-7-

 拾われ子なのは剣英ではなく、浬琳と言われた方が納得してしまいそうな関係に、朱翔は隣の少女を窺い見た。少女は変わらず無表情のまま、卓の上の料理を食べきろうかという頃だった。今に始まったことではない二人の言い合いを、たいして気にした様子もない。


「もう少し言い方があったと思うよ、剣英」


 気のない風を装いながら朱翔が言うと、口を開きかけていた剣英がうっと言葉に詰まるのが分かった。

 丼料理に汁物の水餃子が並び、それを咀嚼する朱翔は、言ったきり口を噤んだ。

 昔の自分がどうであったかなど既に覚えてはいないが、もしかしたら向こう見ずであったかもしれない。大体の少年は、すべからくそうであるものなのだろう。危険を危険とも思わず、根拠のない自信に満ち満ちているのだ。誰もそれを否定はしないが、かといって許されるべき思考でもない。


「今日、朱翔お兄ちゃんの家の前まで行ったんです」


 すると、剣英の代わりに語り出したのは、食事を終え、覚束ない手つきで衣の解れ穴をかがり始めていた浬琳だった。縫い目はでたらめだったが、穴はしっかりと塞がっている。


「僕に何か用事があった?」


 口の中のものを飲み込んでからそう問うと、浬琳は衣に視線を落としたまま、首を横に振った。


「最近、よくこの辺りを知らない人たちがうろついているの。剣を佩いている、男の人」

「武役人じゃないのかい?」

「そんなんじゃないよ。なんかこう、よく分かんないんだけど」


 どう説明したものかと眉間に皺を寄せた剣英は、唸りながら次の言葉を探している。


「なんていうか、規律みたいなものが感じられないっていうかさ」

「規律?」

「そう、規律」


 最近の子供は難しい言葉を知っているのだな、と朱翔は妙に感心をしたが、意味を理解しているのか定かではないようだ。繰り返しはするものの、すかさず首を傾げる様が面白くて、つい笑ってしまう。


「武役人さんたちは、必ず五人くらいの組で行動するでしょう? でも、その人たちはいつも一人か二人でいるんです」

「それは昼間の話?」

「はい。それか、夕方くらい」


 話を上手くまとめるのは浬琳の方が長けている。しかし、それが気に入らないのか、剣英はどうにか注目を自分に集めようと必死だ。


「見るからに怪しいから、すぐに分かると思うよ。それで今日は、オレたち二人でそいつらの後をつけてみたんだけど」

「――な、んだって?」


 飲んでいた汁物で軽くむせ返りながら朱翔が目を丸くすると、汚いなあとばかりに剣英が顔を顰めた。


「つけたの。尾行だよ、尾行」

「それは分かった」

「簡単だったし、な? 浬琳」

「……そういう問題じゃないんだよ」


 どこから言い聞かせてやろうかと箸を置いたところで、朱翔は冒険心に煌めく剣英の目を見てしまい、思わず何も言えなくなってしまった。

 とりあえず説教は後回しだとため息混じりに額を抱え、朱翔は頭を振った。


「それで尾行の成果は? あったの?」

「だから、朱翔兄の家に行ったって、さっき浬琳が言ったろ?」

「意味がよく分からないんだけど」

「気になるから追いかけてみようって、わたしが言ったの。剣英は悪くない」


 弁明するようにそう言ってから、浬琳は顔を持ち上げた。

 意志の強そうな眼差しが真っ直ぐに朱翔へ向けられ、かがっていた衣が膝の上に置かれる。


「今日は太刀を佩いてはいなかったから、大丈夫だと思って」


 妙なところで肝が据わっている娘だった。一体誰に似たのだろうという疑問が、時折朱翔の思考を停止させる。

 雪姫は誰とも結婚をしていないため、浬琳の父親が誰なのかを知る者は、おそらく本人以外にはいない。いつからか、その話題に触れることが避けられるようになっていた。だが、馬鹿正直に尋ねてみたところで、望む回答が得られるとも思えない。

 頑固なところは雪姫によく似ているが、それ以上に落ち着き払っているのは、誰かも分からない父親譲りなのだろうか。


「その人、朱翔兄の家の周りをしばらくうろついてたからさ。オレは塀でもよじ登って泥棒に入るんじゃないかって思ったよ。朱翔兄の家は門番もいなけりゃ家人だって一人も雇ってないんだから、危ないんじゃないの?」


 そういえば、今日の昼時に白拓からも同じようなことを言われた覚えがあると、朱翔は苦笑した。まさか、こんな子供に的を射たことを言われるなどとは、想像をしたこともなかった。


「まあ、盗まれて困るようなものはあまりないけど……それ、どんな人だった?」

「若い男の人。朱翔お兄ちゃんと歳は変わらないと思います。白銀の髪をしていたと思う……風で頭巾が外れたときに、少し見えたから」

「白銀の髪の男?」


 もしかしたらただの知人ではないのかと思ったが、どうやら朱翔の考えは違ったようだ。白銀の髪の知人など、朱翔にはいない。


「それで、その人は?」

「それが……」


 浬琳はなぜかそこで不服そうな顔をしたかと思うと、朱翔から目をそらした。すると。今度は剣英が変わりに答える。


「消えちゃったんだ。雪姫さんがオレたちの帰りが遅いからって探しにきて、ちょっと目を離した隙に」

「消えた? まさか、人が消えるわけないよ」


 呆れにも似た苦笑を浮かべて朱翔が言うと、剣英は険しい顔をして、最後の肉の唐揚げを口の中に放り込んだ。当たり前すぎる反応が気に入らなかったようだ。唐揚げを飲み込むまでの時間で不満を消化させると、口を僅かに尖らせながら話し出す。


「だって、そうとしか言いようがないんだ。ほんの一瞬しか目をそらさなかったのに、あんな見通しのいい場所から姿を消すなんて、普通じゃ無理に決まってるよ」

「だとしても、それは見失っただけだよ。人が消えるなんて非常識にも程があるだろう?」

「……朱翔兄。俺たちの話、真面目に聞く気あんの?」

「ちゃんと聞いているよ。君たち二人が雪姫さんの言い付けを守らずに、怪しい人物の後をつけたこともね。それに、悪かったと反省していないこともしっかり分かった。それに対する僕の考えは、通じてあまり喜ばしいことではないということだ」


 朱翔に咎められるとは微塵も考えていなかったのだろう、剣英は驚きに目を丸くしている。


「危険だって、分かっていたはずだね。何事もなく無事だったからよかったものの、何かがあってからでは遅いことを、剣英、君が一番身をもって知っているはずだと思ったけど、違うかな」


 後悔ほど無念なものはない。悔やむことほど、悔しいことはないのだ。誰もが知っているのにもかかわらず、誰もが忘れてしまう後悔という概念は、決して取り返しのつかない過去の過ちだった。


「大抵の悪戯なら笑って許してあげられる。でもね、それだけじゃ済まされないことだってあるんだ。内乱が終わって上辺だけは平和になったかもしれないけど、君たちが思ってるほど。この国は復興を遂げてはいないんだよ」

「そんなこと、分かってる」

「分かってない。剣英はまだ子供だから気づかないだけだ。雪姫さんが君を同情かなにかで引き取っただなんて思わないことだね。浬琳と同じように、自分の腹を痛めて産んだ子供だと思っているからこそ、本気で怒ってもらえるのに、あれではあまりに酷すぎるだろう?」


 どうせなら怒鳴りつけてくれればいいのにと思っているような複雑そうな表情で、剣英は多少恨めしそうに朱翔を見上げていた。

 子供相手だというのに、まるで大人にでも語って聞かせるような淡々とした口調では、感情を読み取りにくい。同時に食事も続けていた朱翔は、怒っているとはほど遠い様子で、先を続けた。


「君もだよ、浬琳。今回はらしくなかったね」

「ごめんなさい」


 まるで三つ指をつきそうなほど丁寧に頭を下げた浬琳から、朱翔は剣英に目を向けた。


「剣英は?」

「……朱翔兄」

「なに」

「怒ってる?」

「怒っていないよ。僕が怒るようなことでもないからね」


 そうするべき人物は、他でもない雪姫なのだろう。もうそれが済んでいるのなら、二度怒鳴りつける必要はない。子供たちが理解しているかどうかの問題は、結局のところ本人たち次第なのだ。


「分かったなら、あとでまた雪姫さんに謝っておいで。ただ、怒られている理由が分からないなら謝るのじゃないよ、雪姫さんに失礼だからね」


 そう偉そうな口を利いている朱翔だったが、頭の中では密かに、二人から聞いていた話の内容をこっそりと思い浮かべている。箸を休めることなく口に運びながら、ぼんやりと考え続けていた。

 それは、最近になってこの辺りの民家を襲撃しているという、賊と関係があるのだろうか。金品を盗むことなく立ち去ると聞いたが、その真意はなんなのだろう。

 白銀の髪の男。

 子供たちは消えたと表現していたが、気にかかることは確かだ。この手の情報ならば、あの抄白拓も喜んで聞きたがるに違いない。

 明日、仕事で顔を合わせたときにでも話してみようと考えていた朱翔は、彼から受け取っていた書状のことなど、小指の先ほども覚えてはいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る