第三話 戦場にて

「いざ出陣!!」

えいえい」「おう!!」


 鬨の声を上げた儂らは戦場を一望しておった小高い丘から駆け下りた。


「うおおおおおお!!!」


 斯様なまでに血湧き肉躍るのは久方ぶりのことである。

 鬼共が刀を振るいぶつかり斬り合う場に躍り出ると、儂は本能の赴くままに飛びかかった。


 小さき犬に姿を変えた儂には刀や甲冑はあらねど、細く小さき故に獲物の肌に鋭く食い込む牙があり、刀を振るわれようとも切っ先が届かぬすばしこさが備わっておる。


 桃香は刀を振るいて鬼共をなぎ倒し、猿は身軽さで鬼共を翻弄しつつ爪や牙で攻撃を加える。

 しかし、儂の小さき牙や猿の非力な力では、屈曲な鬼共の命を奪うほどの深き傷を与えることは適わぬ。

 これでは埒が明かぬのではあるまいか。


「ノブちゃんっ! とにかく集団に深く切り込んで! 両軍の大将を見つけるの!」

「大将の鬼は大鹿の毛皮を纏うておりまする! そやつに狙いを定めて を発動させるのです!」

「すきるとなっ!? 其は何ぞ!?」


 次々と襲いかかる敵を交わすのに手一杯で、そのとやらが如何なるものか尋ねることもできぬまま、兎に角儂は大鹿の毛皮を纏う鬼を探す。


 やがて数多揉み合う鬼共の中に、樺色かばいろの毛皮を羽織りし一際大きな鬼を見出した。


「鬼の大将見つけたりっっ!!」


 儂はそう叫ぶと、鬼の大将の元へと一気に詰め寄った。


 然れども……


 そのとやらは如何様にすれば使えるのであろうか。


 対峙した鬼の大将が凄まじき形相で儂をめつける。


「ああん!? 何じゃ、この犬っころは。戦の邪魔じゃろうが。どけいっ」

「キャインッ!!」


 に気を取られ過ぎておった儂は迂闊にも脇腹に蹴りを喰らい、思わずひっくり返ってしもうた。


 その刹那────


 仰向けになった儂の腹より白き光が浮かび上がったかと思うと、何事かと覗き込んだ鬼の大将を包み込んだ。


「な……何とかわゆいワンちゃんなのじゃ……!!」


 先ほどまで凄まじき形相をしておった鬼の顔が溶けそうな程に緩み、地鳴りを起こすがごとき声までもが猫なで声に変わる。


「もふもふ~~~っ!!」

「うぎゃあああああ」


 小犬の儂の倍はあろうかという顔が近づき、喰われるかと思うた途端、鬼は儂の柔らかき腹毛に顔を埋めたのである。


「なっ、何をするっ!! 止さぬかっ!」


 四肢でもがきて抵抗するも、恍惚とした鬼は儂の腹より顔を離すつもりはないらしく、「もふもふ~」と訳のわからぬ言葉を頻りに呟きながら儂の脇腹やら首元やらを撫で出した。


 うぬう……

 この心地良さ、抗えぬ!!


 四肢の力が抜けぼんやりとしておった儂の頭上より、聞き覚えのある声が降ってきおった。


「これぞ我らに与えられし、“もふもふ・はいぱあ” にござりますぞ、上様」


「ぬ? 儂を “上” と呼ぶお主は……?」


 目を開け声の主を辿ると、そこにおったのはにこやかに笑顔をつくる一匹の狸であった。


 しかし、儂はその狸の面影に覚えがある。

 左様、この面影は……


「もしやお主、三河殿か?」

「左様にござります。お久しゅうござります、上様」


 昔ながらの知己であり、天下布武にあたり儂と盟約を交わした松平徳川家康が慇懃に一礼した。


「お主もこの冥界に来ておったとはな。桃香の言う三匹目というのはお主のことであったか。して、その “もふもふ・はいぱあ” とは如何なるものぞ」

「この “オーニガーシム” なる世界に住まう鬼どもは、獣の毛並みにひとかたならぬ愛着を抱いておるのでござる。獣の姿となった儂らは、もふもふしたいという鬼の欲求を増幅させ戦う気力を失せさせるを与えられておるのです」


 三河の話は今ひとつ合点がいかぬが、そうこうしておるうちに桃香が駆けつけた。


「あっ、ヤッスー! やっと昼寝から目が覚めたのね。あっちの大将とは話をつけてきたから、今度はこっちと話をするわ」


 桃香はなおも取り憑かれたように儂を頬ずりする鬼の大将の傍らにしゃがみ込むと、母親が子に諭すがごとき穏やかな口調で囁いた。


「ねえ。貴方達、人間界から奪ってきた小判一枚のために争ってるんですってね。確かに小判は金ピカで綺麗かもしれないけれど、このオーニガーシムではまさに鬼に小判、何の使いみちもないものでしょう? そんなもののために大切な仲間の命を粗末にしてしまうの?」


“もふもふ” なる行為にて戦意が削がれ、心に穏やかさを取り戻した鬼の大将が顔を上げた。


「うむ……。確かにあんたの言う通りじゃ。この世界にはないお宝を手に入れることに躍起になっておったが、多くの命を犠牲にしてそれを奪ったところで次は儂が他の族に戦いを挑まれ、また多くの命を失う。宝に魅せられることで奪い合い、殺し合いの連鎖が止まらないのじゃな……」


「わかってくれて嬉しいわ。あっちの大将が持っていた小判だって、元は人間界に持ち主がいたのよ。私が小判を預かって人間界に返すってことで話がまとまったから、今すぐこの無益な戦いを止めてちょうだい」


 桃香の言葉に頷くと、鬼の大将はすくと立ち上がり、地に轟くほどの大きな声で味方の鬼共に号令した。


「皆の者、戦いをやめるのじゃ!! これ以上無益な戦いで命を落とすことはない!」


 この声に応ずるかのごとく、彼方からも地響きのような声が聞こえてきた。


「そうじゃ! 小判は人間界に返すことに決めた! 儂らが争う理由はもはや何もないのじゃ!!」


 双方の大将の言葉に、揉み合いを続けておった周囲の鬼共が戦いを止めた。


「全軍撤退じゃ!!」


 狐につままれたような顔をしながらも、大将の言葉には逆らえぬのか、鬼共は刀を収めて自陣へと戻っていく。


 戦場の中央には、儂と三河、桃香、そしてもうひとかたの大将相手に “もふもふ・はいぱあ” を発動させておった猿が残ったのであった。

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