値する。

 サングラスのホストが、今の問いを聞いてしまった。目を丸くして、しかるべき相手にメールを送る。仕事中だと店主におこられたが、送信かんりょうの文字は消せない。


 夕食を待ちわびる鏡テオの鼻歌がリビングに響く。料理をしながら耳に届いたメロディに意識をかれたさいサイタが尋ねる。


「それで? その曲のヒントとなった相手がなんだって?」

「うん、あのね」


 心底楽しそうに鏡テオは答えた。


「ほっぺに綺麗な薔薇の痣がある、優しい人なんだ」

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