晩餐問題




 本日、夫婦揃っての何度目かの夕食は仮面夫婦のそれのようだったと言わざるを得ない。

 後悔させないという三日前の言葉はどこへやら、今日も今日とて侯爵は妻の前では口数少なく無表情の男なのだ。加えて視線もろくに合わせないときた。

 従者はリュークの傍に控えながら、内心ため息を禁じえない。

 ディアナの方はというと、時おりちらちらとリュークの方を窺って小さな口を開きかけていたりするものの言葉を出すには至らない。

 従者は主人の出している空気を霧散させたくなった。

 いや、空気といっても従者にとってはたぶん今こそ話しかけようと考えているんだろうな、と想像がつくが、会って間もなく人柄を知るほど本人と会話もしていないできていない奥方には分かるまい。

 しかし彼女が悪いのではなく、非は全てリュークにあることは明らかである。

 結局その日も静かで息の詰まりそうな空間で食事は終えられた。





「俺を殴れティム」


 従者を伴い部屋に戻った瞬間、侯爵は言った。額に手をつけソファに沈む姿は何だか見慣れてきたものだった。

 最近こと妻であるディアナ関係のこととなると領主として仕事をしている顔とも、雑な「リューク」個人としてのこれまでの顔とも異なる弱気ヘタレな姿が見られるのである。

 まあ王都で衝撃的なる出会いをしたと言っていた頃からその片鱗はあった。本命にはどれだけ奥手なのだ。


「私に殴る資格はございませんので。……僭越ながら、殴ってどうにかなるのであればさせていただきますけれども」


 従者は殴ってどうにかなるのならば殴りたいくらいだった。

 従者の主人にとて進歩もあるにはある。が、当然のことと言えること。挨拶とか挨拶とかご機嫌伺いとか。そして問題はそれで終わることだ。

 確かに時間はあるのでじっくり時間をかけられるとはいえここまで進まないとは。

 よほど王都の出立前の王太子と交わした会話の内容が心に突き刺さりすぎて慎重になりすぎているのか。

 予定外だったのは、なぜだか主人はそれ以外で妻と目を合わせることを避けているようだ。

 曰く、「目を直に合わせすぎると見とれて口が動かない。というより近くにいるだけで緊張する」らしい。誰だ。


「リューク様……」

「言うな、分かっているんだ」


 上手く接することができない。どうすればいい。とリュークは呻いた。

 どんな領地の問題でも、行きたくない貴族のつきあいの夜会でも弱音なんて吐かない侯爵。

 こればっかりは狩りのように上手くはいかないようだった。そもそも狩りに喩える方がどうかしていた。



   ◇◇◇



 おそらく色々な誤解が生じていることだろうと従者は推測する。

 見知らぬ相手との結婚は珍しくないが、まさかの王命での即結婚。

 相手は独身を貫いてきた侯爵。

 嫁いでみると、無愛想。

 必要最低限しか顔も合わせない。

 寝室は別。

 ――世間体のために仕方なく結婚を固めたとしか思えなくもない。

 それにウィンドリー侯爵は外面をつけさせれば笑顔は人のいいそれなものであるから、奥様が出会いの場を覚えているのであれば貴族の裏表怖いとでも思われている可能性もあり。

 だからといってどうすればいいのか、と従者は遠い目をする。

 もう少しいやもっと頑張って欲しい。


兄様にいさま

「……ミア」


 即結婚はうちの主人にも向いてなかったな、などと考えている最中呼びかけられて見ると、後ろに妹がいた。


「奥様はどうなさったんだ?」

「この時間にお茶をお淹れするのがここのところ習慣になってるの。兄様の方は?」

「リューク様にお茶を」

「……どうせなら一緒にお飲みになればいいのに」


 嫁いできたディアナに第一に侍女としてついたミアは不服げに呟いた。

 さっきの食事の席……だけでなく今まで侯爵と夫人が顔を合わせる際には従者と同じくずっといたから、そのことを引っくるめての言葉かもしれない。

 少しでも一緒にいればいいのに、だ。

 しかしながら、一方で主人の状態をずっと見ている従者はとっさに庇う。


「いや、リューク様だってしようとしてああなってるんじゃないんだよ」

「でも! ひどいわ、ディアナ様にあまりお会いにならないし食事で顔を合わせても最低限の挨拶だけじゃない!」

「ミア、静かに」


 この手のことで非難を聞けば、従者の主人はどうなるか予想がつかないのだ。

 部屋はもう遠いが耳がいい。


「リューク様が娶られたのなら、不安にならないようにするのは勤めだわ……!」


 言うことを聞いてくれたミアは声を押し殺し兄に訴えてくる。


「気心知れた侍女のお一人も連れていなければご不安でしょうに」

「そのことは、あちらの事情も……」


 それはどうしようもないと言いかけると、ミアがきっと従者を見上げる。


「ディアナ様にお聞きしました」

「そうか」

「だからこそ、ここでご安心して故郷と思ってくださるくらいにしたいの」

「うん、そうだな」

「でも、そのためには旦那様であるリューク様と仲良くならなければ始まらないわ。ここに、ウィンドリー領に嫁いできて良かったと思ってもらいたいけど、ディアナ様さっき呟かれたの。『わたしが嫁いできた意味はきちんとあるのかしら』って、そんなこと言わせるなんて信じられないいぃ……!」

「ミアー、ミア一回落ち着こうか」


 どんどん目に涙が湧いてきた妹を慌てて宥める。

 背中を撫でて、深呼吸させると落ち着いていく。素直な妹なのだ。


「いい子だな、大丈夫。リューク様は……何というかちょっといやだいぶ奥手だっていうだけだからうん。それは奥様を大切に思われてるってことだから。……慎重になりすぎてるんだけど」


 言い分に渋々頷いたミアを撫でてから、従者はふと思った。妹は奥方の侍女ではないか。今この邸で一番彼女を知る人間。


「なぁミア」

「なに、兄様」

「ディアナ様はリューク様のことをどう思ってらっしゃるか分かるか? 相談されたりとか……」

「ええ、最近は私のことを頼ってくださるようになったの。……どう、と言うと」

「即結婚で世間体のために結婚した無愛想な、最低に思われてないかと思って」


 歯切れ悪くなったのは主人の悪口にとれることを口にしているから。


「いいえ?」


 だが、予想に反してミアはたやすく横に首を振る。


「リューク様とディアナ様がこの前出かけた王都の舞踏会で会ったのって本当?」

「奥様から聞いたのか?」

「うん。……じゃあ、ディアナ様がおっしゃっているのは本当にリューク様のことだわ」

「奥様は、なんて?」


 侍女はこほんと咳をひとつ。


「舞踏会で助けてもらってそれに翌日に気遣って花まで贈ってくださるなんて。出来るならばあのような優しい方と結婚したかった。だから、結婚の命が出て驚いたけれど、両親に言い含められなくてもどこかほっとした、って」


 あれ? と従者は首を傾げた。

 好感触?


「意外だったなぁ、リューク様は結構嫌われてるだろうなって落ち込んでるのに」


 それも話の反応から見るに起死回生を図れたかもしれないドレス類の用意をしたあとから、というわけではなさそうだ。

 というより「衝撃の出会い」の詳細を聞かなかったが、助けたのか。

 いやしかし、第一印象が最高すぎるのではないか? という従者の考えはあたった。


「でも、あまり笑わない方で必要最低限にしか会えないから、貴族として結婚しなければならないから気まぐれにわたしを娶られたのかしらって。とても悲しそうだったわ」


 やはり身体が素直に動いてくれないらしい態度が響いている。

 侯爵はやはり笑顔装備だったのだ。それは状況も相まって素敵に見えただろう。素材はいいのに、いいばっかりに無表情は怖めに見える。


「それでも、それでもよ、兄様」

「うん?」

「それでもこんなわたしを娶ってくださったからには何かお役に立ちたいの。でもお忙しそうな方だから、話しかけると頭の中で考えいることを邪魔してしまうのではないかって、そんなことないのに!」

「……まったくもって」


 奥方は奥方で生来慎重な性格のようだ。

 だからか、話しかけるのをためらっている様子なのは。

 しかしまあ、こんな反応なのは奇跡だとしか言いようがない。


「今の状態が続けば修復不可能になる……かもしれないな」


 それをさせているのはやっぱりウィンドリー侯爵である。


「無理にでも話さなければならない時間を…………時間を…………あ」


 従者はぽんと手をうった。


「ミア、明日奥様がお出かけできるようにしていてくれ」

「お出かけ?」


 侍女はちょっと首を傾げた。






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