第11話

 ――魔人国諸侯殺害、○。

 ――公共施設の破壊、○。

 ――自殺、×。

 ――戦争への介入、○。

 ――白昼の大量殺人、×。

 ――中立都市の検問破壊、×。



 自分が何と戦っているのかなんて、もうとっくに分からなくなっていた。

 摩耗していく倫理観。麻痺していく罪悪感。

 抉られるかのように、私の「人間らしさ」は形を失っていく。


 全てを秘密裏に実行するなんてことは、当たり前だが不可能だった。

 諸侯を殺害後、私は脱出時に屋敷の使用人に姿を見られ、その時点で「勇者の暴挙」は大陸全土に知れ渡ることとなる。

 口封じにその使用人を殺すことはできなかった。初めて犯した殺人の感覚が残っている内に、図られたかのように使用人とばったりと出会ってしまった私は完全に恐慌状態で、とてもそんなことを考える余裕もなく逃げ出したのだ。


 アナとマリウスも、一連の事件がただの冤罪ではないことにはとっくに気付いていた。

 二人は、私が何に脅されているのか、どんな事情があるのかを問い詰めてきた。それがなんであれ私の味方をしてくれる、と前置きした上でだ。

 誤魔化すにも逃げるにも耐えられなかった私は、許されると思うギリギリのラインを開示した。


 やりたくてやっているわけではないこと。

 詳細な事情はそれでも話せないこと。

 話せば、私か二人の命が危ないであろうこと。


 二人はそれでも納得しなかったが、泣きながら震える私からそれ以上を求めはしなかった。

 恐らくは、二人でその「事情」を調べてくれるのだろうとは思ったが、この呪書に辿り着けるはずがない。

 一度、アナに私が呪書を開いているところを見られかけたことがあったが、その時の様子を見る限りでは彼女は呪書のことがそもそも見えていないようだった。そんなくだらない特性まで備えている呪書が無性に腹立たしい。


 二度目の自殺指令も無視。

 白昼の大量殺人は、街に近づいたところでビタリと足が動かなくなってしまった。それでも身体を動かそうとすると目眩と嘔吐感で私はその場に倒れ伏してしまい、追いかけてきたアナに回収されて実行に移すことはできなかった。

 中立都市の検問破壊に至っては、そもそも位置関係の問題だった。魔人国の南部から中部に差し掛かろうかという場所に来ていた私達が、そこから南に引き返してそれを実行するのはここまでの数ヶ月の行程を無に帰すのと同じことだった。私はそれでも呪書に従おうとしたが、二人に力づくで抑え込まれた。


 ペナルティは最早、知ることもままならなかった。

 時折、街に潜り込んだ際に情勢を見聞きすることはあるが、不審死の情報までは入ってこない。気が滅入るだけの情報を、見つかるリスクを犯して集めるわけにもいかなかった。

 だが戦争に巻き込まれて誰それが死んだ、と聞こえてくる中に私の知人や友人は多く含まれていた。数も時期も合わないので、それはペナルティではないのだろうと勝手に判断していたけれど。

 私の視界に入らないところでは、ペナルティの死が起こらないのだと無邪気に信じることができればどれだけ楽だっただろう。中立都市で知らない内に恩師が死んでいた時点で、私はその楽観を諦めていた。


 そして、今までに来た指令の数を数えるのも億劫になった頃。

 ひときわ強い悪寒が、私を襲っていた。

「・・・・・・マリウス」

「どうした」

「調べてほしいことが、あるの」

 マリウスは色黒だったし、訛りに気をつければ魔人族として振る舞うことができる。世間ではアナとマリウスに関してあまり言及されていなかったこともあり、それまでの道中で潜入と物資調達を一番こなしていたのはマリウスだった。

 私が頼んだのは、故郷の両親の安否確認だ。

「魔人族の情報屋に依頼を出すことはできるだろうが・・・・・・時間はかかるぞ」

「うん」

 私達の行動に益のない頼みだったが、マリウスはアナと少しだけ相談した後に請け負ってくれた。


 本当は確認するべきではないのかもしれない。

 知ってしまった時、私がどうなるのか分からない。

 それでも私は、その悪寒を無視することができなくて。


 一週間後にその報はもたらされた。

 街から野営地点に戻ってきたマリウスに私が問いかけると、マリウスは苦い顔をする。

「本音を言うなら、伝えたくない」

「なら最初から誤魔化せ、馬鹿」

 アナに低い声で一蹴されて、マリウスはため息をつき諦めたように口を開いた。

「開戦の頃から、国の命令で軟禁状態にあったらしい。だが先週に・・・・・・亡くなっていたそうだ」

 私は膝から崩れ落ちる。

「外部から侵入された形跡はなかったし、状況から自殺に断定されていると」

 自殺のはずがない。

 私の両親は、そんな選択をしない。


 ――視界の端に現れた呪書がひとりでに開く。

 まるで正解を示すかのように、呪書は最新のページにバツ印を加えた。


「う、あ」

 マリウスは所在なさ気に視線を彷徨わせる。

 アナは何も言わずに、悲痛な面持ちで正面から私を強く抱きしめてきた。

「ああ、ぅあああ――――!」

 慟哭が、空に吸い込まれていく。

 私は、帰る場所をも失った。


 ******


 それからの記憶は更に曖昧になる。

 正気はとうに失っていたし、夜もまともに眠れなくなった。


 開戦から一年近く経った頃に、私は自殺未遂をしていた。おそらくは呪書の指令ではなく、ただ湧き上がった衝動のみで。

 私がうわ言のように何かをつぶやきながら、自身の首筋に大剣を押し当てているのをアナが発見したらしい。アナの怒声を聞きながら張り倒された私は、自分がどれくらいその状態でいたかの記憶もなかった。

 それでも死ねなかったのは、多分この有様になっても死ぬ勇気がなかったからで。

 アナは本気で怒り、「死んだら絶対に許さない、私達はまだ諦めない」と言って私を抱きしめた。苛烈ではあったが、そのくらいの方が私には効果があったのかもしれない。

 ただ、その頃から。

 生気を失った私の顔はもう、ろくに表情を作れなくなっていた。


 アナとマリウスは、もう殆ど壊れてしまっている私を置いていかなかった。

 私の方も、これ以上付き合わせることに罪悪感はあっても、二人と離れたら本当に野垂れ死ぬことが分かりきっていたので、我が身可愛さに何も言い出せなかった。

 ・・・・・・まるで、生と死の瀬戸際を歩かされているかのようだ。

 いっそ最初から私を殺せばよかったのに、と何度考えたことだろう。

 それでも、終わりは近づいていた。


 今思えば。

 呪書の指令には、明らかに従わせる気のないものや、従ったとして誰も得をしないような内容が混じっていた。そのくせに私の持つ縁は片っ端から引きちぎられていくし、この呪術が「極めてシステム的でない」のははっきりしていたのだけど。だからといって何が解決するわけでもなかった。

 当時の私は、アナとマリウスだけは奪われないように、従える指令がくることだけを願っていた。


 そんな私を嘲笑うかのように。

 最初に呪書に触れてから1年と9ヶ月が経ち、残すところ僅か2ページとなったそれに記された指令は、マリウスの殺害だった。

「は」

 乾いた、間抜けな声が漏れる。


 両親の死後、更にペナルティを数回貰った私は、もう一度だけマリウスに故郷の死者についての調査を頼んでいた。

 その結果、私が覚えているような親戚知人友人は軒並み「何らかの理由で」死んでいることが分かり、私という個人を知る存在はもう事実上アナとマリウスだけだと思われた。

 そして呪書は、残った二人の片方を自らの手で殺せ、という。

「あ――、あ」

 魔王城の、すぐ近くまで来たのだ。ここからは街を通る必要もない。休まずに突っ切れば、後3日もかからずに城に辿り着ける。

 しかし、指令の期限がいつまでかは分からない。

 例えば。例えば、指令を無視して魔王城に殴り込んで、魔王を殺して呪書を無効化できるとして――

 その前に、ペナルティを課されてしまったら。


 私が殺さずともマリウスが死ぬのか。或いは――アナが。

 アナ。私の親友。私のことを一番に知っていて、命をつなぎとめてくれた。

 何年も前からずっと私を見てくれていた、大事な人。

「・・・・・・・・・・・・」


 呪書が残り2ページ。

 私の大事な人は、残り2人。

 ふざけた帳尻合わせだと思う。


 私は、罪にまみれてしまった自分の両手を見つめた。

「選べるわけ、ないのに」

 マリウスだって、私にとって本当に大事な親友だ。

 幾度も助けられて、沢山のことを教わって。

「ない、のに」

 二人に支えられてきたのに、私はどこまでも無力で。

 もうこんなにも、おかしくなってしまった。



 その夜私は、マリウスを殺した。

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