第25話  創造主の疲労度

ーーカタカタカタ。

人々が概ね寝静まっている時間帯。

他に物音のしない空間に、固い音だけが忙しなく響く。

この部屋はかなり広いのだが、明かりが灯るのは1区画だけであり、端々などは真暗闇である。


ーーカタカタッ。タァーーン!


リターンキィを押すときだけ音が妙に強い。

これは別に彼特有の癖ではなく、パソコンを操る者であれば大抵が当てはまる仕草であった。


都内某所。

某貸ビル内の某企業の某作業所。

そしてこの某男はプログラマーであり、今は深夜残業にて孤軍奮闘中である。

この人薄さ。

今日だけが特別かというとそうではない。

『少数精鋭のクリエイター陣』と言えば聞こえが良いが、人件費を限界以上に削った皺寄せが露骨に現れただけである。



「ふざけんなよクソどもが。大糞に群がる金の亡者どもめ。いっぺん焼き殺してやろうかクソッタレ」



でっぷりと太った男が体を揺らしつつ、モニター画面に向かっている。

口からは延々と罵詈雑言がこぼれるが、それで作業に影響を及ぼすようなルーキーではない。

新卒より、この道ひと筋十年余。

どこに出しても恥ずかしくない『社畜』である。

ベテランの手をもってしても終わらない作業は、彼の余暇や睡眠時間を消し去る事により、着々と進められていった。


ーーガチャリ。


オフィスのドアが開く。

やってきたのは援軍、ではなく野次馬であった。



「おっすー。灯りがついてんなと思ったら、やっぱりお前か」



現れたのは同期の営業担当者である。

彼はとっくに退社しており、さらには酒を楽しむ余裕まで持っていた。

全身を酒とタバコの臭いでコーティングしている事から、散々に気晴らししてきたことは明白だ。

プログラマーの男は視線を向けることなく、手を休める事なく、ポツリと呟いた。



「うるせぇのが来た」


「そう言うなって。楽しい酒じゃなくてお付き合いだったの。先輩に延々説教された後なんだよ。何度もループする上に半分以上が自慢話。やってらんねぇっつうの」



パキリと乾いた音が鳴る。

営業の男はミネラルウォーターのボトルを開けて、それを勢い良く飲んだ。

まるで憂(う)さを晴らすようであり、彼は彼で色々ある事を匂わせた。



「んでよ、チーフプログラマーさん。今は何やってんだ?」


「パッチ」


「ふぅん。何かの修正?」


「バグ」


「それいつまでに?」


「昨日中」


「期限過ぎてんじゃん。いつ終わんの?」


「知らねぇ」



このプログラマーは一応、配下5人を預かるプロジェクトリーダーである。

だが頼るべきメンバーは、当ゲームの担当から強引に外されている。

会社の方針としてモバイルゲームへの進出が決まった為に、あらゆる技術者が駆り出されてしまったからだ。


何でも幹部会で『ガチャゲームを作れば一夜で億万長者。金ガッポガッポのウッハウハ』という、時代遅れの意見がまかり通ったからだ。

数年は遅れている認識が上層部にすっかり蔓延し、社内には無慈悲なる再編の暴風が吹き荒れたのだ。

反対意見は一切出ていない。

仮に出たところで、高圧的な態度で押さえつけられて揉み消されるのが、この会社の常であった。


その結果、チーフプログラマーの孤軍奮闘。

彼が倒れれば家庭ゲーム部門は大打撃を受けるのだが、そんな想定は誰もしていない。


営業担当の男は不憫に思いつつも、何の権限もないので、助けてやることは出来ない。

してやれる事と言えば、気紛れの雑談と、差し入れを渡すくらいである。



「腹減ってるだろ。食えよ」


「……悪い」


「しかし例のゲームなぁ、あれどうよ? 今ちょっとした話題になってんぞ?」


「バグゲーとして、だろ。デバッグは一通りやった。不十分だが」


「じゃあ、お前に心当たりはないと」


「無いね」


「もしかしてさ、お前の怨念とか、不平不満がバグを生み出してたりな? それでデータが意思を持ったり……」


「んな訳あるか。オカルト好きかよ。だとしたらもっと大変な事になってるぞ」



ここ最近のフォーラムは凄まじい大盛況を見せていた。

最初の1週間ほどは『つまらん』『最悪』『金返せ』といった非難の声ばかりであったが、しばらくすると様子が一変した。


あるものは『2週目なんだこれ、別もんすぎる』といい、またあるものは『どうしてこのシナリオをクリア特典にしたんだ』と、好評とも取れる意見が多く寄せられた。

なかには『おい、勇者が2人に増えたんだが』とか、『2週目でパンツ見れた。パンツゲー最高!』というような書き込みまであった。


開発陣は首をひねる。

これらの感想は、本来の仕様から逸脱するものばかりだったからだ。

特に気になるのは2週目という単語で、近々その調査を行う予定であった。

だが、その前に事態は急展開を見せる。



ーー2週目プレイしたら、バグって世界崩壊した。

ーーバグか? 街の住民が一人残らず消えたんだが。

ーープレイできなくなった。勇者が真っ黒に燃えたら消えて、ゲーム画面が止まった。



などなど、致命的なバグ報告が寄せられ続けたのだ。

その為に調査はひとまず取り止め、バグ修正のパッチを作成する事となったのだが、人員の不足から対応は追い付いていない。



「でも良かったじゃん。1週目のシナリオはボロクソに叩かれたけど、クリア後のやつはウケたんだろ? 一時期はネット記事のトピックスにも載ってた程だぞ」


「2週目用データなんか作ってない。それと1週目のシナリオはオレが作った」


「あれ、そうだっけ。有名シナリオライターを雇ったってのは?」


「あいつはプロデューサーと喧嘩別れして降板。その後プロデューサーのガキが書いたシナリオ持ってこられた。それを元に話作れって」


「うわぁ……それ初耳だけど酷ぇな。あそこんちのクソガキ様は中学生だったよな」


「最高に支離滅裂なシナリオだった。吟味してる時間無かったから、最低限の辻褄だけ合わせてリリース」



話している内に、パソコン画面内のアプリがいくつも閉じられていく。

時間はAM1時。

そろそろ孤独な戦も限界を迎える頃合いだ。



「おっと。もう終わったのか?」


「今日は試作まで。残りは明日以降」



プログラマーが管理画面を閉じようとする。

その画面は全体的に武骨な体裁だが、一人の華やかな女性が映り込んでいるために、少しだけ無機質な印象が和らいでいる。

最後の保存が終わる前に、画面上には定型文のテキストが表示された。



「マスター。どうもお疲れさまでした。無理をなさらないでくださいね」



何度も繰り返し見てきた文面であるが、プログラマーの男は恍惚とした表情でそれを眺めた。



「ありがとうエルイーザたん。オレは今日も頑張れた。君のおかげだよ」


「相変わらず夢中になってんだな。二次元女の何が良いんだよ」


「何が良いのか……だと?」



いくらかの怒気を孕めつつ、営業男の方を睨む。

少しの沈黙を挟んでから、プログラマーはマウスを転がし、画面内のポインタを動かした。

それはエルイーザの胸元に誘導され、白い谷間を撫で回すように動いた。

すると、彼女に設定されていたギミックが走り出す。



「何て事を……あなたは命が惜しく無いのですか?」



小首をかしげつつ、眩しい笑顔でエルイーザが言う。

その台詞を表示させてから、プログラマーはもう一度営業男を見た。



「な?」


「な? じゃねぇよ。わかんねぇって」


「だからさ、エルイーザたんは素直じゃないんだ。人一倍思いやりがあって傷つきやすくて寂しがりなのに、それを上手く表現できない。不器用、本当に不器用。今のだって本当は嬉しくって堪らないのに悪態をついちゃう。その感情の歪みやジレンマが暴力性とかに繋がっちゃってるけど、本当は凄く、物凄く優しい子なんだよ」


「お、おう」



反論を挟む余地は無かった。

普段は言葉少ない男だが、この時ばかりは滑らかに熱弁した。

そして散々に語りつくした後、プログラマーが机につっぷした。



「行きてぇな、ゲームの世界。行きてぇな、エルイーザたんのもとへ」


「直(じか)に会ってどうするんだよ?」


「おっぱい揉みたい。揉みしだきたい」


「お前の設定を聞く限り、殺されちまうんじゃねぇの?」


「それでも良い。いやむしろ殺されたい!」


「そうか。やっぱりお前は手遅れだったな」



それからプログラマーは画面を名残惜しそうに見つめて、閉じた。

心から愛する2次元の女性も暗転の向こう側へと消えた。



「さてと、どうすんの。終電なんかねぇよな?」


「ここで寝る。寝袋あるし」


「そうかよ。オレはネットカフェ行って仮眠すっかなぁ」


「そうか。差し入れありがとな」


「構わねぇよ。じゃあな」



ーーパチン。

最後の電灯が消され、辺りは暗闇となった。

室内に残されたのは非常灯による無機質な灯りと、冷蔵庫の鳴る音だけだ。



「あーぁ。ゲームの世界ってどうなんだろうな。一瞬で良いから行けねぇかな」



とりとめも無い言葉がオフィスに落ちる。

それから男が眠りに就くまで、それほど時間はかからなかった。


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