第5話

 奈月の誕生日から一週間が経った。

 真耶に髪の結び方を教えてもらって、奈月は自分で髪を結えるようになった。それ以来、ずっと二つ結びにしている。

 その日、真耶は身体検査のために朝から病室を出ていた。こんな風に真耶が病室にいないとき、やまとは勉強している。月に二、三回見舞いに来る母親が、その都度大量の本と一緒に置いていく問題集。やまとはそれをとてもぼんやりした顔で、てきぱきとこなした。奈月ははじめ、とても集中しているのだろうと思ったが、どうやらそうでもないらしい。退屈だから他のことを考えながらやってる。いつかやまとはそんなことを言っていた。

 その日の正午近く、やまとの父親が面会に来た。奈月はやまとの父親を初めて見た。彼は奈月にとても丁寧に挨拶してくれたが、なんとなく怖い感じがして返事がぎこちなくなった。父親はやまとの体調を気遣ったり、母親の様子を聞いたりして、十分もしない内に帰っていった。

 直後に昼食の時間になった。やまとと奈月は食堂に行き、窓辺の席についた。

「来週から院内学級に通うことになったよ。勉強は一人ですればいいけど、人との関わり方を学べって、父さんが」

 やまとがそんなことを言った。どことなく疲れているようで、食事のペースが遅い。

「院内学級? いいなぁ。わたしも学校行きたい」

「もうちょっと元気になったら行けるよ」

 奈月は前々から学校に行きたいとこぼしていた。ただ彼女はもともと人見知りだし、体力もあまりない。この病院での生活に慣れるまではもう少し様子を見ようというのが、両親や医師の判断だった。

 奈月とは違って、やまとは院内学級に行きたくなさそうだった。父親が言うから仕方なく、という感じだ。

 父親。お父さん。奈月は「そういえば」と思った。

「真耶ちゃんって、お父さんはお見舞いに来ないの?」

 この病院に来てから一度も見たことがないから気になった。

「来ないよ。小さい頃に死んじゃったんだって」

「そうなんだ」

 父親がいないということが、奈月にはよくわからなかった。寂しいのか、なんとも思わないのか。奈月の父は週に一度必ず面会に来るし、母に至っては毎日来る。それでも夜中に寂しいと思うことがある。真耶は母親もめったに見舞いに来ない。奈月がこの部屋に入ったばかりの頃、一度会っただけだ。そう思うと、病院の外から誰かが真耶に会いにくることなんて、ほとんどないということに気づく。

 考えていたら奈月も食欲がなくなった。結局やまとと二人そろって昼食を残した。看護師は眉間にしわを寄せていた。

 病室の扉を開ける。真耶はまだ戻っていなかった。

 奈月は窓の外の風景を見た。真耶に見せてもらった絵と同じ視点。

「ねぇ、やまと君の誕生日っていつ?」

 奈月は星の飾りゴムをきゅっと結び直しながら聞いた。

「四月十二日」

「四月? じゃあ真耶ちゃんよりちょっとお兄さんなんだね」

「ちょっとだけね」

「わたし、来年はやまと君と真耶ちゃんの誕生日お祝いするね。四月十二日と六月二十六日。うん、覚えた!」

「二十六? 真耶の誕生日は六月二十八日だよ」

「え? でもこの前真耶ちゃんが自分で二十六って言ったよ」

 奈月が首を傾げる。やまとはそれを聞くと声を出して笑った。

「ああ、真耶は自分の誕生日覚えてないから。二十八が本当」

 奈月はやまとの言葉の意味も、なぜやまとが笑うのかもわからなかった。目をパチパチさせて、言葉に詰まる。

「なんで自分の誕生日を覚えてないんだろうって、思う?」

 やまとが奈月の戸惑いを代わりに言ってくれた。

「うん。だって、自分の誕生日だよ? 人のを忘れるならわかるけど」

「真耶のお母さん、あんまりお見舞いに来ないでしょ?」

 こくんと、奈月が頷く。

「誕生日も来ないんだよ。というか、誕生日にだけはもう絶対に来ないらしい。誰も来ないから誕生日もいつもと変わらない。だから忘れちゃったってさ」

 説明されても、奈月にはわけがわからなかった。お誕生日は家族みんなでお祝いするもの。奈月はずっとそれを当たり前だと思っていた。いつもは来られなくても特別な日には会いに来るとか、そういうものだと思っていたのに。

「どうして誕生日にお見舞いに来ないの?」

 どんどん困った顔になっていく奈月を見て、やまとは少し得意げな顔をした。

「さあ。仕事が忙しいんじゃない?」

 それ以上考えるなとでも言うように、やまとは奈月の頭にぽんと手を置いた。突然頭に触れられて、一瞬びくりと肩を震わせる。効果抜群に奈月はそれ以上考えるのをやめた。

 この時の疑問は以降も時々少女の胸をかすめたが、真耶に直接聞くことはためらわれた。なんとなく、聞いてもはぐらかされるような気がした。そこにはきっと、やまとの手しか届かない。奈月にはそう思えてならなかった。

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