第2話 日本猿

 尻の赤い少年は、うずくまりながら眠っている。まだまだ寒いし、私もそろそろ寝ようかしら。

 にしても昼間の私、ちょっとかっこよくなかったかしら。


「私があなたのお母さんになる」


 ……カッコつけすぎたわね。恥ずかしいぃぃぃ!

「あの……、セゼーヌさん?」

 どうやら目が覚めたみたいだ。

「ん?」

 モルーダトは目を擦りながら、

「今……どこですか?」

 と聞いた。

 私にも詳しい位置はわからない。


 私達は人間の「ソリ」という道具を見つけ、寝ぼけた熊にひもを引っ掛けて目的地も決めずに放浪ほうろうしていたの。


 周りを見渡す感じでは、風景はあまり変わらないように見える。でも、そんな中にも点々と切株きりかぶがあるし、人が歩いた跡も残っている。雪の深さも浅く、もう無いと言っても良いくらい。

 多分山を下りて、この熊は人里に向かっているんだろうな。

 そんな風にだいたいで場所を測定していたら、モルーダトは再び眠っていた。

 お父さんが殺されて、心も体もすっごく疲れているのね。


「おいお前ら」

 前の方から急に声がした。

「何をしている?」

 熊だ。私たちが足として使っていた熊。寝ぼけていたのから、目を覚ましたらしい。

「えっと……その……」

 私は怖くてちびっちゃいそうだった。

 私の体は自由にしていいから許して!

「俺を、……足にしたのか?」

「えっと……」

 殺される。一日に二回も命の危機に直面するなんて。

「おいお前。答えろ」

 熊は私に頭を近づけてきた。

 答えなきゃもっとヤバい。直感で分かった。

「ごめんなさい。……歩きつつつ、疲れたもので……」

 震えた声。私、本当にビビってるのよ。

「そうか。まあいい」

 そう言うと熊は顔を前に向け、再び歩き出した。

 ……え? いいの?

 この熊の行動は理解出来ない。


 しばらくすると、明かりが見えてきた。

「お前達はここで待っていろ。猿と淫乱いんらんには危険だからな」

「誰が淫乱よ」

 まあ、しょうがない。確かについて行ったら危ないし、私たちが邪魔になってこの熊まで殺されるかもしれない。

 私はホッとため息を付き尋ねた。

「ありがとう。あなたの名前を教えて貰える?」

「俺か? 俺は……」

 熊は俯いた。

「大丈夫?」

「ああ。悪い。嫌な事を思い出してな」

 熊はそう言うと町の方を見て、

「俺はナイガー。忘れてもいいぞ」

 そのまま紐を外し、町に走って行った。

 町からは甲高い声が聞こえる。「キャー熊よー!」だとか、「警察を呼べ!」だとか。人間が熊に会った時によく見せる反応だ。

 いい熊だった。


 気がついたら寝ていた。

 目を覚ますと、昨夜とは景色が違った。日が登ったからじゃなく、家も見えないし、別なところに移動していたみたい。

「起きましたか」

 声の主は……モルーダトだ。

「ここは?」

「わかりませんが、この熊さんが運んでくれたみたいです」

 モルーダトが右を向いたので、私もそっちを見た。

 ……黒い壁があった。

「よう。淫乱」

 それはよく見ると、昨夜の熊。ナイガーだ。

「俺は名乗ったが、お前達の名前は聞いていなかったからな」

 体に少し傷を負ったナイガーは疲れた表情で言った。

 その横には食料。燻製くんせいの肉が多かったが、林檎りんごとか蜜柑みかんといった果物、玉菜キャベツ赤茄子トマト等の野菜もある。

「これ……」

「お前達、草食なんだろ。悪いな。人参はなかった」

「どうして」

「……」

 ナイガーは答えなかった。

「……ありがとう」

 ただ、それしか私は言えない。

 あとは……。

「私はセゼーヌ。こっちの小猿くんはモルーダトね。よろしく」

「モルーダトです。よろしくお願いします」

 モルーダトはおどおどと、緊張きんちょうしたように言った。

「淫乱には昨日も言ったが、ナイガーだ」

「待ちなさいよ淫乱て」

 結局そう呼ぶなら名前聞かないでよ。

「この飯。食いたきゃ食っていいからな」

 ナイガーは立ち上がり、どこかへ行こうとした。

「どこに行くつもり?」

「……家族んとこだ」

「そう……」

 この熊にも家族がいるのね。

 小猿くんも昨日お父さんを殺されて……。今は一人でも、元々家族がいた。

 私は………………。

 頭痛。思い出したくない記憶が蘇った。

「いってらっしゃい」

「気をつけてくださいね」

 私達はただ、そう言うしかなかった。


 家族を見捨てた私に、止める権利はないの。


「ナイガーさん、いい熊ですね」

「本当にね」

「まるで……お父さんみたいです」

 寂しそうに、モルーダトは言った。

「君のお父さん……。本当に助けられたわ」

「……」

 モルーダトは、静かに涙を流すだけだ。

「あの時君のお父さんが、最後の力を……振り絞って……」

 私もだんだん悲しくなってきて、視界が濡れている。

「私に…………指示をくれて。……」

 声が安定しない。

 そのまま二匹、ただ泣いているだけだった。


 生き物は本当に簡単に死ぬんじゃうの。

 人間は私利私欲で生き物を殺して……。

 だから私はあの人間を許さない。

 その時、私は決心した。

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