2話「画伯の壊滅的なイラストレーション」

 野菜を刻むリズミカルな音に合わせて歌声が聞こえてくる。

 中性的な透き通った歌声だ。しかし歌詞はないので鼻唄みたいなものだ。

 歌声の主は興味津々な様子で携帯ゲーム機で遊んでいるくるるクルリのゲームプレイを見ている。


 知らない人が来ているせいか、明らかに警戒している猫のように気を張り詰めている枢クルリ。

 もし本当の猫だったら毛を逆立たせて威嚇していただろうが、枢クルリの猫っぽいところと言えば猫耳バンダナや猫背のところだろうか。

 あと猫舌だったな。最近料理を作ってやっていたせいか、そんな些細なことに気付けてしまった俺、雑賀さいがサイタ。


 高校二年生、青春真っ盛りなはずの俺が何が悲しくて半同居みたいな男の特徴を掴まなければいけないのだろうか。

 ちなみに半同居というのは、俺が住んでいるマンションの隣に住んだ人間が枢クルリ。引っ越す際に部屋を工事で扉を隔てて繋げてしまったからだ。

 食費を俺に渡しては食事をせがむニートだ。俺より一歳年上らしいが、中卒。ただしブログ広告や株などで稼いでいるらしく、荒事を金で解決できる程度の財力を持っているらしい。


 俺としても枢クルリを以前の不摂生な食事をさせるくらいなら、無理やりにでも健康的な物を食べさせたいくらいだから問題ない。

 しかしこいつのだけではなく、同じマンションの五階に住む同級生の多々良たたらララという少女も食べにくるので三人分の食事の用意が必要だ。

 それが今日は四人分。野球の部活で疲れた俺としては枢クルリのカレーというリクエストは些か助かった。


 だからって俺の長文メールを無視したことは別問題であり、大辛カレーとブロッコリーは決定事項だ。

 しかも熱々にしてやる。ご飯も炊きたてで、猫舌の枢クルリには涙目な内容だ。普通だったら大歓迎の出来立て料理なんだけどな。

 ちなみにブロッコリーも茹でて柔らかくし、軽い味付けで食べやすくしている。好き嫌いする子供も食べやすい調理法だ。


 ……なんだろう。なんか男子高校生としてずれていっている気がするぞ。

 なんにせよ一人暮らし以前から妹達のために培った料理スキルを生かしているだけだと、自分に言い聞かせる。

 枢クルリは二つ折りの携帯ゲーム機の蓋を閉じて、俺に向かって少し怒りを込めた面倒そうな視線を投げてくる。


 大型犬に懐かれすぎて疲れてきた猫というか、弟の世話が嫌になって母親に文句を言う兄のような。

 傍から見れば結構微笑ましい光景だったのだが、本人の機嫌は最悪だ。問題として懐いている方が全く邪険にされているのに気付いていないところだろうか。

 無邪気な笑顔と瞳でこちらと枢クルリを見ている男に、俺は溜息をつきつつ声をかける。


「白雪、クルリは人に慣れてないから構いすぎると暴れるかもしれないぞ」

「動物か、俺は」

「クルリ、可愛い!日本人の名前面白い」


 注意されているのに気付かない白雪は笑顔で、おそらく本人が一番気にしているであろう部分を突き刺してきた。

 明らかに枢クルリの不快指数が上がったようで、猫背を丸めてソファの上にふて寝する。怠惰なアイツは逃げるのも面倒になったらしい。

 そういえば白雪の本当の名前聞いてなかったな。日本人の名前、と言うあたり外国人なのだろう。顔立ちも少し西欧系が混じっているしな。


「白雪って名前は本名か?」

「ううん。違うよ、歌ってたらいつの間にかそう呼ばれてた」

「じゃあ本当の名前は?」


 白雪は照れつつも、少しだけ考え込んだ後、はっきりと名前を告げてきた。


「テオバルド・エーレンベルク。お母さん?が日本人だから日本で使う名前も入れると、テオバルド・かがみ・エーレンベルクだよ」


 長かった。予想以上に長い上にまさか日本で使う名前とか、さりげなくハーフということまで知ってしまった。

 というか今、お母さんという部分が疑問形だった気がする。まるで母親に会ったことがないような、変な違和感だ。

 これまた複雑な事情とかあるのだろうか。できればそこまで深く関わりたくないんだがな。


「長くてメンドー。テオでいいじゃん」

「うん、皆そう呼んでるよ」


 家族に呼ばれている、とかではなくて皆という言い方にも疑問を感じる。

 浮世離れしているというか、家庭環境が物珍しそうな態度とか、ミステリアスというにはあまりにも浮いている。

 なんにせよこれでテオと呼べるな。多分苗字として鏡という部分も使えるのだろう。外国人の名前事情って大変だな。


 カレーが煮えてきたタイミングでインターホンの音が部屋の中に鳴り響く。

 少し火を弱めてじっくり煮込む間に、インターホンを鳴らした相手をマンションの防犯システムとして設置されたカメラの信号を受信する、まぁ画面付き通話可能受信機みたいなので確認するわけだ。

 正式名称は忘れたし、日常では使うものでもないので思い出さないまま、予想通りの相手が映ったことを確認して入って来いと指示する。


 多々良ララは夏用の私服、ワンピース型パーカーとシャツに短パンというボーイッシュな格好だ。わずかにパーカーについたフリルが男ということを否定している。

 しかし顔立ちや高身長により、少し態度を変えれば完全に美男子、というかイケメンになる女子である。

 健康的で細いというには、やや筋肉がついている白くて長い脚。美脚ではなく健脚というか、スポーツ選手の脚というか。


 なんにせよ男集団に混じっても違和感のない多々良ララは、男だらけの俺の部屋に遠慮することなく、慣れた足取りで入ってくる。

 そして鏡テオ、と呼ぶことにした男の姿を視界に捉え、ソファの上でふて寝している枢クルリを確認し、カレーの最終調整に入っている俺を眺める。

 何か言おうとして鳴り響く自分の腹の音に顔を赤くすることはない。それが多々良ララというクール女子である。


「今日の晩御飯は?」

「カレーと野菜の付け合わせ。というか、他に聞くことはないのか?」

「ないよ。襲い掛かられたとしても勝てる自信あるし」


 俺は、襲い掛かられても勝てる自信がある、という言葉に反論できないと頷く。

 なにせ多々良ララの固有魔法【灰の踊り子サンドリヨン】は肉体強化系。しかも速度や筋力が上昇する。

 ついでに衣装も艶めかしいレオタードな感じの魔法少女系なのだが、そこは深く突っ込まないでおこう。


 なんにせよ俺みたいな肌の上に鱗を生やして操作する類や、枢クルリみたいな空間移動系も魔法が発動する前に鎮圧できるだろう。

 鏡テオはなんの魔法を使うかわからないが、発動する前なら多々良ララの魔法で黙らせることも可能だ。なんだかんだで単純なようでスペックが高い上に汎用性が広い。

 つまりは男三人、女子一人、という状況の中で、最強なのは紅一点の多々良ララなのである。現在形なので今後どうなるかはわからないが。


 淡々とした表情と行動そしてクールな雰囲気で、動かない枢クルリの代わりに食器を用意していく多々良ララ。

 枢クルリが手伝わないのはいつものことだけどな。あいつは用意されたら呑気に歩いてくるような怠惰な男だ。

 そういった点でも猫を思い出す。犬は空の餌箱の前で待つのに対し、猫は用意されたのを確認してから来る辺りが特に。


 俺の隣に多々良ララ、向かいには枢クルリ、その隣に鏡テオが座る。すっかり枢クルリに懐いたらしく、鏡テオは子供のようにいくつも質問している。

 外見的にも実年齢的にも鏡テオがこの中で一番年上のはずなのに、一番年下のように感じてしまう矛盾。

 雰囲気や仕草が本当に純真無垢な子供みたいで、今も大辛カレーを初めて食べる期待感からおそるそる一口食べ、直後に水を求めて足をじたばたさせる。


「あーもう、牛乳の方が良いな。ほれ」

「あ、ありひゃとぅ……」


 俺から渡されたコップ一杯分の牛乳を一気飲みし、涙目のままカレーを見つめて動かなくなる。

 そして助けを求める視線を枢クルリに投げるが、それを無視して枢クルリは平然とブロッコリーを食べて大辛カレーが冷めるのを待っている。

 猫舌なのですぐに食べられないのが逆に幸いとなったか。俺は心の中で舌打ちする。


「サイタぁ~……」


 涙目で俺を見てくる鏡テオ。大型犬が目の前のエサを食べられなくて、飼い主に助けを求めている雰囲気だ。

 しかも横では普通に猫が餌を平らげている最中という状況付き。ちなみに多々良ララは黙々とおかわりをよそおいに炊飯器に向かっている。

 運動部男子並みの胃袋を持つ女子はカレールーだけでも食べれるらしく、帰ってきた多々良ララの皿にはご飯少しに大量のルーが乗っていた。


 俺は仕方ないと思い、予め多々良ララや俺が辛くて食べれなかった時のために用意していた物を出す。

 白身が輝きを放ち、黄身も柔らかく美味しい半熟未満の温泉卵。皿の上で器用に片手で割り、卵とカレーライスを混ぜていく。

 ついでに辛みを和らげるための牛乳も少量加える。そして出来上がったものを食べてみろと鏡テオにスプーンを返す。


 再度怯えつつも鏡テオは卵を入れた大辛カレーを食べ、嬉しそうな目で俺に美味しいと伝えてくる。

 相当気に入ったのかその後は勢いよく食べていく。と言っても子供の食事スピードと同じで、半分も食べずにスプーンが止まった。


「サイタ。俺も同じの」

「自分でやれ、猫耳野郎。というか意外とお前好き嫌いないんだな」

「ピラフのグリーンピースとか、選り分けるの……メンドーで」

「怠惰の末かよ」


 面倒臭がりの枢クルリは温泉卵を自分で割り、かき混ぜて食べ始める。こいつ、もしかして鏡テオが音を上げるのを計算していたのか。

 音を上げた奴に対して俺が手を施すのを知った上で、大辛カレー食べるのを避けていやがったな。くっ、結局痛い目見せることできなかったか。

 多々良ララは三杯目で同じように温泉卵をかき混ぜて食べている。俺が言うのもなんだけど、食い過ぎじゃないだろうか。


「そういえばどうしてサイタの家って椅子五つなの?」

「ん、ああ。最初は一家全員で住む予定だったんだけどな、ちょっと我が家はややこしいんだ」


 鏡テオの問いかけに対して俺は自分の家庭事情を思い出す。と言っても悲劇的で複雑な話ではない。

 両親、父親と母親は相思相愛の熱々カップルとして有名だ。ここで夫婦ではなくカップルと称したのには理由がある。

 この二人は面倒な性格で、相手のことが大好きで他以外見れないのに、同棲すると途端に馬が合わなくなるのだ。


 俺が生まれた時点でほぼ別居。けど夫婦仲は良好すぎて妹二人もしっかり生まれている。

 さらには今でも四人目作ろうかと話している。だけど一緒には住めないという難儀な性質の夫婦。

 おかげで俺は幼少期の際、母親の家で育てられ、たまに帰ってくる父親を知り合いのおじさんとしか認識していなかった。


 妹達が生まれても二人は一緒に住めず、別居でそれぞれの家賃が発生するため共働き。

 おかげで妹達の面倒を見たり、母親代わりの家事などは俺が幼稚園の頃から担当することになった。

 俺が東京の高校に通う際に、やっぱり家族全員同じ屋根の下で生活しようと試みたのだが、ものの見事に失敗。


 しかも失敗の原因は両親の性質だけでなく、妹達が引っ越し直前で転校するのは嫌だと駄々をこねたからだ。

 そんなこんなで家族全員分の家具を揃えたマンションで俺は一人暮らしすることになったという顛末だ。だから椅子が五つ。

 部屋数もかなり余っていて、掃除するのは楽だが、身勝手すぎる我が家の事情は本当に意味もなくややこしい。


 今ではそのややこしさのせいで誰かを招き入れても食器や椅子があるから、利便性は一応あるけどな。

 現代日本では結婚したら必ず同居みたいな空気が強いが、子供の観点から見れば大喧嘩して離婚されるよりは別居して夫婦仲円満の方が楽だ。

 なので別に親に文句は言う気ないし、妹達の言い分もわかるので、一応納得はしている。だが不満はあるから、そこは忘れないように。


「そういえばアタシ達が食べに来ても動じないとは思っていたけど、そんな事情があったのか」

「メンドーな家だな」

「別に話すほどのことじゃないだろう。一家離散したとか両親死去とか大袈裟な話じゃないからな」


 そう、俺の家族は両親が別居している以外は普通の家なのだ。ちなみに妹達は母親の家に住んでいる。

 父親は普段は一人暮らしで、週に四回くらい母親の家に尋ねて談笑や宿泊をして、帰っていくスタイルだ。

 夫婦仲は円満。家族仲も良好。金銭面も今のところ問題ないし、誰かが大きな病気や事故にあったわけでもない。


「本当に普通な一般家庭と変わらないだろ」

「……そういうことにしてあげるよ」

「メンドーだからノーコメント」

「へー。日本の家庭はそんな感じなんだね」


 お腹が一杯なのか残ったカレーライスを名残惜しそうに眺めつつ、鏡テオは呑気な声であっさりと納得した。

 しかし母親が疑問形で、その上長い名前は明らかに外国の読み。一体こいつは何人なんだ。見た感じアジア系ではなさそうだが、体が細すぎてがっしりした西洋系とは程遠い気もする。

 肌の色が白いから南の方ではなさそうだが、本人に聞くのが一番早いか。


「テオは日本へ旅行に来たのか?どこから来たんだ?」

「えーっと、ドイツ。色んな国を見てるんだけど、お父さん?が母親?の故郷を見てきたらどうだって言うから日本にも来たの」


 なんだろう、違和感がさらに大きくなっていくぞ。今こいつお父さんも疑問形だったよな。母親というのにも疑問形が見えた気がした。

 しかしあまり深く関わると、後々厄介が舞い込んでくるであろうことを見越した俺は、追求しないように理性で疑問を抑え込む。

 それにしてもドイツ人か。俺としてはドイツ人ってもっとこう、ガチムチ、なイメージあったけど違うもんだな。ハーフっていうのもあるかもしれない。


「ドイツのエーレンベルク……」

「どうした、クルリ?」

「別に。それよりずっと気になってたんだけど、その目生まれつき?」


 珍しいことに枢クルリは鏡テオに興味が出たのか質問をしている。青と緑という左右違う目の色が気になったようだ。

 鏡テオは首を横に振る。最初は両方とも目の色が緑だったらしく、青い目の方を指差して誰かの受け売りのような説明をする。


「成長とともに目の色が変わることもあるんだって。六年前にソフィアが、片方だけ変わったって言ってたよ」

「ソフィア?」

「えへへへ。僕の大切な人。優しくて、温かくて、大きな人」

「大きいのか……」

「うん!おっきなテディベアみたいというか、ジャパニメーションで有名な、ほら、なんか森の妖精で姉妹二人が触れ合う感じの」


 言いながら身振り手振りでいかにソフィアという人が大きいか表現しようとしている。

 子供が大型犬見たんだよと伝えている様子にそっくりだ。俺は妹二人を思い出す。はっきり言ってこちらとしては頷くしかないほどわかりにくいんだよな。

 ソフィアっておそらく女性名だよな。それなのに大きな人と例えるか、この男は。ご本人が目の前にいなくて良かった気がするぞ、おい。


 枢クルリは理由を知って途端に興味を失くしたのか、最新の携帯電話を操作している。どうせアプリゲームとかやってんだろうな。

 それにしても自分から話題振っといてその態度はないだろう。ご飯食べている最中だったら俺は怒鳴っていたが、食べ終えていた今は無言のまま怒りの気配だけを滲ませとく。

 ちなみに多々良ララもお腹一杯で満足したらしく、鏡テオの話を聞き流しながらテレビの電源をつけてニュース番組を見始めた。自由人か、お前らは。


「この兎リュックもソフィアがくれたの。今頃元気かなぁ」

「なんだ、遠い親戚かなにかなのか?」

「ううん。でも家族よりも長く一緒にいたよ。三年前に別れたきりだから、本当は会いに行きたいんだけど……」


 そこで部屋の中に来客を知らせる音が響き渡る。俺は宅配便かと思い、壁に設置された電子版を操作して玄関の様子を映し出す。

 するとリスの着ぐるみではなくスーツを着た、確か椚さんとかいう男が人懐っこい笑みで困ったように、坊ちゃん来てませんかと尋ねてきた。

 声を聴いた鏡テオはお迎えが来たと判断したらしく、リュックを背負って俺に一礼してから玄関へと向かう。仕方なく俺も見送りで一緒についていく。



 リスの着ぐるみでも胡散臭かったか、スーツの着こなしがいまいちなせいでチャラさが上昇した椚さんとやら。

 サングラスを外して俺に頭を下げてきたので好感は持てるが、外見だけで誤解されやすそうな人だ。

 特に懐辺りから鈍い金属音が聞こえてきたぞ。ライターかなにかの音か、俺には細かい判別はできない。


「いやー、うちの坊ちゃんがすいません。どうせなんか珍しい物を見て、ついていきたいと駄々こねてしまったんでしょう?」

「うん!大辛カレー初めて食べたよ!」

「坊ちゃん少しは反省してくださいよ……とりあえずありがとうございます。あとCD代千五百円なんで、ちょい足りないんですよ」

「うげっ!?あー、今五百円持ってきます」


 針山アイ、あいつ千円じゃ足りなかったじゃないか。今度会ったら不足分絶対請求してやる。

 リビングの方では物騒なニュースなのか、キャスターが慎重な声で何かを発表しているのが聞こえたが、詳しい内容はわからなかった。

 玄関の扉からは呑気な鏡テオと叱る椚さんの会話が聞こえてくる。またご飯残したでしょう、とか聞こえてくるあたり、かなりの少食みたいだな。


 戻ってきた俺は確かに五百円を渡し、椚さんは次に俺がノートで折った封筒を渡してきた。

 そういえば足りなかったらここに連絡してくださいと残したような、って待てよ。なんで住所がばれてんだ。

 俺が疑うような目を向けているのに気付いたのか、椚さんは慌てたように説明をする。


「うちの坊ちゃんすぐにどこか行くんで発信機持たせてんですわ。GPSですよ。いきなり俺みたいな怪しい人が電話したら怖いじゃないですか」

「否定できない辺りが物悲しいですね」

「そうそう、って、何気に酷い言い草ですわー。ま、なんにせよこれ返しときますんで。都会で迂闊にこんなの渡しちゃ駄目っすよ」


 鏡テオよりは年上らしい言葉を出しながら、優しい注意をしてくる椚さん。夕方、女性に格闘技で振り回されていたとは思えん。

 そしてお礼を一言残して、鏡テオを連れてマンションから去っていく。その間も説教をしているようだが、鏡テオは笑顔で頷いているだけで、本気で受けているようには見えない。

 あんな自由奔放な奴と一緒なんて苦労するだろう。僅かに同情しつつ、枢クルリと多々良ララがいるリビングへ向かう。




 すると二人はテレビ画面に食いつくように眺めている。記者会見なのかフラッシュで何度も画面が白くなっている。

 政治のニュースに二人が食いつくとは思えない。あるとすれば固有魔法所有者に関することだろう。そうしたら俺も無関係じゃなくなる。

 俺も画面に目と耳を向ける。封筒に入っていた、誰がいれたかわからないメモに気付かないまま、机の上に放置する。


 生真面目な外見のおっさんが小難しい顔をしている。眼鏡を小指で位置を直している、変なおっさんだ。

 説明用のパネルを手にしているお姉さんは笑顔だが、カメラのフラッシュが眩しいのかずっと目を細めている。

 パネルには赤い液体、いや石、よくわからない何かが描かれている。


『本日、魔法管理政府日本支部において、ここ最近起きた魔法事件で噂されていた薬品の公式会見が開かれております』


 眼鏡のおっさんの映像が画面の隅で流れている中、そのことについて淡々と説明する男性ニュースキャスター。

 しかし魔法管理政府が前面に出てくるなんて珍しい。大体は幼い頃の魔法の有無検査と定期検査でしか出番がないのに。

 薬品、と言葉は濁していたが新種のドラッグかなにかか。できればそういうのとは無関係でいたいんだがな。


『魔法はいまだ謎が多い物なのですが、多くの人間は平常な精神であれば制御できます。その制御を意図的に乱す薬品がこちら、賢者の石、と名付けられた薬品です』


 パネルの下手な絵みたいな赤いのは薬品の姿らしい。集中して見ればカプセルの形をしているように見えなくもない。

 しかしこの絵を描いた奴誰だよ。下手すぎるだろうが、実物の写真とかなかったのかよ。なんてテレビに文句を言っても仕方ないか。

 それにしても下手な絵とはいえ恐ろしいくらいに真っ赤な薬品だ。これを呑むとか正気の沙汰じゃないだろう。


『パネルの絵はカプセルの物ですが、これは液体として注入することも、粉末として吸引することも可能です』

『はい、夕日新聞の田財です。そ、それカプセルなんですか?私には子供の落書きにしか……』

『私が描きました』


 小指で眼鏡を押し上げたおっさんの一言に、会場中の言葉どころがフラッシュが止む。そんな真面目そうな顔でおっさん、お前。

 夕日新聞の記者も言葉が続かずに一礼して座るほどである。おっさんは何事もなかったように話を進めていく。

 パネルを持つお姉さんの手が震えている。笑いたいのとツッコミを入れたいのを必死に我慢しているようだ。その気持ちはすごくわかる。


『続けますと、最近の固有魔法所有者の事件が被害加害問わずに増えている背景に、この薬品があることを突き止めました。矢澤くん』

『はい。どうやらこちらは目下研究中のエリクサーを作る過程において生成される副産物で、一時的に魔法の効果を跳ね上げます。しかし副作用として精神をかき乱すことが明らかになっています』

『エリクサーは石油に代わる人工エネルギー含有物質として政府が研究しています。ですので一般に出回ることは通常ではありえません』

『従って日本支部は世界各国の支部内調査を魔法管理政府に申請。調査内容は判明次第公表する予定となっております』


 会場中が一気に熱を上げたようで、カメラのフラッシュが絶え間なく画面を照らす。

 今のは簡単に言えば政府内部での横流しを公に告発したのと同じだ。悪評を自ら広め回るような自殺行為。

 そうしなければいけないほど危険な薬品なのか、それとも別の意図があるのかまでは理解できない。


 さっそく最近あまり使っていなかったSNSを起動する。毎秒誰かが呟く機能を持つそこには、やはり今のニュースが話題になっているようだ。

 ただデマなのか真実なのかわからない内容ばかりが流れている。あと眼鏡のおっさんに嫌味でのあだ名、画伯、というのがつけられていた。

 他にはエリクサーという人工エネルギー含有物質による公開資料へのリンクとか、賢者の石の売買情報まで嫌になるほど溢れている。


 多々良ララは飽きたように画面を眺めつづけ、枢クルリは面倒そうにしつつ自分の部屋から俺の部屋にノートパソコンを持ってきた。

 そしてキーボードを叩く音が数回聞こえた後、俺達二人を呼び寄せる。今のニュースのことかと思ったら、画面は英語らしき文が書かれた海外サイト。

 枢クルリはパソコンのサーチエンジンについている翻訳機能でそのページを日本語に直す。現れた名前に俺は目を見開く。


「せ、世界的貿易会社エーレンベルク……って」

「何か聞いたことある名前だったんだよな。株式相場で見た覚えがあった。ドイツ製会社の超大物だよ、メンドーなことに」


 冷静につっかえていた物が取れたような顔をする枢クルリだが、俺はそれどころではない。

 つまり鏡テオがこのエーレンベルクという会社の運営をしている奴の親族かなにかで、坊ちゃんというのはお金持ちの子息を呼ぶ時に使う物なのか。

 枢クルリがさらに調べ上げていくと、エーレンベルク会社の総取締役の顔写真があった。ハルバルド・エーレンベルク。緑色の目と金茶の髪が印象的な聡明そうな男性。


 ゴシップ誌掲載の家族写真も枢クルリは見つけ出す。有名な会社の役員というのはここまで暴かれてしまうのだろうか。

 五年前くらいの写真で、そこにはハルバルド・エーレンベルクと痩せ細った日本人の妻、そして二人の息子が映っている。

 一人はドイツ人らしい顔立ちの純朴そうな少年、もう一人は鏡テオに顔がそっくりだが、不機嫌そうな表情が俺の知っている鏡テオの姿とかけ離れている。


「……おかしくない?これ」

「だよな。テオってこんな表情……」

「そうじゃなくて、目の色。五年前の写真なら、左右の目の色が違うはず」


 多々良ララの指摘に俺は改めて写真を見直す。鏡テオにそっくりな少年の目は両方とも鮮やかな緑色だ。

 さっきの他愛ない会話の中で鏡テオは六年前に変わったと言っていた。つまりこれは別人という可能性だが、顔がそっくりすぎる。

 しかし掲載されていた名前ではアルバルト・エーレンベルクという名前の少年。間違ってもテオと呼ばれるような名前ではない。


「テオって、何者だ?」


 残念ながら俺の部屋にその疑問に答えられる人間はいなかった。

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