演者は今日もソナタを奏でる

安里 新奈

恋のファーストシンフォニー

川は好きだ。


海や湖と違って先が見える安心感があるから。


しかし俺の隣には川の素晴らしさが分からない女が座っていた。


「・・・何の用だ」


「いいえ、少しあなたが気になっただけよ」


しかしその女は俺を見つめたままだ。


「あれか・・・美人局ってやつなのか?生憎だが大学生の俺に金をせびるのはやめておけ」


するとその女は童女のようにケラケラと笑いだした。


「ごめんごめん。そこまで言われると思わなかったから・・・。まあお金は欲しいんだけどね」


結局、美人局じゃないか。


「そんなに簡単に赤の他人に金を渡せるかよ」


「えー?赤の他人じゃないでしょ?」


「・・・お前から見たら他人のはずだ」


お前から見たら


その言葉に複雑な感情を抱きながら言った。


「しっかり覚えてるよ!・・・えっと」


彼女はそこまで言ったはいいものの、名前が出てこない様子だった。


「・・・やっぱり覚えていないじゃないか」


俺は呆れてその場を立ち去ろうとした。


「待って!今思い出すから・・・」


「伊藤だ。伊藤一郎」


「そうだ!一郎くんだ!」


思い出した様子でハッキリと女は言った。


「違います人違いですお引き取り下さい」


「騙したね!?」


俺も騙されるとは思わなかったさ。


「そんなに言うなら、私の名前も言えるわよね?」


忘れたくても忘れられない。


永遠に届かない1番。


俺から全てを奪った女。


「・・・神木 凛」


過去最高のピアニスト神木 凛


あらゆるコンクールを総ナメし、中学生にしてプロデビューをしたその女。


「それで、そんな神木 凛が俺に何の用だ?敗者の顔でも笑いに来たのか?」


俺は彼女の顔を、親の敵のように睨みつけた。


「そんなひどい女に見える?」


そんな事には気が付く様子もない彼女を見て、彼は少し呆れてしまった。


「まあ若干」


「そんなにあっさり!?」


そう言って彼女は、せっかくの綺麗な顔を歪ませながら自分の顔を心配している様子だった。


「・・・って違うから!君に1つ頼みがあるんだよ」


「ごめんなさい無理ですお引き取り下さい」


「何も言ってないから!はぁ・・君の話すと疲れるよ」


1人で舞い上がってるだけだと思うんですけど。


その言葉をグッと飲み込み、彼女の話の続きを聞くことにした。


「君って一人暮らし?」


「そうだけど」


「しばらく泊めてくれない?」


「大学生にして結婚詐欺にあうとはなー(棒)」


「待って、帰らないでよ!」


慌てた様子で彼女は引き止めてきた。


「いくら面識があるからってそれは難しい

ぞ」


「でも他に頼る人居ないから・・・」


少し顔を知ってるからって男を信じるのもどうなんでしょうか。


「はぁ・・・ほらよ」


俺は少しだけ迷いながらも、心もとない財布から5000円札を取り出した。


「・・・別にお金が欲しいわけではないの。私は住む場所が欲しいだけなの」


「それなら俺にはどうしようもないな」


彼は完全に呆れ、止まることなく素振りもなく歩き始めてしまった。


「待ってよ」


「俺はもう付き合いきれない。他を当たってくれ」


彼は呆れてその場を立ち去ってしまった。


しばらく歩いていると、ふと昼下がりということで、小腹がすいているのに気がついた。


「いらっしゃい」


俺はその足で慣れ親しんだ店へと入った。


「いつものでお願いします」


「アフターランチセットとコーヒの砂糖ミルク無しね。そっちの彼女さんは?」


「は?彼女?」


そう言われ斜め後ろを振り返った。


「お、同じのでお願いします!」


「アフターとコーヒもう一つで」


人違いと思い、普段座っている席に座った。


「・・・他にも空いてますよ」


俺は限りなく他人行儀で、優しいトーンで言ってみた。


「いい加減折れてはくれませんか?」


彼女は先程よりも丁寧に頼み込んできた。


正直に言えば俺としてはなんの問題もない。


一人暮らしにしては少し大きすぎた部屋がちょうど良くなるだろう。だが・・・


「・・・他を頼れ」


この女だからこそ意地になっているのかもしれない。


「頼るような人が他に居ないからお願いしてるんです」


「だったら自分の家に帰ればいいだろう」


「そ、それは・・」


どうやらぐうの音も出ないらしい。


「ぐう・・・」


もといぐうの音だけが出てきた。


「お待たせしました。アフターとコーヒです」


「どうも、ところでアリサは?」


ふと幼なじみが気になり聞いてみた。


「あの子はまだ寝てるわよ。また起こしに来てほしいくらいだわ」


さすがに今は中学や高校の時のようには行かなくなってしまったが・・・


「ちょっと真剣に考えてみます・・・」


「ところでそちらの方は?付き合ってるの?」


「あー、ただの知り合いですよ。こっちに来てたみたいなので一緒にいるだけです」


俺がそう言うとどこか訝しげな表情のまま裏方に戻ってしまった。


「今の方は・・・?」


「一応俺の幼なじみのお母さん」


「小さい頃の友達とまだ仲良く出来るって凄いね」


「おだてても住ませないぞ」


「ううっ・・・どうしてそこまで頑なに拒むの?」


「知り合いでもない相手に家に踏み込まれるのが嫌なんだよ」


すると彼女は、しばらく考え込んでしまった。


「・・・分かった!結婚を前提に付き合おう!」


「はぁっ!?」


その日初めて女を本気で殴ろうかと思った。




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