第9話「解き放て」

 氷水晶の神殿、その中でも大部屋と言える試練の間に集まった神官達は姿を現したアトミスをひたすら拝んでいた。

 特に若い神官の一人がテトラに握られたアトミスの両手を間接物として握るので、周囲の神官が次は俺の番だとくじ引きをしている。


(これだから雄猿は嫌いなんだ!!死ね!!)

「アトミス」

(……言いすぎた。謝る。しかしいい加減離せ、さ……神官!!)


 罵倒を吐けばミカに笑顔で名前を呼ばれ、その声音に含まれた意味に気付いてはすぐに訂正するアトミスに密かに同情するオウガ。

 ヤーはテトラとひたすら祝詞の解読に関する派生形について精霊語を使って話しているため、ハゼは古参の神官と武器の保管室や食糧部屋について相談している。

 現在、氷水晶の神殿は貴族の策謀で危機に瀕している。一番恐ろしいのは、相手が動かなければ動けないという点だ。先手が打てない、後手に回る状態。


 ミカはそれをアトミスの本心に迫るため、多くの神官の前で一部を打ち明けてしまった。しかしいずれは詳らかにする必要があったが、神官達の多くは戸惑っている。

 氷水晶の神殿を含めた領地を治めているのは第三王子派のジリック家。長であるバルバットは賊や商人を利用し、税を横流しして神殿に集めている。後の兵糧とするためだ。

 首都から三日の距離。強者達が集まりやすい仕組みの神殿と、それらを世話することができる近隣の村。なにより傷ついても自己修復が可能な建物など、他には見当たらない。


 戦準備のために神殿に住まう神官達を始末する。そのための御膳立ては幾通りも用意され、いつでも実行可能となっている。

 相手側にとっては嬉しい誤算である、ミカの神殿来訪も動機になる。国内部の紛争よりも、国交が悪化している西の大国と戦う方が味方が多いからだ。

 それが仕掛けられた誤算であることをミカ達は知っている。第四王子であるフィルはそれを知っていた上で、ミカとヤーが氷水晶の神殿に行くことを許可したのだ。


「多分、俺がいると確信を持ったらすぐに用意を始める……だけど今はまだ不十分なはず。仕掛けるなら明日の朝、あの商人に伝える必要がある」

「仕入れの商人と仲良かったのはあの、弓矢を撃った神官ハロルです。今は自室で軟禁しておりますが、どうしてあんな馬鹿なことをしたのか……沈黙を続けております」

「じゃあ俺の前に連れてきて。オウガがいるから身の危険はないし、俺は視抜くことに関しては得意だから」

「は、はぁ……」


 ハゼが戸惑いながらもミカの指示に従う。確かにあの金の目の前に立つと身が竦むが、それが万人に通じるとは思えないからだ。それでも第五王子の言葉は無視できない。

 オウガとヤーとアトミスはその言葉に含まれた本当の意味を知っているため、ハロルという神官に少しだけ同情する。ミカは魂まで視通す。一部例外を除き、その目は嘘だけでなく本当の感情まで視てしまう。

 アトミスは隠していた本音を暴かれた。オウガとヤーは根が良い人だと信じる要因にされてしまった。どんなに悪ぶっても、ミカには効かないのである。


 落ち込んだ様子で連れてこられたハロルは少しだけ頬がこけていた。精神的な疲労が表に出てきている。ミカの顔が見れず、目を背けてしまう。

 しかしミカはハロルから目を離さない。少しずつ、水が浸透するように、彼の魂を眺めていく。崩れた灰色のガラス玉が泥に沈むような暗い様子の魂。

 目標を見失い、恥じた行為と人を陥れた後悔が魂の形を歪ませている。その歪みが生きる気力すら削っているようにミカには視えた。


「俺を殺せば平和になると思った?十年前の流行病や、五年前の大干ばつも俺のせいだと思ったから……でも殺せなかった」

「……っ!」


 魂が揺れ動く。それはミカにしか視えていない。追い詰められているのか、ひびが入って今にも砕けそうになっていく。

 そしてミカの言葉に周囲の神官達も魂に変化があった。ハロルに共感する者、疑念を抱く者、馬鹿だと呆れる者、それら全てが暗くなっていく。

 あまり良い光景ではなかった。しかし王宮に比べればマシだと、ミカは自分を鼓舞するように言葉を出していく。


「だって、俺……テトラよりも幼いもんな。こんな子供が本当に、って疑問を抱いたんだろう?だから殺せなかったんだよな」

「け、結果は変わらない……矢を射たのは変わらない。なぁ、教えてくれ……貴方は、生きてて苦しくないのか?こんな男に狙われて、辛くないのか!?」

「これ、ハロル!!」

「ハゼ神官長、俺は本気なんだ!十年前、俺は病で一人息子を失った……まだ三歳だった……そんな子が、熱い苦しい……死にたいと俺に訴えたんだ……」


 涙を滲ませたハロルの言葉に嘘はない。ミカには視えていたし、ハゼ達もその声だけで胸に迫るものを感じ取っていた。

 十年前の「国殺し」で多くの人間が死んだ。氷水晶の神殿に集まっている神官達の多くは、その生き残りだ。テトラも例外ではない。

 オウガやハゼ、アトミスでさえその病に振り回された。だからハロルの続く言葉に耳を傾ける。


「俺……それで、死にたいと言うあの子に生きろと言い続けたんだ……ずっと、ずっと……最期までずっと。俺はあの病が許せない、それ以上になにもできなかった──自分が悔しいんだ!」


 床に膝をつき、氷水晶を砕くように足元に拳をぶつける。透明な水晶に赤い色が乱反射する。それを気にせずハロルは涙を流し続ける。

 オウガは奥歯を噛み締めた。ハロルの叫びが、心が、よくわかったからだ。十年前も、五年前も、なにもできなかった自分が一番駄目だと責める気持ち。

 どんなに努力しても乗り越えられないと思うような地獄の日々。どうして自分だけが生き続けているのか迷いそうになる。


「貴方が神殿に来た時、天啓だと思った。息子に報いることができると唆されて、俺は……でも部屋にいる間、頭の中がずっと騒ぐんだ。全ての元凶にされた貴方が一番辛くて死にたいんじゃないかと」


 全ては西の大国の血を持つ王子が生まれたのが悪い。噂も、商人も、あらゆる周囲が原因を一人の少年に狙いを定めている。

 そう思えば楽だった。自分は悪くないと言い訳できた。病や天災では文句を言うこともできないが、人間のせいならば攻撃することができる。

 しかし軟禁された後、考えてしまった。もしも自分が原因にされて、何処の誰とも知らない相手に殺されかけたらどんな思考をするか。


「なのに貴方は、どうして……その金色の目を優しく細めることができるんだ!?」


 ミカは真剣に話を聞いていた。ハロルの言葉は本当だと魂が物語っている。そして後悔し続けていることも。

 哀れむでもなく、同情するでもなく、許すように。ミカは少し困った笑みを浮かべ、言葉にしづらい気持ちを吐露する。


「えっと……俺は死んでないから、それでいいんだ」


 その言葉に全員が呆気にとられる。死んでないから、という理由だけでもう気にしていない様子のミカを思わず凝視してしまう。


「それに俺は生きなきゃいけないんだ……母上が守ってくれた命だから」


 五歳の子供を残して死んでしまった王妃。生前の姿を覚えているハゼは喉の奥に詰まる感情を呑み込めなかった。

 まだ若い命だった。これから西の大国とユルザック王国の懸け橋になるべき存在だった。鮮烈なあの女性は火花のように一瞬で消えてしまった。

 ハゼが王妃の訃報を聞いた時、心の底で穴が空いたように感じられた。実感が湧かず、葬列で黒い棺桶を遠目で眺めた際にハゼの頬に一筋涙が零れた。


「母上は死の間際まで、西の大国が攻めてこないようにレオナス家に手紙を送っていた。だからまだ国交悪化程度に留まっている……でも俺が死んだら、それも終わる」

「じゃあ、どうして……笑えるんですか?死んだ者の記憶を思い出して、涙することはないんですか!?」

「優しい記憶に涙は必要ないよ」


 絵本を呼んでくれた母親。いつでも大事にしてくれたことをミカは朧ながらも覚えている。鏡を覗けば同じ金色の髪と瞳が映り込む。

 死ぬことは悲しい。しかしそれで全てを悲しくしてしまったら、楽しかった時間が消えてしまう。アトミスは微笑むミカの顔に釘付けになる。


「ハロルの息子さんはどんな子供だったの?」

「……よく、笑う……母親がいなくても、お父さんがいるから大丈夫だって、いつも……うぅ……自慢の、息子……で、うっ、あぁぁあ、あああああ……」


 どうしてミカを殺すことが息子に報いることになるのか、ハロルは理解できなくなる。あんなに幼かった息子が、人を殺す父親に笑いかけるとは思えない。

 ミカの言葉に誘われて思い出す記憶はハロルの大事な物だった。大事にしすぎて引き出せなかった。代わりに出てきていた死体の顔は、涙によって溶けていく。

 手を繋いで一緒に買い物をした日の夕焼けさえも鮮明に浮かび上がってくる。小さくて温かい手の感触が、時を超えて蘇えってくる。


 ハロルに同情した神官達が、彼の周囲に集まって共感して大泣きし始める。テトラなどは背中を優しく擦りながら抱きついている。

 すると我先にと言わんばかりに次々と神官達が抱きつき、一種の肉団子のような光景ができる。ハゼは抱きつきはしないものの、鼻水を垂らして男泣きしていた。

 ヤーからすれば早く本題に入りたいのだが、感動的な流れになってしまったため口出しできない状況になっている。


「……いいなぁ。そう言ってもらえて。俺はもう……言ってくれる人いないから」


 小声で呟いたミカの言葉を正確に聞き取ったのはオウガだけだった。自慢の息子と呼んでくれる相手がいない寂しさ。

 それは滅多に表へ出さないミカの過去への想いだった。その感情もオウガは理解できた。しかし逆に自己嫌悪に陥るのがオウガでもある。


「うぅっ、ぐずっ、ハロルさん……ハゼ神官長や皆さんもあの病で酷い目に遭いましたけど、それは王子のせいじゃないんですぅ……」

「俺もっすよぉ!!俺もばーちゃんとじーちゃん死んだけど、なんとか生きてるっす!それは皆がいてくれたからっす!!」

「私もだ……妻がいない寂しさは皆が癒してくれる……忘れるなとは言わないが、一人で抱えないでくれ……皆で強く生きていこう!」

「っだぁあああああ!!だから!今は!皆で生きていく事態に危機が迫っていることへ対する策を話し合おうって言ってんのに、どうしてそういう流れになるの!?意味わかんない!!」


 神官達の泣き声と慰めの言葉に耐えかねたヤーが神殿中を震わせるような大声で遮る。そういえばそうだったとミカが苦笑いになる。

 今にも暴れそうなヤーをオウガが抑え、ハゼも神官達に規律と整列を始めるように指示する。全員が鼻を赤くして涙目だったが、すぐさま整う。

 ハロルは左の若い神官と右の古参の神官に支えられないと立っていられないが、ミカの目には磨かれたように輝き始める魂が視えていた。


「ミカ王子、本当にすみません……せめてもの罪滅ぼしとしてこの命、御身のために使わせてください」

「そこまで大袈裟にしなくてもいいよ。でも少し重要な役目があるから頑張ってもらうね……それとハロルの右の神官、左の神官。名前は?」

「俺はケリーっす!!テトラさんより年下ですが、若さに任せて頑張る好青年と自称してるっす!ちなみに好みの女性はテトラさんみたいな巨乳の、テトラさんみたいな穏やか系っす!」

「私はハゼ神官長が武官の頃よりお慕いしておりましたメバルと申します。副神官長には劣りますが、全体の指揮には自信がございます」


 元気いっぱいに返事するケリーと深々とお辞儀するメバルの魂を確認し、大丈夫だと判断して頷くミカは考える。

 こんな時にフィルはどんな手を仕掛けるか。どんな策と、人材の活用及び運用、自分の立ち位置をどこに置くべきか。

 まず相手の狙いはミカと神官達である。しかし相手側もいくつか策を設けている。その策を、こちらが選択した通りに運べるか。


「……よし、決めた。この策で行こう」






 秋が少しずつ冬へと進む準備を始めた空の下。氷が広がって寒々しい地面の上、早朝ともなれば過酷な場所で、挑戦者達は扉が開くのを待っていた。

 不老不死伝説が残る天空の都市に住まうウラノスの民。永遠の命と若さが手に入れば恐れる物はないと、誰もが野心を抱えて目をぎらつかせる。

 その様子を鼻で笑う商人は制限されることなく、荷物と共に神殿内に入る。賊を通じて手に入れた食物、元手は零という儲けるにはうってつけの品だ。


 ジリック家の保護により、商人を怪しむ者はいない。心を覗かれない限り企んでいることが暴かれることもない。完璧だと商人は陶酔していた。

 昨日は不在だった神官、証人が言葉巧みに意識を誘導していた男、ハロルが少し痩せた顔で立っていた。しかし商人を視界に入れると、嘘なくらい明るい顔で声をかけてきた。

 熱を出していたとは聞いていたが、そんなに酷い風邪だったのかと商人が驚く間に、ハロルは意気揚々と語り出す。


「いやぁ、実はミカ王子に出会えた衝撃で知恵熱が出てな。噂に聞いていたが、見事な金色に慄いたよ」


 出てきた名前に商人は飛びつきそうになった。ミカが神殿を来訪するとはジリック家の情報網で捉えており、そのためにハロルにはあらゆることを吹き込んでいたのだ。

 他の神官にも同じようにミカへと見当違いな恨みを向けさせるよう会話していたが、一番効果があったのはハロルだったので懇意にしていた。しかし失敗に終わったかと舌打ちしそうになる。

 道理で昨日交渉に応じた神官の態度が固いと思ったが、確証は得られた。ウラノスの民は謎が多いため、調べるには時間がかかる。あと三日もあれば、賊の手配が整う。


「しかし明日の朝には帰ってしまうと仰られてな。どうも氷水晶の神殿特有の冷たい空気が肌に合わなかったようだ」

「あ、明日ぁっ!?」


 思わず大きな声が出てしまった商人に対し、近くにいた若い神官のケリ―が咳払いで軽く注意する。ハロルも声を小さくするように身振りで伝える。

 予想外の日数の短さに動揺してしまった。もしかして情報を捉えた時にはすでに神殿に来訪していたのかとも疑うが、王族の気紛れかもしれないと深くは考えない。

 ハロルは周囲を見回し、商人の耳元に唇を寄せて極小の声音で背筋が凍るような提案を持ちかける。


「今日の深夜……俺は王子を暗殺してみる。やはり息子の無念を晴らしたい……しかし護衛がいる。なにか騒ぎが起きてくれと願うが……」

「……おいおい、怖いこと考えるなよ。でも気持ちはわかる。十年前、五年前、あれら全てが偶然とは思えない。その年数とミカ王子は合いすぎている」


 商人は内心ほくそ笑みながら表面上はハロルを止める口振りで、密かに煽る。自分も同じ気持ちだと、凶器を持った人間を後押しするように。

 確かに会話である程度の誘導はしたが、こんなにも上手くひっかかってくれるとは思っていなかった。やはり死んだ息子の話を親身に聞いたからだろう。

 そして極秘にしておきたい暗殺について、上手くいくかどうかわからない悩みを打ち明けてくれた。もうひと押しだと、商人は緩みそうになる口元を堪えて商談を囁くように話しかける。


「よし、小火ぼやを起こそう。もちろん氷水晶の神殿は燃えないようにな。それでも人を集め、騒ぎが起きれば隙が生まれる。お前はその間に息子のために動く。どうだ?」

「きょ、協力してくれるのか?う、うぅ……ありがとう。貴方に会えてよかった……これで息子に顔向けができる」


 涙を隠すように拳で目元を覆う神官に、商人は心の底から馬鹿にした。お前も死ぬべき対象だと、操り人形を劇中で殺すような気持ちだ。

 商人は言葉巧みに神官から動くには都合のいい時間帯や、神官達が就寝する時間、それに合わせた小火の騒ぎの時間などを手短に交換していく。

 古参の神官であるメバルが伝令で門を開ける時間だと触れ回る。必要な情報を手に入れた商人は、ハロルに成功を祈ると心にもない言葉を残し、意気揚々と去った。


 それを陰から全て見ていたミカ達と、旗棒が突き刺さる台座と言われているパラボラアンテナから堂々と見ていたアトミスは、あっさり引っ掛かったなと相手の迂闊さに肩を落とした。


「いや、作戦を考えたのは俺だけど……もう少し疑ってもよくないかな?それともこういう単純な流れも兄上が得意とすることなのかな?」

「ミカはあの腹黒殿下の真似をするのやめたら?アンタには似合わないわ。実際、頭痛いでしょう?」

「う、うん……正直心苦しい。け、けど……これが一番良い方法だと思うから」

「今度からそういうのは俺やヤーに任せろよ。お前は堂々としていればいいんだよ」


 頭を抱えるミカの耳に予想外なオウガの言葉が届く。ヤーも驚いており、一体どういう心境の変化かと立ち上がったオウガの顔を見上げる。

 氷水晶が取り込んだ太陽の淡い光に照らされて、オウガの表情が明るく見える。その目元は穏やかな決意に満ちていた。


「お前、言ったよな。誰かのせいにして解決できることはない、自分が決めたことが一番納得できるって……」

「あ、うん……多分さ、世の中には答えがない問題もあるから……だったら自分で決めた答えが一番だと思うんだ」

「……俺も、そう思ったよ。お前の言葉を聞いて、やっと……辿り着いた」


 ここ一週間近く悩んだ答えにオウガはやっと兆しが見えたと感じた。答えがないのならば、悩みが終わらないのは道理である。

 結局は全部オウガの胸の内、感情や心の問題だ。ずっと許せない、許さないと決めていた。王族や貴族のせいにして、逃げ続けていた。

 ハロルの言葉はオウガの言葉でもあった。本当はなにもできなかった自分が一番悔しくて、認めたくなくて、自分に最も関わりのない人間に罪を被せた。


「明日の朝までに俺なりの答えを出すよ。だからミカ、お前はお前らしく生きろ。お前らしい行動で、俺に見せつけろ」


 挑むようなオウガの声に、ミカは腹の奥が震えるような高揚を感じ取る。生まれて初めて、自分という存在に期待された瞬間。

 第五王子でもなく、獣憑きでもなく、西の大国の高名な貴族の血を引く子供でもない。ミカ自身が求められるという難関に、指先が震えた。

 なんとなく割って入れない空気にヤーが頬を少しだけ膨らませる。自分の方が付き合い長いのに、という要領の得ない見栄を張りたくなる。


「お、王子……あの、俺、もう殺そうと思ってませんからね!?あれは作戦上、仕方なく……」

「ハロルさん、俺ら全員わかってるっすよ!というか提案したの王子じゃないっすか。それにまたしでかそうとするなら、メバルさんの十八番が炸裂するっす!」

「ああ、任せたまえ。ハゼ神官長直伝の昇天地獄落とし、完膚なきまでに決めてみせるさ」

「それって天国行きなの?地獄巡りなの?」


 慌てるハロルの弁明に明るく励まそうとするケリーだが、メバルの意味不明な技名にヤーが疑問を提示する。ミカはその光景に思わず吹き出し笑いを零す。

 そして今度こそ挑戦者達を招き入れる時間になり、ミカ達は試練の間を後にする。ヤーはテトラと共に神殿機能について会議する予定であり、オウガは森の地形をハゼと相談することになっている。

 ミカは護衛であるオウガの傍から離れてはいけないため、その相談会に付き添う形だ。ただし地形戦は頭になかったため、話し合う二人の声であっという間に眠りに誘われてしまった。


(……ミカは生きることに不思議な感情を見せると思っていたが、母親のことが頭にあったのだな)

(あんまり意識してないんだけど、そういうことになるのかな)


 意識内部で話しかけたレオに微睡むようにミカは答える。意識内部の姿ではレオは黄金に輝く獅子であり、その毛並みは高級羽毛布団に匹敵する。

 実は王城にある寝台の布団より心地いいとは言えず、ミカはその豊かな毛並みに顔を埋めて眠る姿勢になる。太陽の柔らかい匂いがレオの香りだ。


(レオ、俺に一生付き合ってくれる?多分波乱万丈で済むかどうか危ういけど)

(当たり前だろう。我はお前と一心同体に近い存在、お前の味方として生きると決めた……ならばどこまでも、共に行こう)


 レオの返事に安心したミカは意識すらも眠りに落として寝息を立てる。器用なことだとレオは静かに笑い、自分の頭を摺り寄せる。


(それにしても……そういう落とし文句は女子おなごに言えばいいものを……)


 ミカの上目遣いと共に出てきた言葉に苦笑いになるレオは、今後のことを憂いて溜息をつく。密かに女難の相だったらどうしようという、余計な心配付きだ。






 アトミスは太陽に憧れていた。冷たい自分とは違う、暖かくて誰にも平等に降り注ぐ力を持つ存在。

 だからミカが元太陽の聖獣であるレオンハルト・サニーの生まれ変わりと知った時、心底驚いた。同時に納得できた。

 黒髪黒目の少年が生まれ変わりと言われるよりは、数倍も説得力があった。そのミカは水晶の壁を通り越して光を差し込む太陽のように、アトミスが作っていた壁を通り抜けてきた。


 誰にも気づかれなかったその姿を捉え、誰にも見せなかった本心を暴き、誰にも理解してもらえないと思った感情に触れてきた。

 おかげで神官達には存在がばれてしまい、ウラノスの民がアトミスを置き去りにした真実を確定的にしてしまった。アトミスにはもう目的がない。

 ウラノスの民は帰ってこない。アトミスは見えない鎖に縛られている。神官達は神殿の本来の機能を知ってしまった。全てが明かされた今、アトミスが秘する物はない。


 今後は神官と共に暮らすことを前向きに考えるべきか。しかし仕事は神殿の氷水晶が欠けたら即時修復するだけで、それすらも正しい祝詞を唱えればいいだけの話だ。

 外に出て暮らすことなど考えられなかった。ウラノスの民が見つけてくれた後、数回しか青い空と太陽を見たことがない。氷水晶の神殿はすぐに作られ、アトミスは言われた通りパラボラアンテナを守っていた。

 必要だと言われたのが嬉しくて、それ以上を考えたことがない。置き去りにされても帰ってくると信じ、言い付けを守り続けた。


 人間が神殿を正しくない方へ使い続ければ、怒ったウラノスの民が戻ってくると思っていた。それ以上に自分以外の存在で賑やかになることが、わずかに心を満たした。

 寂しかった。生まれたばかりの頃は、そんなことすら知らずに暗い洞窟で一人で過ごしていた。だけどウラノスの民がそれをアトミスに教えてしまった。孤独は、辛い。

 神官達は最初の頃は酷い有様だった。テトラなどはすぐに転んでは氷水晶を壊していた。それが今では副神官長である。ハゼも当初より老いている。


 ケリーは年頃になってからはテトラを意識するし、メバルは相変わらずハゼを尊敬しており、ハロルは仕事に精を出して辛いことを忘れようと努めている。

 他の神官のこともずっと見ていた。ずっと、ずっと、ずっと……アトミスは見続けていた。そしてこれからも同じ運命なのだろうと、諦めようとした矢先だった。

 挑戦者がいなくなった夕方の試練の間。太陽が息を潜める前に一段と輝きと熱さを残そうとする時間帯。ミカがアトミスに手を伸ばして問う。


「俺と一緒に外へいかない?」

(どうやって……鎖、あるんだよ)

「大丈夫、そんなの壊せるよ。ううん、俺が壊す。俺にはアトミスが必要なんだ」

(なにを……する気なの!?)


 必要と言われたことに対し嬉しさが浮かび上がる前に、ミカが今から行うことに対する覚悟に嫌な予感を覚えたアトミス。

 ヤーとテトラ、ハゼやオウガ、神官達が多く見守る中で台座に手を触れるミカ。傷がある左目が炎に似た輝きを灯し、転化術を発動させる。

 それに反応して氷水晶に含まれていた精霊達がミカへと纏わりつく。光り輝く体に動じず、ミカは台座の奥、根元にあるアトミスが宿る本体へ手を伸ばすために氷水晶を砕く。


「……ウラノスの民は凄いのかもしれない。色んな伝説があって、俺達じゃ再現不可能な技術を持っている」

(っ、そうだよ!彼らは凄いんだ!!だから僕は彼らを尊敬している!!だから、だから……)

「でも!アトミスを縛りつけていい理由にはならない!!俺はアトミスが一人ぼっちになるくらいなら、嫌と言っても連れていく!!」


 アトミスは氷水晶の大元である妖精。だから施設を維持するために必要だった。なにより鎖で動きを制限しているアトミスを、わざわざ連れていくことはない。

 多くの理由があるだろう。ウラノスの民にも葛藤があったかもしれない。苦悩があったかもしれない。しかしミカは結果しか知らない。アトミスは孤独のまま誰にも心を開かなかった。

 人間を猿と呼んで見下さなければ懐柔されそうになる。ウラノスの民が好きだったからこそ、人間を認めると彼らを否定しまいそうになる恐怖をアトミスは持っていた。


 恐怖と孤独。それによって発生した侮蔑と閉鎖。アトミスは氷水晶のように冷たく、全てを閉じ込めて待ち続けた。わずかに差し込む陽光しか見いだせないような生活。

 もしもウラノスの民が、一人でもいいからアトミスを連れ出したならば。彼は今頃太陽の下で笑う妖精であったかもしれない。人間にも心を開く存在だったかもしれない。

 そんな仮定の話が頭に浮かんでしまった以上、ミカはどうしてもアトミスを自由にしたかった。氷水晶の神殿を作れる技術があっても、妖精の心一つ救えないならば意味がない。


 アトミスとヤーの目にははっきりとミカの肉質が変化していくのが視えていた。体に纏わりついていた精霊が少しずつ体の中へ浸透する。

 割れる音が重なり、砕けた氷水晶の中には半永久的に効果を発揮する精霊術の陣が刻まれていた。それも越えて、ミカは台座の奥で望んでいた物を掴む。

 四つの花弁が対角となって、一種の十字架に見える結晶体。手の平に収まるほど小さいその氷水晶こそが、アトミスの依代であり、精霊術の鎖によって縛られていた物。


「これで自由だ。どうする?」

(……嫌と言っても、連れていくのだろう。君は……試練に成功した者だ、好きにするといい)


 アトミスはあえて人間という言葉を使わなかった。試練に成功した者、ウラノスの民と同じになったという暗喩を使った。

 外見上や生活において変化はないが、この瞬間、ミカは妖精に近い体を保有した人間、ウラノスの民と同じ肉体になっていた。

 それを知らずに神官達はミカに拍手を送る。旗棒は抜く物ではなかった。しかしミカはその奥にある真実に、アトミスに辿り着いた。


 氷水晶の神殿を守り続けた妖精アトミスが認めた者。それは遠まわしにウラノスの民が認めた者として、讃える存在になった証明。

 しかしミカは砕けた氷水晶が直らないどころが、横にあったパラボラアンテナが豪快な音を立てて倒れたことで黙ってしまう。神官達も同様である。

 一瞬の静寂、直後に飛び交う混乱の声。神官達が慌ててパラボラアンテナを立てようとするが、直る様子がない。アトミスが溜息をつきながら告げる。


(今までは僕がすぐ直してきたけど、これからは祝詞による修復しかない。とりあえず祝詞さえ唱えれば直るから、放置してもいいよ)

「どんな力自慢でも壊れなかったのにぃ……ミカ王子は凄いですねぇ、ハゼ神官長」

「うむ。さすがエカテリーナ王妃の御子息。トラブルを起こす才能に関しては光る物がありますな」

「母上は一体俺の知らないところでなにを!?いや、それより、ごめんなさい!!」


 大慌てで固定しようとする神官達を手伝うようにミカが手を伸ばす。その手をヤーが興味深そうに掴み、慎重に眺めたり触っていく。

 触感も肉体と変わりない。表面上を視ても妖精と同じとは思えないほど、人間と同じ肌にしか見えない。しかし初めて見るが、あれがリ・ユースだとヤーは理解できた。

 ミカはいつまでも手を握るヤーに戸惑いつつも、資料を見る時と同じ目をしているため話しかけることができない。横からケリーが口笛を吹きながら囃し立てる。


「ヤーちゃん、積極的!だけど王子は駄目っすよ!いやまあ傍から見ていて釣り合いは取れているっすが、身分問題があるっす!」

「んなぁっ!?別にアタシはそういう目的でミカと一緒にいる訳じゃないわよ!氷水晶を砕いたのよ?怪我があったら一大事でしょうがっ!」

「そうじゃ、そうじゃ!ケリー、世の中お前のような年中脳内花畑人間は希少なんだぞぉ!特にヤー殿は女性的魅力の成長速度が遅い故、これからに期待じゃあ!」

「アンタ達二人とも氷水晶漬けにされたいの!?というかさり気なく脳内花畑人間は神官長も同じじゃないかぁっ!!」


 怒りながらミカの手を離して説教する勢いでハゼに迫るヤー。その間にオウガがミカに小声で話しかける。


「体の具合はどうよ?本当に羽衣術とやらは可能そうかよ?」

「うん……レオが体の感覚が聖獣の時と同じになったとかで、調子良くなってる。アトミスもいるし、これで俺の動きは決まった」

(……もしかして僕が必要って、そういうことなの?)

「オウガが自由に動くには俺の護衛問題が邪魔だったから。アトミス、期待しているから一緒に頑張ろうな!」


 ミカの晴れやかな笑顔を前にアトミスはなにも言えなくなる。肉体が変わっても、人間性はそのままだということが証明された。

 オウガも苦笑しながらも頑張れよとミカの頭を撫でる。あまり頭を撫でられたことがないミカは嬉しそうにもう一回とねだるが、終わったらと避けられてしまう。

 大騒ぎの試練の間だったが、メバルが時刻を確認してから、今から準備を始めないと間に合わないと忠告する。それにより神官達が持ち場へと走っていく。


「ハゼ神官長、本当に前線へ?御供として私も……」

「お前には神殿内の指揮と、テトラとヤー殿を守る役目に従事してほしい。安心せい、老体とはいえ簡単に死ぬような儂じゃない」

「わかりました。御武運、お祈りいたします。ではヤー殿とテトラ副神官長は祝詞の間へ」

「ハロルさん、俺と一緒に門前の守り固めるっす!まさか神殿で籠城戦だなんて、俺なんだかあるはずない武人の血が騒ぐ気がするっす!」

「籠城戦と言っても一晩で決着付ける短期戦だけどな。だから油断するなよ」


 そして戦いの準備を始める神官達と共に、ミカも動き出す。暗く長い夜が始まる。

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