第15話 炎

 

 物質には必ず『発火点』というものがある。 

 鉄ならば、800℃、木材ならば250℃、新聞紙は300℃程度。

 この温度を超えると物質は、自らの発熱反応によって温度が上昇していき、その後赤く光を発する。

 その時、気化した燃料やバラバラになった固形燃料は微粒子となって空気中に放出される。

 酸素が豊富な空気中に放出された、これらの微粒子は、当然のように燃焼しながら上昇していく。

 この燃焼に伴う光を、人は『炎』と呼ぶ。

 発火点を超えた物質は、自身が尽きるまで勢いよく燃え続け、その後に残るものは何もない。

 ――では人の心はどうだ。

 自らの許容範囲を超えるほどの、激しい熱を帯びた時、人の心はどうなる。

 人間が、怒りに身を任せた後に残っているのは、何だ?

 『怒りは無謀を持って始まり、後悔を持って終わる』ということわざがある。

 木を燃やした後、残るのは煤けた炭だけのように。


 ――それは、そう。恐らく破滅的な最後だけだ。



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「くくくっ、見ろよお前ら、南条エリのケータイを手に入れた……」


 3人の男達は、再び立ち入り禁止の屋上に集まっていた。

 オレンジの髪の男の、左の手元にあるのは、コンビニ袋に入れられた多量の違法ドラッグ。

 右手に持つのは、ピンクのカバーがつけられたスマートフォンである。


「おいおい……まじでやるのかよ?」

「あぁ?今更何言ってんだよ。てめーにも『冷たいの』やってんだから今更やらねえなんて言わせねえぞ」

「……分かったよ。お前、南条のケータイいつパクってきたんだよ?」

「パクってねえよ、『拝借』したんだよ。あいつらが教室にいないとき、南条のロッカーを漁った。私物ならなんでも良かったが、まさかケータイがあるとはな。これは都合がいいぜ」

「ははっ、沢村、お前流石親父の金をいつも盗んでるだけあるな」

「うるせえよ、殺すぞ」

「キレんなよ。俺も協力してやっから」


「そんで、エリちゃんのケータイの中身は見たのか?」

「見たけど、面白いもんはなんも無かった。ハメ撮りでもありゃ良かったが。ファイルにあったのは動物や料理の画像だけ。……メールや電話の履歴はほとんど大滝大滝大滝だ。むかついてケータイ叩き折ろうかと思ったぜ」

「はん、やっぱあいつら付き合ってたのか」

「みたいだな。でも、あいつが『大滝組』と関係があるなんてのは、お前の見当違いだったようだぜ。」

「どういうことだ?」

「あのな、俺も滝組について、兄貴に聞いてみたんだけどよ、滝組ってのは、構成員全員戦闘訓練を受けてるらしいじゃねえか」

「ふーん」

「ああ、俺もそんな噂聞いたことある」

「そんでさ、柔道の授業で、また大滝と南条のクラスと合同でやる時間があったんだよ。だから、大滝の力を試そうと思ってあいつと組んでみたわけよ」

「あー、沢村、昔柔道もやってたもんな。コーチがうざくてやめたんだっけか」

「……うるせえな、それはどうでもいいだろ。聞けよ。そんでな、大滝と何回か組んで見たけどよ、ありゃ完全に素人だったぜ。動きもトロいし、受け身すら取れてなかった。あんな雑魚が滝組なわけねえわ」

「……なるほど、たまたま苗字が同じだっただけか。少し安心したぜ。滝組の人間怒らせたら、相当やべえらしいからな」


「……つまりだ、南条をヤっちまっても警察にさえバレなきゃ良いってわけか」

「くくっ……そういうことだよ。コレ・・さえあれば、女なんてある程度コントロールできるからな」

「ああ、最高だなそいつは」

「あの女も、お高くとまりやがってむかつくんだよ。話しかけても俺の事無視しやがったし」

「ははっ、うけるわ」

「でもな、あの高飛車な女が、アヒアヒ言って喘いでるところを想像すると……」

「ああ、たまんねえな。ソレ・・があれば、出来るんだろ?」

「……そういうことだよ」


「で、どういう算段で南条を呼び出すんだ。作戦はできてんだろ?」

「ったりめえだろ。そのためにケータイこいつを拝借してきたんだ。いいか、よく聞け。俺の考えた作戦はこうだ……」



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 俺達は6限目の授業を終えた。

 あとは、最後にホームルームをやって帰宅するだけだ。


「ふあぁあ……」

「なんだよ春樹、眠そうだな?」

「まあな。昨日あんま寝てねえんだ」

 

 智和が声をかけてきた。

 昨日は親父の件で、考えることが多かったせいでほとんど寝ていない。

 あー……この暑さも相まって体がだるい。

 早く帰ってシャワーを浴びて、布団に転がりたいところだ。


「春樹、エリちゃんと仲直りしとけよ。エリちゃん、体育の時も、お前のこと心配そうにじーっと見てたんだぞ?」

「……」


 体のだるさもあるせいで、その言葉には答えるのすら億劫だった。

 俺の周囲の人間は、どうしてこう他人にお節介を焼きたがるんだろうか。


「お節介だ、って顔してるな」

「……よく分かってるじゃねえか」


 お見通しだったようだ。

 俺と智和はもう長い付き合いだ。

 こいつは、直接聞いてはこないが、俺の家のことにも気づいているかも知れない。


「まあそう言わず、聞けよ春樹。あのさ、エリちゃんはエリちゃんで不安定だけどさ、お前もお前で不器用すぎなんだよ」

「……」


 言ってることは尤もだ。

 しかし、俺は少し苛ついていた。

 こいつは、部外者だ。


「なあ、春樹。一つ聞いていいか?これは今更聞くまでも無いことだから、今まで聞かなかったんだけどさ」

「……なんだよ」

「――お前さ、エリちゃんのこと『好き』なんだよな?」

「……あ?」


 智和は、「もちろん恋愛としてだぞ」と付け加えた。

 聞いて、後頭部を石で殴られるような感覚だった。


 俺がエリに対して持つ感情……。

 それは多分、恋愛としてのものでは無い。

 では何だ……?

 俺は何であいつと一緒にいる?

 何であいつと離れることを嫌がっているんだ?

 何で親父は、俺に対して、『人間らしい』と言った……?

 あいつは、幼馴染で、親がいないから……いや、違うな。

 俺は、エリに、依存している……?


「おらー、席つけー帰りのホームルーム始めるぞー」


 石井のその声で、俺は我に返った。

 と、同時に気づいた。

 ――両親のいないエリが、俺にお節介を焼くように、きっと、母親を亡くした俺も、エリのお節介に甘んじていたんだ。

 俺は、エリのことを恋愛対象としては見ていない。

 だが、そこには間違いなく特別な感情があった。

 


「まあいいや、春樹。答えなくても分かるって」

「……」


 智和は石井を見て、自分の席に戻っていった。

 帰りのホームルームが始まり、石井の声を聞き流しながら、俺はしばらく逡巡していた。

 エリの事を考えながら、怪物の獰猛な笑みが脳裏によぎる。


 『怪物になる』とは、つまりそういうことなのか……?

 親父の持つ力は何者にも依存しない、支配的な力だ。

 自身の弱点になる部分は、自ら潰し、何人にも付け入られる隙を見せない。

 自分の女を、自分で殺す程の、完成された化けの皮。

 今の俺のように、弱みになるものを何一つ持っていない。


 奴は俺にそれを気づかせるために、エリのことを引き合いに出したのか……?


「じゃあな春樹」


 智和の声で気づいた。

 いつの間にかホームルームは終わったようだ。


「ほら」


 そう言って智和は廊下側の席の方を見た。

 俺もそれに従って見ると、こちらを見ていたエリと目が合った。

 「うまくやれよ」と一言残して智和は教室を出ていった。

 同時にエリが近づいてくる。


「……ハル、今日話したいことがあるの。だから放課後校門の前で待ってて」

「待つ?お前は?」

「私はちょっと寄るとこあるから。すぐいくからちゃんと待っててよね」

「……分かった」

「……大事な話だから、絶対待っててよね、ハル」

 

 俺は「ああ」と答えて、一人で教室を出た。

 正直なところ、一人で帰りたい気分だったが、エリが『大事な話』と言っていたことが気になる。

 なにやら、真面目な雰囲気だったしな。

 つか、寄るとこってどこだ?

 エリが放課後に居残りとは珍しいな。


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「おせえな……」


 俺は校門の前で待っていた。

 柔道の授業で汗をかいていたせいで、制服のワイシャツが胸元にはりつき鬱陶しい。

 陽は沈み始めたとは言え、真夏に外でじっとしているというのは中々しんどいもんがある。

 まして今日はかなりの寝不足だ。

 正直早く帰りてえ……。

 エリの奴、こんなに時間かかるなら、何で校門前なんかに待たせやがったんだ。

 蚊も飛んでるし、油蝉の鳴き声も耳障りだ。


「なにやってんだ、あいつ?」


 エリが放課後居残るのは珍しいことだ。

 あいつは優等生であり、教師からの評価も高い。

 それに、エリが男性恐怖症であることを、石井も理解していた様子だし、

 あいつを遅い時間に返すことを良く思っていないはずだが……。

 そう考えていると、右足のポケットが振動し、震えるのを感じた。


「あ?……誰だ?」


 スマホを取り出して見ると、メールが来ていた。

 エリからだ。


件名:無し

本文:『長引きそうだから、春樹、先帰ってて』


「はあ……なんなんだあいつ?」


 自分で待っててとか言ったくせに、今度は先帰れかよ。

 もしかしてあいつ、喧嘩した俺に嫌がらせしたかっただけなんじゃねえか……?

 まあいい。

 あいつの言う通り、帰るとしよう。

 つーかもう眠さと暑さが限界だ。

 俺はあくび噛み殺しつつ、だるい体を引きずるように帰路についた。


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「南条さん、体育館に落とし物が落ちてたって先生が言ってたわよ」

「え、体育館?」


 南条エリがそれを聞いたのは6限目が始まる直前のことである。

 今まで話しかけられたことの無かった女子生徒であったため、エリは少しだけ面を食らった。


「ケータイかな。でもなんで体育館なんだろう……?」

「体育倉庫の落とし物入れに、入れといたそうだから、放課後に取りに来てって言ってたわ」

「……まあいっか。とにかく、教えてくれてありがとう。山梨さん……だったっけ?」

「綾子でいいわ。どういたしまして。実は私、南条さんとは一度話してみたいと思ってたの」

「……本当?ありがとう、綾子さん」

「綾子さんなんて、綾子でいいわよ、エリ」

「そっか。ありがとう綾子」


 エリは、その目立つ容姿と引っ込み思案な性格、それに春樹という素行不良の生徒が、いつも近くにいることが相まって、女子生徒の友達が少なかった。

 だから、こんな風に話しかけてくれる女子がいることに、顔がニヤけるのを抑えられなかった。


「エリって、いつも彼氏と一緒じゃない?だから中々話しかけづらくて」

「か、彼氏!?ち、ちがくって、あのバカはそんなんじゃないの!」


 エリはすぐに誰を指しての言葉なのか理解した。

 自分と春樹がそういう風に見られている事を知っていたからだ。

 しかし、理解していたにも関わらず、彼氏という単語に動揺を隠しきれなかった。


「あら、そうなの?でも、大滝くんって、ちょっと怖いけどかっこいいわよね。エリと付き合ってないなら、話しかけてみようかしら」

「……え?」

「ふふ、冗談よ。そんな顔しないでよ」

「あ、ああ……そうよね!あの馬鹿はやめといた方がいいわ。ほんっと馬鹿だし、子供だから」

「ふふふ、エリってかわいいわね。大丈夫、手を出したりはしないわ」


 我ながら分かりやすい反応をしてしまったとエリは思った。

 綾子は、エリから見ても美人だと感じた。

 彼女は、エリには無い大人の色気のようなものを持っていたからだ。

 正確には、胸だ。綾子は、制服を着崩し、胸元を広めに開いている。

 そのボリューム感はエリのコンプレックスを刺激した。


「あら、もう教師が来ちゃったみたいね。いい?放課後、必ず体育倉庫に行くのよ?それじゃ、また話しましょうね、エリ」


 綾子はそう言って微笑んだ。

 綺麗な笑みだ、とエリは思った。

 しかし、同時に、彼女の吊り上がる口角に少しだけ違和感を感じた。

 だけど、「自分に話しかけてくれた彼女はいい人だ」と自らバイアスをかけ、その違和感はすぐに払拭された。



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 放課後、エリは綾子の言った通り、すぐに体育倉庫に向かった。

 体育倉庫は体育館の内部にある。

 体育館はまだ開いていたが、今日はテスト期間であったため、部活で残る人は誰もいない。

 そのため、体育館の中は、驚くほど静まり返っていた。

 エリは扉を開き、中へ足を踏み入れる。

 そこで、遠目で見た体育倉庫の扉は、閉まっているように見えた。


(あれ……?扉しまってる?しまった、鍵借りてこなきゃいけないのかな……?)


 鍵の管理をしている職員室は、体育館とは反対側の校舎の上の階にある。

 取りに行くのはかなり面倒だな、と思った。

 エリは、念のため、扉が閉まっているか確認しようと、扉の取っ手に手をかけた。

 

「良かった。開いてる……」


 そう安心したのも束の間、


「――ッ!!」


――扉を開けた瞬間、何者かの手がエリの腕を掴んだ。



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「ハハハッ!!完璧だな!沢村の作戦は成功だ!」

「おいおい、まじで南条来ちゃったよ、すげーな、まじうけるわ」

「たりめえだろ!俺はお前らと違って頭がいいんだよ。ここが違うんだよ、ここがな」

「――ッッ!!――――ッッ!!!!」


 男達は、作戦が全て算段通りに進んだことに強い快感を感じていた。

 学校一と称されるほどの美貌。作り物のような容姿を持つ南条エリは、今自分達の手の中にいる。

 そんな征服感と達成感に酔いしれていた。

 今、彼女は、両の指を結束バンドで拘束され、口元はガムテープで防がれている。

 さらに、腕を紐で柱にくくりつけられ、完全に拘束された状態にある。

 それらの道具は全て、体育倉庫に元からあったものだ。

 内側から鍵をかけてしまえば、もう誰も入ってこれない。

 彼らは、この日、教師の見回りも来ないことは、既に把握済みだった。

 目的を遂行する上で、これほど都合の良い空間は無い。

 そう確信した上での計算された犯行だった。

 

「ハハッ!!綾子を使って正解だったぜ!女には油断したみたいだな!南条」

「なに、お前綾子セフレに頼んだん?そう言えば南条と同じクラスだったな」

「――ッ!?――ッ!!」


 エリは『綾子』という単語に酷く動揺した。

 「また裏切られた」とエリは思った。

 既に頬は涙に濡れ、全身は鳥肌が立ち、震えあがっている。

 男3人に囲まれ、無理やり拘束された。

 このシチュエーションは、彼女が最も恐れていたものと言っても過言ではなかった。


「にしても、こんだけうまくいくとはな。すげえ、俺今アドレナリン出まくってるわ」

「ああ……でも、これからが本当に楽しい時間だぜ……くくっ!今度はドーパミンで脳が蕩けるぞ……!」


 エリが扉に手をかけた後の手際は、実にスムーズに進んだ。

 彼女を扉の中に引きずりこみ、すぐに扉を閉め、鍵をかける。

 小柄なエリの体は、それを容易にさせた。

 しかも、彼女の体は驚くほど硬直しており、声も全くと言っていいほど出さなかった。

 その後も問題なく拘束し、ガムテープで口を塞いだ。

 出来すぎの展開に、主犯格の男、「沢村」はほくそ笑んだ。


「――ッ!!!――ッッ!!!」

「どうしたの?エリちゃん。大丈夫、安心しろって。これからめちゃくちゃ気持ちのいいことしてやるから。――でも、その前に」

「――ンッ!!」


 沢村は、エリの頬を殴った。

 殴られた箇所は、すぐに赤く変色する。

 元の肌が白いため、その変化はより顕著に表れた。

 彼女の瞳からは既に光が消えかかり、柱に力なくもたれかかった。


「お前、俺のこと、しかとしやがったからな。これでチャラだ」

「おいおい、沢村。これから楽しむんだから顔殴んのはやめろって。せっかくの上物台無しにすんなよ」

「ああ、それもそうだな。『顔』はもう終わりだ」


 沢村はそう言って、エリを見て口の端を歪めた。

 エリはそれを見て、さらに恐怖に震え上がる。


「にしても……こりゃたまんねえな」

「くくっ……」

 

 エリの制服のスカートは、ややめくれ上がり、その中の素肌が晒されている。

 男達の視線は、既に彼女の白い太ももに注がれていた。


「おい、脱がせろ」

「言われなくても」

「――ンンッ!!!――ンッ!!」


 男達は彼女の制服に手をかけた。

 暴れるエリに対して、髪を引っ張り押さえつける。

 そして、夏服のブラウスのボタンを、上から一つ一つ外していく。

 徐々に露わになる、彼女の透き通るような白い素肌を見て、男は生唾を飲み込んだ。


「……胸はねえけど、こりゃ最高の女だな」

「エリちゃん、今から気持ちよくしてあげるからね」

「――ッ!!!」


 男達の鼻息は、徐々に荒くなっていった。

 先走った男が一人、彼女のスカートに手をかける。

 だが、それを、もう一人の男が手で制する。


「おいおい、慌てんなって。童貞かよお前」

「なんだよ、邪魔すんなよ沢村」

「待てって。ほら、まずは『こいつ』の準備からだろ?」

「……ああ、なるほどな」


 沢村は、手元にあったコンビニ袋からタバコの箱を取り出した。

 それを見て、もう一人の男は納得したように下卑た笑みを浮かべる。

 沢村は、タバコ箱の中から小さなビニールパックを取り出した。

 ――その中に入っているのは、微量の白い粉。


「『ポンプ』は?」

「準備してねえ。『炙り』で吸わせる」

「吸わせる?でも、ガムテープしてんじゃん。外すか?」

「いや、外して騒がれたら面倒だ。このままでいいだろ」

「このままって、鼻から吸わせるのか?それ大丈夫なのか?」

「知らね。俺はいつも口だけど、鼻からも口からも多分変わんねえだろ」


 沢村は、アルミホイルを取り出し、それを二つ折りにした。

 さらに、それをもう一度折り、真ん中にできた谷に、耳かき一杯程度の粉をつまみ入れる。

 それを下からターボライターで炙ると、気化した粉が煙となって上昇していく。

 沢村は、液体となった粉を転がすように動かしながら、蒸気となったその煙を思い切り吸い込んだ。


「フゥーー……。ああー、イイ感じだ……」

「オイ、俺にも吸わせろよ」

「待てよ……話しかけんな。ああー、じわじわキテル。ッハァー!」


 沢村は天井を見上げながら、目をパチパチと瞬きを繰り返した。

 握りしめた拳はやや震えている。


「オイ、テメーだけアガってんじゃねえよ、次は俺だ」

「いや待てよ、俺だろ」

「っるせえなぁ、黙ってろ。次はそこの女に吸わせんだよ。お前らはその後だろうがぁ!」


 沢村はそう叫んで、後ろにいた男の顔面めがけて裏拳を放った。


「あっぶね!オイ、いきなりなにすんだテメ」

「ヒャハハ!避けんなよ!」

「うわ、なんだよこいつ、もうラリってやがる……」

「アー……『下ネタ』貰って正解だったぜ。もう上も下もアガってきた!」


 沢村の瞳孔は、通常ではありえないほどに開いていた。

 彼の目に映るのは、通常の数倍に光輝く世界。

 その薬は、A10神経、俗称、快楽神経とも呼ばれる神経に直接作用する。

 A10神経は、脳幹の中の中脳からスタートし、原始人の時代からある「原始の脳」と言われる視床下部に進む。

 この脳は別名、「欲の脳」とも呼ばれる。

 ――つまり、この薬は、性欲を爆発的に高める特殊な薬であった。



「下ネタ?おいおい、大丈夫かこれ。『ヨレ玉』じゃねえだろうなあ」

「あァ!?テメ知ったかぶってんじゃねえぞ!俺の兄貴の知り合いがそんな粗悪品流すわけねえだろうがぁ!」

「落ち着けって……」

「落ち着くぅ?俺はいつでも落ち着いてるらろぅがぁ!!」

「うわもう呂律も回ってねえじゃん」

「とにかくぅ、俺が最初に南条とヤんだよ!てめぇらはその後だ!!」

「チッ……分かったよ。俺は二番目だかんな。駄目だこいつ、もうこうなったら聞かねえよ。」


 エリは男達の理解不能なやりとりをただ為すすべなく見ていた。

 そして、沢村の視線が再びエリの方を向いた。


「おい、これ吸わせるから南条の頭を押さえつけろ」

「りょーかい」


 男達はエリの頭を押さえつけようと近づいてくる。

 エリはそれを見て、精一杯の力で暴れようとした。

 しかし、紐で縛り付けられた腕のせいで、ほとんど身動きは取れない。


「だーから、暴れても無駄だって言ってんじゃん」

「――ッ!!」


 身を屈んで近づいてきた男の顔に向かって、エリは思い切り足を蹴り上げた。

 しかし、それは、男のアゴをわずかにかすっただけだった。


「っ痛。あーくそ、血でてんじゃん。ねえ、これやっちゃったね、エリちゃん。そんなことされたらもう、俺達君に何してもいいってことじゃん」

「――ッ!?」

「ねえ、先に怪我させられたの俺だし、これって『正当防衛』ってやつなんじゃないの?」

「ハハッ、うけるわ!」

「おい、早くしろお前らぁ!」

「へいへい」


 男達は、エリの頭を無理やり押さえつけ、薬を吸引しやすいように、下を向かせた。

 エリは必死に抵抗したが、彼女の細い体では男の腕力には、全く歯が立たない。

 再び、沢村は例の粉をアルミホイルで炙り始める。


「――ッ!!!」


 それを見て、エリは最後の力を振り絞って暴れようとした。

 が、男に髪を掴み上げられ、いとも簡単に制される。


「くくっ……いくぜぇ……!思いっきり吸えよ南条。一緒に天国へいこうぜぇ!」


 沢村は炙った薬をエリの顔に近づけてくる。


「――ンンッ!!!」


 「ハルっ!!」とエリは心の中で叫んだ。

 しかし、ガムテープによって塞がれた口では発音すらできない。


「そう言えば、大滝はこねえんだろうな?」


 エリの頭を押さえつけながら、男は聞いた。

 その言葉に、沢村の手はピクリと止まる。


「大滝ぃ?あいつはこねえよ。一応南条を装ってメールしておいた。尤も、あんな雑魚がきたところでなぁんにもできねえだろうがなぁ!ハハハッ!!」

「ハハ、流石沢村。悪事に関しては抜かりねえわ」


 話し終えると、沢村は再び、エリの顔めがけて薬を近づけていく。


「――ッ!!――ッ!!!!」

「それじゃあ、南条……いくぜぇ……!ゴートゥヘヴンだ!」


 エリの顔の下に、炙られた薬がぬるりと差し入れられた。

 顔に蒸気が直接かかる。

 エリは必死に息を止めていたが、口は防がれていて呼吸ができない。

 やがて、肺は酸素を欲し、彼女は無意識に鼻から息を吸い込む。

 そして、薬の蒸気は彼女の鼻腔に吸い込まれた。

 少し甘い香りと共に、頭が痺れるような感覚が彼女を襲う。

 数秒間、クラクラと脳を揺さぶられるような気持ち悪さがあったが、すぐにそれも分からなくなった。

 やがて、彼女の全身はじんじんと熱くなり始めた。


「……まだだ。もっと、もっと吸わせろ!」

「――ッ――」


 鼻から吸い込まれた蒸気は、直接脳まで進んでいく。

 それは口から吸うよりも、遥かに即効性が高い。

 彼女の視界はすぐに白くにごっていった。


(体が熱い……助けて……あれ、なんでこんなところにいるんだっけ……。この粉、何だろう……なんか、眩しい。……助けて、ハル……)


 耐性の無かったエリの意識は、すぐに混濁していった。

 そして、薄れゆく意識の中で、彼女は非現実的な光景を目の当たりにした。

 

 ――凄まじい衝撃音と共に、体育倉庫の扉がぐしゃりと歪んだのだ。


(ああ……これが、幻覚ってやつなのかな……何か、扉が、歪んで……あれ、ハルが見える……。おかしいな、私、死んじゃうのかな……。最後に、ハルに……)


 彼女の意識はそこで完全に途切れた。




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 ――俺の中で、身を焦がすほどの熱い炎がメラメラと燃えていた。

 『炎』だ。

 その火がつくのは一瞬だった。



件名:無し

本文:『長引きそうだから、春樹、先帰ってて』



 放課後、エリのそのメールを見た俺は、すぐに自宅に帰ろうとした。

 その時は、寝不足で頭が回らなかったんだ。

 だから、俺はその違和感をスルーしてしまった。

 今考えれば、そのメールにはおかしな点が多い。

 珍しく件名の無いメール。絵文字の無い淡泊な本文。

 そして、俺のことを指す呼び名だ。

 「春樹」と、ちゃんと呼ばれたのは初めてだった。


 俺がその違和感に気づけたのは、偶然だった。

 そう、たまたまだ。

 自宅に帰ろうと、5分ほど歩いたところで、下校する女子たちの集団の、話し声が聞こえてきた。

 聞き耳を立てるつもりは無かったが、「南条」という名前が、耳に飛び込んできて、すぐにエリの話をしていると分かった。

 そいつらは、俺のクラスメイトの女子達だった。


「キャハハッ、マジウケルわー!南条絶対ウチのこと友達だと思ってるしアレー!」

「うわー、綾子マジ鬼だわ、ウケる!」

「いや、南条と友達になるとかマジないから。男に媚びるぶりっ子だし、いつも黙っててきもいんだってアイツ」


 そいつらは、エリの悪口を言っていた。

 長身の女を中心に、エリの欠点を指摘しあって、ゲラゲラ笑っている。

 俺はそれを、ただ黙って聞いていた。

 何かする気も無かった。

 何故なら、これは別に珍しいことでもなかったからだ。

 昔から、何でも完璧にこなすエリは、同性から嫉妬の対象にもなりやすい。

 この程度の悪口で、こいつらに一々つっかかる程、俺は熱い男じゃない。


「あいつマジガキだし、この年で金髪ツインテとかきもいんだって!」

「ハハ、わかる!」

「それにさー、ウチが話しかけたら何かニヤニヤしちゃってさー、何勘違いしてんの?って感じ」

「ウケるんですけど!それって綾子、沢村先輩に言われて仕方なくやったんでしょ?」

「そうそう!」


 「沢村」という男の名前が飛び出し、少し引っかかるもんがあった。

 だから、俺は身を潜めて、そいつらの話の続きを黙って聞くことにした。


「なに、綾子が例の場所に南条を誘導して、その後先輩たちはお楽しみってことでしょ?まじそれウケるわ!」

「そゆこと。多分今頃あいつ、ウチの彼氏に犯されてんじゃねーの!キャハハ!!」


 ――そいつらの話を聞いて、全ての違和感が導火線のように繋がった。

 珍しく放課後に居残るエリ、不自然なメール、沢村とやらの下卑た笑み。

 それらが繋げる火が、俺の心に一瞬で炎を灯した。



「おい」

「うわ!な、なんだ大滝くんか。どうしたの、そんな怖い顔して。も、もしかして今の話聞いてた?」


 俺は「綾子」と呼ばれていた女の肩を掴んだ。

 無理やりこちらを向かせると、そいつは驚いた表情をした後、すぐに取り繕った笑顔に戻った。


「俺に作り笑いは通用しねえよ」

「え、何いきなり、どうゆう……きゃあっ!」


 俺は女の肩を掴んだまま、コンクリートの壁際まで無理やりそいつを押し付ける。


「な、何!?」

「ちょ、ちょっとなにすんだよ大滝!」


 取り巻きの女どもが全員こちらを見ていた。

 その中の一人が俺の肩を掴んだ。

 だが、気にせず女の目を見ながら続ける。

 女の肩は離さない。


「お前、今エリが犯されてるとか言ったな?」

「ちょ、痛いって!というか、え、な、何の話?聞き間違いじゃない?」

「そうか、聞き間違いか」

「そ、そうだよ。今私達は先輩の恋バナしてただけだし。ねえ、みんな?」


 女がそう問いかけると、取り巻きの女達は首を縦にぶんぶん振っていた。


「大滝、テメーやめろって。教師に言いつけんぞ!」


 一人の女は俺の腕を剥がそうとしている。

 俺はそれを気にせず綾子という女に一歩詰め寄る。


「そうだよな。言えないよな、自分が犯罪行為の手助けをしましたなんてなア?」

「な、なに?何の話してるかわかんないよ、大滝くん」


 この女はあくまでシラを切るつもりか。

 なら俺もそれなりの手段を取るしかない。


「……なあ、お前旦那と子供どっちが大事だ?」


 俺は女の肩を強く掴みながら尋ねた。


「え?い、いきなり何?ねえ大滝くん、こういうのやめようって。他の人も見てるしさ……ひっ!!」


 俺は女の股の間に膝を叩きつけた。

 裏にあったコンクリートの壁にミシとひびが入る。

 さらに逃げ出そうとする身体を、手を広げ壁につき塞いだ。

 見下ろすと、女は怯えながらこちらを見ている。


「いいから質問に答えろって。なあ、旦那と子供、どっちだ?」

「わ、分かった!こ、答えるって!だから、離してよ」

「答えたら離してやるよ」

「ウ、ウチは子供には興味ないし、いくらでも産めるから、そりゃ旦那でしょ……?」

「そうか、旦那が大事か」


 俺は言いながら女の肩を離した。

 女は一瞬安心したような表情を見せる。


「なら腹だな」

「――え?」


 離したその手で、俺は女の腹部にボディブローを叩きこんだ。


「ゴホッ!!」


 女の胃液が飛び散る。


「キャアアア!」

「け、警察!警察呼んで!」


 それを見ていた取り巻きの女たちの悲鳴が上がった。

 そのうちの何人かは逃げていった。

 俺はそれでも気にせず続ける。


「おい、綾子とか言ったな。まだ質問は終わってねえよ」


 俺は女の髪の毛を引っ張り上げ、無理やりこちらを向かせた。


「ごほっ、ごほっ!お願い、ゆ、許して……」

「許す?何を勘違いしている。お前は今、許す許さないの問題じゃない場面にいるんだぜ?」

「な、何を……」

「なあ、膣に焼けた鉄の棒を突っ込まれるって、どんな感じだと思う?」

「え……」

「俺は昔見た事があんだよ。その場面を。女は声にならない声をあげ、涎をたらしながら泣き叫んでいたっけ。……でもその女は、すぐにくたばっちまったから、感想を聞きそびれてなあ」

「な、何言ってるの?ねえ……」

「感想を聞かせてくれる女でもいりゃいいんだがなあ?」

「ひっ……や、やめて!!」

「やめてって、何をだよ。髪を引っ張ることをか?それとも、俺が今からしようとしていることか?『どれ』を止めろって言うんだ?……なあ、教えてくれよ」


 俺が詰め寄ると

 しゃー、と女の下半身から音が聞こえた。

 びちゃびちゃと地面に染みが生まれる。


「いい臭いがするな。どこだ?」


 染みの発生源に、俺は膝をグッと押し当てた。


「っぐ!も、もう、お願い……許して!」


 俺は、女の股下の壁に垂れる液体を指で掬い取り、それを口の中に含んだ。

 そして俺の唾液と女の尿の混ざった液体を、女の頬になすりつける。


「や、やめて……」

「なあ、お前もまだ死にたくないよな?……賢い奴は長生きする。俺はそう思う」

「ひぃ……助けて……!」

「いいか?次の質問にはよく考えてから答えろよ?」


 女は泣きながらブンブンと首を縦に振った。


「エリの居場所はどこだ?」


---



 女から居場所を聞き出した俺は、全速力で体育倉庫に向かった。

 走りながら、静かな怒りが、ひたひたと心を満たしていく。

 それは、今までの、真っ赤な炎のような怒りとは、異なっていた。

 冷静さと狂暴さを併せ持つ、怪物が持つ炎。

 それは、激情に身をゆだねる、真紅に染まった紅蓮の炎ではない。

 俺の脳裏で輝いていたのは、鮮やかなブルー。

 最も深い思索を表す色。

 だが、その冷たい色相とは裏腹に、それは、赤い炎以上の高温で燃焼する。

 真の極道、怪物が持っていた怒りの炎。

 ――それは、青の炎だった。


 学校に到着し、体育館に土足のまま入り込んでいった俺は、体育倉庫に向かってまっすぐ突き進む。

 扉は閉まっているのが見えた。

 恐らく鍵もかかっているだろう。

 しかし、職員室まで鍵を取りに行くなんて面倒な手間はかけない。


 俺は、体育倉庫の鉄の扉の前に立った。

 中からは男の耳障りな笑い声が聞こえてくる。

 それを聞いて決めた。


 ――扉を前にしてやることは一つだ。


 

 一発目。

 ドガア!と凄まじい衝撃音が体育館の中に響き渡った。

 体育倉庫を閉鎖していた鉄の扉は、原型とはかけはなれた形にひしゃげた。


 二発目。

 再び凄まじい衝撃音が響き渡り、ひしゃげた扉の中が見えた。


 三発目。

 ――その扉を完全に蹴り壊した。


 中から見ていた男達がポカンと口を開き、こちらを見ている。

 俺は言った。


「悪いな。扉を壊すのは得意なんだよ」


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