己が為に、刺はある―3―


 ───滝本咲夜は、基本、人に興味が無い。


 接客業の手伝いをしていながら、他人の名前と顔が一致しないなんてザラ。一期一会を捻くれて捉えており、その興味の無さは、大量にケーキを買い込んでいった美形ですら一日で記憶から抜ける程。その日その時の自分が良ければそれで良いと思っているタチなのだ。──本来は。


 ────でも……………


「待って!」

「!」


 頭上から降り注いだ懇願に、咲夜の進行が止まる。何なんだと、もはや声だけで誰かわかってしまえる自分が嫌だし、すんなりと帰してくれない先輩も嫌だ。壊れかけの仮面を装着し直し、咲夜は少し上を振り返った。振り返ろうとした。振り返るより先に、彼女が核心を切り出して。


「朝の事でしょう?」


 何故── 思わず目を見開くと、すかさず天華が。


「さっき、ほんの一瞬だけど、來夢を気にする素振りを見せたわ。人が居る所では話しづらい内容かと思ったのだけど」

「……その通りです」

「やっぱり。……それで、話って?」

「え?いや、でも」

「彼女なら大丈夫、気にしないで」


 遅かれ早かれ、知る事になると思うし── そう続けた彼女の表情は、真剣そのもので。大丈夫という言葉にも色々意味があると思うが、天華が來夢に向けるそれは、お互いに信頼しあってこそのものなのが伝わって来た。少し羨ましい気もする。でも、本当にいいのだろうか?こんな良くない話を聞かれてしまって……


「ありがとう」

「は?」

「私に気を遣ってくれたんでしょう?」

「……別にそういうんじゃ」

「朝はあんなにツレなかったのに……本当はとても優しいのね」

「うっ……あ、あのねぇ、好感度上げに来た訳じゃないんですよ!ア……私は……!」


 図星を突かれた恥ずかしさから、つい感情的に食って掛かった。数段差分見下ろされているのがこの時ばかりはヤケに気に障り、怒りに感けてぐっと距離を詰める───と。


「……わかってる」

「……?」

「私だってそこまで楽観的じゃないわ」


 うっかり気が少し削がれるくらい、彼女は落ち着き払っていて。


「でもね、私、本気よ」

「……」

「今すぐには無理だけど……いつか必ず、証明してみせる。貴女との運命」

「……実を言うと、もう一回諦めてって言いに来たんですけど、それはつまり無意味って事ですかね?」

「そうね」

「そうねってアンタ……はあぁ……」

「だから……覚悟して、待ってて」


 薄明るい逆光の中、どこまでも幸せそうに微笑む彼女を見て、咲夜は挑発的に目を細めた。

 この人、やっぱり、何か違う。思ってたよりずっとずっとしつこくて、厄介で、言ってる事は相変わらず意味不明なαだけど、あれだけ散々好き勝手ぶっ放してやったのに泣きも怒りもせず、それどころか全てを受け入れて立ち向かって来るなんて。


(変わった人だ……)


 ──『しばらく会わないでいればその内何でもなくなるはずっす』


 それは、咲夜の確かな経験談だった。例えどんなに相手が自分に執着していても、徹底的に我関せずを貫きさえすれば。いつか相手は、夢から醒める。愛から冷める。───そんな程度で消える想い、“運命”でも何でもない。なあ、そうだろう?

 だからきっと、今回も………期待なんてするべきじゃない。運命なんて……運命なんて…………そもそも、運命っていうのは、もっと、もっと、もっと────……!

 

「ハッ……嫌ですよ、そんなの。正直言って、私はこれ以上、竜峰先輩と関わり合いたくありません。いいですか?私はですね、この三年間に掛けてるって言っても過言じゃないんです!目立たず、平和的に、普通の優等生として過ごしたいんですよ」

「平和的に、ねぇ……」

「そうです。今朝だって、誰かさんのせいで結局遅刻ギリギリになっちゃったモンですから?……つまりですね、竜峰先輩……申し訳ないんですけど。ほら、アイドルやタレントが一般人と結ばれたニュースとか流れると、そいつは一体何処のどいつだ!って少なからず話題になるでしょう?」

「……そうかしら?」

「そうっすよ!アタシだってほんとはそんな興味無いけど、気にする人はめちゃくちゃ気にするもんなんす!……ってああ……もう、調子狂うなぁ」


 ガシガシと頭をかきながら踊り場に戻ると、ぽかんと目を点にした來夢と視線がかち合った。「あ……」なんて思ったけれど、彼女の言葉を借りるなら“遅かれ早かれ何とやら”、だ。一応ニコリと小首を傾げてから、再度天華の前に並び立つ。と、降り注がれる煌めき。


「ふふっ……」

「は?何笑ってんすか?」

「素の貴女が嬉しくて。何だか気を許してくれたみたいで」

「大変失礼致しました。申し訳ございません。どうかお忘れください。お話を戻させて頂きますね」


 咳払いで苛つきを隠しつつ、続けて咲夜は。


「要するに……一般人としては、余計な荒波を立てたくないんです。わかってください。それに、先輩なら絶対もっと良い人が……」

「いないわ。私には貴女だけよ」

「はぁ……話が平行線ですね。……わかりました。じゃあこうしましょう、竜峰先輩。私と勝負してください」

「勝負?」

「はい。お互いの主張がぶつかった時は、こうやって白黒付けるのが一番ですからね」

「……そうね、それはまあ、理解出来るけど……その勝負って、一体どんな?」

「それぞれの理想を賭けるんです」

「理想を……?」

「そうです。“私を運命だと信じる先輩” VS “先輩を運命だと認めない私”。期限は……そうですね、先輩が卒業するまで、ってとこですかね」

「ふむ、それで?」

「卒業式までに私を振り向かせられなかったら、私の勝ち。その時は潔く諦めてください」

「………!なるほど、そういう……」

「て、天華……っ」


 堪らず口を挟もうとした親友を、「いいのよ」とばかりに、振り返らず、天華は手だけで制して。


「面白そうね。続けて?」

「ありがとうございます。ルールは……私達の関係が周りにバレさえしなければ、特に何も。ただし、もしバレたら即アウト!ペナルティーとして、その時点で竜峰先輩の負けとします」

「……よっぽど騒ぎにしたくないのね」

「そりゃもちろん!だから私がワザと誰かに言いふらす可能性はゼロだと思ってくれていいですよ」

「……信じましょう」

「ちょっと……いいんですか、天華?」


 そろそろと近付いてきた來夢が、遠慮がちに小声で問い掛ける。


「よ、よくわかりませんけど、本当によくわかりませんけどっ、それはその、貴女にとって少し不利なルールだったりしませんか?」

「いいえ、そんな事ないわ、來夢。元々私が無理を通している側なんだし……それに、逆に言えば、バレなければ何をしても良いんだから。そうでしょう、瀧本さん?」

「え゙……いや……」


 何をしても良い。その言葉の響きと挑戦的な天華の言い振りは、咲夜を身震いさせるには充分過ぎる程の“何か”があった。突如感じた只ならぬ悪寒に、提案者は少々後悔を覚えながら腕をさする。


「ま、まあ……そうですけど。……え?とは言っても最低限のモラルは守ってもらえますよね?」

「ところで瀧本さん、」

「ここでスルーとかマジかよこの人……」

「貴女の言う“周り”って、具体的には誰々を指すのかしら?」

「……。クラスメートとか、先生方とか、用務員さんとか……」

「來夢は?」

「ああ、小鳥遊先輩はいいですよ。もう聞いちゃってますし、それ込みでの提案です」

「ありがとう。じゃあ、家族は?」

「家族……はセーフにしましょう。あ、でも、家族ぐるみで囲いに掛かるのはさすがに反則ですからね!……私としては、とにかく騒ぎにさえならなければ大丈夫です」

「わかったわ。もしそれ以外で誰かに教える事になりそうだったら、その都度瀧本さんに確認するわね」

「ありがとうございます。わかってるとは思いますけど、協力者を増やすのはお勧めしませんよ?人の口に戸は立てられぬって言いますからね」


 顎に指を添え、思案顔で頷く天華を見て、咲夜は心の中で大きくガッツポーズを取った。──この勝負、もらった! ……と。



 周囲の人間に知られないよう行動するのは想像以上に制限が掛かるものだ。学年も違う、部活も違う、寮生でもない一生徒と触れ合う機会なんて、それこそ休み時間か昼休みくらいのもの。かと言って、その度教室を訪れたりしようものなら、当然、誰かに怪しまれるのは関の山。

 そうなれば、だ。きっとチャレンジャーはペナルティーを恐れ、ますます行動を控えめにせざるを得なくなる。会わない時間が格段に増えればそれこそ咲夜の思う壺だし、そんな中でちっぽけなアクションが何度続こうと、ビクともしない絶対的な自信がチャンピオンにはあった。もはや咲夜にとってこの勝負は、“卒業式までに向こうが勝手に諦めるか諦めないか”というところまで来ていたのである。


「よし、話はまとまりましたね!じゃあすみませんけど、そういう事なんで程々によろしくお願いします、小鳥遊先輩!」

「は?ま、待ちなさい。よろしくも何も、私はまだこの状況すら───」

「竜峰先輩、実はこのおでこなんですけど……」

「仕方ありませんね、引き受けましょう」


 力強い快諾をもらった咲夜は、ニシシといたずらっぽく犬歯を見せて、颯爽と階段を駆け下りる───と、その踊り場にて。


「駄目よ、瀧本さん!まだ大事な話が一つ残ってるわ」

「へ?何かありましたっけ?」

「私が勝った時の事よ」

「……はは」


 ……全く、何を言い出すかと思えば。数メートル先を見上げた咲夜の喉から、小さく乾いた笑いが込み上げた。


「先輩が勝ったら……ですか?」

「そうよ。貴女が勝ったら、私は瀧本さんを───“運命”を諦める。じゃあ瀧本さんは、私が勝ったら何をしてくれるの?」

「は、はぁ……そうですねぇ………うーん」


 真面目に考えるのも無駄な気がしたが、勝負の体を通すなら確かに、両名にメリットが必要だ。いや、咲夜にとってはこの賭け自体がメリットのようなものだけれども……。


(……って、センパイだってアタシを恋人に出来るかもって話なんだから別に良くない?)


 まっ、そんなのありえないけどサ。と、目を閉じ。腕を組み、軽く悩んでみせる。何せ、自分が負ける結末など少しも考えていなかったのだ。「もし宝クジで三億当たったらどうする?」とでも聞かれたに等しい。つまり、夢のまた夢の話である。……そうだな〜、とりあえず、全ての環境を整えて犬をたくさん飼いたいな。──ってやばいやばい、話が逸れた。



「もし、私が負けたら───」



 ゆっくりゆっくり、考えを整理しながら。

 ゆっくりゆっくり、前髪をかき上げて。



「私が、負けたら……その時は────」



 勝者は敗者を、煮るなり焼くなり………



「────好きにしていいですよ」

「なっ……」



 それだけを言い残し、咲夜は教室へ帰り着いた。何となく、別れ際の二人の表情が気になったけれども。


(もしかして、さすがに怒らせちゃったかな?)


 何故だか顔が真っ赤だった。余裕綽々で笑って言ったのが、とうとう癇に障ってしまったのかもしれない。


(まぁいっか!下がれ下がれ、好感度!)


「ふっふっふ……」

「どうしたのぉ?咲夜ちゃん、機嫌良いねぇ?」

「え、そお?」

「何かあったん?」

「んー。うん!まあね!」


 ミーハーな隣人は、まさか自分の友達が、敬愛する生徒会メンバー二人ととんでもない事態になっているとは……それこそ、夢にも思わずに。頬を綻ばせる咲夜に釣られ、また例の授業を再開するのだった。

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