第8話:屋上と野菜

 庭園寄宿舎名物其の五。広大な図書館。


 学校図書館というにはあまりに大きく、寄宿舎が観光地であれば、名所として入館者は圧倒的であるとリドリーは思っている。


 寄宿舎の教室棟と生活棟を合わせても図書館の大きさには及ばない。保存された資料も豊富。すべての資料に目を通すのは、まず一生かかっても叶わない。




 レポートや論文のための資料に始まり、読書のための書籍や雑誌も多数配架されている。


 自習室も設備が整っており、図書館内には大小合わせて5つの学習部屋がある。




 その図書館では、秘密の関係を持った生徒同士ないし先生と生徒などが、逢瀬の場としても利用している……らしい。教室で噂好きの生徒がそう話していたのを聞いただけで、リドリーは実際のところどうなのかは知らない。




 供物であるアリステアの番人となって数日経つ。何にでも好奇心の赴くままに行動する自由なアリステアだったが、今回ばかりは何だかおかしかった。


「学校図書館には行ったことあるか? あんまりにでっかくてきれいだから、気に入る、」


「ごめん、そこはいいや」


 え、とリドリーの言葉が詰まった。リドリーが言い終える前に、アリステアが遮ってまで拒絶する。リドリーが言わなくても、目に入ればたちどころに近づくほどのアリステアが。


 てっきり、自分から行ってみたい、とさえ言うと思っていたのに。


「そうか、ごめん」


「ぁ、いえ、こちらこそ、ごめんね。図書館は、ちょっとね」


 アリステアは誤魔化して笑う。何かを隠しているようだが、詮索する気も無かった。どうせ1か月もしないうちにお別れする他人なのだ。


「いや、こっちこそごめん。他に行きたいところはあるか」


「んっとねー。屋上」


「教室棟の?」


「や、生活棟の方。確か屋上庭園があるんだったっけ」


「あるよ。庭園っつっても育ててるのは野菜だけどな」


「野菜! なおさら行かなきゃ! 屋上の鍵は確か、えーっと、誰が持ってるんだっけ?」


「持ってる」


 そう言うとリドリーは胸ポケットから鍵束を見せた。


「すごい! リドリーは僕の望みをいつもスムーズにかなえてくれるね!」


「番人特権で借りてるだけだって」


 苦笑するリドリーは、何だか心が弾んでいた。




 生活棟の屋上庭園は、寄宿舎の名物となるほどのものではない。広さはそれなりにあり見栄えも整っているが、あまりに地味すぎて生徒たちには不人気なのだ。出入りするのはもっぱら生活棟の管理人か、ひとりで静かに過ごしたい物好き生徒のどちらか。


 リドリーは生活棟の屋上庭園を気に入っており、ここでの涼しい風に当たりながら本を読むのが好きだった。




 庭園には野菜の栽培畑が設けられ、収穫した野菜は生徒たちの夕食となる。アリステアの興味はそこに惹かれ、さっきからじーっと野菜畑を眺めて動かない。


「トマトが、青い……」


「収穫にはまだ早いな」


「天に召される前に、熟したトマトを見れるかな?」


「……さあ、どうだろうな」


「困らせちゃったかな」


「別に」


「えっへへ、それはよかった!」


 畑の野菜を一通り熱い視線で眺めて満足したか、アリステアは立ち上がる。


「ここも、良い眺めだね」


「そうだな」


 アリステアは屋上の柵に手を添えた。




 屋上庭園からは、地平線が眺められる。カフェテリアのように寄宿舎の名物を眺めて楽しむことはできない。ただそこには、何も無い地平線だけが広がっているのだ。このあたりもあまりに味気ないから、不人気とされている。もっとも、不人気だからこそ人気がなく、リドリーにとっては絶好のお気に入りでもあるのだけれど。




「退屈にならないか?」


「何が?」


「こっからは何も見えないんだ。もっときれいな場所でも探してやろうか?」


「ううん。ここ、すき」


「……そうか」


「うん!」


 にっこりと、アリステアは頷いた。今は緑眼を好奇心にきらめかしてはいない。


 代わりに、懐かしさと羨望を秘めた緑眼で、地の果てを見渡そうとしている。


「……なあ」


「なに?」


「言いにくいんなら、無理にとは言わない」


「うん」


「さっき、図書館をイヤがったけど、理由でもあるのか」


 とたん、アリステアの表情が固まった。フェンスに乗った華奢な両手が微かに震えている。


 愛らしい口が開閉されるが、言葉は発されず。


「ごめん、もう聞かない」


「……いいの。リドリーはわるくないんだ。僕が、勝手に苦手になっちゃってるだけ」


「本という本が苦手……っていうほど単純でもなさそうだな」


「まあ、ね。本はすき。物語とか、宝石図鑑とか、すっごくすき。だけど」


 アリステアが俯く。リドリーは無意識に、アリステアを抱き寄せた。そうするのが、アリステアを慰める一番の方法だと思っていたから。


「もう喋んなくていい。俺は何も聞かないから」


「うん……」


「お前のこととか、言いたくないこととか、俺からは聞かないし。ムリヤリ聞こうともしない。詮索しない。ただ、一緒にいてやる」


「うん。ありがと、リドリー」


「別に。番人だからな、俺」


「えへ、そうだったね。……じゃあ、リドリーの部屋に連れてってくれる?」


「いいけど。何もないぞ。紅茶くらいは淹れられるけど」


「それで充分さ!」


 にひっ、と快活に、アリステアは笑う。リドリーは、わかった、と承諾する。


 アリステアとふたりして屋上庭園を後にし、リドリーは屋上庭園出入り口の鍵を閉めた。




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