地球人の感覚からすると奇異に見えることも、ここでは普通です

「ユウカ、肉じゃが作ったんだけど食べる?」


仕事帰りのユウカにそう声を掛けてきたのは、二号室のマニだった。


相変わらず暑苦しいほどのムキムキぶりだが、これは彼女の種族の特徴であり、取り立ててトレーニングなどをしている訳ではない。むしろ変にそういうことをすれば体のバランスが崩れると、普通は忌避されている行為だったりもした。まあそれは余談ではある。


「いただきます」


笑顔で気軽にそう応えて、美味しそうな肉じゃがが盛り付けられた皿を受け取る。もうすっかり彼女もここの住人の一人になっていた。


マニの肉じゃがを手に部屋に入ると、中の様子も実に生活感あふれる状態だ。壁のほとんどは本棚で埋め尽くされてそこにはマンガがびっしりと並び、いたるところにクリーチャーをモチーフとした可愛らしい人形やぬいぐるみが飾られた、彼女の趣味そのものが形となった部屋だった。


仕事を真面目にこなしてきちんと収入を得て、その中からコツコツと買い揃えたものである。誰も文句のつけようのない彼女の<城>だ。マニの肉じゃがをテーブルに置いた時、コンコンとドアがノックされた。


「開いてるよ~」


ノックの仕方で誰がきたのか分かったユウカが声を上げるとドアが開かれ、顔をのぞかせたのは幼い女の子だった。


小学校低学年くらい。アーシェスよりもさらに幼いかも知れない。ぷにぷにとした感じの頬と、赤いリボンで束ねられた腰まである鮮やかな青い髪、右目が金、左目が朱色のつぶらなオッドアイが印象的であった。


「ユウカ、来たよ~」


にこにこと笑いながら声を上げるその姿がまた愛らしい。


少女の名前はガゼルガウ・ホリアーバルゲ・グレヌハフ。姿は幼いがこれでも二十五歳であり、販売担当だから部署は違うもののユウカにとっては同じリーノ書房に勤める職場の先輩である。しかしユウカは、


「ガゼちゃん、今日はマニさんから肉じゃがもらったの。一緒に食べる?」


と、すごく気安い感じでちゃん付けで呼んでいたのだった。二百万歳のアーシェスはともかくここでは十歳程度の年齢差などないも同然だし、見た目にも明らかに幼いのでガゼにとってもそうしてもらった方が自然だからとユウカに頼んだのである。


実はガゼも大のアニメ好きで、リーノ書房の中でも一~二を争うほどだった。しかも好きなアニメの系統がユウカのそれと非常に似ていて、お互いにすぐ意気投合した。


最初は、


『え? こんな小さな子が……?』


と、彼女が店員として働いてることに驚いたユウカも、


『二十四歳!?』


出逢った時点で既にその年齢だったということを知って納得。それ以来、二人はこうして毎日のように一緒にアニメを見ていたのだ。


で、ガゼと二人でアニメを見ていると、またドアがコンコンとノックされる。


『あ…!』


と、ユウカが嬉しそうに顔を向ける。やはりそのノックの仕方で誰なのかが分かったから。メジェレナだ。


「は~い、開いてます~」


そう声を掛けると、


「お邪魔するね……」


扉を開けて入ってきたのはやはりメジェレナだった。


しかしその顔は、どこか緊張感をはらみ、見た目通りの少し怖そうな人という印象になっていた。


「……」


そして、そんな彼女と同じように緊張感を漂わせてる者がいた。ガゼだ。明らかにお互いに不穏な空気を発しているのが分かる。見詰め合う、と言うよりは完全に睨み合っていた。ぶつかり合う視線で火花さえ散りそうだ。


「いたんだ…?」


「来たんだ…?」


刺々しい言葉が牽制のように発せられる。


どうもこの二人、あまり相性が良くないらしい。そしてその原因はユウカのようだった。ユウカ自身が何かをしたわけではない。平たく言えば双方共に、ユウカと親しい相手に嫉妬しているのだ。


「毎日毎日、ちょっと迷惑というものを考えたらどうかな?」


そうメジェレナがジャブを繰り出すと、ガゼも負けじと、


「そういうあんたこそ別にアニメにはそんなに興味ないのにお邪魔するとか、空気読めないんじゃないの?」


という、恒例の応酬が始まった。最初の頃はユウカもおろおろとしたりしてアーシェスや他の住人たちに仲裁してもらったりしていたが、あまりにも毎度のことなので、さすがに慣れてしまっていたのだった。だから、


「もう、聞こえないよ!」


と、二人の声がうるさくてアニメの音声が聞き取れないことを諫めるくらいのことはできるようになっていた。二人もシュンとしょげかえって、


「ごめんなさい…」


と一緒に頭を下げた。


そう、この二人は本当に仲が悪い訳ではない。親しくはなくても、恨みとか憎しみとかは無いのだ。


『なにこいつ、ユウカに馴れ馴れしくしちゃって……!』


などと、ただお互いに自分がユウカの一番の友達だと思っているだけである。


だが、やっぱりヤキモチは妬いてしまう。だから決して慣れ合うことはしなかった。


ユウカもそんな二人を、


『困ったなぁ…』


と思いつつも、そこまで想ってくれることに対しては心のどこかで感謝したいとも感じていた。だって、そのおかげで一人暮らしでもぜんぜん寂しくなかったのだから。


ちなみに、メジェレナは二千年も引きこもっていたので、当然、ガゼより年齢は圧倒的に上である。しかし外で仕事をしていた経験についてはわずかだがガゼが上だったりする。そのせいもあって精神的にはどっちが上という感じはなかった。口もガゼの方が達者だったりもする。


しかしこういう人間関係も、ユウカにとっては地球では考えられなかった。部活の仲間でさえここまであけっぴろげな感じでは接することができてなかった。それが今ではこの調子なのだから、本当に変われば変わるものだと言えるだろう。


そんなメジェレナとガゼのいがみ合いはあっても、三人でこうして一緒にアニメを見てられるのは楽しかった。


が、夜も更けてそろそろお開きにという頃になると今度はまた、


『こいつ、先に帰んねーかな…』


と、お互いに相手に意識を向けつつどっちが先に帰るかということでメジェレナとガゼは妙な緊張感を漂わせるのだ。


で、いたたまれなくなったユウカが、


「もう、いい加減にして!」


などと声を上げて二人を同時に追い出すというのもいつものパターンだった。


『でも、前はこんな風に人に向かって大声出すなんてできなかったな…』


そう、地球にいた頃の彼女では想像もつかないことであった。でも、


『なんか楽しい』


そんな風にも思えてしまう。


ちなみに、このアパートはボロい安普請に見えるがそれは見た目だけで、作りもしっかりしているし防音もほぼ完璧だった。部屋で爆発でも起こさない限りは他の部屋には伝わらない。大声を上げたくらいでは聞こえないように<設定>できた。住人の好みに合わせて外の音をどれだけ通すか選べるのである。だから安心して人を呼んでアニメ三昧ということもできた。


なお、マニやシェルミはそういうのが気にならないので見た目通りの安普請と言った風情で外の音が聞こえるようにしていて、キリオやメジェレナも、気配程度は分かるくらいにはしていた。


逆にヘルミとポルネリッカは一切外の音を拾わないようにしているが、これも個人の好みなので他人がとやかく言うことではない。


また、外見上は幼いガゼが夜更けに一人で家に帰っても心配する必要もない。元よりそんな不埒な人間はまずいないし、いたとしてもガゼなら問題ない。なにしろ彼女は徒手格闘術のエキスパートなのだから。以前も言ったがここでは武器はその威力をほとんど発揮しない。ダメージを与えるためには素手での攻撃が必要になる。その素手での攻撃力が彼女は並外れているのだ。


だが、一人で家に帰ろうとしていたガゼの前に、男が立ちはだかった。見ればかなり酒に酔っている風だった。


「お嬢ちゃん、オジサンと遊ばな~い?」


「……!」


酔っぱらいの戯言に、ガゼは右手の指をこめかみの辺りに当ててあからさまにイラついた表情を見せた。


『人が楽しい余韻に浸ってる時に、このクソボケが~…!』


せっかくユウカの部屋でアニメを堪能していい気分で家に帰ろうとしているというのにこれでは台無しだと怒っているのだ。しかし酔っぱらいはそんな彼女にお構いなしで手を伸ばしてきた。大きな事件は少ないが、この手の無礼者はまあそれほど珍しくもなかった。


では、どうするか?


『とりあえずぶちのめす』


それが答えだった。


どうせ痛いだけで大した怪我もしないのだから、自分の体を痛めない程度に加減すれば、当然、相手のダメージも致命的にはならない。万一怪我をしても必ず元の状態まで治る。だからガゼは掴みかかってきた男の手を取り引き寄せてバランスを崩させた上で懐に入り込み、股間と腹と鼻っ柱にそれぞれ蹴りと肘と掌底をくらわせた。見事なコンビネーションだった。


悶絶する酔っぱらいを、


「ふん!」


と鼻であしらい、どっかどっかと大股で夜道を歩いて帰るガゼなのだった。




「ガゼちゃんごめんね~、うちのバカが迷惑かけちゃって」


ユウカがいつものようにリーノ書房のバックヤードで仕事をしていると、店の方からそんな声が聞こえてきた。


「……?」


だが、彼女はそれほど気にする風でもなく仕事を続けていた。お客もほとんど顔見知りのここでは、お客が店員に対してそんな風に話しかけてくることは珍しくもなかったのだ。


『バンスィさん、かな…?』


思い当たる名前が頭をよぎる。今回の声は、ユウカにとっても聞き覚えのあるものだった。


アイアンブルーム亭の常連でもあり、だいたいいつも同じく常連のゲンザー辺りと一緒に酒を飲んでは酔っぱらってるゴビー・ランクルトの奥さんのバンスィだ。もっとも、<奥さん>とは言ってもその姿は、ガゼとほとんど変わらない、幼い少女のそれだったが。


紫がかった三つ編みのお下げが良く似合う、外見上は若干肌が赤っぽいだけでガゼやユウカとそんなに違いのない、ランドセルでも背負わせたらそれこそ小学校の低学年の女の子にしか見えない女性だった。


そう。それがガゼに絡んだ酔っ払いのゴビーの<趣味>である。


と言っても、それがいわゆる小児性愛かと言うと、実はそれも違うのだ。ゴビーの種族の女性の姿が基本的にそうだというだけである。地球人から見れば幼い少女にしか思えなくとも、実際には立派な成人女性だったりするのだ。知らなければもはや別の種族にしか見えないほど、男女で体格差がある種族なのだった。だからゴビーにしてみれば、酔っぱらってナンパした程度の感覚でしかなかったのだろう。


さりとて、昨夜のゴビーの振る舞いは、彼の種族の慣習からしてもマナー違反である。ガゼに手ひどくあしらわれても仕方ないほどの無礼な真似であった。それを妻であるバンスィが買い物ついでに詫びに来たということだ。


ちなみに、バンスィはゴビーとは違う種族だった。ここに来た時は子供だっただけで、今では年齢も三百歳を超えており、ゴビーよりも年上だ。本来は体ももっと大きく成長する種族なのだがそれは敢えて選ばず、その姿がゴビーの好みに合い、猛烈なアタックの末に<お試し>として結婚してすでに五十年が過ぎている。


実は<書庫>内では同種同士だけでなく異種間でも結婚は普通に行われており、非常にありふれたものだった。むしろ同種同士で結婚できることの方が珍しい。その一方で、さすがに異種間同士だとよほど遺伝的に近い場合でもない限り子供が生まれることは滅多にないが。しかし、元より子供を残す意味があまりないここではそれを気にする者もさほどいない。


なお、お互いに死なないので、結婚生活にも死別という形での終わりもない。だから離婚や再婚もここでは当たり前のことだった。


ガゼとバンスィがそうやって話をしてるのを何気なく聞いていたユウカの隣で、タミネルはいつもと変わらずに仕事をしている。


しているように見えた。


だが、よく見ると顔が赤い。


『…タミネルさん、熱があるのかな…?』


ユウカがそう察したとおり、タミネル本人は平然としているように装っていたが、実は熱があったのだった。


とは言え、<風邪>などの病気とはぜんぜん違う。これはタミネルの種族の特徴で、体が妊娠可能期間に入ると体温が上がり、感情が高ぶるのである。平たく言えば<発情期>ということだ。


普段は冷淡なタミネルだが、この時期ばかりは印象が変わる。


頬を染めて目を潤ませた感じになり、明らかに艶っぽくなるという風に。


『今日のタミネルさん、なんか色っぽい……』


それは、同性であるユウカから見てもドキッとするほどだった。


しかし、タミネル自身は自らのそういう体質を好ましく思っていなかった。


『まったく……どうしてこう……!』


彼女が本来の惑星せかいにいた時からそうだった。異性を誘っているかのような(いや、実際に肉体の方は間違いなく受け入れ準備ができていると誘っているのだが)自らの変化を疎み、忌避していたのだった。


だがそれは、


『妊娠可能期間に入れば男性を受け入れるのが当たり前』


とされていた彼女がいた社会ではまだ十分に認知された感覚ではなく、同性愛などと同じように異端として奇異の目で見られるようなものであったのだった。


故に、言い寄ってくる男性を冷たくあしらったことで逆恨みされ、階段から突き落とされた為に命を落としここに来たという背景を持つ。


そのことを知っているのは彼女のエルダーでもあったアーシェスを始めとしたごく一部の者でしかない。彼女がそれに触れることを拒んでいるから、尊重してくれているのだ。


「タミネルさん、大丈夫ですか…?」


不意に、ユウカがそう問い掛けてきた。さすがに気になってしまったようだ。風邪などの病気と間違われて気遣われるのはいつものことなので別に不快になったりはしないのだが、つい、


「問題ありません。仕事に集中してください」


といつも以上に冷たくあしらうように言い方になってしまったのだった。


『…は…! しまった…!』


それに気付いて視線を向けると、そこには怯えたような目をして、


「ごめんなさい…」


と謝るユウカの姿があった。いつもならここでリルが間に入ってくれるのだが、間の悪いことに休暇を取ってバカンスに出掛けている最中だ。


『ああ、私はまた…』


タミネルは後悔した。気遣ってくれる相手にまで刺々しい態度をとってしまって傷付けてしまう自分を情けないと思った。だから、


「…私の方こそごめんなさい……せっかく気遣ってくださったのに……私も、人付き合いが苦手なので……」


と思わず口走ってしまう。


『私も人付き合いが苦手なので』


普段のタミネルならそんなことはまず口にしないだろう。


実際、これまでユウカはそんな姿を見たことがなかった。だが、<発情期>のために感情が昂っている状態だったことでつい口走ってしまったということだ。


『タミネルさん…』


その一方で、そんなタミネルを見て、ユウカもハッとなっていた。普段はすごくしっかりした感じに思えたタミネルも自分と同じだったことに、安心感と言っては語弊があるかもしれないが、すごく距離が縮まるのを感じたのだった。


『タミネルさんの体調が悪いんなら、負担を掛けないようにしなくちゃ…!』


だからユウカは、自分が仕事を頑張らないといけないと思った。大変そうなタミネルの分も自分が頑張りたいと素直に思った。


「分かりました」


ふわりと柔らかく笑顔を浮かべて頷いて、それからは黙々と仕事をこなす。


『ああ…本当にごめんなさい』


自分を気遣ってくれるユウカを見て、タミネルは内心では心から感謝していたのだった。




しかしタミネルのそれは十五日ほど続くものだったので、リルがバカンスから帰ってきて仕事に復帰すると、


「お、タミネル。アレか。大変だね」


と顔を見るなりそう軽口を叩いた。


「……」


タミネルはそれに対して少し困ったような顔を見せたが、リルが決してからかっているのではないことは分かっていたから特に何も言わなかった。


『リルさん、さすがにそれは……』


そのやり取りに少し居心地の悪さを感じて戸惑っていたユウカに対してリルは、


「ユウカもあるんだろ? アレ。それと同じだよ。私らのよりちょっと見た目にも現れるだけ。心配要らないよ」


と当たり前のことを教えるように自然な感じで語った。


それでユウカにも、


『そういうことか…!』


とようやくピンと来て、少し顔を赤くして俯いてしまう。だがそのおかげで、それ以降は必要以上に意識せずにいられるようになった。


『私も変に気遣われるよりそっとしておいてもらえる方がありがたいもんね』


と思い、そうしようと思ったのだ。


生真面目で責任感が強く頭は良いが決して要領が良いとは言えないタミネルと、陽気で軽薄で口が軽そうに見えるが実は気遣いも出来るリルの組み合わせは、ここの仕事の確実さと人間関係の良好さを保つためには必要なものだというのが感じられた。


それに加えて、


『種族が違うってことは、生理現象とかも違ってたりするんだな…』


ということを改めて実感させられた。


『そういうのも違いをちゃんと理解して受け止めていかないと……』


とも思えた。


そう思えるユウカは、確かに成長していた。怯えておたおたするばかりだった彼女の姿は鳴りを潜め、他人を気遣えるだけの器を持ち始めていたのだ。


だから最近、アーシェスもそう頻繁には顔を出さなくなっていた。ユウカのフォローもまだもちろん必要だが、次のエルダーへの引き継ぎも大事な仕事である。そして何より、ヘルミのフォローに忙しかったのだった。


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