3.3

 空飛ぶ駝鳥号のメインセイルが満帆に風を受け、草ひとつ生えない荒野を走る。

 目指すは南、ミセス・ホールトンがふんぞり返っている、エクス・マイアミだ。

 バカのグッドマンを負かした女で、賞金稼ぎ狩りなんてあくどいことを企む女で、どうやらファーマーを騙るジャックの命を狙っているらしい女。

 アタシは操船しながら、改めて自分の『考え』を考えていた。


 笑ってしまうような話だけれど、ファーマーことジャックに尋ねられるまで、ミセス・ホールトンに会って何をするのかまでは、考えていなかった。

 とりあえず賞金稼ぎ狩りなんていうのは止めてもらうとして、なんでそんなことを始めたのか聞くべきだろうか。

 というか、そもそも止めてと言って止めてくれるのだろうか。


 グッドマンみたいなバカに数十万ダラーなんて大金を懸け、その上きっと賞金稼ぎ狩りなんて連中を雇っているわけで、これは相当な覚悟をもってやっているはず。だとしたら、自分で口にしたように、実力行使しかない気がする。


 でも、ほんとに殺すの? 

 大勢の賞金稼ぎを狩り殺してきたんだろうから、当然の報いだとは思う。けど、捕まえて連邦保安局にでも突きだすのが、正解なんじゃ――、


「で、おっさん。ミセス・ホールトンに会ってどうする気なんだ?」

「グッドマン!」


 無遠慮にも程がある!

 思わずアタシは叫んでた。ファーマーことジャックと目が合う。

 彼は目を丸くして、少しだけ間を作って、片笑みを浮かべた。その自分を嗤うような寂しげな笑顔は、パスケースの中の彼とそっくりだった。少し年を取ってはいたけど、やっぱりジャックだと思った。


 ファーマーことジャックは、私の目を見て、カウボーイ・ハットのつばを撫でた。礼のつもりなのだろう。顔も向けずに、グッドマンに言った。


「分からんよ。ただ彼女が俺の命を狙ってこんなことをしてるなら、直接会ってやった方が、余計な血が流れなくて済むってもんだろう。違うか?」


 正しい判断だと思う。でもアタシはそんなことより、まず偽名を訂正してほしい。

 聞いていると気になるから、アタシは帆の操作に集中しようとした。


 街から離れるに従い、小さな新たなる澄風が強くなっていく。速度の制御も重要だけど、東海岸特有のデコボコの激しい地表や、旧時代の廃墟にも注意を払わなくちゃいけない。万が一、船底を損傷させて浮力を失ったりすれば、アタシたちが野垂れ死ぬ確率は必然に限りなく近づいてしまう。


「じゃあ質問を変えるわ。おっさんは、なんで自分を狙ってると思ったんだ?」


 それだ。アタシもそれが聞きたかった。ナイスだ、グッドマン。そのイラついてるような口調じゃなければ、諸手を挙げて絶賛してあげてもいい。いまはセイルの操作をしなくちゃいけないから、メインシートから手を放せないけど。


「ミセス・ホールトンは俺の女房だよ」

「なんだって!?」「奥さん!?」


 アタシとグッドマンの声が重なった。

 ショックだった。

 憧れの賞金稼ぎ、仇を取ってくれた人、デスハンドジャックが既婚者なんて。


「あの美人がかよ!」


 美人なんだ。


「しかもおっさん、結婚してたってのは、いつの話だ!? どうみたってミセス・ホールトンは三十路前だろ! あんたロリコンだったのか!?」


 しかもロリコンなの!?

 黙ってられない。

 アタシは追い風を逃がしてやって、ファーマーことジャックに言った。


「その話、アタシもちょっと聞いてみたい」

「な、なんだ……ミス・ジェシー、そう睨まないでくれ」


 ファーマーことジャックは目を逸らし、取った帽子で顔を仰ぎはじめた。


「女房といっても、古い話なんだよ。離婚したのはもう十年も前になるしな」

「十年!?」


 アタシの代わりをするかのように、グッドマンが叫んでくれた。もっとやれ。


「じゃあアンタ! マジモンのペドフィリア(小児性愛者)じゃねぇかよ!」

「違う! それは断じて違うぞカトー!」


 どこが違うの!? 

 っていうか――、


「カトーって誰!?」


 混乱のさなかに発したアタシの叫びを聞いて、グッドマンとファーマーことジャックは盛大に眉を歪ませ、互いの顔を見合った。そして、グッドマンがゆっくりと自分を指さして、ファーマーことジャックもグッドマンを指さした。


「……なんで、なんであんたらは……アタシにホントの名前を言わないのさ!」

「いまさらだろ」「すまん」


 すぐ謝ったからファーマーことジャックは許す。バカでグッドマンと名乗ったカトーは後で絶対いじめる。そう決めて、アタシは精一杯の優しさをかき集めて言った。


「一回、ちゃんと説明してもらえる?」

「……はい」「分かった」


 二人は真顔のまま答えた。その目は、アタシが抜いた山刀を見ていた。

 そして。

 二人の男――いや、一人の男と一匹のバカがホントの名前を名乗った。

 アタシはグッドマンの「オレの本名はカトー・ナカサキって言って――」という嘘くさい告白を聞き流し、ジャックに尋ねた。


「なんでジャックは奥さんに狙われてるのさ。っていうか、ほんとに狙われてるの?」

「女房じゃなくて、元・女房だ」

「どっちでもいいと思うけど」

「おっさんにとってはどうでもよくねぇんだろ」


 いちいち茶々を入れてくるグッドマン改めカトーが腹立つ。

 アタシはカトーを睨みつけて黙らせた。


「なにか狙われる心当たりでもあるの?」

「……どうでもいいだろ、と言いたいが、そうもいかんだろうな」


 ジャックは緩やかに流れる荒野を、つまらなさそうに眺めた。


「一〇年前、何も告げずに別れて、それっきりだったんだよ。結婚してから一年経ったかどうかってときに、俺は引退することにした。手切れ金だけ残して、俺は家を捨ててフレンディアナで安い土地を買った。昔のツテを辿ってな。それだけだよ」


 まただ。ジャックは、レイザー・ブリッグスについてだけは話そうとしない。

 ジャックはアタシがレイザーの被害者だと気付いていないのだろうか。あるいは、気付いていて喋らないようにしているのだろうか。

 気付いてないなら、アタシはあなたのおかげで生きていますと伝えたい。でも気付いているなら、アタシから触れるのは失礼にあたると思う。きっと、思いだしたくもない話なのだから。


 ――そうか。

 ふいにアタシは気付いてしまった。ジャックが奥さん、つまりミセス・ホールトンと別れたのが十年前で、レイザー・ブリッグスを射殺したのも十年前だ。


 頭の中に焼き付いている新聞記事によれば、レイザーに懸けられていた賞金額は八万ダラーだったはず。想像の外にある額だ。

 いくら正義の味方でも、そんな大金を一度に手にしたのなら、すぐに辞めたくなってもおかしくはない。アタシやカトーだったら一生働かずに生きるのは難しいだろうけど、十年前のジャックなら――。


「なんで別れたの?」


 口にして、すぐ後悔した。ジャックの冷めた目がアタシを射抜く。

 彼はじっと動かず、くたびれたような表情も変えることなく、飽きてしまった玩具を見る子供のような目をして、投げやりに口を開いた。


「俺は賞金稼ぎだった。腕はいい方だったし、稼ぎも多い方だったと思う。だから恨まれることも多かったのさ。隠居して田舎に引っ込むにしても、女房と一緒じゃな」

「あー、なるほど? つまりおっさんは、女房を愛してなかったわけだ?」

「ふざけるな」


 ジャックは茶化すような調子のカトーを嗜めた。けれど、一拍の間の後、失笑した。


「あながち間違ってないかもしれんな。ずっと一緒にいればよかったかもしれない」

「だろぉ? おれは惚れた女となら一日中ベッドの上で過ごすのだって苦じゃねぇし、そうすりゃ女の方だって安全だ」


 カトーは好き勝手に言っている。ジャックは苦い顔して、そんな言葉を受け入れている。おっしゃる通り、とでも言うように、こくこく頷いていたりもした。

 でも聞いてただけのアタシは納得いかない。だいたいカトーは甲斐性なしだ。


「向こう見ずのバカカトー。あんたと一緒にいる方が女の命が危うくなるよ」

「あぁ? ジェシー、言ってくれるな。ガキンチョのくせしてよ」

「なにがガキさ。あんただって女のことをロクに知らないんだから同じだろ?」

「は? なんだって?」


 カトーは露骨に顔を歪めて――でも、いつもの薄笑いを顔に張りつけ、肩を竦めた。


童貞ガキだって言いたいんだろ。そっちの方がいいなら、それでもいいぜ? 小便臭いガキにどう思われようと、おれは痛くも痒くもねぇんだ」


 アタシは余裕ぶったカトーの言葉は無視して、左目を瞑った。バイオニック・アイを赤外線サーマルモードに切り替える。カトーの体表面は真っ赤っか。

 いくら日差しが強くても、砂海クルージング中の陸舟の上だ。肌を撫でる風が心地いい。その証拠に少し離れて座るジャックの顔は、黄緑色でしかない。

 つまり、色男気取りのカトーは、童貞だ。


「……なにをニヤついてやがんだよ」


 カトーが苛立たしげにそう言った。また少し赤みが強まる。焦ってるんだ。

 アタシは小さく顎をしゃくって挑発し、バイオニック・アイを通常視界に戻した。


「小便臭いかどうか嗅いでみる勇気はある?」

「えぁ?」


 カトーは間抜けな音で返答してきた。一拍の間。鼻の穴が酸素を求めて広がる。

 すかさずアタシは言葉を加えた。


「ってアタシが言ったらどうする?」

「……だ、だぁれがガキんちょの」


 カトーの言葉は続かなかった。ジャックの笑い声が打ち消したのだ。


「やめとけ。もうお前の負けだよ、向こう見ず。お前の鉄仮面もミス・ジェシーの右目にゃ通用しない」

「な、ぐ、ぬぎぎぎぎぎ……」


 瞼をピクピク痙攣させて、カトーは唸った。餌をもらえないブタの抗議に似てた。

 アタシは止めを刺すべく舵柄ティラーをロックし、空いた右手をカトーに伸ばした。


「まだ、なんか、あるってのか? ああ?」


 アタシは黙ったまんま指で拳銃の形を作って、声には出さずに、バン、と呟いた。


「て、て、てめぇ! クソガキ! 調子に乗りやがって!」

「やめとけと言ってるんだ。だいたいカトー、お前、ミス・ジェシーと大してトシは変わらないだろう」


 アタシは追い風を一身に受け、指でつくった銃口から立ち上る煙を吹き消した。


「ミス・ジェシー。お前さんもあんまりカトーを煽るな。うるさくって敵わん。それに、お前さんだってまだ処女ガキだろう?」


 んなっ。

 追い風はとうとつに風向きを変え、逆風となった。

 処女ってそんな言い方、ぜんぜん正義の味方らしくない!


「アタシはガキじゃない! ガキでバカなのはカトーの方だ! 処女だとガキだって言うなら、そんなのさっさと捨ててやる! カトーよりは早いね! 間違いないよ!」

「おうおうおうおう! 言ってくれるじゃねぇか! いいぜ、勝負といこうか!?」

「黙れガキども!」


 ほとんど荒野に響く轟砲のような勢いだった。びっくりしたアタシとカトーは口を噤んで、叱られた子供よろしく、次の言葉を待つしかなかった。

 ジャックは声色を低めてアタシに言った。


「ミス・ジェシー、ガキじゃないって言い張る内はガキのまんまだ。それにな」


 ちらりとカトーに目を向け、鼻でため息をつく。


「はじめてってのは、とっておきの相手が見つかるまでとっとくべきだ。後生大事に墓まで持ってけなんて言うつもりはないがな……早いだけだと後悔する」

「それ、経験則ってやつか? それとも早いってのは、アッチとかけてんのか?」


「バカめ。ちゃんと聞け。いいか? 焦る少年は悪い大人の女に引っかけられて、焦る少女は悪い大人の男に引っ掛けられる。焦ってもロクなことにはならない。ちゃんと相手を選んで、この人は、そう思ったときに勝負をかけるもんだ」

「だったら――」


 ジャックがはじめてを奪ってよ、と言うのはいくらなんでもはしたないと思った。

 代わりにアタシは、遠ざかる砂丘に変な物を見つけた。


「話の続きは後にしないとダメみたいだね」


 ガキんちょカトーが訝しげな顔して振り向き、うぇ、と唸った。頼んでみてもアタシに触れてくれなそうなジャックは舌打ちして、銃の残弾確認をはじめた。

 空飛ぶ駝鳥号の後方から、一隻の陸舟が追跡してきていたのだ。

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