第7話「裁決」

「裁決を言い渡す」


 その言葉の重みがクリスバード・ベルリッツの肩に圧し掛かる。それは彼女の一生を決める運命だった。





 ユルザック王国。冬の気配が忍び寄る中、名城カルドナはあらゆる後始末に追われていた。一番はジリック家当主を幽閉していた塔の掃除である。

 魔人の手によって狂った造形品のように飾られた塔は、赤味は取れたものの臭いが消えない。悪臭で気分を悪くする騎士や女中が暇を申請しようとするくらいだ。

 しかし十六貴族が領地に帰るまでは大忙しなのは変わらず、南の貴族オスカー・ナギアが癇癪玉のようにあちこちで騒ぎを起こすので、悪態をつく者は多い。


 そんな騒がしい城の東側。秋とはいえ太陽の日差しが柔らかく入り込む小さな部屋で、第五王子であるミカルダ・レオナス・ユルザックは呑気に昼寝していた。

 誘拐されたことなど王子の不始末、従者の不注意である、と第二王子のジョシュア・トロイヤ・ユルザックに一喝されてしまい、反省文を書き終わったのがついさっきの朝である。

 もちろん反省文に意味はない。ただの見せしめであり、十六貴族の前で反省する姿勢を無理矢理に行う、という半ば嫌がらせの類である。第三王子のケルナ・ジュワ・ユルザックなどは大笑いしていた。


 しかしミカとしては反省文くらいは二枚くらいまでなら耐えられる。しかし十枚ともなれば、さすがに語彙力が尽きてしまい、最終的には謝罪の言葉を並べ立てて誤魔化していた。

 普段は使わない部分の頭脳領域を消費し、終わった頃には安堵した笑みを浮かべたほどである。もちろんそれも厳しくジョシュアに怒られ、十六貴族からは憐憫と嘲笑、そして呆れを買った。

 第四王子のユリウス・アガルタ・ユルザックは誘拐した張本人である料理長の遺体、及び周辺調査などでその場にはいなかった。第一王子のトキワ・ガロリア・ユルザックは病欠だ。


 一番疲れたのは貴族裁判で招集されたはずが、最終的に第五王子の反省文に付き合わされた十六貴族の面々である。反省文が終わるまで部屋から出ることも叶わず、飲食も禁止されていた。

 国王であるバルトランド・メタンタ・ユルザックは顧問精霊術師と共に、国政と精霊についての会議を行い、改めて魔人の脅威と周知の重要性について確認していた最中であり、ミカの前に姿を現すことはなかった。

 誘拐されて三日。少しずつ本来の城内業務に近付きつつある最中、ミカに与えられた部屋は特に変わったところがないまま穏やかな時間が流れていた。


 ただし部屋の中には侍女のミミィとリリィ、ミカの従者であるヤーとオウガ以外に四人。ベルリッツ家のクリスバードとジェラルド、ハクタ、カロンと珍しい顔が揃っていた。

 カロンが机の上に広げた精霊術式瘴気中和陣・四大起動術リ・セットと名付けた紙をヤーは眺めている。オウガは最初に名前を聞いた時、長い、と短くまとめた物である。

 氷水晶の指輪を眺めていたハクタは、その頭上で不機嫌そうにしている氷水晶の妖精であるアトミスの姿は視えていない。ジェラルドも見えていないが、室温が下がっている気配は感じていた。


「つまりね、相克と相乗の関係である四大霊ならば瘴気に打ち勝てるんだよ!例え一つが狂っても、他の三つが均衡を保つように働くんだ!!四つ全て狂ったとしても、そこは術で補正すれば……」

「それはいいけど、ここ間違っているわよ」


 ヤーの冷静な言葉に、カロンは滑らかに言葉を出していた口を閉じる。同時に動きも止まっていた。血の繋がらない妹に尊敬されてちやほやされたかった兄の思惑が崩壊する。

 興味だけで眺めていたクリスは、いったいどんな仕組みと文字構成なのかわからないまま、ヤーの言葉に耳を傾ける。精霊術は精霊が視えないクリスにとっては遠い夢のような浪漫だった。


「ほら火霊を集中させる字の綴りが違う。他にも陣の形に円を選んだのはいいけど、円を重ねすぎて相互関係の流れを阻害している。むしろ隔絶状態になっているじゃない」

「いやそれはさ、もしもの時の保険としてだね……なにせミカ王子奪還してから帰ってすぐに書き起こした物だから、誤字脱字の一つや二つ」

「言い訳しない。着眼点と発想は正しいし、理論も通る。けど肝心の完成品がお粗末!!やり直してきなさい、大馬鹿野郎おにいちゃん!!」

「ああん!!兄と呼ばれるのは嬉しいけど、背後に見える罵倒が興奮材料として昇華されている!!腕を上げたね、ヤーちゃん!!」


 机に広げた紙を棒状に丸められ、それで勢いよく頭を叩かれたカロンは嬉しそうな悲鳴を上げる。血の繋がらない妹による攻撃は、全て快感へと変化する便利な気質だ。

 しかしそれは兄妹仲が良さそうに見えたクリスにとって、少しだけ羨ましい物があった。兄を心底尊敬しているクリスにとって、ジェラルドの頭を叩くことなど世の末でもあり得ないことだと思えた。

 手に負えない兄を持つと大変だとハクタとオウガがヤーに同情する中、ジェラルドは静かに机へ近づく。そして大量の書類をその上に落とし、床まで溢れさせた。


「に、兄様!?」

「全てお前の所業による修理費と苦情と後処理だ」


 鋭い視線がクリスを射抜く。クリスだけでなくオウガとヤーも書類を拾い上げ、その文字を追いかけていく、少しずつ追う速度が減少していくのは仕方ないことであると思わせる内容。

 国自慢の首都防壁三つを無許可で越えた罪状、国の象徴ともいえる旗と旗棒を足場として活用した上に折ってしまった際の修繕費、それを止めようとして職務を全うした騎士達の文句詰め合わせ。

 さらには市民街の屋根、雨水を溜めるための長布、外壁の外側などの破壊、馬車の紛失──はジェラルドの仕業ではあるが、結局はベルリッツ家へと送られている。クリスは顔面を蒼白にし、ジェラルドを見上げる。


「責任を持つのはいいが、やりすぎだ。私では庇いきれない……そこで今回ベルリッツ家には異例の貴族裁判が行われる」

「そんな!?ま、まさか貴族称号や領地の剥奪……」

「いいや。裁かれるのはお前だけだ、クリスバード・ベルリッツ」

「はい?」


 兄からの冷徹な声にクリスは思考が一瞬止まる。こんなにも冷たい声は、生まれて初めて聞いたかもしれないと嫌な予感を覚えるほどに。


「我がベルリッツ家のため、お前を犠牲にする。これはベルリッツ家当主であるジェラルド・ベルリッツからの沙汰だ」


 見捨てられた。生贄にされた。身代わりにされた。あらゆる言葉は思いつくが、反抗する意志だけが見つからないままクリスは顔を俯かせた。




 ジリック家当主バルバットが死んだ今、宙に浮かんでいたはずの貴族裁判が再び開かれようとしている。裁かれるのはベルリッツ家の娘、クリスバード・ベルリッツ。

 騎族の娘とも言われる彼女に渡されるのは、決定事項となった内容だけ。有罪確定として、罰だけが下される。それに抗うことは許されず、逃げることもできない。

 罪状を読み上げられるたびに、十六貴族や中央貴族の席からは呆れたようなため息が聞こえる。そして必ず聞こえてくるのが、第五王子など助けようとするからだ、という非難の声。


 やはりあの王子は災いを呼ぶのだと、関わり合いになるのは間違いなのだと、当たり前のように囁かれる。クリスはその言葉を否定したかったが、唇を強く引き結んで我慢する。

 もしも声を荒げてしまえば、ただでさえ立場が弱くなったベルリッツ家の名前を損なうことになる。兄にこれ以上の迷惑はかけられないと、クリスは拳を握って肩を震わせた。

 地下とはいえ広い裁判場のはずが、人が集まっているせいか嫌なほどの熱気で狭く思えてくる。目の前には国王と四人の王位継承者。そこにミカの姿はない。


 第五王子には王位継承権はない。だから貴族裁判に参加することはできず、誘拐された一件から一週間は自室軟禁を言い渡されているため部屋の外に出ることもない。

 それはミカの従者であるオウガとヤーも同じ扱いであり、ジェラルドがクリスに貴族裁判を言い渡した時、ヤーは大声で抗議したが無視されている。オウガは殺気を込めた目でジェラルドを睨んだが、声を荒げることはなかった。

 その後はクリスもミカ達に会うことは許されず、一日経過してから貴族裁判の中心に立つことになった。背後では兄であるジェラルドが重い沈黙を佇ませ、横にいるヨハン・メタンタを怖がらせていた。


 しかしクリスは後悔していなかった。ミカを助けることができた。生まれて初めて自信を胸に走ることができた。その感覚だけは、胸の中で誇りのように輝いている。

 ただ一つ我儘を言うならば、ずっとそれが続いてほしかった。ヤーやオウガと共に肩を並べ、ミカを守ることができたならば。なにも怯えず、愛馬のシェーネフラウと共に駆けていけるならば。

 思い出すのはベルリッツ家の館で過ごしたことよりも、ここ数日のことばかりだ。ミカ達と一緒に過ごした時間が楽しすぎたが故に、家のことさえも忘れて走った。貴族としては失格だ。


 だからこれから渡される罰は自分に相応しいのだと、クリスは納得しようとする。ミカを助けるために国の中心地である首都に大きな被害と混乱を招いたのは事実なのだから。

 足が震える。視線が鋭い針のように体を突き刺してくるようで、呼吸も怪しくなる。それを意地で堪え、真っ直ぐに前を見据える。貴族の娘として最後まで恥ずかしくないように。

 最中、フィルと目が合う。すると優しく微笑まれてしまい、クリスは一瞬だけ困惑する。何故、あの第四王子はこんな状況で笑うのか、その意図が掴めないまま厳格な声が頭上から降り注ぐ。


 国王。ミカやフィルの父親であり、広大なユルザック王国を治める者。その堂々たる声の響きが、重みとなって肩に圧し掛かる。低くもよく通る、素晴らしい声。

 濃い茶色の髪は整えられ、豊かな口髭も威厳を表わすに相応しい。渋い緑色の目が裁判上全てを見ているような錯覚。鍛えられた肉体は衰えてはいるものの、がっしりした体格は赤い王族用羽織の上からでもわかった。

 一体どんな罰を言い渡されるのか。覚悟を決めたクリスの耳に飛び込んできた言葉は、裁判場全体を揺るがせた。ベルリッツ家の名を汚すには充分だと、誰かがほくそ笑むほどだ。


「裁決を言い渡す──クリスバード・ベルリッツを第五王子ミカルダ・レオナス・ユルザックの従者とし、その身命を捧げよ」





 西の大国。それはユルザック王国にとっては因縁深い国である。レオナス家は西の大国でも由緒ある騎士の家柄であり、国政にも強く携わっている。

 だからこそレオナス家の血を継ぐミカは肩身の狭い思いをしており、貴族の多くは彼を快く思っていない。いつかは暗殺されるか、不幸を呼ぶかの二択としてしか見ていないほどだ。

 今も国中に広がる悪い噂は彼を中心としている。そんなミカに関わるなど自殺行為、さらに味方するなど悪夢のような話だと、ナギア家などは声高に馬鹿にしている。


 そんな第五王子に身命を捧ぐなど、地獄に堕ちろと言わんばかりの罰だと笑う者も多い中、クリスは涙目の笑顔のまま夕焼けで赤く染まるミカの部屋に訪れていた。驚いたのはミカの方である。

 いくらなんでも貴族の娘であるクリスが自分の従者になると思わず、ヤーやオウガも開いた口が塞がらない状態で笑顔のクリスを眺める。クリスの背後ではジェラルドが厳しい顔で立っていた。


「王子!私……一生懸命頑張りますので、これからよろしくお願いします!!」

「よ、よろしく……じゃなくって、いいの!?絶対悪口だけじゃ収まらない悪逆非道や王族関係の問題に関わっちゃうけど!?」

「構いません!王子はいずれ西の大国との懸け橋となる御方!そんな王子の傍で迷いなく槍を振るう光栄に、武者震いするほどです!」


 自信満々に告げるクリスの魂を、ミカはひっそりと視る。眩い輝きが羽毛のような純白の球体を照らしている。素晴らしい魂のまま、正直な言葉を口にしている証だ。

 大真面目なクリスの言葉にオウガとヤーが若干引くほどである。しかし誰よりも先にミカに近付き、その両肩を掴んだのはジェラルドであった。愛想のない顔が、通常時より厳つさが五割ほど増している。


「王子……妹を頼みます」

「は、はい」


 色んな意味が含まれたであろう、頼む、という単語にミカは頷くしかなかった。至近距離のジェラルドの顔は、光が差さずに黒い影で表情が見えない。

 しかし魂を視れば、複雑な色合いが白と混じり、強い輝きが明滅していて綺麗な球体がなにかを堪えるように転がったり左右に揺れている。困惑している上に、色んな事情や感情に振り回されまいと我慢しているようだ。

 悪い人ではないことは最初からわかっていたが、妹関係になると表面上には出さないが内心は大きく変化していた。妹想いなのだろうと、ミカはそう納得することにした。


「では私はこれからについて第四王子と会談する予定がある。お前は今日から城滞在とし、許可なくベルリッツ家の館に帰ることは許されない。いいな?」

「はい、承知しております!」

「……いいな?」

「はい!」


 二回尋ねられたことも気にせずにクリスは元気よく返事する。しかし魂まで視通すミカにはわかった。少しだけ寂しそうな表情が見たかったであろうジェラルドの魂が落ち込んだことを。

 落ち込むと言っても、少しだけ魂の形が一部極小に凹んだだけである。それもすぐに戻り、ジェラルドは早足で部屋を出ていく。それを見送り、ミカはオウガとヤーに視線を合わせる。

 どうしても説明しなくてはいけないことがある。それは前から離していた連結術リ・ンクによるミカとの体質同期のことだ。それは氷水晶の神殿の話まで遡らなければいけない。


 ミカは不老不死と謳われたウラノスの民と同じように、現在体の質が妖精と同じなのである。肉体は持っているが、精霊を体全体に通すことによって最高の状態を維持している。

 本来は精霊とは相容れない肉体を、妖精をまとう羽衣術リ・ユースを行うために変化させた結果である。連結術はそんなミカの体質を他者も同じにすることだ。

 これから成長が止まるミカは妖精のように長く生きることになる。しかし不死なわけではない。いつでも命の危機はあり、そんな彼を守るためにオウガとヤーは連結術を所望していた。


 そうなるとクリスも望むのかどうかを聞かなくてはいけない。願わくば時間をかけて判断を重ねてほしい。いずれ化け物扱いされることも覚悟して、それでも長くミカを守るかどうか。

 ミカは改めて三人を部屋の中央に集め、アトミスにも協力してもらいながら一から説明する。ウラノスの民に関わった氷水晶の神殿、魔人と魔物に出会ったヘタ村、そしてミカ自身のことについて。

 特に太陽の聖獣であったレオンハルト・サニーが前世であることは、ミカにとっても重要なことだった。ただでさえ珍しい「獣憑き」である上に、レオはミカミカミという単語のせいでいまだに苦しんでいる。


 魔人達がミカミカミを狙っているとわかった今、関係ないとは言い切れなくなった。正体がわからない五文字の単語に悩まされ、そのたびに厄介なことに巻き込まれている。

 そうなると国の内情だけではない。魔人達と多く関わることになり、問題は国外へと発展する可能性もある。どこまで自分の手が及ぶかもわからない。そんな状況に付き合ってくれるか。

 ミカと同じ体質になったとしても、精霊が視えるようになるわけではない。あくまで体の質であり、才能や今までの努力は本人だけの物だ。技巧や実力もそのままであり、強化されるわけではない。


 それでも、従者として共にいてくれるか。


「私は王子に身命を捧ぐと王に誓いました。それにミカ王子は私に自信をくれました。その恩義を返したいのです」

「アタシがいなきゃ駄目駄目のくせに、悪い方向ばかり考えてないで断言しなさいよ。アタシの力が必要だ、って」

「俺が中途半端なことを言うわけないだろうがよ。ミカ、俺はお前の牙だ。死んでも傍に置いてくれよ」


 三者三様の言葉。けどそれは全てミカのために告げられた物であり、ミカは目を丸くする。そして頬を流れる熱い物に驚いて、手で拭う。

 何度も死ねばいいと言われた。何度も消えればいいと願われた。何度も命を奪われようとした。何度も、何度も、数えきれないくらいに邪魔な存在として扱われた。

 そんな中でも生きてほしいと願ってくれた人がいる。守ってくれた人がいる。優しくしてくれた人がいる。だけど────ずっと傍にいると誓ってくれる人はいなかった。


 勝手に顔の筋肉が動き、止めきれないくらいに涙が零れていく。金色の目から透明な滴が落ちていき、まるで青い空の中で降る天気雨のようだった。

 泣いても問題が解決しないことくらい、ミカは十歳になる前から知っている。しかしこんなにも泣いたのは五歳の時以来、母親が死んだ日以外には見当たらない。

 だけど嬉しかった。必要としてくれること、求めてくれること、信じてくれること。それを大好きな人達に言われることが、こんなにも嬉しいのだと生まれて初めて知ることができた。


「ありがとう……」


 短い言葉しか出てこないまま、ミカは涙を抑えようとする。もちろん上手くいかないまま、手の甲には涙の水溜りができている状態だ。

 そんなミカにハンカチを差し出すのがリリィであり、祝いの菓子を差し出すのがミミィである。準備万端の侍女二人を思い出し、ミカは慌てて振り向く。


「ご、ごめん!二人にも尋ねるべきだったね……どうする?」

「私達は王子に仕える身ではありますが、人間の寿命を全うしようと思います」

「はい。結婚して家族を得る楽しみもあります故、ミカ王子には子供誕生の際に盛大に祝ってくださるのが一番かと」

『なにより王子のために、こんな人間が傍にいるのもよろしいかと』


 見事に声を揃えた二人に、ミカは思わず拍手する。厳しいのか甘いのか判断はしにくいが、二人の魂が嘘を吐いてないことくらいミカには視ずともわかっていた。

 どんな時も幼いミカを育ててくれた侍女達は、いずれ人間として家族を作る。確かにミカと同じ体質になると、妖精と同じように生殖機能が消えてしまうため、付き従うことはできない。

 ミカはそれがいいと考える。今まで苦労をかけたのだから、これ以上はミカの我儘でしかない。充分だと、ミカは微笑む。そんな最中、意識の内側からレオがなにかを叫んでいることに気付く。


(ミカ!我だってお前の傍にいると誓ったのに泣かなかったじゃないかっ!?どういうことだ!?)

(いやだって、レオの場合は一蓮托生と言うか……もちろん感謝はしてるよ。でも人としてはヤー達が初めてだから、つい感動して……)


 獅子の姿で駄々をこねてくる元太陽の聖獣に、ミカは少しだけ困りつつもじゃれてくる猫を相手する飼い主のような気持ちになる。敵意よりは好意の方が望ましい。

 少しだけ動作が停止したミカが意識を浮上させる頃、心配そうに顔を覗き込んでくるクリスとオウガに驚く。ヤーは既に慣れたもので、祝いの菓子を美味しそうに食べている。


「なるほど、これが人形王子と言われた所以なのですね。そして意識内部にいるレオ殿とやらと会話している、と」

「そうなんだよ。で、ミカ。レオはなんだって?」

「えっと……レオも俺に感動で泣いてほしかった、らしいのかなーと」


 微妙に説明しにくい内容に、ミカはなんとか言葉を捻り出す。オウガは少しだけ呆れたような顔をしているが、クリスは太陽の聖獣という存在に憧れで目を輝かせている。

 話している内に夕焼けは沈み、夜の闇が星と月を連れて現れていた。窓越しに優しい夜の時間に篝火が焚かれているのが見えた。


「そういえばアトミス殿は連結術はよろしいのですか?」

(僕は氷水晶の妖精なんだ!!君達みたいに体質を同じにしなくても、ずっとミカの傍にいることができるんだ!敬え!!)

「なるほど!!さすがは妖精というわけですね!!私、感動しました!!」

(くっ、まさか本当に素直なまま敬うとは……)


 偉そうなアトミスの態度にも動じずに、クリスは真面目なまま返事する。そのせいでアトミスの方が戸惑っていた。微笑ましい状況にミカは目を細める。

 オウガやヤーも面白い物を見たと言わんばかりに目を細めており、それが気に食わなかったアトミスは本体である氷水晶の指輪の中に隠れてしまう。照れ隠しがわかりやすい妖精である。

 そしてミカは改めて三人に視線を向ける。ミミィとリリィには室外で待機するように指示し、ミミィに氷水晶の指輪も預ける。そして四人だけになった部屋の中、ミカは転化術を発動する。


 瞼を跨ぐような一直線の傷がある左目。その目に炎のような光が灯る。金色の目を覆い隠すように、鮮烈な銀色の光が円を描いて明滅している。

 現在は夜であるため、空に輝く月の光が強い。月の精霊は太陽の精霊と酷似しており、レオが操る際にも御しやすい存在と言える。ミカを中心に力が放出され、部屋の中の明りが全て消える。

 暗くなった部屋の中で、銀色の炎だけが確かな存在だった。大きく息を吸いこんで、ミカは円になるように手を繋いでほしいと三人に頼む。元から距離は近かったため、ミカの目に宿る灯りを頼りにすれば難しいことではなかった。


「じゃあ、いくよ。連結術リ・ンク発動」


 静かな声と共に銀色の光が腕を伝達線代わりに広がっていく。体全体を淡い銀色の光に包まれたと思った矢先、水の泡が柔らかく弾けていくような感覚。

 肌の表面から内部へと精霊が侵食していき、自身の肉体が変化していくことを感じる。しかし恐怖や痛みはなかった。ただ温かい物が体の中に流れ込んでくるような、心地よさはあった。

 生まれも、境遇も、外見も、なにもかも違う四人が繋がる。結ばれていく。そのことにミカはもう一回だけ、一粒の涙を流す。ずっと欲しかった宝物を見つけたように、胸の内側が熱くなる。


 銀色の光が消えていく。暗くなった室内の中で、少しだけ汗ばんだ手の感触が離れがたさを物語っている。それでもミカはゆっくりと手を離していく。

 ミカの目にも視えないところで繋がることができた三人を信じ、部屋の扉へと静かに向かおうとした。そして椅子に躓いて大きな音を立てて転んでしまう。その音に三人は大声を上げる。


「ちょ、ミカ!?こんな暗い所で勝手に歩かない!!」

「全くだよ。俺がミミィとリリィに頼んで火種を持ってくるよう頼むから、そこから動くなよ」

「王子、大丈夫ですか!?命令してくだされば私が行きましたのに!!」


 ミカは自分の情けなさに恥ずかしくなり、床で顔を隠す。元々暗いのであまり意味はないが、真っ赤になった顔を見られたくなかった。

 耳まで熱くなることを感じながら、夜目に慣れたオウガはミミィとリリィが持ってきた火のついた蝋燭を受け取り、的確に部屋の明かりを点けていく。

 成長しよう。そう心の中で誓ったミカは、とりあえず三人に心配をかけない男になろうと、小さな目標を抱くのであった。




 不機嫌に眉をしかめるジェラルドは無言のまま酒を呷る。横では既にカロンが顔を真っ赤にして机に頭を預けている。ハクタとフィルはその向かいで平然とした顔で酒を飲んでいた。

 ただし飲んだ量は圧倒的にジェラルドが多い。歩くのも速ければ、飲むのも速い。同じ大きさのグラスを使っているはずなのだが、注ぐ回数が桁違いである。

 現在四人はフィルの私室で酒盛り状態となっている。何故こうなったか。もちろん原因はジェラルドの妹であるクリスがミカの従者になったからだ。


 フィルの思惑通りに。


「満足か?」

「もちろん。いやー、本当はもっと穏便な流れにしたかったんだけど、まさかクリスさんがあんなに豪快なのは予想外でね」


 胡乱なジェラルドの睨みにも負けず、いつもの笑顔でフィルは返答する。どんなに酒を飲んでも酔えない空気がその部屋には充満していた。

 ハクタは早速酔い潰れたカロンの豪胆さに感心しつつ、今にも首筋を短剣で突き刺しそうな気配を滲ませるジェラルドへと目を向ける。


「でもこれでいい。多くはこう思うだろう。ミカが特務大使になっても脅威ではない。間抜けにも誘拐される王子に力などない、と。おかげで僕の評判も悪化。他の王子達は万々歳だ」

「……フィル。お前がミカを大事にしているのはわかるが、そこまで信用する理由はなんだ?」

「簡単だよ。彼女の息子だから」


 にっこり、という音が聞こえそうなほど笑みを深くしたフィルの返事に、問いかけたハクタ自身が馬鹿を見る羽目になった。


「しかしベルリッツ家の名前まで悪化する意味はあるのか?我が家名、安くはないぞ」

「悪化なんて一時的な物さ。そんなことに気にかけている暇がないほど、これから荒れるんだしさ」

「どういうことだ?」

「敵が尻尾を見せた、ということさ。十五年目の災厄の気配に乗じて、動き出そうとしてるのさ。ここで逃がしたら、また五年待たなきゃいけない」


 十年前には流行病の「国殺し」で多くの民が死んだ。五年前は大干ばつで多くの民が死んだ。では残り少ない今年にはなにが起きるのか。

 既にフィルは予想がついていた。酒でも飲んでもいなければ冷えそうな秋の夜長が全てを物語っている。対策はしているが、どこまで通用するかわからない。

 別に五年という数字が重要なのではない。簡単に言えば三年前は水害が酷かったので南の領地は大混乱であったし、七年前は大不作であった。ただ人の口から飛び出るのが印象深い十年前と五年前なのである。


「ミカを手に入れたいのだろうね。だから誰もがミカを見放す状況に仕立て上げなくてはいけない。あー、似た者同士って嫌だよね」

「……ジリック家当主が殺されていたと判明した現場で、一人足りなかった。十六貴族は揃っていた。だがあの王子はいなかった」


 ジェラルドはゆっくりと思い出していく。ミカが誘拐された日、本来の貴族裁判が開かれる時は多くの者が動いていた。そして動いていた者の殆どはあの現場にいた。

 魔人が城内で確認された瞬間であり、裁判どころではない状況であったにも関わらず、裁判部屋へ悠々と歩いていく姿をジェラルドは覚えている。その相手が咳き込んでいたことも。




「魔人と繋がっているのは、第一王子のトキワ・ガロリア・ユルザックか」




 ジェラルドが出した答えに、フィルは笑顔のままなにも言わない。それは暗に正解と言っているようなものだ。横で聞いていたハクタも特に驚く素振りは見せない。

 前々から第一王子はフィルと似た気配がすると感じていた。そして先程のフィルの似た者同士という言葉でほぼ確信していた。第二王子や第三王子よりも納得できる人選である。

 しかし重い沈黙が流れる。四人の中で一番魔人に詳しいであろうカロンが酔い潰れたままだ。魔人と戦ったことがあるハクタとしては、できれば二度と戦いたくないと脇腹の傷を服の上から触れる。


「まあ、僕が彼を怪しいと思ったのは別の理由なんだけどね。それも十年くらい前から」

「そんなに昔なのか?一体どんな理由が」

「ミカだよ」


 笑顔でフィルは告げる。魂まで視通す腹違いの弟が幼い頃、フィルの背中に隠れながら遠くにいる第一王子を指差して恐る恐る告げていた。

 魂の輝きがフィルと同じくらい強くて、なにも視えない、と。そんなことを言ったことすらミカは覚えていないだろうが、それでもいまだに第一王子を苦手としている。

 実際にミカはあまりトキワへと目を向けない。うっかり視線が合って会話になっても、ミカにはその真偽が掴めないのだ。フィルのように信じることもできないのは、母親の言葉があるからだ。


 ミカの母親であるエカテリーナ・レオナスは病に苦しむ最中、全ての王子に問いかけをしている。フィルは四番目だったことは、王子の順序からも明らかだ。

 そして彼女がミカを任せたのはフィルだった。夢が世界平和と子供ながらに唱えたフィルを信じた。では何故他の王子は駄目だったのか。しかもフィルと同じくらい強い輝きを放つトキワは駄目なのか。

 病弱だから、母親の順位が低いから、そんなのは理由にならない。エカテリーナはもっと別の部分でトキワを判断したはずだ。フィルの推測の一つでは、トキワの夢はフィルと似て非なる物であるからだ。


 国王になってどうするか。ミカを手に入れて叶えられることは。突拍子もないが、フィルと似た思考しているならば簡単に辿り着く。


 ────世界征服。


 世界単位の夢。しかし平和を叶えるよりも現実的であり、天候に影響を及ぼす聖獣が信仰対象であるユルザック王国では有効な手段だ。

 平和にしろ、混乱にしろ、世界に散らばる国々を一つにする。そのために必要なのは圧倒的な武力と、誰も敵わないと思う力。最悪、敵国は民草一つ残さず滅ぼしても世界征服の夢は叶う。

 要は世界全ての国を滅亡させ、最後に残るのがユルザック王国でも世界征服は可能なのだ。か弱い人民は残った無事な部分に集まるしかない。反抗する者がいたとしても、抗うだけの物資が残されてないのだから。


 しかしフィルからすれば損が多すぎる内容だ。命とは値段がつけられない価値であり、無価値ではない。それ以上に一度壊した自然や土地は立て直すのに莫大な労力を必要とする。

 最悪の道を辿った際、世界に残されているのは先細りして破滅する未来だけだ。夢を叶えた先にはなにもない。だがトキワはそれでもいいのだろう。病が蝕む体で、未来を必要としているわけではない。

 夢さえ叶えればなにもいらないならば、こんな道も選べる。フィルと違うのはこの一点だ。夢を叶えた先を見ているか、見ることすらしていないのか。


「ミカは人を見る目があるからね。ミカが信用しないのは僕も信用しない。じゃあ彼も信用しない。それだけさ」

「……確かに。ミカはあの目があるからな。でもこれからどうするんだ?第一王子の周辺を探り、繋がっている証拠を見つけるのか?」

「いいや。用心深い男だ。今回の失敗で当分は深く身を潜めるだろう。今回浮上してきたのは僕が練りに練った貴族裁判が運よく看破されなかったからだ」

「そこまで用心するとは……本当に似た者同士だな」


 ジェラルドの若干棘が含まれた言葉も笑顔で受け止めるフィルは、お返しのように穏やかな声で告げる。


「十年前から怪しいと感じていた僕が、今までなんの策も仕掛けなかったと?全部破られてきたからに決まっているだろう」


 その言葉にジェラルドが酒を飲む手を止めた。つられてハクタもグラスを手にしたまま固まる。フィルにここまで言わせる相手など、今まではいなかった。

 笑顔ではあるが、フィルも手にしているグラスを今にも割れそうなほどに強く握っている。水面下の戦いを何度も繰り広げ、何度も苦汁を舐めてきた。

 しかし今回は違った。あらゆる伏線を張り続け、ミカを中心に事を動かした。それはフィルにとっても大きな賭けであり、下手したら大事なミカを失う危険性も多く孕んでいた。


「少なくとも、彼もミカを重要視している。特務大使の話をした時、興味深そうに反応していたからね。だからこそここで打って出る」


 言いながらフィルは一枚の用紙を前に出す。それはミカに正式な特務大使の役目が与えられた時、最初に渡す予定の任務である。王海グランカで起きている不可解な事件、それに南の貴族ブロッサム家は頭を悩ませている。

 ブロッサム家はフィルの許嫁であるツェリの実家であり、第一王女エカイヴにも縁が深い。なによりヘタ村と同じくらい首都から離れているのが都合がいい。

 ここで王城からミカを引き離し、ブロッサム家の信頼を得る。そして地盤を固めると同時に、ミカがこういった事件に役立つことを証明する。事件が解決する頃には、異変は始まっているはずだと頭の中では計算を続けていた。


「十六貴族の半数以上から承認は得た。国王の証印もじきに押される。そしてミカの下に信頼できる三人の従者。特務大使としてミカルダ・レオナス・ユルザックが動く時は来たんだ」


 グラスを机の上に叩きつけるように置き、フィルは熱を込めた声を吐き出す。穏やかな容貌のフィルにしては珍しい力強さに、長い付き合いのハクタは面食らう。

 どんな時も涼やかに笑顔のまま切り抜ける青年。そんな姿は影にも残っていないほど、今のフィルは好戦的な気配が滲み出ていた。それだけ苦労したとも言える。

 全ては自らを国王の座へと向かわせるため。夢を叶えるため。初恋の女性が残した息子を守るため。ありとあらゆる手段を使ってフィルは策を張り巡らせていたのだ。


「国の全てを使って、僕は王になるんだ」


 その声は背筋が粟立つほどの野心と夢に溢れていた。ハクタとジェラルドはその姿に従う。自分達が王にしたいと決めた男なのだから。



 そして数日後、国王直々の勅命がミカに下される。特務大使として三人の従者と共に国の問題を解決せよと。今までの汚名を返上する機会だと。

 誰も期待していない、望んでいない、役に立つはずがないと笑われる中、かつて人形王子と呼ばれた少年は立ち上がる。金髪と金目が太陽の光で輝き、その姿を強く浮かばせていた。

 こげ茶の髪に碧眼、白百合色の髪に蒼眼、そして黒髪黒目の従者達は王子と共に南の領地へと向かう。目指すは王海グランカ、そこで目撃されているという幽霊船について解決するために。

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