2-16 アンとの思い出


「ありがとうございました」


 胡桃色の髪の女性は私に深々と頭を下げた。


「いえ。私は何も」

「あなたのおかげで、息子にまた会うことができます」 

「お母さん!」


 そう声がして、女の子が走ってくる。母親そっくりの胡桃色の髪に、瞳は空色だ。


「いなくなっちゃったと思ったよ!」


 その子は女の子なのに、男の子の服を着ていた。

 私みたいだと妙な親近感が沸く。


「この人は?」


 警戒心丸出しで女の子は私を睨み、すぐに女性が窘める。


「アンライゼ。この人は私を助けてくれたのよ。そんな風な態度ではだめじゃないの」

「すみません。お母さんを助けてくれてありがとう」


 女の子は少し泣きそうになりながら頭を下げた。

 名前を聞かれたが、名乗ることもなくそのまま別れた。

 

 そう、あれは、カサンドラ騎士団に入団する前の年、私が十四のときだ。

 

 ――アンライゼ。

 そうか、あのときの女の子が、アン、だったのか。

 元第一王子が言っていたな。

 城にあがったと……。

 アンは小さいときは王城の外で暮らしていたんだ。


 ああ、忘れていた。


 そういえば、エリーのことも忘れていたし、本当に私は忘れやすい。



「ジュネ!」


 目が開くと、視界にテランス殿の顔が入った。

 嬉しそうに、笑っている。


「テランス殿……。私は?」


 目だけを動かし、見渡す。

 どこかの部屋のようだ。


「ここはナイゼルの屋敷だ。それが一番いいと思ってな。ファリエス様が少しうるさかったが」


 ファリエス様……。

 彼女の怒った様子は容易に想像でき、思わず笑ってしまった。


「気分がよさそうだな」

「ええ」


 そう返事して、体を起こそうとして、脇腹に痛みが走る。


「まだ寝ていたほうがいい」


 肩を掴まれ、ベッドに再び寝かされる。


「えっと、私は何日くらい寝てましたか?」


 この質問は以前した。そういえば半年前も起きてから最初に会ったのもテランス殿だった。ということは、アンはすでに王都に発ったか。


「二日ほどだ」

「二日も!」

 

 予想よりも寝ていたみたいだ。

 城は大丈夫なのだろうか。アンはやはり帰ってしまったか?アンは顔を腫れていたが、出血はなさそうだったからな。


「カサンドラ城から色々届いているぞ。警備は心配するなとルー殿から言われている」

「ルー、メリアンヌか」


 男嫌いのメリアンヌが、テランス殿と会話するのはさぞかしい嫌だっただろう。悪いことしたな。


「……殿下に会いたいか?」

「アンはまだここにいるのですか?」

「起きたらまだだめだ!」


 思わず体を起こして、また痛みに顔を顰める。

 テランス殿は少し寂しそうに笑い、私の頭を撫でた。


「テランス殿?」

「ジュネ。俺のことを友人だと思ってくれ。付き合えなどとは言わないから。だから、ユアンと呼んでくれないか」


 彼の瞳はオレンジ色で、切なげに眉が寄せられていた。


「だめか?」


 懇願するように、彼の瞳が私に訴えかける。


「ユ、ユアン。すまない。だけど、私は」


嫌いだと言って、思いを断ち切ってもらうべきだと思っているのに、私は彼の名前を呼んでしまう。


「今はそれだけいい。受け入れてもらえなくても、否定されるのが一番嫌なんだ」


 どこかで聞いたような言葉だった。


「殿下を呼んでくる」


 言葉をさらに紡ごうとする私に、彼はそう言うと部屋を出て行ってしまった。


 

「ジュネ!」


 慌しく扉が開き、アンが部屋に入ってきた。

 そしてすぐに抱きしめられる。


「アン!」


 痛みも伴い、私は彼の身分を忘れきつく名前を呼ぶ。


「ごめん。嬉しくて!」


 彼は私から離れるが、屈んだままで近づけばすぐ触れる距離だった。

 アンの腫れていた頬は少し痕がついており、思わず手を伸ばしてしまった。


「痛むか?」

「全然。それより、ジュネのほうが重症だ。僕は本当に何もできなかった」


 彼は頬に触れた私の手に自分の手を重ね、悲しげに笑う。


「そんなこと!お前を、あなたを守るのは私の仕事だから!」

「仕事。そうだよね。僕は王子だから」


 彼はますます悲しそうな表情になり、私はどうしていいかわからなくなる。


「でもいいよ。今はそれで。まあ、有利といえば有利だからね」


 しかし直ぐに気を取り直したように表情をがらりと変え、私のほうが驚く。


「アン?」

「これからもアンって呼んでよね。僕はあなたの前ではただのアンだから。後、変な嘘をつくのはやめてくれるかな。ユアンと付き合ってるなんて、ナイゼルの発案だろうが。頭にくる。しかも僕の前で口付けまでして!そのほかにどんなことされたの?」

「え、あ?」


 私はまったく状況についていけなかった。

 ふりがばれている?

 いつ?だれが?

 

「だから、僕もいいよね」

「アン?!」

 

 彼は私の唇に彼のものを押し付ける。 

 ひやりと冷たい感触。だけど柔らかくて。


「これで、五分五分っと」


 アンは唇を一度離したが、再びくっつけてきた。


「待て!アン!」


 気持ち悪くない。だが、なんともいえない気分になり、私は両手で彼を突っぱねた。


「ユアンとどっちがよかった?」

「な、なんだ!それは。どっちもよくない。勝手にするな!」

「ふうん。ユアンの奴も勝手にしたのか。それだったらいい。合意だったら、僕も落ち込みまくりだったから」


 桃色の舌でぺろりと彼は自分の唇を舐める。 

 それが色気たっぷりで私は視線を逸らした。


「そういえば。アン。お前、いえ、あなたが子供の時、私と一度会ってるだろ?」

「思い出してくれた?」

「うん。さっきだけど。すまない。すっかり忘れていた」

「本当。僕はさあ、王城に行ったらあなたに会えると思っていたのに。まったく会えなくて、しかも名前も聞いてなかったら」

「すまない。本当に」

「でもいいよ。もう一回会えたから。ね、僕たち運命的だと思わない。だから、ジュネ。僕の恋人になって」

「それはだめだ。私は誰とも付き合わないし。お前は王子としての義務がある」

「ちぇ。やっぱり駄目か。いいよ。ジュネが結構頑固だと再確認したし、僕も作戦考えたから」

「なんだ、作戦って」

「秘密」

「とりあえず、ユアンと協定を結ぶことにしたから」

「なんだそれ」


 意味わからない。

 協定ってなんだ?


「王都に戻るのが楽しみになってきた。ナイゼルにはたっぷり仕返ししてやるつもりだから」


 彼らしくない黒い笑みを浮かべ、私は寒気を覚える。


「アン?何をする気だ?」

「秘密。まあ、一年後にわかるから。見ていて」


 楽しそうにそう言い、アンは視察を終え、王都に帰っていった。

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