2-11 忘れるべきだ
「ジュネ。話してくれるかしら?」
馬車が走り出し、しばらくしてから向かいに座るファリエス様が切り出した。
茶色の瞳は心配そうに瞬いている。
私にもわからない。
話せって何を。
口付けされたこと?あれは正しい行為だった。
多分、アンは完全に諦めるだろう。
なぜか、彼の声が耳の奥で熱を帯びて残っているが、それは多分、彼を傷つけてしまったからだ。
彼はまだ十七歳で、この国の大切な王位継承権者の一人だ。
だから、諦めさせるべきだ。
わかっているが、彼の声が私の心を震わす。
「ジュネ。あなた、本当はアンのことが好きなの?」
「そんなわけ!いや、弟として、友人としては好ましいとは思ってましたが」
「好き」とはなんだ?
アンに男として見てくれと言われたが、私は最後までわからなかった。
彼は、友人で、弟みたいな存在だったから。
「だったら、どうしてそんな傷ついた顔しているの?」
「傷ついた?」
心が痛いのは確かだ。
ユアンからの口付けを私は拒否しなかった。アンが顔を背けるのを見て、私は思わず目を閉じてしまった。
「わかりません。多分、アンを傷つけてしまったことへの罪悪感かもしれません」
恐らくそうだと思う。
彼を傷つけるつもりはなかった。
私は彼の私への気持ちを軽く考えていた。だからあんな風な声で退室を命じられるとは思わなかった。
「……そう思っていたほうがいいかもね。殿下は王都で暮らすべきだし、あなたも、ここを離れたくないんでしょ?」
「はい」
自分の気持ちがわからない。
だけど、ひとつだけわかること。
それはカサンドラ城で騎士であり続けたいという思いだ。
「だったら深く考えない。何があったのかわからないけど、きっと、もう大丈夫よ」
何が大丈夫か、アンを傷つけた。
大丈夫なんかではないはずだ。しかし、私はファリエス様の言葉に頷くしかなかった。
☆
城に戻ると、そのまま自室に篭った。
一人になると、生々しい口付けを思い出し、口を拭うために水を貰いに行く。
途中で、ミラナに会って、私は情けないことにひどく動揺してしまった。だが、彼女は逆に落ち着いてた。
「ジュネ様。殿下のご様子はいかがでしたか?」
彼女の言葉で私は重要なことをアンに確認していなかったことを思い出す。
「ああ。元気だったよ。半年で身長も体つきも変っていた。髪ももったいないことにばっさり切っていた。あれじゃ、女装はもうできないかもしれないな」
内心の動揺を隠し、私は軽口を叩くようにミラナに答える。
「そうなんですね。よかったです。本当、私はなんてことをっ」
「ミラナ!」
彼女の瞳が揺れて、私は慌てて名を呼ぶ。
「終わったことだ。ミラナ。アンも気にしていない」
「それでも、私は償いをしたいのです。殿下からの罰でも構いません」
ミラナは私の両腕を掴み、顔を上げた。
「私は前に進む為に殿下にお会いしたいのです。ジュネ様。お願いします」
掴まれた腕が痛むほど、彼女は切実だった。
会っても多分、アンがとがめることはしないだろう。
だが、他の者にこの件が漏れたら、ミラナの罪が発覚し、彼女は王都に送られる。
だから、極秘に会う必要がある……。どうやって。
「わかった。どうにかしてみる」
「ありがとうございます」
我ながら安請け合いだと思う。
だけど私の返事に彼女の表情が一気に明るくなった。
ミラナが会う時は私も付き添うべきだろう。極秘に、会う必要が出てきた。
彼女の背中を見送りながら、私はどうやってアンと秘密裏に会うか、考えをめぐらせる。
あんなに気になっていた口付けの感触も、考えに没頭され感じなくなっていた。
アンはマンダイ家に滞在している。警備はマンダイ騎士団が中心になっているが、その力量のなさを理解しているカラン様が数人の王宮騎士をアンの周りに配置している。
もちろん、カラン様が常にアンに張り付いている状態だ。
カラン様は信用にたる人物で、エリーの兄上だ。きっと、理解してもらえるだろう。
そうなると……。
「団長?」
「ああ、悪かったな。それで?」
翌朝、食堂で朝食をとっているとカリナがやってきて、何か話しかけてきた。いつの間にか、考えに没頭していて、彼女の話を聞いてなかった。
「団長。大丈夫ですか?」
「ああ、なんだ。私は体調が悪そうか?」
「いえ、なんというか、心ここにあらずって感じです」
「そうか、悪かったな。ちょっと考えることがあってな」
だめだな。
団長なのに。
「団長。何か悩み事ですか?殿下と昨日お会いしたと聞いております。何かあったのですか?」
カリナがそう聞いてきて、急に食堂が静まり返った。
な、なんだ?
見渡すと、食事を取っていた者の視線がすべて私に集中していた。
私は大きな溜息をついた後、口を開く。
「何もない。皆も気にしないように」
そしてパンとスープを掻き込むように食べて飲むと、席を立ち団長室へ急いだ。
団長なのに。
情けない。
本当、こういうことで注目されるのは恥ずかしくてたまらない。
ファリエス様はエッセ様とは堂々と付き合い、のろけていたな。
私と違って、団員たちは全然興味なさそうだったが。
私と違って?
どういう意味だ?
私は、付き合っていない。いや、「ユアンとは付き合っている」か。それから城内で口止めをしているが、女装役者のアンがアンライゼ殿下であったことはすでに皆が知っていることだ。
まあ、顔を見れば一目瞭然だがな。
アンであったころ、私に色々言っていたこともまだ記憶には新しいだろうし。
だからこそ興味を持たれる。
恋に浮かれている。
ヴィニアの言葉を思い出す。
そんなつもりはないのに。
そう考えて、私は情けなくなって椅子に身を預ける。
天井を見上げ、目を閉じた。
わからない。
自分の気持ちが。
でもやるべきこと、正しいことはわかる。
アンには完全に私のことをあきらめてもらう。
彼はまだ十七歳。今は苦しいだろうが、きっとすぐに忘れられるだろう。
あきらめてもらう、忘れてもらうためには会わないほうがいい。
が、会う必要がある。
結局私は情けないが、ファリエス様を頼ることにした。
先に手紙を送り、今晩訪問してもいいかと許可をもらう。返事がすぐにきたが、それはこちらに来ていただけるという有難い申し出だった。
「ジュネ。どうしたの?あなたから会いたいなんて珍しいじゃない?」
午後一でやってきたファリエス様はいつもの調子で、ほっとする。
「いえ、お願い。ご相談したいことがあって」
「相談?嬉しいわ。何?何なの?あなたから相談なんて初めてだわ」
興奮した調子で返され、私は戸惑う。
とても言い辛い。が、言わないと。
「あの、もう一度アンに会う必要があるのですが」
「え?どうして?」
急にファリエス様の声質が変わる。おどけた調子はなりを潜め、私の瞳を注視する。
「……ミラナのことでお願いしたいことがあるのです」
「ああ、ミラナね」
なぜか彼女が安堵したように笑う。
何だと思ったのだろう。
「ちょっと人には聞かせられないわよね。ナイゼルくらいならいいけどね。それって、ミラナがアンに会って詫びたいっていうことよね?」
「ええ」
「あなたも一緒に会うの?」
「ええ。私の責任でもありますし」
「そうよね」
人任せにはできない。
彼女を一人には出来ない。
いくら私がアンに会わないほうがよくても、だめだ。
「変なことにならなきゃいいけど。会う時はナイゼルも一緒でいいわよね?」
「はい。けれど誰にも聞かれないようにしていただけることは可能でしょうか?」
我侭だと思う。
けれども聞かれた最後、ミラナは王都に罪人として連れて行かれる。
今のところ、「噂」として知られているだろう。だから、これが「事実」だと思われるのは避けたい。
「……わかったわ。ナイゼルに聞いてみるわね」
翌日、願いは叶うことになり、カラン家にお邪魔することになった。エリーのお父上が病気で、エリーが急に実家に見舞いに帰る。その際に、私が同行、エリーはミラナの代わりに城に残り、その間ミラナの自室にこもってもらうことになっている。
「ミラナ。大丈夫か?」
「ええ」
彼女の顔色は悪い。
それはそうだ。
六年ぶりに城外に出るのだから。しかも、アンとカラン様に会う必要もある。屋敷内では他に男に会わないように、すでにカラン様に手配してもらっている。
馬車をつけ、私たちはすぐにアンが待っている部屋に向かった。
アンもお忍びで、カラン様の屋敷を訪れている。アンの身代わりに従者が王子として残っているようだった。
アンの警備はカラン様お一人なので、無茶といえば無茶なやり方だったが、仕方がない。もしものときは私も命を捨ててでもアンを守るつもりだ。
「ミラナ。心の準備はいいか?」
扉の前まで来て、私は彼女に問いかける。
青ざめた顔だが、決意は固く、静かに頷いた。
「ジュネ・ネスマンです。入ってもよろしいでしょうか?」
「入ってもいいよ」
中からカラン様の声がして、私は扉を開けた。
アンは椅子に座り、その傍にカラン様が立っていた。
扉を閉めた後、私とミラナは礼をとる。
「礼はいいよ」
アンの少し低い声がして、私たちは顔を上げた。
部屋の中は日中なのに薄暗い。もしものことを考えて、カーテンを閉め切っていた。
彼の表情はよく見えないが、すこし不機嫌そうであった。
心配になって、ミラナを見ると彼女は怯えたように私のジャケットの裾を掴んだ。
「この度は謁見の許可をいただき、本当にありがとうございます。ミラナの行ったことは私にも責任があります。どうか、罪を問われるならば、私にも同じように罰をお与えください」
ミラナを守らなければ。
その気持ちだけで、私はそう述べて頭を再度下げた。
「ジュネ様!そんな、アン様、いえ、アンライゼ殿下。私がすべて悪いのです。ジュネ様が関係ありません!」
私の腕を引いた後、ミラナは両膝を折り、頭を床にこすりつけ、詫びを入れる。
「ミラナ」
怯えた様子の彼女に対してとても申し訳ない気持ちになり、私もその隣で両膝を床につけた。
「やめてくれ」
するとアンが喘ぐように言葉を漏らし、私は顔を上げた。
「あなたにそんなことしてほしくない。……ミラナ。僕は気にしていない。大体、僕はあの場にいなかった。そうだよね」
アンは立ち上がり同意を求めるように、カラン様に顔を向けた。
「はい。アンライゼ殿下はカサンドラ城に入ったことがありません。そもそも男子禁制の城に男性である殿下が入ることは不可能です」
「そう。そういうことなんだよ。ミラナ。僕は君が元のように元気になったと聞いてほっとしているだ。あれは事故だったんだよ。そう思ってくれると嬉しいな」
「殿下……」
アンはミラナに近づき、笑いかける。
男性恐怖症のミラナは少し震えていたが、表情は明るい。
「そういうこと。ジュネ。あなたもわかったね?」
「はい」
ミラナから私に視線を移したアンの空色の瞳が曇っていた。そしてすぐに逸らされる。
当然だ。彼は本当は会いたくもなかったはずなのだから。
「ミラナ。このナイゼルの妹から君の話はよく聞いている。もう忘れて、新しい人生を送りなさい」
再び椅子に座りなおし、アンが王子の風格を漂わせ静かに言葉を紡ぐ。
――新しい人生か。
きっと、アンも同じ思いなんだ。
あの二年は彼にとっては、無駄だった。まあ、王の側室から逃げるためにはしかたないことだったとはいえ、女装とか王子には不要なことだからな。
きっと私との思い出も忘れられるだろう。
なぜか、胸が痛くて、息が詰まる。
わからない。
「ありがとうございます」
膝を床につけたまま、ミラナは深く頭を下げている。
私も下げそうになったが、アンに不快を思わせる視線で射られ、動きを止めた。
「さあ、ネスマン殿。もういいかな。そろそろ、殿下をマンダイの屋敷に連れ戻さないといけないんだ」
「そうでしたか。それは。……殿下、カラン様。お時間を割いていただいきありがとうございました」
私は気持ちを切り替えるため、あえてアンをそう呼んだ。
彼は忘れるつもりだ。
だから、私も彼を「アン」ではなく、アンライゼ殿下として敬うべきだろう。
苦々しい顔をされたが、私はミラナを立たせ、一礼すると退出した。
馬車に再び揺られ、城に戻る。
ミラナの表情は穏やかで、本当にアン……殿下と会ってもらってよかったと思っている。
昨日より私の気持ちは複雑になり正直気分は最悪であったが、ミラナを心配させてはいけないと、暗い気持ちを押し殺した。
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