言葉が為に、口閉ざす―3―


 ───翌日。


「そういえば、メッセじゃ長くなるから言わなかったけど」

「え?」

「調べたわ、コトノハ少年って人」

「ああ!どうでした?」

「……どうって……」


 生徒会にて作業中、咲夜は天華にコソッと話し掛けられた。


 ちなみに例のマドレーヌは、出会い頭に隠れて渡したその時、「……我慢出来ない」と足早にどこかへ持ち去られ……その数分後、肌ツヤ感増し増しで戻って来たので、恐らくもう彼女の胃に収められているのだと思われる。

 咲夜は、“blooMomentで購入したスイーツを美味しそうに食す竜峰天華”を“周囲が遠巻きに眺める事”が一番の宣伝効果になると期待していたので、正直言ってかなり意表を突かれてしまったのだが、満足気な空気を纏う天華そのものは見ていて別に悪い気分じゃなかった。それによく考えれば、余計な勘繰りを避ける為にはあれが最善だったかもしれない。と、一応、小さく感謝しておく。


 それで話は戻るが、コトノハ少年とな?

 普段なら不必要に声を掛けられるのを嫌がるところだが、その話題なら話は別だ。咲夜にしては至って穏やかな気持ちで続きを促す。


「……顔とか、わからないのね」

「そうですねー。てか、わかんない事の方が多いですね、SNSなんかもやってませんし」

「てっきり芸能人か何かだと思ってたのに……」

「意外でしたか?」

「意外っていうか……そうね、確かに意外でもあったけど、前途多難って感じたわ」

「……ん?」

「私には、あんな詩的な文章書けないから」

「……ふふん!」


 それを聞いて、咲夜は何だかとてつもなく誇らしげな気分になった。自分が褒められた訳でもないのに機嫌がグングン急上昇してゆく。それくらい、皆が口々に凄い凄いと褒めちぎる天華が、敬愛する執筆者に負けを認めた事が面白くて仕方がないのだ。咲夜は渾身のドヤ顔で、鼻高々に笑いかける。


「まあまあ!人には向き不向きがあるって言いますから!」

「……嬉しそうね」

「え〜そう見えますかあ?」

「……。……残念だわ。もしコトノハ少年って人が歌手や俳優みたいなエンターテイナーだったら、絶対瀧本さんを振り向かせられると思ってたのに」

「……え?ええと、つまり、何ですか?歌や演技には、先輩も腕に覚えがあると……?」

「……それなりにね」

「あ、そすか……」


(うわこれ絶対マジな奴だ……全然勉強してないよ〜とか言ってちゃっかり満点掻っ攫ってくタイプの奴だ……)


 何だかとても嫌な予感がした咲夜はこれ以上深く聞くのを止め、スンッと鼻を元に戻して作業を再開させた。



 そんな今だからこそ断言出来る。天華の真の凄味は恐らくここにあるだろう、と。

 相手と自分の力量を正確に計り取り、天秤で比べ、冷静に観測する。時には今のように相手を賞賛したりもするその気位。懐の大きさ、余裕の表れ。そんな事、良い歳した大人にだってそうそう出来るものじゃない。なのにその鷹揚自若の根源は、たった一人の少女に対する誰よりも熱い愛と情熱と運命だというのだから、驚きだ。戦々恐々とも言う。………いや、ぶっちゃけ引く。


「……私も、今からでも何か書いてみようかしら」

「は?…………いやいや、それよりまずコトノハさんを好きになってくださいよ」

「ああ、悪いけど、それは無理な相談ね。だって、私の恋敵なんだから」

「こ、恋敵って。コトノハさんはそういうんじゃ……」

「──皆さん、お疲れ様です!遅れてすみません」

「あ、会長」


 進路相談諸々の用があった來夢達三年生達がやって来た事で、二人の会話はそのまま尻切れトンボとなった。だからと言って天華の機嫌が悪くなるなんて事はなく、真の優等生らしく先輩方を出迎えている。咲夜もそれに続きながら、ふわりと揺れる來夢のセーラータイに、ふと昨日の一件を思い出した。


(そうだ!小鳥遊会長ならきっと、橘委員長がどんな人なのか知ってるはず!)


 他人に他人の詳細を聞こうとする事そのものが、自分にとってどれだけ珍しい行為なのかの自覚はせずに、その後、ひと段落ついた辺りで声を掛けに行った。


「会長、一つ聞いていいですか?」

「ええ、何でしょう?」

「三年生に───」


 橘って人がいると思うんですけど……そう伺おうとした───その時、視界の端に───天華が、映り込んだ。


 こちらを気にしている風ではなく、ただたまたま咲夜の約180°に入っただけ。それだけだった。本当にそれだけ。……なのに。


「…………」

「瀧本さん?」

「……あ……何でも………」

「?」

「いえ、さ……三年、にもなると、やっぱり進路がどうこうって話が多くなるんですかね……?」

「進路ですか。ああ、それはもう───……」


(……あれ?)


 ──こんな事が聞きたかったんじゃないのに……

 咲夜は誰より、咲夜自身を疑問に思った。

 どうしてか、急に聞けなくなった自分を。

 何故か天華に悪いような、そんな気がした自分を。


(悪いって何で、今更……? アタシ、無意識に、竜峰センパイには聞かれたくないって思った……?)


 ───どうして?


(………後ろめたい?)


 ─── 一体、何に?


「……という訳で、まだ早いと思うかもしれませんが、瀧本さんも一度はしっかり話をしておいた方がいいですよ。……瀧本さん?瀧本さん、聞いてますか?」

「はっ……聞いてます!」

「本当に?」

「聞いてました!」

「なら何故目を反らすのです」

「……聞いてました……!」

「だから、なら何故距離を取るのですか!?」


 困惑する來夢のツッコミから恐る恐る遠ざかる咲夜の背中を、少し遠くから見つめていた天華はただ不思議そうに首を傾げるのだった。




 しばらくして、また念願の図書委員の当番が巡ってきた。ちなみに、先日体調不良で交代となったクラスメートからの「この間出てもらった分、今回は私が代わりに出るよ」との善意100%の申し出を、1/3の純情な感情と2/3の秘めたる下心でやんわりとお断りしたのはつい昨日の話である。

 今日も例の本棚から取った続きを手に、貸出しや書物の問い合わせ対応をする咲夜。静かで、和やかで、落ち着く。今後もずっと大切にしていきたいと思える時間だ。そうしてすっかりリラックスしながら迎えた下校時間で、のんびり帰り支度をしながらはたと気付く。


「えっ普通にしてたら会わなくない?」

「瀧本さん?」

「あっすみません、何でもないです……」


 司書の先生に驚かれ、しゅんと縮こまる咲夜。我ながら呆れてしまう。だが、よく考えてみれば当たり前の事だった。あの時はたまたま向こうが通りすがったから会えただけで、普段の当番で一緒になる機会はないのだ。片や一年生、片や三年生なのだから。


(まずったな……結局、下の名前もクラスがどこなのかも聞けてないし……)


 ようやく読み終えた感想と感謝と感動を、約束通り一番に伝えたかったのだが……。


「あの……先生?橘委員長って、もうお帰りになってますかね」

「橘さん?この時間なら……丁度、部活が終わった頃なんじゃないかしらね」

「あ、ほんとですか!何部なんですか?」

「んー、何だったかしら……運動系じゃなかった事は覚えてるんだけど……あっそうだそうだ、確か写真部!」

「写真部……」

「部室なら、東側の階段を登って───…………」



──

─────



 という事で。

 やってきました、写真部部室。そこはあまり陽の当たらなさそうな、廊下の角っ子に位置する一般教室であった。ここに来るまで何人かの生徒とすれ違いはしたが、結局最終地点まで目的の人物には会えずじまい。写真部と書かれた札が掛けられたそこをじっと見て、咲夜は今更ながら腕を組んだ。


(来てどうすんだ?)


 正直、部外者極まりない自分に、この扉をノックする勇気はない。写真部そのものに用件はなく、ただあの人に会って話がしたいだけなのだから。……というか今思ったのだが、もしかしたらこの静けさはもう帰った後じゃなかろうか。だとしたら、とんだ無駄足である。


「はあ……」


 呆れから、咲夜は軽く息を吐く。どうやらまた悪い癖が出てしまったようだ。考える前に動いてしまうという、まるで少年漫画の熱血主人公みたいな子どもっぽい癖が……ああ、だったらここは一つ、冷静沈着で生意気なライバルキャラだとか、理知的で相性バッチリな相棒キャラ辺りに、


「何してるの?」


 とでも声を掛けてもらって、ハッと落ち着きを取り戻す。そんな展開があってもいいだろう、よくある話なんだから。まあ、そこまで都合の良い事はありえないけれども。


「ん?咲夜ちゃんだよね?」

「………………え?」


 肩を叩かれ、振り向きざまに映り込んだ眼鏡の反射光。


「あ、よかったぁー。返事ないから人違いかと思っちゃったよ」


 何とも都合の良い展開に、咲夜はぽかんと面食らってしまった。何せ、可笑しそうにクスクス微笑んだのが、探していた橘その人だったから。


「ああ……あ、すみません。ボーッとしてました」

「みたいだねぇ、ふふふ。大丈夫?どうしたの?」

「えと……」

「写真部に何か用事?」

「いえ、貴女に……」

「私?」

「あ……」


 ──会いたくて。


 唇が想いを形作りかけたその瞬間、咲夜の顔がボッと熱く燃えた。何だこの恥ずかしさは!?と咄嗟に目を逸らし、音を静かに飲み込む咲夜。喉から食道、胃を伝い、お腹の底がじくりと熱を持つ。


 いつもより、ほんの少しだけ。ほんの少しだけ、本気が混じってしまったこの気持ち。それだけでこんなにも、ああこんなにも伝え難くなるものか……!


「なぁに?」

「……今日であの本、読み終わったので。感想を伝えに……」

「えっ、もう?早いね!」

「ま、まあ。面白かったので」

「だよねだよね!じゃあ立ち話も何だから中に入って?」

「え、いいんですか?部活は……」

「今日はもう終わったよ。私鍵閉めに来ただけなの。ほら」


 くるくるとキーリングを回す人差し指を見て、咲夜は、ああと頷く。


「ね、完全下校時間までお話してよう?……それともそんなには時間ないかな?」

「だ……大丈夫です」

「ならよかった」


 見てそのまま、心底嬉しそうに招き入れてくれる彼女こそ一番素直な気がするなあ。と思いながら、静かに後に続いた。



 写真部部室。知らない匂いを嗅ぎながら辺りを見渡してみると、やはりというか何というか、壁に飾られているいくつかの額縁に目が行った。

 大自然を写したスケールの大きい一枚もあれば、トリックアートのようなユニーク溢れる一枚もある。それと、コルクボードには和気あいあいと写る部員らしき姿も。


「散らかっててごめんね。ところで私、写真部だって言ってないよね?」

「先生に教えてもらいました」

「そっかそっか。咲夜ちゃんは写真に興味ある?」

「……あると言えばありますかね。自分で撮ったりはしないですけど、見る分には」

「うんうん、私と一緒だ!」

「一緒?」

「そう、カメラを教えてもらう前の私と」

「そうなんですか」

「中学の入学祝いに、良くしてくれてる写真家の叔母さんからカメラをプレゼントしてもらってね。お古だったんだけど。それで、撮り方を教わってる内にだんだん、ファインダー越しに見える景色にハマっていったんだ……まるで物語のワンシーンを覗いているみたいで、ドキドキして……」

「……わかる気がします」

「本当?」

「はい」


 それ以上多くは語らなかったが、咲夜はその話に一つのシンパシーを感じていた。“物語のワンシーン”───コトノハ少年との出会いを思い出させる橘のそのフレーズは、まるでスポンジに塗るシロップのように、咲夜の思い出に甘く深く染み渡ってゆく。

 近々コトノハさんにも感想送ってみようかなぁなんて思いつつ、机の上に置かれたままの雑誌にそっと視線を落とす。とある特集の読者投稿欄に挙げられている、佳作•神楽坂女学院の名を指でなぞりながら、何となく気になって尋ねた。


「橘委員長の写真はないんですか?」

「え?あるけど……え〜、それはまた今度ね?今日は本の話をしに来てくれたんでしょ」

「あ、そうでした。すみません」


 ついつい話の流れで出過ぎた事を言ってしまった。気を悪くさせてしまっただろうかと、心配気味に眉を下げる。


「あ、ううん!別に嫌とかじゃなくてね……?」

「はぁ……?」

「これに載ってるのみたいに上手じゃなくて……あんまり自信ないから、ちょっと恥ずかしくてね……えへへ」


 ドゴッ!

 咲夜の胸中に、突然、予想だにしない謎の重低音が響いた。


「────!?」


 その正体が、照れくさそうなはにかみえくぼに真っ正面からハートを殴られた音だと気付いた時──咲夜は心の底から困惑、そして動揺した。せっかく被り直していた自慢の仮面も、ほらこの有様。たった一撃でバラバラに───というより、ふにゃふにゃになりかけている。


 ──いやいや、何ドキっとしてるんだよ、アタシ!

 幸い、今のは何とか致命傷で堪えた(!?)から良かったものの、このままではいけないと自らを叱咤し、咲夜はふらふらと、なるべく視線を合わせないようにして席へ着いた。


(落ち着けアタシ……早いとこ本の話して、色々と忘れよう……!)


 心の中で鉢巻をぎゅうっと強く締め、「じゃあその、感想の事なんですけど」と気持ち新たに話し始めた。

 そう、あくまで。冷静に、穏やかに、静かに、にこやかに、和やかに、真っ直ぐに、普通に───……

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