【番外編】海を泳ぐ小鳥─4*a─


 ベートーヴェンは、弟子のシントラーから「冒頭の四つの音は何を示すのか」との質問に対し、「運命はこのようにして扉を叩く」と答えたことから、交響曲第五番は通称『運命』と呼ばれるようになった──と云う。


「……え。う、運命?」

「……」


 それはそれとして。

 ぽかんと口を開けた“運命”にそう見つめられてしまっては、來夢は面目なさげに視線を彷徨わせる他なかった。



 ──時計盤の針が、縦にピンと背筋を伸ばしている。それでも無色と虹色は、今も尚あの網目フェンスに並んだままでいた。何故なら彼女らは寮生なので、完全下校時間まで居残り続けそうな気配に大した抵抗はなかったからである。

 それに加えて近頃は、頼んでもないのに勝手に夏が本領発揮し始めたことで、日差しはいつまでも明るいし、空気は暑いし、校舎も校庭も木々も生徒達の汗も、何かとずーっと光っている。その影響でなかなか人の気配が絶えず、これから込み入った話をするのにこれ以上相応しい場所の存在を、両名とも思い当たらなかったのも要因だった。


 ……と。そうして、シリアスな空気になりすぎないよう、呑み込んでしまわないよう丁寧に話し終えた來夢に対し、都は。


「あ、いやっ。う……うん、良いよね、そういう、運命の存在? って」


 まだ何も言ってないのにも関わらず、わたわたと大袈裟に手を振り否定を示した。何の為に? そんなのは決まっている。『別に馬鹿にしている訳じゃないよ』、という意思表示の為だ。『全然引いてなんかないよ』と。『夢があって素敵だと思うよ』と。


「あ、言ったら私も中一までサンタさんとか信じてたし……」

「OK,OK……タチバナさん、もう充分です……」

「宇宙人だってきっといるもんねっ!」

「うう、やはりそれと同レベル……優しさが痛い……」


 ぐっと胸を抑えた來夢は、それこそ大袈裟によろけて見せた。一生懸命場を取り繕っていたつもりの都は当然困惑したものの、物の数秒で立ち直ってきた麗人に軽くホッとする。


「何、どうかした?」

「コホン……あー。タチバナさん? どうやら少々誤解があるようで」

「……え? あ、なぁんだ。もう、驚かせないでよ。てっきり小鳥遊さんが運命なんて信じてるのかと思って、私、焦っちゃったじゃん」

「いえ、信じています」

「信じてるの!?」

「あっ! ではなく! し、信じてません!」

「…………どっち!?」

「あああああ……I'm sorry! 今のは言葉のアヤでして……ええと、信じてません──でしたっ」

「……“でした”? 過去形?」

「YES! 信じるようになったのです、貴女に出逢ってから」


 キラキラな爽やかスマイルと共に告げられた愛に、一方で都はぎこちないスマイルを貼り付けつつ、こう思った。


(お……重)


 ──と。


「いいえ……むしろ貴女に出逢ったあの日こそ、私の人生のスタートラインと言っても過言ではなく……」

「へ、へぇ」


 感慨深く言ってもらってるところ悪いが、とにかく反応に困る。ああ、誰か教えてほしい。子どもが言う「ぼく、ワンワンとお話できるの!」に対する「わ〜そうなんだあ、すごいねぇ」と同じテンションで流して良いものか? ……良い訳がない。わかっている。そんな空気なら都だって始めからそうしている。

 相手は誰だ? 小学生か? 違う、大人の階段を登り始めた高校一年生の、学年主席だ。会話の中にアメリカンジョークを挟むことはあっても、シリアスな空気に逆らってまで馬鹿を仕出かす人じゃない。


 ──てことは……本気。

 ついついヒクつく、都の口角。


 でも……運命って。

 そんな訳、ないじゃない。


 だってそれは、浜辺で拾った貝殻の片割れを一から探し当てて来るくらい、不可能なことなんだから。


 ひとつの二枚貝が閉じた時、完璧に噛み合う殻と殻の組み合わせはたったの一対。

 貝として成長したその二枚同士だけが、それを成し遂げる。

 生まれ落ちた時からの“定め”。

 それ以外は有り得ない。

 正真正銘の、唯一。

 それが都のイメージする──“運命”。


 だからこその、サダメ。


(絶対、違う。何かの勘違い……)


 都は改めて、自分達の世界のイマを振り返った。

 第一次性の男女、第二次性のα・β・Ω……一昔前なら大きな障害にもなり得ていたそれらは、長い時の中で発展した技術や身体の進化のお陰で、何もかも解決した。知性と理性を保ちつつ、誰もが誰とでも結ばれるようになったという生物学的な観点で、最も革命的な新時代に都たちは生きているのだ。

 もう二度と、お互いの性別やオメガバースに悩まされることはない。そんな、恋愛の自由が最大化となって久しい昨今──反対に途絶えてゆく文化もあった。

 それが……


「運命……」

「そうです! 私の心の扉を叩いてやって来たのが、ミヤコタチバナさん……貴女だったという訳です」


 それでも『運命』という単語に観点を絞れば、それはまだ一般的に使われている言葉の一つだ。例えば、『きちんと許可を取っておかなかった時点でこのプロジェクトは失敗に終わる運命だったのさ』なんて言い回しに、何も違和感は感じない。『あの時あちらを選んでおけばこんなことには……あの日の選択が、僕の運命の分かれ道だったんだ』とか言う例文も、未だにままある。

 何故なら、おかしくないから。

 誰しもに存在し得る可能性だから。


 けれども、それが恋愛的な意味での“運命”だった場合、事情が少々異なってくる。

 運命の出逢い。

 運命の人。

 運命の赤い糸。

 生きていればいつかは自分だけの七十七億人中の一人に出逢えるだなんて、きっと誰も想像していない。「そうなれば幸せだな」とは皆思いつつ、本気で信じている人なんていない。都だってそうだ。日々の中で出会った相性の良い関係がゆくゆくは……と。もしくは自分の両親のように、お見合いから始まる出会いもまたオツなものだと(むしろ今はそれが主流みたいだし)、本当にそう思っているのだ。


 恋路とは、出来うる限り、自分に近い貝殻を探す旅。

 見つかっても見つからなくても、旅の中でしか得られない大事な何かはあるはずだ。しかしそれで言うと、來夢は。都にとって、來夢の貝殻は……あまりにも大きすぎるから。

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