-2-

「これまでに何本の太刀を?」

「数えきれねぇほど。破門と同時に全部溶かして、ただの鉄の塊にしてきてやったがね。それ以降はたったの一本だけだ」

「登尊殿のお眼鏡にかなう武人が独りだけでもいたわけか」

「それはどうだかねぇ。もしかしたらあれは、そうだな、一種の気の迷いだったのかもしれん」

「鍛えたのは間違いだったと?」

「その答えはいつまで経っても見つからねぇだろうよ。むしろ、刀鍛冶ってのは、その答えを常に探し続けてるもんなんじゃねぇかな? 自分の鍛えた剣が、どこかで誰かを殺す。それを悪とするなら、刀鍛冶の存在自体が間違ってることになるだろ?」

「それでもあえて刀を作り続ける理由を挙げるなら、それは何だと思う」

「自己満足」

「答えが見つかるまで、刀鍛冶は鉄を鍛え続けるわけか。自身の欲求を満たすために」

「武人はその欲求というやつを満たすために誰かを殺し、女を愛すわけだ」

「言ってくれるな」

「お互い様じゃねぇか」


 お互いに気のない素振りを装ってはいるものの、その腹の底では、互いを探り合っているかのような衝突感がある。悠玄は純粋に、それを面白いと感じていた。そして同時に、この男がただ者ではないことを想像させる。

 悠玄は思い出したように後ろを振り返った。先程から終始黙りを決め込んでいる志恒は、進行方向の一点のみを見つめていたが、悠玄の眼差しに気がつくと、言葉を促すようにいくつか瞬きをしてみせた。


「旅は道連れ、という諺がある」

「この世の情けは悠玄様が思っているほど従順ではありません」

「忠告か? それとも、警告かな」

「あなたは人を信用しすぎる」

「お前は人を疑りすぎる」

「それがこの世の常ですので」

「ならばそれが世界の理だ」


 こそこそと囁き合うように会話している二人を、さして気にする素振りも見せず、登尊は荷物の中から何かを取り出すと、それを口の中に放っていた。悠玄の馬が興味を示したのか、頭を男の方に動かすと、愉快そうな笑い声が聞こえてくる。


「あの男、ただ者ではありません。言っていることも真実かどうか危うい」

「もしそうだとしても、あの男との会話は面白い」

「あなたはそうやって、すぐ相手に情を移す。悪い癖です」

「それに生かされた者もいるぞ」

「それは、否定しませんが」


 悪戯っぽく笑んだ悠玄に対し、志恒は僅かに困惑の表情を浮かべた。

 そこで会話を断ち切り、悠玄が進行方向に視線を戻せば、道の向こう側に小さな民家がちらほらと見え始める。そろそろ亦呉の町が近いようだ。日は西に傾いてきているが、まだたっぷりと日照時間は続くだろう。


「内乱後の亦呉の復興は著しいぞ」


 馬と遊んでいた登尊が、思い出したように悠玄を振り仰いだ。

 志恒との会話を既に終えていた悠玄は、そう言った登尊を視線に捉えながら、馬の頬に手を伸ばす。慈しむように撫でてやれば、磨き立てられた黒曜石のように美しい目が、すうっと細められた。


「州牧の意向で州都機能が移転したのだったな」

「後々王都に近い方が有効と考えたんだろう。実際、清朗から亦呉までは半日と少しの距離だ」

「州牧は縁のある相手だろう?」


 そう意地の悪い笑顔を見せれば、登尊は曖昧そうに肩を竦める。


「葵狼碧か。だから面識はないと言ったはずだが……まあ、能吏ではあるだろうなぁ。たった二年で州都機能を移し、今じゃ王都よりも王都らしい町を築き上げようとしている。葵家の者ならば、誰しも政の知識は豊富と考えていい。特殊な家系だからな」

「廉州府官のほとんどが、州府長官の顔を知らないと聞くぞ。葵家一族は素顔を隠さなければならない理由でもあるのか」

「さあなぁ。大方、一族揃って内気なんだろ。俺は五年ほど前に、当主の葵焔峰を見たのが最初で最後だ。実のところ、その顔もよく覚えていない」

「当主の代替わりは済んでいると思うか?」

「そりゃどうだろうなぁ」


 あまりに自然すぎる会話の流れに、悠玄は思わず三男についての質問を口にしようとしていた。だが、葵家三男は他の二人に比べても、極端に外への露出が少ない。知られているのは名ばかりで、その姿形や背格好、容姿などといった情報は皆無に等しい。

 それをこの男に尋ねたところで仕方のないことだと思い直した悠玄は、気づかれぬよう静かに息を吐き出すと、空を見上げた。鳶が北に向かって飛んでいく。笛の音のような鳴き声に耳を傾けていると、傍らで馬の耳がひくりと神経質そうに動いた。

 虫でも寄ってきたのだろうかと顔を下ろせば、前方に人集りが見えた。とある邸の門扉を囲うようにしてできあがったそれは、一様に邸の中を覗こうと身を乗り出しては、武役人に押し返されている。


「なにごとでしょう」


 呟くような志恒の囁きに、悠玄は小さく首を振る。

 その場所は町の外れにほど近い、亦呉でも下町に位置する区域だった。野次馬が増えては減っていく様子を横目に、悠玄たちはその脇を通り過ぎていく。


「賊か何かに押し入られたか」

「なぁに、珍しいことでもねぇだろうよ」

「亦呉の復興は著しいと言っていたのはどこの誰だ? ならば治安も安定していていいはずだろう」

「噂じゃ、最近の亦呉にはよく賊が現れるって話だからな」

「穏やかではないな」

「今じゃどこの州も同じだ。少なくとも、浄州よりはまともだと思うがね。ああやって役人が改めにやってくるんだから」


 確かに、浄州では賊の存在など当たり前になりつつある。特に、清朗では取り締まる以前に国民たちが被害の届けを出さないことも多い。諦めてしまっているのだ。盗まれた食料や衣服が、戻ってくることはないのだと。

 悠玄は人集りを悔しそうに睨めていたが、民草の小言を耳に入れまいと、その場から視線を引きはがした。どこへ行っても、囁かれる言葉は変わらない。ここが廉州でもどこであったとしても、官吏への失望が拭い去られることはないのだ。


「それよりも宿の手配を済ましちまおうじゃねぇか。この通りを真っ直ぐ進んで、突き当たりを左に曲がった場所にある。近くに飯の美味い飯堂があるから、そこで酒の一杯でも引っかけよう」


 そうかと、悠玄は民草の反応を見たような気がした。

 これが普通なのだ。賊が出たところで、驚くほどのことでもないと感じている。明日は我が身と思いながらも、自分だけは決して被害に遭うわけがないと、根拠のない自信を抱いているのだ。それが、どんなに恐ろしいことかも気づかずに。

 もしかしたら、最初に諦めてしまったのは、国府の方だったのだろうか。だからこそ、民はこれほどまでに、官吏の存在に首を傾げ続ける。何を信じるべきなのか、それすらも忘却してしまうほど。

 ここへきて初めて、その事実に気づかされたような気がし、悠玄はそれを心底悔しく思った。これまで国のために人力を尽くしてきたと信じていた自分を、馬鹿みたいに愚かしく思う。


「所詮は自己満足、か」


 宿の前に到着し、登尊が主人へ交渉をしに向かう背中を見送りながら、悠玄はそう独白した。その呟きはあまりに低く、傍にいる志恒にすら届いていなかったようだ。

 誰も彼もが己の満足にばかり忠実となり、周りへ目を向けまいとしている時代だ。

 心のどこかで、求めてはいけない見返りを期待している。与えた分だけ返ってこないことに対して憤りを感じ、一人憤慨している。だが、それは御門違いというものだ。元より、国府へ仕える者は、時に自分自身の感情すらも、捨て去らなければならないのだから。

 ここは、その美味いという飯堂で、酒のひとつでも奢ってやるべきか。

 悠玄はそう思いながら、宿から出てくる男の姿を興味深げに眺めていた。それを見守る志恒の表情が、僅かに不安げであることに気づくこともないまま。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る