murder skull
「いや~、参っちまったな~こりゃ」
緊迫した俺とは正反対の能天気な言い方で芳樹さんは座り込みながら背中を伸ばしている。
ここは緑遊会が使用している会場の一つだ。 そう、白音がはじめて会合に参加した場所。
幸運(あるいみ白音が触られている時点でそうはいえないのだが)なことに芳樹さんと連絡が取れた。
これで連絡が取れなかったなら街中で名前を叫びながら走り回っていたかもしれない。
「一体どういうことなんですか?」
内心の怒りをなんとか抑えて問いかける。
「そのとおりよ、こんなこと今まで一度だってなかったじゃない」
俺の隣で腕組みをした麻愉も同じように厳しい表情で芳樹さんを見る。
芳樹さんに事情を説明した後にもしかしたら連中が麻愉にも何かしでかすかもしれないと心配したので彼女にも連絡を取ったのだ。
白音が何者かにさらわれたということを話した時点ですぐにかけつけてくれた。
「……とは言ってもね~、芳樹君にもなんだかわかんないのよお」
「あんた状況がわかってるのかよ!白音が拉致されたんだぞ!」
思わず殴りかかりそうになった俺を麻愉と明さんが静止する。
「芳樹、多分彼らじゃないのかな?」
俺を抑えながらいつもの朗らかさを消して明さんが固い声で口を開く。
「彼ら?彼らって誰なんですか?」
我ながら驚く程に大きい声が出た。 その剣幕にさすがに麻愉も明さんも顔が固くなる。
変わらないのは目の前にいる緑遊会の会長である芳樹さんだけだ。
「ああ、あいつらか~…もう少し我慢が出来る連中だと思ったんだけどな~」
相手の見当がついたところでこの男の態度は変わらない。 もはや怒る気力すら湧いてこない。
ただただ話を進めるために唇を噛んで黙りこむ。
「あいつらって誰よ…この界隈でどうどうと人間を拉致するなんて」
「……murder skull(マダスカル)って知ってるか?」
「はっ?何よ…そのダッサイ名前」
「まあネーミングセンスに関しては良いとは言えねえけどな?中々にデンジャラスな困ったちゃんの集団らしいのよ…これが」
気だるげな声で懐から煙草を取り出して火をつける。 香りから察っするに本当に煙草のようだ。
嗅ぎ慣れた匂いとはまた違う煙がゆっくりと天井へ昇る。
「どうしてそんな集団が白音を?」
「あ~……ちょいとばかしトラブっちまってさ、まあよくあることだろ?良い品物は人気が出ちまうから色々なところからお誘いが着ちまうのよ」
「それじゃ俺達はあんたらの取引に巻き込まれたって言うのかよ!」
「おいおい今更の他人行儀は冷たいぜ?これは俺達だけじゃなくて、お前や麻愉ちゃん、そして白音ちゃんの問題でもある…つまり緑遊会全体の問題で考えてくれや」
「何を都合の良いことを…ぐっ!」
「都合の良いのはお前の方だろ…会にメリット0のお前を入れてやって、白音ちゃんも友達にしてあげただろう?俺は十分お前の為に動いてやったよな?あんまりワガママ言っちゃうとこのまま顔ごと握りつぶしちゃうぞ?」
とんでもない圧力で骨が軋む音がする。 足を使って逃げようとするがジタバタと空を切る。
信じられないことに芳樹さんは片手で俺の顔面を掴んでそのまま持ち上げているのだ。
な、なんて腕力だ。 確かに筋肉は体型の割にはついてるとは思っていたけれどここまでだなんて…。
「麻愉ちゃんもそう思うだろ?他ならぬ麻愉ちゃんの頼みだから友和君を入れてあげたんだぞ?まさか友和君みたいなワガママ言っちゃうなら芳樹、悲しいわ~」
「……わかってるわ、私達はすでに当事者ってことでしょ?だからもう離してあげてよ」
途端、圧迫から開放されて床の上で尻餅をつく。 鈍い痛みが余韻のようにズキリと走る。
「さ~てそれじゃ俺達が友達ってことを確認したところで対策を考えるとしようか~、明は何か意見はあるかにゃ?」
先ほどが無かったかのようないつものオーバーアクションな芳樹さんとは対照的に明さんは身じろぎもしないで黙り込んでいる。 やがて搾り出すように…
「やはり相手の望むものを差し出すしか…」
「は~い、却下!もっと自分の子供を大事にしろよ?バランスが悪すぎるぞ~?…それに差し出したところで連中は次をねだってくるだろうしな」
「そ、それって…なんの…ことだ」
締め付けからはすでに解き放たれたはずなのに幻覚のような感覚に呻き混じりに問いかけた。
「ああミドリだよミドリ、マエストロ明さんの芸術品であるミドリさん達を寄越せってあいつらがしつこいのよ~」
まるで嫁さんのことを愚痴るような言い方には深刻さのかけらも無く、プカリと煙を吐きだす。
「……話自体は少し前から来てたんだけどね、その…」
「まあ、あくまで俺達は欲が無いからよ?商売にする気も無えし、ノリも大分違うから『ごめんなさい』してたのよ?まあクラスで人気の女子が嫌われ者の男子の付き合えよを断るみたいにな…そしたらよ…」
「どうも向こうのリーダーは思っていたよりも強引だったみたいで…実力行使をしにきたみたい…だね」
沈み込むような沈黙が走る。 どうしてこうなってしまったんだろう
か?
いや原因はわかっている。 俺のせいだ。
俺や芳樹さんたちがこうなったのならそれは自分たち自身のせいにすぎない。
こんなヤバイことをしていたのだ。 トラブルに巻き込まれるのも自己責任というものだろう。
だが白音は違う。 俺が東京に行かなければ、いや居なければこんなことにはなっていなかっただろう。
後悔している。 本当に。 だから誰かお願いだ。 白音を…彼女を助けて欲しい。
そのためにはどんな犠牲だってかまわない。 たとえ俺がどうなろうとも…。
そこまで考えたところでやっと気づくことが出来た。
ああなんでこんなことに気づけなかったのだろう。
いや気づいてはいたはずだ。 単純に俺が気づかないフリをしていただけだったんだ。
負い目、罪悪感、後ろめたさ。 色々な単語が浮かんでくるがつまりはそれを言い訳にして俺は白音と向き合うことをしなかった。
俺は彼女を、白坂白音を愛している。
ちんけな自我とプライドを剥ぎ取られて俺の愚昧さをあらわにされてもそれでもかまわないと思えるほどに俺は白音を愛していたのだ。
でも気づくのが遅すぎた。 どうしてこんな状況になって初めて気づいてしまったのだろう。
俺はなんて罪深く、愚かなんだ。 涙さえでてくる。
「……! 待ちな、やっこさんから電話だ」
そう言うと携帯をテーブルに置く。
電話の向こうからはややしわがれた男の声が響いてくる。
「ハロハロ~、ずいぶんと荒っぽいことしてくれたな~、知ってるか?そういうのって人に嫌われちまうんだぜ?」
「それはこっちの台詞だ。あまり俺を舐めるんじゃねえ、ワガママが過ぎると女を泣かせることになるんだぞ?駒方よ~」
ハンズフリーから聞こえてくる声はひどく落ち着いている。 やっていることに対してはひどく不釣合いなまでに…。
それが連中の危険性を如実に表していることが実感できて、眩暈がしてきた。
「…落ち着きなさい」
ぐらついた俺を支えるように麻愉がそっと腕を取ってくれる。 しかしそう言っている彼女自身の身体も小刻みに震えている。
「ああ話は聞いてるぜ、うちのメンバーの彼女をさらったらしいじゃねえの?たかが雑草一つのことで少しオーバーなんじゃねえの?」
「女?ああ、そいつは悪かったな。俺の後輩どもはマヌケぞろいでな、人違いしちまったらしい」
「オ~ライ、失敗は誰にでもあるわな。 それじゃ間違えたなら、それは正さないとな?返してくれるんだろう? なあに、ここまで持って来いなんてのは言わねえ。俺達が取りにいくぜ…お前が運送業者なら感涙もんだろう?」
胃が痛くなるような会話でさえ、芳樹さんは芳樹さんだった。 いつもと変わらない態度にもはや感心してしまいそうだ。
「それには及ばねえ。 本来の預かり品のついでだ。 ちゃんと壊れ物扱いで届けてやるぜ? ちゃんと料金さえ払ってくれたならな。 そうだちゃんとお預かりしてるか受け取り書をきかせてやるよ…ほれ」
ガタっという音が出て一拍置いた後に聞きなれた声が聞こえてきた。
「芳樹君?ごめん、捕まっちゃった。 でも絶対来ないで! 私なら大丈夫だから…きゃっ!」
ノイズと共に小さい悲鳴が室内に響く。
なんてことだ。 洋子さんまで捕まってるなんて…。
「おいおい壊れ物なんだろう? ずいぶんと荒々しいじゃねえか。 プロ意識ってものが無えのかよ」
洋子さんが捕まっていることを知っても芳樹さんの態度は変わらない。 表情も少しも変わらない。 いつものようにニヤニヤと薄笑いを浮かべている。
その変わりようのなさにゾッとしてしまう。 本当にこの人は俺と同じ人間なんだろうか?
無意識に隣の麻愉の手を握り締める。
「まだ壊れ物かどうかは決まってねえからな。 おいおい芳樹よ~、女にこんな健気な言葉言わせてんだから男を見せろよ? お前は俺達に料金を支払う。そうすれば荷物は無事にお前達のところへ戻る。単純な話だろう?」
「料金は現金でいいかにゃ?」
ことここに至ってまだそんなことを言う。
この男は狂ってんじゃないのか? それとも実は全てどうでもいいと思ってるんじゃないだろうか?
白音も緑友会も、自分の恋人すらも。
「い~や料金はお前らんところのブツだ。もっとも最終的には金にはなるけどな、でなけりゃ荷物は壊れてお届けすることになるぜ、中身も身体もな」
電話口の男もイカれてる。 楽しそうに含み笑いをこめたその台詞だけで男が俺とは違う類の人間だということが理解できた。
「なるほど。オーケー、オーケー。 こりゃ俺達の負けだな~。 言われたとおりに『ミドリ』を渡すとしようじゃねえの」
芳樹さんの敗北宣言を聞いて、男が大きく笑い出した。
「はっはっはっは!利口だな。それじゃ持ってくる場所はメールで送ってやるよ」
通話が切れ、プープーと言う音だけがスピーカーから響いている。
「…さてと、どうしたもんかねえ~」
「け、警察に通報を!」
「そりゃもっとも悪い手だな…連中の中に警察のお偉いさんの息子やら警察官自身も混じってるらしくてな、まあそれが連中がオイタし続けられる理由らしいぜ」
「そ、それじゃどうすれば…!」
「いずれにしても仲間を助けにいかねえとな、なあに手は考えちゃいるさ…ちっとばっかし張り切らなきゃいけねえのがダリイところだがな……ところで」
芳樹さんが俺に目線を配る。
「友和きゅんよ~、お前、少しばっかり身体張る覚悟は出来てるか?」
「やらなきゃ白音と洋子さんが危ないんでしょう?やりますよ…というか身体なんていくらでも張ってやりますよ」
俺の返事は予想以上だったのか、珍しく芳樹さんは驚いた顔をしたあとにクシャリとした笑みを浮かべ、
「いい返しだ。やっと吹っ切れたみたいじゃねえか」
「ええ、本当にギリギリでというかこんなことになってからってのが我ながらアレなんですけどね」
本当に遅かった。 だがもう手遅れになっていないことを期待しながら俺はぎこちなく表情を崩して芳樹さんとまっすぐみつめあう。
「なあに…世の中に遅すぎってことはねえさ、それにまだ後の祭りってほどじゃねえしな……ははは」
そのまま力強く肩を叩いてくれる。
不思議だ。 この人のことを俺は好きじゃなかった。 いや、いまでも嫌いだという気持ちが強い。
なのにこの人の言葉はいまだわずかにぐらついている俺の心を不思議と勇気付けてくれる。
好きか嫌いかすらもどうでも良くなるくらいこの男はとんでもない存在なのだろう。
今はそう結論づけておくとしよう。 そういう化け物なんだと。
「んじゃ…まあ、とりあえずは作戦会議と行こうかね、向こうの出方しだいで多少は変わるだろうが……まあ、なんとかなるだろうよ」
緊張感のかけらも無い言葉もいまだ崩れないその余裕の表情も理解の範疇外に押しのけて俺は力強く『ハイ!』とだけ答えた。
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