闇に潜む黄金 吸血鬼

 ”吸血鬼ヴァンパイア。世にも珍しい、光を嫌う植物である”

            ――大蒜ニンニク商人 グリス・アル・マニクの手記



 アイデエラ大陸の奥地、荒涼とした赤褐色の光景の広がるティグズ渓谷。


 身の竦むような起伏の続く渓谷ぎりぎりにせり出すまで、所狭しと立ち並ぶ1200軒以上の廃墟群ゴーストタウンがある。かつて4000人が生活していたこの都市に、現在、住人はいない。


 切っ掛けは、300年ほど前に発見された吸血鬼の群生地。この土地に殺到した吸血鬼ハンターの採取都市の成れの果てが、渓谷に沿うようにいくつも存在している。


 町外れの、一際風化の激しい集団埋葬地。屋根の抜けた教会には、最後に町を去った者たちの建てた慰霊碑がある。


 我々は運よく漂着した町の統計記録と徴税簿を纏めた手稿から、それらの存在を窺い知ることができる。しかしながらそうした記録の合間から垣間見えるそれは、決して煌びやかな繁栄の歴史とは言い難いものであったのもまた、事実であるようだ。


 その希少さ故に幻とまで言われた吸血鬼の大群という歴史的発見は、極少数の者に莫大な富を、多くの者に郷里への哀れな帰路を、そしてそれ以上に多くの者に吸血鬼として狩られる無惨な最期を与えた。



 第四歴272年。それまで人族と獣人系の亜人種の体内でしか成熟しないとされてきた吸血鬼が、この渓谷をねぐらとする固有種の山羊を中間宿主として一大群生地を築いていることを開拓者であったレメズ・アル・マニクが発見する。


 本来、それは死に至る危険な寄生植物である吸血鬼と、吸血鬼のそばに必ずいる人狼の存在への注意喚起であった。しかしこれを商機と見た一部の住人は、この一報を広く内外に触れ回った。



 この見立ては見事的中し、数十人が定住するに過ぎなかったティグズ渓谷地域へ僅か二年後には近隣の居住地、開拓地、果ては大陸外の各地から 10000人に近い移民が 駆け付け、さらには彼らを目当てとした商人・娼婦・あるいは難民も押し寄せた。


 こうして一躍ティグズ川流域は大陸随一の人口密集地として発展・隆盛を誇ることとなるが、しかしその繁栄も長くは続かない。


 最盛期を過ぎ、容易に採取できる浅層の吸血鬼が枯渇し始めたころより、吸血鬼狩りは組織化され、より高度で安全な専門的職業と変化していく。


 狩人座ハンターズギルドの台頭と裏腹に、吸血鬼化する人間と狩られ続ける人狼の減少から、吸血鬼は急速にその姿を渓谷から消していくことになったのである。



 第四歴318年第三期、とあるハンターの一団の取引記録からその活動ぶりが窺い知れる。


 彼らは渓谷で仕留めた獲物の内臓のみを持ち帰り、吸血鬼の分離抽出を専門に行う業者へと売却していた。


 驚くべきはその獲れ高であるが、解体業者へ支払った金額が正規料金より幾分か低いことを勘案すれば、彼らの獲物とは主に木乃伊ミイラ取りが木乃伊となった他のハンターであったようだ。


 この一団がそうであったかは置くとして、採取に向かったハンターが帰らないこと程度は日常茶飯事であったため、不注意な同業者が感染したのを見計らい、後をつけて労せず吸血鬼を手に入れるような真似も横行したようである。



 解体された内臓からは、主に腸管の表面が膜状に削ぎ落され、血や脂の洗浄を経て、菌糸のように細い吸血鬼の髭根だけが抽出される。


 この根糸は非常に強靭であるものの、外気と日光に晒されると急速に風化することから手早い乾燥が求められ、水車の動力を用いて日傘の下で回転する吸血鬼の干し機とその見張り番は、当時のティグズ川流域の風物詩ともいえるものであった。


 こうして陰干しされる吸血鬼は透き通るような白色をしている。吸血鬼は一切の光合成を行えない完全寄生植物であり、葉緑素が退化しきっているためだ。


 吸血鬼は、媒介する蝙蝠や鼠類との接触を端緒として、中間宿主である山羊や人族の体内で成長を始める。


 まず、毛細血管の集まる小腸で楕円状の根塊を形成し、そこから大動脈に沿って根糸を全身に広げる。これら根糸が中枢神経系の脳関門を越える頃になると、吸血鬼がある種の生理活性物質で思考を支配し始め、宿主は日光を避けて屋内や地下に籠るようになる。終宿主である人狼への捕食誘導である。


 次いで症状が外見に現れた時点ではすでに末期症状を示し、過度に充血した目と強く浮き出た血管、異様に血色の悪い体色からすぐにそれと知れる容貌となる。


 吸血鬼には広く知られている通り大蒜が効果的であるが、効用が及ぶのは消化器のみであり、症状が表に現れにくい初期の段階のため、感染を防ぐには日常的に摂取しなければ効果がない。


 乾燥した酸性土壌であるティグズ渓谷では、生育可能な場所が限定的であることか

ら大蒜は希少品であったため、多くのハンターらには手の届かない代物であった。


 渓谷近辺の産地は極少数の地主によって独占され、一般的なハンターが入手しうる乾燥大蒜粉末には風味だけを似せた偽造品が多く出回っていたようである。


 また吸血鬼が流水を苦手とするという伝承から盛んに沐浴が行われたが、これは主として吸血鬼を媒介する蝙蝠が、 河畔林を縄張りとする猛禽を天敵とするためであり、直接的には吸血鬼予防には成り得なかったようである。


 それどころか、その全長に比して流量が小さいティグズ川に、吸血鬼の干し車や揚水、粉挽きの水車が林立していた当時、流速の低下から非常に深刻な水質汚染が引き起こされていた。当時の未発達な衛生観も相まり、この沐浴はティグズ渓谷地域の劣悪な栄養状態と人口密度を鑑みても、吸血鬼以外の疾病に対しても他の地域より非常に高い罹患率を示す一因となっていたようである。



 加えて無論、彼らハンターが遭遇する危険は吸血鬼や疫病への感染だけではない。


 地下洞穴は致死性のガスが充満していることも珍しくなく、崩落や転落の危険とは常に隣り合わせである。


 また、帰り道を見失うことは死を意味する。遭遇する動物の多くが吸血鬼に感染しているため、自分で持ち込んだ食糧以外を摂取することができないからだ。


 加えて、獲物である感染済みの宿主との接触はリスクを伴う。経由して感染した場合の症状の進行がより早いだけでなく、物理的にも感染者は光を向けられると凶暴化し怪力を振るう習性を持つためである。


 さらに言えば感染した宿主の向かう場所は、人狼の縄張りだ。人狼との接触が吸血鬼感染の有無にかかわらず危険であることは言うまでもない。


 これほどの危険を伴って尚、多くの人々を引き付けた富は一体どこからもたらされたのだろうか。


 成長を意味する陽光と対になる暗闇の象徴、不老不死の霊薬の材料として珍重され黄金にも等しい高値で取引されたのは遥か昔のこと、既にこの時代においては吸血鬼からの抽出物の作用が痛覚と思考の麻痺であることは知られていた。


 吸血鬼は何に、何のために用いられたか。



 その最たるものは軍事利用である。


 異世界でも我々の世界と同様、文明の黎明期よりケシを始めとした麻薬の存在は知られ、太古の戦争においても鎮痛作用を用いられてきた。


 しかしながら龍の存在から常に耕作地不足に悩まされていた異世界において麻薬の栽培は限定的であり、その原材料となる品種もまた、我々の知る多様な種とは比較にならないほど幅が狭い。


 そのような状況下において吸血鬼は当時興奮作用を持つ数少ない薬品であった。とりわけ吸血鬼の服用がもたらす反応速度・注意力の向上は群を抜いており、この時代の携帯火器の普及に伴いその有用性は注目され続けていた。


 そしてティグズ渓谷流域の一大産地形成を切っ掛けに、同時代に行われたベーヘリェ統一戦争における軍需物資として、吸血鬼の大規模運用が開始されたのである。


 古くより吸血鬼を常用させた不死兵・屍鬼兵と呼ばれる部隊は存在していたものの、産量の問題から少数精鋭としての局地的な運用に限られてきた。


 兵器の改良による死傷者の増加と、兵站の改善による戦争の長期化。これら近代化に伴い兵士たちの間に広まっていく厭戦気運への対策としても、諸軍はこぞって吸血鬼を用いた。極端な人口減と生産力の低下、退役兵の吸血鬼依存症。吸血鬼狩りとしてこの地を訪れ、居ついた人々と先住民との間の民族問題。数知れぬ禍根の種は、こうして生み出されたのであった。



 その危険性・非人道性から、吸血鬼の採取・生産及び使用が国際的に禁止された現在でも、生育管理手法の確立に伴い、簡素な設備で容易に量産できる麻薬としてティグズ・ベーヘリェ地域の小国家群をはじめとした多くの貧困国は水面下で吸血鬼養殖を行っている。


 野生絶滅寸前にまでその数を減らしながら、地域を苛む諸紛争の遠因として、吸血鬼は今もこの地域の奥深くまで根を張っているのである。


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