2話「後輩と魔人とアーバンレジェンド」

 空腹。普遍的な日常に存在する不幸の代表格。そんなことなど、調理台の前でひたすら鍋で饂飩を茹でる俺、雑賀さいがサイタにとって額を流れる汗くらいにどうでもいいことだ。

 何故か今夜はバイトがないとか言って大和だいわヤマトとその幼馴染でである三浦みうらリンが俺の部屋へ訪問。多々良たたらララも当然の如くいるし、俺の住処は集会場か。

 そしてソファでは相変わらずゲーム機に集中する猫耳野郎のくるるクルリとその横で遅めの昼寝をしているかがみテオ。全員自由人かよ、ふざけんな。


 ちなみにアイス屋で出会った針山アイと深山カノンの内、針山アイの方はどうしてもと言うなら食べてあげてもいいとかふざけたことを抜かしたので、来るなと一刀両断した。

 ただでさえの大人数なのに、作る側の苦労も考えない言動。断るのが筋ってもんだろうが。ただし何故か深山カノンの笑顔の圧力が強くなったのは気になるとこだが、俺には無関係だろう。

 深山カノンは枢クルリに会いたいが、用事があると残念そうな顔をしていた。俺としてはありがたいことなので、頑張れ、とだけは伝えておいたのだが、軽く舌打ちされたのはトラウマものだ。


「な、なにこの顔面偏差値高い空間……特に多々良先輩と西洋系キュート美青年が直視できない!!」

「あ、その猫耳……俺がバイトしてるコンビニの常連さんっすね。どーも、大和ヤマトです」


 見ていて安心するような庶民感覚の三浦リンのリアクションも気にせず、マイペースな大和ヤマトは枢クルリにやる気のない挨拶をする。

 バンダナに猫耳を付属させた枢クルリはいつもの紫ジャージの姿で、猫背を丸めながらゲームしている。挨拶も返さない怠惰な猫耳野郎であることを誰か変えてくれないだろうか。

 しかし怠惰野郎とは打って変わって鏡テオが起き上がり、寝ぼけた目で大和ヤマトを眺めている。相当寝ぼけているのか、目元を擦りながら見つめ続けている。


 鏡テオの左右で違う色の目を見て三浦リンも興味深そうに近寄る。青と緑のオッドアイ。白い肌と黒い髪の中では宝石のように見えるだろう。

 実はそれが毒を受けた副産物だと知らない方がいいだろう。黒のノースリーブパーカーと白のスラックス。特徴的と言えば、髪の一部を赤く染めて三つ編みにしていることと、首筋の真っ赤な林檎の痣くらいだ。

 少しずつ意識が覚醒した鏡テオは、遊び相手を見つけた大型犬のように目を輝かせる。大和ヤマトが相手してくれるタイプの人間だと良いのだが。


「知らない人!初めまして!えっと、テオバルド・鏡・エーレンベルクです!テオでいいよ!」

「どーも、大和ヤマトっす。確か駅前でよくストリートライブしてる人、っすよね?」

「そうだよ。そっちの子は?」

「み、三浦リンです……初めまして」


 鏡テオの裏表ない明るさに戸惑いつつ、三浦リンがたどたどしく返事する。それに満足したのか、鏡テオは何故かボードゲームを取り出す。

 人の部屋にいつの間にそんなパーティーグッズを用意しやがった。絶対護衛的な役割の副業ホストである椚さん、いや鏡テオに滅茶苦茶甘い露出狂の痴女である梢さんか。

 どうも椚さんは副業が楽しくなってきやがったらしくて、放任気味だ。梢さんもドイツに帰っていやがるし。おかげで俺がお世話役みたいなことに、金貰ってるから文句言いにくいけどよ。


「裏社会人生ゲーム!!破産すると駒すらも取り上げられるゲームなんだって!!」

「誰が作ったんですか、それ!?」


 よし、三浦リンが俺の代わりにツッコミをしてくれている。その調子でどんどんその偏屈ゲームを貶してくれ。頼むぞ、幼馴染系女子高生。

 多々良ララは皿やしゃもじを用意し終えて暇になったのか、テレビの電源を付けてニュースにチャンネルを合わせる。またもや事件、事件、事故、政治、事件、と世の中は騒がしい。

 そんで料理を続ける俺の耳に気になるニュースキャスターの声。枢クルリもゲームを一時中断して、テレビ画面に面倒そうに視線を向けていた。


『強盗未遂容疑で捕まっていた容疑者が留置所で殺害されました。容疑者はコンビニにスキー服で襲撃し、店員に取り押さえられた後に拘束。聴取の途中でしたが、当局は組織犯罪の線も含め調査を──』

『新しい情報が入りました。留置所にいた容疑者殺害、続報です。カメラに犯行の一部が映って……少女?失礼しました。赤い頭巾をかぶった少女らしき影が監視カメラに映っている様子が──』

『殺害された容疑者達を収監していた部屋にメッセージらしきものが……赤い血、いえ赤いスプレーで壁一面にドイツ語らしき言語で「赤ずきんはおつかい中」と書かれています──』

『警察は非常事態とし、極力外出を避けるように呼び掛けています。繰り返します、留置所にて殺人事件発生の模様。現在も捜査が続く中、現場には多くの取材陣が──』


 殺された容疑者の顔写真がテレビ画面に映る。ついでに一番目立った事件を起こしたスキー服の男の犯行映像も流される。

 そして映るのは俺と大和ヤマト含めたコンビニの様子。おいおい、これはいくらなんでもまずいだろう、と思った矢先に部屋へ急ぎ足で入り込んできた深山カノン。

 息を荒げて汗だらけの様子で、俺達の無事な姿、主に枢クルリの顔を見て、安心した様子でフローリングに膝をつく。多々良ララが駆け寄る。


「み、皆さん無事で……まさか錬金術師機関があの力を借りるなんて……」

「おい?なんなんだ、いきなり……これ以上の追加要素はいらんぞ」

「そんなこと言ってる場合じゃないんです!!錬金術師機関が本腰になり始めたんです!赤ずきんの都市伝説を知らないんですか?」

「知らねぇよ。あ、でもSNSで調べられるか?鍋も後は煮込むだけだし……三浦はテオの相手しててくれ。ヤマトも。ララは深山から話聞いてくれ」


 枢クルリは既に自室からパソコンを持ち出して調べ始めているので、指示する必要はない。俺は一度手を洗い、布巾でよく拭いてから、机の上に置いていた携帯電話を手にする。

 毎秒、必ず誰かが呟くシステムのSNS。今のニュースは相当の衝撃と興奮をもたらしたらしく、HOTワードというので調べることができた。青い血に関しては全くわからんが、赤ずきんについては目が痛くなるくらい豊富だ。

 都市伝説「赤ずきん」というと、かなり有名らしい。正直そういうのに興味がない俺にとっては、今から初めて知ることなんだが。


 赤ずきん。最初は五歳くらいの女の子が、狼さん、と話しかけてくるらしい。それに応じて振り向くと、真っ赤な頭巾の女の子が笑って問いを続けるらしい。

 嫌いな童話はありますか。それに答えられないと、女の子はあらゆる武器を使って相手を殺してしまう。どんなに逃げてもどこまでも追いかけて、最後は必ず殺すらしい。

 最初の事件は十年前。犯行現場と思われる場所では臓物を食い散らかされたような、腹が破裂した悲惨な死体の傍に、赤いスプレーで「赤ずきんはおつかい中」とメッセージが残されていたとか。


 使用された凶器はおそらく威力改造を施した散弾銃とのこと。ただし死体の状況から、使用者が耐えられるような武器ではないらしく捜査は難航したとか。

 しかし殺害された被害者が当時世間を賑わしていた連続強姦殺人事件の容疑者だったようで、一部では赤ずきんを英雄視する声もあり、不謹慎なヒーロー物語として話題になったとか。

 さらに女の子は成長しているらしい。防犯カメラからの情報を元に、赤ずきんの犯行と思われる事件の映像を集めていくと、必ず赤い頭巾の少女が現れる。少しずつ、年を重ねるように。


 では実際に生きている少女の犯行ではないかという話だが、死体の損傷や使われた武器の威力を考えると、現実的ではないとニュースで語られている。

 どこかのオカルト雑誌の記者が法螺吹きのように話したことと言えば、少女が体を小さくして内部に入り込んだ後で肥大化すれば可能な惨状であり、新たな都市伝説の誕生だとか。

 赤ずきんは今も街中を彷徨っている。おつかいを終わらせるために、狼を殺しながら──って、どこの漫画設定だ。阿保らしくなってこれ以上調べるのを止めにする。


「……それもこれも、全部!!雑賀さんのせいです!!なんで候補を集めてるんですか!?馬鹿なんですか!?」

「いきなり理不尽に俺にキレるなよ!いつもの冷たい微笑を浮かべる深山はどこにいった!?大体集めてんじゃねぇ、集まってくるんだよ!!俺だって無関係貫きたい!!」

「初志貫徹してくださいよ、そこは!!しかもまたもや美味しい匂いを!貴方は固有魔法能力者ホイホイかなにかですか!?」

「そこは傲慢野郎にしてくれ!!大体固有魔法能力者が全員腹ペコキャラな訳ねぇだろうが!!」


 珍しくブチ切れている深山カノン相手にしょうもない怒号をぶつける羽目に。お互いに大声で喧嘩し、譲ることができない戦いへ。と発展する前に来訪を知らせるインターホンの音。

 インターホンカメラを確認すれば不機嫌そうな大家さんの顔。やべぇ、騒ぎすぎたか。俺は多々良ララに鍋の火を止めるように指示し、玄関へと向かう。

 俺、実は大家さん少し苦手なんだよな。本人は怒っているつもりじゃないんだろうけど、傍から見ててかなり怖い形相をしているし、彼の判断一つで俺を追い出すことも可能だからだ。


 扉を開ければ長い髪を脱色剤でものの見事に色落ちさせた男が一人。痛んだ白髪をまとめもせず、咥え煙草でこちらを見下ろしている痩身の、簡単に言えば細長男。

 正直頭の頂点と足首をまとめれば納豆束にできそうとか、怖くて口にも出せないが、そんな雰囲気の男だ。ビール缶が詰め込まれたビニール袋が、夏の暑さで少しだけ水滴が纏わりついている。

 袖なしの白Tシャツにダメージジーンズ。お洒落ではないが、顔面偏差値がそこそこ上の方にあるのでアウトローな、火傷しそうな、火傷させられるかもしれない、火傷させるだろうな、という感じの男だ。


「よお。入居者項目を賑やかにぶち壊しての大騒ぎとわかってるよな?こちとら仕事帰りだぞ、早く野球見ながら枝豆食いてぇんだけど?」


 隠す気のない、いっそ清々しい苛立ち。夏場でも不気味なほど青白い肌が怖さ数倍増である。正直夜道では出会いたくない。

 しかし今回は驚くことに、そんな危なそうな大家さんの背中に隠れるような少女がいる。紺色のセーラー服に赤いリボンが似合う女子中学生か。

 俺が視線を向けると、恥ずかしいのか隠れてしまう。大家さんには似ても似つかないので、どこかから誘拐してきたのかと目線を向ける。


「今、不敬なこと考えただろう?こいつは親戚の子供だ、多分」

「多分!?前々から大家さんの素性不明さはやべぇなと思ってたけど、事件沙汰だけは……」

「本当にいい度胸してるよな、お前は。なんにせよあまり騒がしくするなよ。他の住人に迷惑だ……そうだ、ほら挨拶」

「……う、大神おおかみシャコです……あの、よろしく……先輩」


 後輩キャラ参戦的な日なのだろうか。とりあえず今日出会った後輩候補の中では一番幼くて可愛いとは思うけどよ、増え過ぎはどうなのだろうか。覚えきれねぇよ。

 赤い花のヘアピンで前髪を簡単に飾り付け、肩までの長さの髪を揺らしている。大きな黒目が用心深くこちらを眺めてるのは小型犬のようだ。クラスでも上位十人くらいに入る可愛さの女子だろう。真ん中の上くらいだ。

 普通は夏のセーラー服と言えば上は白いイメージがあるのだが、透け防止なのか大神シャコのセーラー服は上も紺である。珍しい制服だが、ここらへんでそんな中学あっただろうか。


「こいつ、受験生でな。お前の高校目指してるらしいから、見かけたら世話してくれ。こいつ、超絶な馬鹿だからな」

「しゃ、シャコは馬鹿じゃないもん!いつも言うこと聞いてるでしょ?おつかいだってこなせるもん!意地悪!!鬼畜!青い血!!」

「な、馬鹿だろ?」


 腰を拳で軽く何度も連打する女子中学生を指差し、気怠そうにしている大家さん。すげぇほのぼのした光景なのに、大家さん相手だと似合わねぇ。

 しかし一人称が自分の名前系女子かぁ。俺はそう言うの少し苦手なんだよな。個性だとは思うけど、もう少し大人な一人称を使う躾をさせた方がいいのでは。


「大体俺の血が青いのは秘密だってんだろうが、この馬鹿」

「馬鹿じゃないもん!!冷血漢!六番!!」

「青くても血は温かいんだよ。夏の暑さで沸騰しそうなんだよ。大体冷血漢は、笑顔で人や仲間だけでなく他人や血族を陥れる、一番の方だって言ってんだろうが」

「よくわかんないけど……とりあえず大人しくするんで、家の前で親族会話は勘弁してください」


 よくわからない罵倒を繰り返す大神シャコを連れて去っていく大家さん。どこの家庭事情も複雑そうで、俺は平凡な家の生まれで良かったと思う瞬間だ。

 いやまあ、父親と母親の熱烈バカップル騒動に関しては申したいことはあるが、それ以外は普通の家庭だからな。そういえばそろそろ西瓜とか送ってくれねぇかな。

 俺自身も腹減ってきたので部屋の中へと戻る。深山カノンが麦茶が入ったグラス片手に泣き上戸のように多々良ララに愚痴っている。酔っ払いかよ。


「あんまり騒ぐなよ。今、大家さんに叱られたんだぞ」

「っ、この……なんにも知らない傲慢野郎さんがぁ……」


 一瞬怯えた目をした深山カノンは、俺を怒ろうとして、小声で愚痴になっていく。まあ、ホイホイよりはましかと無視することにしよう。


「そういえば大家さんって外国人だよね?椚と賃貸契約した時、そんな名前名乗ってたよ」

「え?日本人じゃ……いやでも名前知らねぇな。いつも大家さんって呼んでるし、本人も大家としか言わねぇし」

「ふーん、自分の名前嫌いなのかな?あ、そういえば良い匂い……今日のご飯は?」

「鍋と饂飩だ。味噌ベースに豚肉と白菜や茸などを入れて水増ししている、庶民鍋だ」


 大人数な食卓のせいで熱い内容になったが、多々良ララの普段の食事量と、大和ヤマトが見せた食欲を考えるとカレーですら安心材料にならない。

 鍋はいい。饂飩と米、内容次第ではラーメンやスパゲッティでひたすらループできる万能性がある。出汁さえ残っていれば、そこにひたすら追加材料と水を混ぜ、調味料で味を整えればいい。

 炭水化物を大量投入できる大食漢対策。雑炊の語源っていうのは、増水という豆知識も披露しておこう。要は腹を膨らませるには一番ってことだ。


 テーブルの上に鍋とカセットコンロを置き、蓋を取れば立ち昇る湯気が豊かな味噌の匂いを部屋中に広げる。今日は鏡テオだけでなく、大和ヤマトも目を輝かせている。

 三浦リンが一口だけスープを呑むと、俺に向かって尊敬の眼差しを向けてくる。こういう素直な反応は嫌いじゃないが、それよりも大和ヤマトと多々良ララの食べるスピードがやばい。

 汚く食い散らかしているわけでも、早食いしているわけでもない。ただひたすら味わうように次々と箸を伸ばし、器を空にしている。行儀の良い驚異的な速度だ。


「雑賀……師匠!!私に料理を、あの大食い馬鹿を満足させられる味の御教授を!!」

「普通に味噌鍋を作っただけで弟子ができるってどういうことだよ!?そこは後輩キャラとして、先輩呼びになるんじゃないのか!?」

「え……?」


 先輩呼びに対して真顔になる三浦リン。そして見上げるは俺の頭の頂点。次に大和ヤマトの頭の頂点と見比べている。おいやめろ、その視線は俺が傷つくだけだ。

 もういいよ、師匠で。とりあえず俺は鍋の中身を確認しながら簡単な作り方を教えていく。三浦リンは慌てて鞄の中からキャンパスノートと可愛いペンを取り出してメモしている。お団子頭だが、真面目系か。


「サイタの兄貴、超美味いっす。ウチのおふくろより料理上手っす。おかわり」

「お前はお前で弟分キャラにちゃっかり居座りやがって……野菜多めに盛るぞ」

「望むところっす」


 鍋のヒエラルキーにおいて肉は頂点に座する。つまりは無駄にできない。簡単な追加もできない。そのため先に消費してほしいのは野菜や茸である。

 他にも油揚げやちくわ、物によっては白滝を増員する。実は味噌ベースならばキムチを参加させてのキムチ味噌スープにひきわり納豆を入れた、臭いけど超絶美味い鍋にしてもいい。

 キムチ納豆味噌スープにラーメンいれてもいいよなぁ、と思わず現実逃避するほど鍋の減りが早い。ちなみに鏡テオは三浦リンよりも少ない量でお腹一杯になっている。


「うう……本当にご飯は美味しい……厄介案件なのにぃ……」


 涙ながらにしっかりと夕ご飯を食べている深山カノン。俺はお前にそこまで恨まれるようなこと……してるのか。したかもしれない。ないとは言い切れない。

 そして意外にも枢クルリはバランスよく野菜と肉を食べている。最終的に残ったスープをご飯にかけ、猫まんまにして食べている。さすがは猫耳野郎だ。

 俺もなんとか食べ続けるが、鍋の減りが早いため息つく暇もない。饂飩も米も追いつかないってどういうことだ、ここは相撲部屋なのか。


 一時間にわたる夕飯は、最終手段であるキムチ味噌納豆ラーメンで〆とし、臭いに慣れていない鏡テオが部屋の中を転げまわる結果になったのであった。





 換気扇をフル回転させた部屋には、いまだキムチと納豆のコラボレーション残骸と言わんばかりの臭いが漂っている。調子に乗ってニンニクもぶち込んだからな。すりおろした奴。

 味に関しては花丸だが、臭いに関しては日本人ですらもきつい類なので、ドイツの食事に慣れていた鏡テオは枢クルリの部屋で寝転んでいるらしい。

 多々良ララは深山カノンと一緒に、枢クルリの部屋でゲームしながら雑談している。そして肝心の俺は食後の片づけだよ、畜生が。


 しかし今日は三浦リンと大和ヤマトが手伝ってくれている。三浦リンの方はまだ危なっかしいが、大和ヤマトは飲食店での経験が活きている動きだ。

 狭い台所でも巨体が邪魔にならない、最小限の無駄がない動き。今日は少し楽ができそうだと、一息つく。こういう地味なことこそ、一番きついからな。

 特に今日は大家族並みの食器が発生している。鍋も洗うのは大変だし、こういう時は家事ができる親がいてほしいと願うぜ。


「お前達、帰りはどうするんだ?もう九時前だろ?」

「俺は大丈夫っす。深夜バイトで……」


 口にしている途中で自分の手で口を塞ぐ大和ヤマト。そういえば条令かなんかで、十八歳未満の一定時間以降の労働は原則禁止のはずだ。

 そういえば早朝のコンビニで働いていたような。俺は洗い物の手を止め、大和ヤマトに詰め寄る。高身長を活かして、顔を逸らす大和ヤマト。


「年齢……誤魔化してるな?」

「……身内がいる職場だけなんで、お手伝い名目で見逃してほしいっす。親の許可もあるんで」

「幼馴染ぃ!!注意しろ!!」

「注意しました!でも……ヤマトの食費は、本当に恐ろしいので……」


 苦悩した顔で呟く三浦リン。苦渋の選択らしいが、法律に抵触するのはまずいだろ。グレーゾーンじゃねぇか。

 俺より年下の癖にどんな苦労をしているんだ、こいつは。ただ、食費は自分で稼ごうという思考は嫌いじゃない。しかし手段が危うい。

 後で怒られるのは大和ヤマトじゃなくて、こいつを雇っていた企業側や家族なんだぞ。そこまで思考が回らない辺りは、やはり子供なんだろう。


「とりあえず……今日は大丈夫っす。リンとは隣同士ですし、迎えも頼んだっす」

「そこはしっかりしてんだな」

「リンは隣の家族の大事な一人娘っすから」


 淡々と当たり前のように紳士なことほざきやがって。三浦リンの顔が赤くなっていくのを見て、俺はやりきれない気持ちになる。

 高身長の金髪で顔面偏差値も高く、幼馴染属性も加味した上でのラブコメかよ。もうお前が主人公で話進めればいいんじゃないか、とラノベの世界だったら崩壊の序章だ。

 俺は主人公でもなんでもないので、とりあえず目の前で繰り広げられる無自覚のラブコメ空気を視界から外していく。今ならリア充爆発しろと叫べるかもしれない。


 そんな中、耳に届くインターホンの機械的な音。どうやら大和ヤマトの迎えが来たのだろうと、インターホンカメラから映しだされた映像を覗く。

 赤いフード、顔は見えないけど小柄な少女とわかる体躯。童話に出てくる赤ずきんが、そのまま成長したような姿。頭の中にニュースの声がぶつ切りに再生されていく。

 少し考えて、大丈夫だと結論付ける。俺の固有魔法なら、鱗を生やす【小さな支配者リトルマスター】であれば、斬撃も銃撃も防げるはずだ。


 大和ヤマトと三浦リンには片づけを続けるように告げて、一人で玄関へ向かう。なんで、とか今更だろう。ここまで来たのならば、考えても仕方ない。

 狙われる理由は全くわからないが、深山カノンが慌ててここに来た理由はわかった。大丈夫だ、多分。暗かった玄関の電気を点け、汗で濡れた手でドアノブを掴む。

 勢いよく扉を開けた。体中に青い鱗を生やして、他人が見たら酷い姿の状態で相手の出方を待ち構える。目の前にいた奴は驚いたように肩を尖らせた。


「こんばんは。大丈夫、赤ずきんはおつかいを終えて帰りましたから」


 柔和な笑顔で、目の前の男は和やかに俺に無事を伝えてきた。思わず目を丸くし、相手の姿を凝視する。扉を開ける間に、少女が男になるってどういうことだ。

 短い赤髪に緑色の目、右側に真鍮製の片眼鏡に渋い色の和服だ。外国人のような顔だちだが、古本屋にいそうな雰囲気も感じる。二十代くらいの青年に見えるが、誰だろうか。

 俺は警戒しながらも魔法を解除する。さすがに鱗怪人の外見は、俺自身も不服だからな。それにしてもこの雰囲気、前にもどっかで味わったような気がするぞ。


「あ、ナレッジ爺!」


 俺の背後から大和ヤマトの明るい声が響いてきた。緊張と警戒で頭が埋め尽くされていた俺は、三重の意味で驚いた。

 まずは大和ヤマトの声。その次に予想以上に明るい調子の声。そして聞こえてきたナレッジという名前。確かそれは大和ヤマトの大食漢を成立させた人物の名前。

 そして話を聞いていた限りでは、第二次世界大戦から生きていた人物なはず。なんで、どうして、若作りにも程がある外見をしているんだよ。計算が合わない。


「ヤマトとリンさんがお世話になりました。後日、ヤマトに菓子折り持たせますので、どうぞお受け取りください」


 丁寧で物腰が柔らかい、そんな印象を受ける青年。こちらの警戒心を溶かしていくような、小さな恐怖が見え隠れする。

 そんな俺の感情も気付かずに、帰り支度を整えた大和ヤマトと三浦リンが玄関にやってくる。俺に向かって行儀よく頭を下げ、ナレッジと呼ばれた青年と共に去ろうとする。

 俺はなにかを問いかけなくてはと思いつつ、なにも出てこない真っ白な頭に舌打ちしたくなる。しかしナレッジは扉が閉まる前に振り向き、自己紹介をしてきた。


「申し遅れました。僕は知識の魔人ナレッジ。錠の一つですが……鍵を決めるつもりはありませんので、御安心を」


 扉が音もなく閉まる。思い出した、あの雰囲気。どこか濃密な、印象にひっかかる感触。確かに前に出会った魔人の銀髪少年と同じだ。

 暴食の対となる美徳である知識。つまりは候補と錠が揃っている。だけど錠である魔人自体が鍵を決める気はないって、どういうことだよ。

 大体、どこに安心要素があるんだよ。赤ずきんがやって来た理由も、おつかいを終えた理由もわかってないんだぞ、こっちは。


 とりあえず今回もまた巻き込まれたことだけは決定しやがった、畜生。だから俺は無関心と無関係を貫きたいっていうのに。

 どうせ俺がまた痛い目を見る羽目になるんだろうなぁ、とかのんびりしている場合じゃない。今回は本格的に危険な臭いしかしない。

 なにせ都市伝説級連続殺人犯が関与してるんだろ。最悪じゃないか。そりゃあ深山カノンが慌てるわけだよ、怒鳴って悪かった深山カノン。心配してくれてありがとよ、ただしホイホイは許さん。


 とりあえず片づけを終えたら風呂に入って寝よう。鏡テオの時も大変だったが、こちらは事前に色々とわかったせいか事の重大性が辛い。

 まずは暴食候補、しかもかなり最有力候補なんじゃないか。そして知識の魔人に連続殺人犯少女。しかも連続殺人犯少女の方には錬金術師機関が関わっているかもしれない。

 椚さん辺りに鏡テオに被害が及ぶかもしれないとメールをしてみるか。いや、やっぱりやめとこう。下手に巻き込むとドイツから露出狂の痴女である梢さんがやって来て、大騒ぎしかねない。


 相談できる奴と言えば……枢クルリしかいない辺りが末期な気がするぞ、おい。どうして怠惰な猫耳野郎が一番役立つんだよ。理不尽だろ。

 全ては明日に任せよう。俺の情報処理能力ではこれ以上どうにもできないしな。それにしてももう少し全員でまとまって行動してくれるとか、そういうチームプレイはできないのか。

 俺にはそういう集団をまとめる能力なんてないし、残ってるのは色欲と憤怒だったか。どうせそいつらも集まるならば片方がそうであればいいのに。


 いや、やっぱり集まらん方がいいな。無駄に疲れた一日を尻目に、俺は深々と溜息をつく。早く夏休み来ねぇかな。

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