2.4

 ジェシカは、俺の半分ほどの人生しか生きてない、美しい……少女だった。

 彼女自身が選んだ生き方なのだから、本来なら女性というべきかもしれない。しかし俺にとっては、少女も同然だった。彼女の小麦色の肌に触れたことも何度かあり、都度、妙な罪悪感を心の片隅におぼえたものだ。


「その、ミセス・ホールトンって女が、ジェシカだってのか?」

「そうだよ、ジャック・〝ザ・デスハンド〟・パーカー」

「……いまはもうデスハンドじゃない。デッドマンズ・ハンドだよ」

「どうでもいいんだよ、ジャック。攫われたはお前の元・女房だ。それだけだ」


 吐き捨てるように言って、カスパーは帽子を取った。額に浮かんだ汗で、細い毛がはりついていた。


「ジェシカは、再婚したのか」


 安楽椅子を揺らすと、床板が軋んだ。雲ひとつない明るい空は少しずつ色を濃くしていく。鷹が、住処へ飛んでいく。

 意外だった。そしてまた、納得もいった。


 紆余曲折あって娶ったジェシカは、婚前の予想通り、貞淑かつ気丈な妻だった。賞金稼ぎとして働く俺になんら負い目を感じる様子もなかったし、別れる前もすべてを悟っているかのような顔をしていた。


 ジェシカは俺と別れたとき、まだ二〇歳になったばかりだった。これからの人生の方が、はるかに長かったのだ。

 ただ当時は、ギャングのボスなんかと再婚するとは、思ってもみなかった。


「ジェシカが攫われたってのか」

「さっきからそう言ってるよ。俺はな。お前の理解が及んでいないのは知らないが」


 妙にもってまわった言い方をする。なにか含みがあるのか。

 まさかカスパーが俺に遠慮しているわけではあるまい。引退してから十年、その間に手紙を寄越したことすらない。それが元妻が攫われたかもしれないからと姿をみせたのだ。たとえ気にかけていてくれているのだとしても、望んでいた形とは違う。

 俺は安楽椅子の脇から新たなルートビアを取りだし、カスパーに手渡した。


「探しに行けって言ってるのか? カスパー」

「俺が、かよ? 言うわけねぇだろうよ。ただな、かかってる賞金は三十万なんだ」

「三十万だって!?」


 ふざけた金額だ。

 フレンディアナで暮らしている限り、百年マジメに働いたところで到達しえない額だ。かつて俺が引退を決めるに至った賞金首――サイコ野郎、レイザー・ブリッグスですら、十万ダラーに届かなかったくらいである。

 カスパーがしたり顔をしていた。


「どうだ。少しは行く気になったか?」

「どうかね。なにしろ俺は、ジェシカが再婚していたことすら、いま知ったんだ」


 追っかける資格があるのだろうか、と思う。迷っているのではない。追うなら俺ではなく、しかるべき人間がいるはずだ。


「旦那はどうしてるんだ。賞金を懸けたっきりか?」


 それではエクス・マイアミのギャングとして顔が立たないではないか。いや、妻に大金を出した時点で面目は保たれているのか。どちらでもいい。俺の仕事では――。


「旦那は死んでるよ。ジャック。死んでるんだ」


 カスパーはルートビアの王冠を手すりに引っ掛け、上から叩いた。弾かれた王冠は宙を舞って、俺の足元に転がってきた。


「……いつ死んだんだ?」

「結婚してから二年ほど経ってからだ。たった三年の間に、夫が二人いなくなったわけだな。いまじゃブラック・ウィドウなんてあだ名まであるらしいぞ?」

「金目当てに旦那を殺してるって? バカも休み休み言え」


 俺はルートビアに口をつけた。癖になるような甘みが一切感じられなかった。

 ジェシカは金で男を殺すような女ではない。そうでなければ妻に取ることもない。ダメな夫の身を案じ、考えを理解し、一歩引いて受け入れてしまえるような、強い女だった。


「攫ったのはどこのどいつだ?」

「……エクス・マイアミのチンピラだ。ギャンブラーらしい。見るか?」

「せっかく持ってきたんだろ? 全部置いていけ」


 カスパーは黙って封筒を差しだしてきた。崩壊前にも使われていた、紐閉じの茶封筒だ。ご丁寧にも二重三重に赤紐で封がされていた。 

 俺は受け取ると同時に指を突っ込み、封筒の上蓋を切った。

 カスパーが首を左右に振った。構わず封筒から書類を取りだす。珍しいことに、色付きの写真が三枚あった。


 優男と言っていいだろう。背は高くもなく、低くもなく、痩身だ。顔つきと肌色、名前からすると日系人らしい。年は記録によればまだ二〇歳を超えたばかりだという。いささかやさぐれた目つきをしているが、俺はその目が気に入った。

 まるで飢えた躰で獲物を探すコヨーテのような眼だ。油断も隙もない。


「こいつを追えばいいのか。話をもってきたってことは、他にも情報があるのか?」

「調べた限りじゃ、そいつの親は旧ペンシルヴァニアで芋を作ってる」

「なんだと」俺の眉根は勝手に歪んだ。

「ペンシルヴァニアで芋だって?」

「芋を作るんなら、もっと南の方が向いてるってのか?」

「そうだ。それに俺なら西に行ってトウモロコシを作る。それで――」

「そんなことはどうでもいいんだ。ただ、追うなら早くしろ。そいつには妙な賞金がかかってるからな」


 カスパーはルートビアをぐいと飲み干し、空になった瓶をよこした。


「キングスは生死問わずで賞金をかけてるが、ブラッドリーってチンケなギャングが生け捕りにしろって言いやがるんだな。――妙だろ?」

「ああ、妙だ。なんでボスの女房の居場所を知りたいキングスが生死問わずで、チンピラの生死なんてどうでも良さそうなギャングが生け捕りを指示する? まさか生け捕りで引き渡してもらって、キングスに売り渡そうって腹なのか?」


 カスパーは肩を竦めた。


「さぁな。分からん。だが、ミセス・ホールトンの居場所を知るには、殺さずに捕まえるしかない。それなら、お前以外に適任はいないだろうよ」


 そういうことか。

 デスハンドなんてあだ名をつけられているが俺は殺しが嫌いだし、できる限り殺さずに捕まえるのを信条としている。それに、カスパーはジェシカに未練があるのだろう。友人としての立場を優先して手出しはしなかったようだが、惚れていたのは間違いない。 

 カスパーはトウモロコシ畑を遠い目をして眺め、鼻息とともに口を開いた。


「引退するとき、なにもしてやらなかったからな」

「お前以外に、俺に優しくしてくれる奴はいないさ」


 俺は、敢えて自分のこととして答えた。カスパーが本当に言いたいのはジェシカのためにという意味だろうが、指摘すれば彼は怒りだすだろう。

 カスパーは不自由な右足を前に出し、筋を伸ばした。


「礼は金でしてくれ。嫁さんと話をしてほしかっただけなんだ。俺はな」

「お前の頼みだったら断れないな。久しぶりに、ジェシカと話をしてみようか」


 それ以上のことは口にしない。それがカスパーとの暗黙のルールだ。

 俺が安楽椅子から立ち上がると、カスパーがぼそりと呟いた。


「せっかくだ。トウモロコシをいくつか貰ってってもいいか?」

「まだ早すぎるが……どうせなら脇芽を摘んでってくれ。生で食っても結構いけるぞ」


 カスパーが手を挙げたのを見て、俺は家に入った。安く手に入れたベッドを押しやり、床下から革張りのスーツケースを出す。十年前、引退してフレンディアナに来てから、ずっと隠し続けていた鞄だ。中には油紙で包んだ塊が六個入っている。


 ずっと昔にしまい込んで、そのままにしていた、雷管式回転式拳銃だ。

 他の包みには、黒色火薬のつまったナスにも似た形の装薬入れフラスクや雷管キャップ、予備の弾倉などをまとめている。

 久々に包みを開いたというのに、黄銅色の装薬入れは、鷹の横顔を模した彫金も含めて、まったくくすんでいなかった。予備の弾倉にも錆びはない。


 俺はかつてそうしたように、予備弾倉の準備から始めた。

 弾倉の薬室に装薬入れを使って火薬を流し込み、フェルトパッチを置いて、その上にまん丸の鉛玉を乗せ、ローディングレバーで押し込める。暴発・汚損予防にグリスを塗る。これで一発。同じ作業を六発分繰り返し、最後に雷管キャップを薬室の後ろに取り付ける。そうしたら弾倉を交換し、また弾を込めていく。


 そうやって俺は予備弾倉を五つ作り、ガンベルトに入れ、カバーをかけた。

 最後のひとつには五発だけ弾を込めて、空の一発に撃鉄を下ろす。これもふいの暴発を防ぐためだ。腰のホルスターには暴発時に足を撃ってしまわないよう、鉄板も仕込んである。もっとも、実際に暴発すれば撃ち抜いてしまうかもしれないが。


 銃の準備を終えた俺は、封筒からカトー・ナカサキの資料を取りだした。最後に目撃されたのは一カ月ほど前。場所はフレンディアナの街のひとつだ。

 合点がいった。だからカスパーが来たのだ。


 俺は装備を整え、家をでた。まずはカトーの実家、旧ペンシルヴァニアを目指した。

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