第4話

「それがそうもいかないんだ。クラスのページは行事や休み時間に撮影したスナップ写真で構成するのだけれど、クラスの全員が一枚は映っているようにしないといけない。委員会で決まっているんだよ」

「私がいなくても、誰も気づかないと思うけれど」

「でも、もし誰かが気づいたら?俺はルールを破ったことになる。それに、穿った見方をすれば、意地悪して夜桜ちゃんの写真だけを俺が使わなかったと思われかねない。夜桜ちゃんが良くても、俺は困るわけだよ」

「……それは、申し訳ない」

「ね、だから協力して。何か写真を頂戴。クラスメートと撮った写真とかない?四月までは普通に登校していたよね」

「悪いけど、一枚も無いわ。ごめんね」

 携帯電話のフォルダを見返す必要もなく、夜桜は答えることができた。

「即答か……困ったな。でも、無いものは仕方ないよね。よし、じゃあ、今から撮ろうか」

 真冬は白い歯を見せ、爽やかな笑みを夜桜に向けた。夜桜は目を丸くしたまま、しばし固まる。

「え?い、今から?ここで?」

 信じられずに確認したら、「ちょっと待って、カメラを出すから」と真冬は肩にかけていた鞄からカメラを取り出した。夜桜は目まいがしそうだった。クラスメートと話すだけでも、結構なハードルを乗り越えねばならなかった。それなのに、写真まで撮ろうだなんて、夜桜には余りに辛い仕打ちだった。

「本当に撮るの……?」

 夜桜はあからさまに嫌そうな顔をした。

「俺も一緒に移ってあげるから」

 真冬は万事解決と言わんばかりの笑顔を見せた。カメラを右手に、彼は長い腕をぐっと伸ばした。カメラには委員会のラベルが貼ってあったので、どうやら学校の備品らしい。真冬は距離を取ろうとする夜桜を引き寄せ、強引に肩を組んだ。二人の距離はぐっと近づいた。

「職員室の前で、自撮りでツーショットって……それ、どんな状況なの。アルバムの中で確実に浮くよ」

「大丈夫だよ、敏腕編集委員であるこの俺の腕を信じて!はい、笑って、笑って!」

「私、笑うの苦手なんだけど……」

「じゃあ、俺が二人分笑うよ!はい、チーズ!」

 半強制的にシャッターは切られた。真冬はカメラを操作して、画像を検分する。夜桜も画面を一緒に覗き込んだ。宣言通り、真冬は二人分と言って差し支えない満面の笑みで、夜桜はいつもの仏頂面だった。とても仲良しのツーショットには見えない。

「うっわ、夜桜ちゃん、無表情すぎじゃない?やばいよ。マイナス百点だよ、この顔」

 零点以下の採点結果に夜桜は「どうもすみませんね」と無感情に謝罪した。

「でも俺が百点の笑顔だから、プラスマイナスゼロだな。俺に感謝しといてね」

「どういう理屈か理解できないよ」

 夜桜は冷静に返答しながら、どうして会ったばかりのクラスメートとこんなに自然と言葉を交わしているのだろう、と不思議に思った。

 教師の勧めで時々は教室に行って授業を受けた。そのとき、夜桜は誰とも目を合わせなかった。誰にも話しかけなかったし、話かけさせなかった。

 あんなにも頑丈で、重厚な心の壁を築いていたのに、教室の外ではその壁は脆かった。否、この男の前では脆かったのだ。

「とにかく、写真撮らせてくれてありがとう。これで俺の編集委員としての重大な責務は全うできそうだよ」

 真冬は満足そうにカメラを鞄に仕舞った。

 夜桜はやっと解放されたと、小さく安堵していた。

「それは良かった。じゃあ、私はこれで」

 別れの挨拶もそこそこに、立ち去ろうとした夜桜の腕を真冬は「待って」とがっしりと捕まえた。

「これから帰るところなんでしょう?」

「え、ええ、まあ」

 夜桜は会話の流れから、この後の最低な展開を予感していた。

「俺も帰るから、一緒に帰ろうよ」

 夜桜の予想は見事に的中した。夜桜は瞬時に顔を顰める。

「編集委員の重大な責務はいいのですか?きっとあなたのように優秀で聡明な素晴らしい生徒にしかできない重要な仕事でしょうに」

 断る代わりに、夜桜は台詞っぽく、わざと大袈裟な言葉を選んだ。

「心配ご無用です、明日から本気を出す予定だよ」

 大した責任感と使命感を持った編集委員だ、と夜桜は呆れた。

「私は一人で帰りたいから謹んでお断りします」

 夜桜は今度こそ直接的な言葉で断ったが、真冬が譲らず、それを何度か繰り返して結局、折れたのは夜桜だった。夜桜が押しに弱いというより、真冬が強すぎた。

 下足箱まで向かう足取りはいつになく重く、夜桜は自分の脚に枷でもついているではないかと、疑いたくなるほどだった。どんよりとした空気の夜桜とは対照的に真冬は上機嫌で彼女に語り掛ける。

「俺ね、ずっと夜桜ちゃんと話してみたかったんだよね」

「へえ、何で?魔女の子どもだから?登校拒否だっただから?ひきこもりだったから?保健室登校だから?友達がいないから?可哀想だから?それとも面白いから?」

 真冬と帰ることになり、半ば自棄になっていた夜桜は、息継ぎもせずに一気に自分を卑下する言葉を並べ立てた。

 夜桜は自分が社会の真っ当な道から外れた日陰者だと、この一年で身に染みて理解していた。自分で並べたカテゴリは、不本意ながらも自分が分類される区分のものであり、自分が恥じていることそのものだった。

 夜桜の失礼な物言いに真冬は怒りもせず、嘲りもせず、真っすぐな目で夜桜に答えた。

「違うよ、君と友達になりたかったんだ」

 夜桜は胸やけしそうだった。

 乱れそうになる心を落ち着かせて、真冬に向かって夜桜はさらに毒づいた。

「はあ、随分と変わったご趣味だこと。お節介かもしれないけれど、友達は選んだ方がいいよ。それともあなたは誰とでも友達になりたいタイプ?誰とでも友達になれると思い込んでいるタイプ?どちらにしても私はそういう人は大嫌い」

 夜桜は真冬を睨み上げた。

「言うねえ。残念ながら、どちらでもないよ。俺は友達を選ぶタイプでなおかつ趣味が悪いタイプかな」

 真冬の答えに、夜桜は暫し戸惑った。彼からは想定を外れた反応と回答ばかりが返ってくるので、夜桜の偏った脳みそでは処理が困難だった。時間をかけて、夜桜は彼の言葉を脳内に取り込んでいく。真冬はその間、面白そうに夜桜を眺め、彼女の反応をのんびりと待っていた。

「君は、もしかして……性格が悪い?」

 夜桜の偏った上に小さな脳みそが弾きだした答えがそれだった。真冬はいまにも笑いだしそうだった。彼は何とか笑いをこらえて、そうだよ、と返した。

「なるほど……誤解していたみたい、真冬くんは変わった人のようね」

「ふふ、誤解が解けて良かったよ。で、どう、俺と友達になってみない?」

「友達は嫌だ、面倒臭いから」

 夜桜は真冬の誘いをばっさりと切り捨てた。

「やっとこうして話せたのに、残念だなあ。夜桜ちゃんはやっぱりガードが堅い」

 残念だ、と言いながら、真冬は堪えきれずに肩を揺らして笑っていた。

 職員室前の長い廊下が終わり、階段に差し掛かる。こうして生徒の誰かと校内を歩くなんて、一年ぶりだ。誰かと一緒だと、廊下の真ん中を歩いてもいいのだと、夜桜は胸を張れるような気がした。一人で歩く学校の廊下は、どこにも居場所がなかった。どうか反対側から誰も来ませんようにと願いながら、いつも隅を歩いていた。

「友達になりたくない、と言われてどうして怒らないの?」

 夜桜は真冬を振り返る。夜桜が一歩先に階段を下りたので、真冬を見上げる形になった。

「断られるなんて、分かり切っていたことだもん。だから腹も立たない」

「断られると分かっていて、友達になりたいと言ったの?やっぱり変わっているのね」

「それでも、友達になってみたかったんだよ。それにしてもさっきの質問は面白かった。もしかして性格が悪いのかって。初めてそんなことを聞かれたよ」

「その割にすんなりと君は答えたじゃない」

「自覚はあるからね、ちゃんと」

 真冬は自分で言って可笑しそうに、また肩を揺らした。

「真冬くんは、よく笑うのね。さっきから笑ってばかり」

「ヘラヘラするなって先生に怒られるよ」

「そうかな、へらへらって感じじゃない。楽しそうな笑顔に見えるけれど、私には」

「それはそうさ。今、俺は楽しくて笑っているんだもん。夜桜ちゃんと話すのは面白いよ」

「ふうん、そうなんだ……」

 夜桜は彼が自分の何をそんなに面白く思うのか理解できずにいた。しかし、真冬の笑顔には嫌な感じはしなかった。むしろ、どこか惹かれるものがあった。

 階段を下りると、すぐ左手に下足箱が並んでいる。朝は賑わうこの場所も、真昼の、この中途半端な時間帯に帰る生徒は少なく、閑散としていた。

 靴を履いたら、図書館へ行く。夜桜はこれからの予定を心の内で反芻して、ふと、幼馴染の言葉を思い出した。ぱっと隣に居た、自分よりも頭一つ分背の高い男を見上げた。彼は何だい、と言う代わりに愛嬌のある笑顔を見せる。

「ねえ、あなたと友達になるからさ」

 思いついたら、考えるより先に口が動いていた。彼に突き刺さった白羽の矢が見えた、ような気がした。夜桜は偶然現れたうってつけの人材に縋りつく想いだった。

「私に、笑い方を教えてくれない?」

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