第四条 親切心

 冬も近付きその年も終わろうとしている、ある肌寒い朝のことだった。


 アナは王都銀行を訪れ、いつもの様に門前払いされてしまう。彼女の着古した外套が良くないのだろうか、銀行内にも入れてもらえなかった。


 アナがとぼとぼと銀行前の階段を下りようとしていた時に、片手に小さな鞄を下げ松葉杖をついている若い女性が階段を上ろうとしていた。歳はアナより少し若いくらいだろうか。


 彼女が鞄を落としてしまったのでアナは駆け寄って鞄を拾い、声を掛けた。


「あの、手をお貸ししましょうか? お一人ですか?」


「あ、ありがとうございます。この松葉杖、まだ慣れていないものですから。この大通りだと御者も馬車を止められなくて、しょうがなく一人で馬車を下りてきたのです」


「では、入口までご一緒します」


 つい先ほどアナを追い払った銀行の職員に彼女は名前を告げていた。


「アメリ・デジャルダンと申します。アランさまとお約束しているのですが」


 アナはその職員に睨まれたのでそのアメリと名乗る女性に鞄を返し、退散することにした。彼女には丁寧にお礼を言われた。アナは絶望的な気持ちで銀行前の大通りに出た。


 今晩ピアノの仕事に入っても美しい音色が奏でられるとは思えなかった。あの騎士にも最近のニッキーを少し心配してか、前回の来店した時にこう言われた。


「ピアノも剣と同じだな。その時の精神状態が大きく表れる」


 今日のアナはボロボロで悲壮感の塊だから、ニッキーとしてピアノを弾くどころか、あの光り輝く人が来店しても彼と目を合わせることさえ出来そうになかった。アナは歩道の長椅子に座り込んでボーっと物思いにふけっていた。何をする気にもなれなかった。


「これからどうしたらいいのかしら……」




 どのくらいの時間が経ったかも分からなかった。ぼんやりと人通りを眺めていただけだった。ふと銀行の入口を見ると、先ほどの女性が出てきたところだった。咄嗟に体が動き、階段を上り彼女に声をかけた。


「また鞄をお持ちしましょうか?」


 彼女は少し驚いたようだった。無理もない。


「えっと、歩道の長椅子に座ってボーっと考え事をしていたら貴女が出てこられたので……」


「度々ありがとうございます」


「馬車はお迎えに戻って来てくれるのですか?」


「はい。あと数分で来てくれると思います」


「寒いですけど、そこにお座りになりますか? お怪我ですか? あの、痛みますか?」


「いえ、大丈夫ですわ」


 アナとアメリは長椅子に腰かけた。


「アメリ・デジャルダンと申します」


「アナ=ニコル・ボルデュックでございます。もしかして貴女は、王太子殿下を助けられたという……」


「ええ。何だか無駄に有名になってしまって。ボルデュックさまも銀行に来られたのですか?」


 少し前、離宮から帰還中の王太子の一行が賊に襲われた事件は王国中を震撼させた。勇敢な侍女が身を呈して彼を助けたことも庶民の間にまで広く伝わったので、アナもアメリの名前を耳にしていたのである。


「どうぞアナとお呼びください。ええ。実家が資金繰りに困っておりまして融資を、要は借金ですね、お願いしようと参りました。この格好では領地を持っている貴族とは信じてもらえなくて。当たり前ですけど」


「私のことはアメリとお呼び下さい。やはり貴族の方だろうとは思いました」


「申し訳ありません。全然関係のないアメリさんに我が家の事情をペラペラと、お恥ずかしいですわ。少し一人で思いつめてしまって、思わず口が滑ってしまいました」


 誰かに聞いて欲しかっただけなのだが、先程自己紹介しただけの初対面の相手に何を口走っているのだろう、とアナは赤くなって恥じ入ってしまう。


「連絡先を教えてくださいますか? 私、今会った銀行の担当者の方と、彼を紹介して下さった方にアナさんのお話だけでも聞いてもらえるよう、お願いしてみますわ」


「まあ、そこまで」


「私も彼らにはただ一方的にお世話になっているだけだから、図々しいと思われて放っておかれるだけかもしれません」


「そのお気持ちだけでも大変ありがたいです。アメリさんの連絡先も教えていただけますか?」


「ええ、もちろんよ。実は私、数日後に王都を離れてしまうのですけど」


 アメリは少し寂しそうにつぶやいた。お互いの連絡先を交換したところで彼女の馬車は来た。


「送ってさし上げたいのはやまやまですが、この馬車は友人の好意で使わせてもらっているものなので」


「それには及びませんわ。あの、ご自分のことで精一杯なのに私のことまで気にかけて下さって、何ともお礼の申しようがありません」


「それはお互い様じゃないですか?」


「お体お大事になさって、怪我が早く治りますように」


 帰り道、何も解決していないものの、アナの気分は少しだけ軽くなっていた。




 王都は年末の賑わいを見せていたが、アナは新しい年の訪れに向けて準備をする気分にもなれなかった。商店街では大規模な年末の市が開かれるらしいが、見物にも買い物にも行きたくなかった。新しい年といってもボルデュック領には新たに借金がかさむ年となるに違いない。


 飲み屋でピアノを弾いている時ニッキーは何も考えず、無心になって素晴らしい演奏をすることだけに努めた。その日の気分で演奏にむらが出るのは職業意識が低いと言われてもしょうがない。仕事は仕事だから、ピアノ弾きとして最善の演奏をするのが勤めだ。


 しかしニッキーは銀貨一枚、銅貨一枚を稼ぐのにあくせくと働いているのにボルデュック家の借金は増える一方で、あの近衛騎士も含め気前よく心付けをくれる客との境遇の差をひしひしと感じていた。


 世の中は理不尽なことで溢れている。アナはその夜の帰り道に考えた。自分だって恵まれていて本当の貧困や飢えを知っているわけではない。伯父と伯母の好意に甘え世話になっているお陰で、アナもテオドールも食費や滞在費はほとんどかかっていないのだ。


(今年も終わりに近いからかしら、それとも寒さのせいかしら、一度滅入ってしまうと駄目ね、私って。悲観的な考え方しか出来なくなってしまって。早く帰って伯母さまやテオの顔を見て、暖かいお風呂に入って、一晩寝たらきっと明日は何か楽しいことがあるかもしれないわ)




***ひとこと***

前作「貴方の隣に立つために」の第二十五話にあたる部分です。南部に発つ前の傷心のアメリでした。

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