第5話 なり替わり人生


 放課後、月観川学園の校門には大勢の生徒が集まっていた。行事や授業の一環ではない、なんの代わり映えのない1学期の通常授業の日、部活や買い物に出かけようとする誰もが校門の前に鎮座するあるものに注目し、その騒動が更なる野次馬を呼び込む。


「こりゃあ酷い……!」

「人間のやることじゃねぇよ……!」


 その壮絶な光景に、男女問わず……特に女子生徒は顔を赤く染めながら思わず目を背ける。

 彼らの中心に鎮座しているのは、気絶した一人の男子生徒だった。おそらく殴打の後だろう、全身隈なく青痣だらけ……特に顔面は大きさが2倍に増えたのかと錯覚するほどに腫れ上がるまで殴って気絶させた上に、全裸にひん剥かれた後で亀甲M字脚縛りで校門の所で放置されていた。


「こいつ……A組の兵藤ひょうどうだろ? 誰がこんなことを?」

「そこまでだ! 全員、すぐにこの場を離れるように! 見世物じゃないぞ!」


 そんな無残な姿となった赤髪の少年……兵藤良樹よしきの周囲に教師と良樹のクラスメイト数人が集まり、野次馬たちを散らしていく。男二人に担がれて保健室へ直行する良樹を見送り、この場に集まったA組の生徒たちは囁きあった。


「……どう思う?」

「こんな事を仕出かす奴が近くにいるかもしれないってこともそうだけど、まさか兵藤がやられるなんて……」

「うちのクラスでも五本の指に入る実力者なのに」


 人格としてはともかく、良樹は全国屈指の魔術戦の強豪校、月観川学園のA組として入学を果たし、30名近くいるクラスメイトのトップクラスの位置する実力者というのが、この学校全体の認識だった。

 しかしその良樹が何者かに倒された上に、鬼畜生と称しても差支えのない目にあったとなっては、生徒たちの心境は穏やかなものではない。犯人の狙いが良樹に個人的な恨みによるものではなく、月観川学園を狙ってのものだという可能性があるとなれば余計に。


「兵藤をあそこまで痛めつけれる奴なんて学校には相違ないし、考えられるのは外部犯じゃ?」

「まさか他校の妨害か? 今年の〝大魔闘武祭だいまとうぶさい〟に向けての」

「いや……それは無いだろう」


 そんな憶測を重ねるA組生徒たちの言葉を、リーダー格といった雰囲気を発する男子生徒が断ずる。


「大魔闘武祭の開催は夏休み明け……他校からの妨害なら、開催直前にするはずだ。4月の今にやる意味がない。それよりも考えられるのは、学園内部の仕業」

「まさか……私たちの中に犯人がいると言いたいの!?」

「違う、そうじゃない。僕は皆を信頼している。僕が言いたいのは、選抜戦・・・のことさ」


 その言葉にA組一同の顔に緊張が走る。それはA組生徒にとって、寮生活などを含む優遇などよりも重要なものだからだ。


「他校の生徒に襲われた可能性が低い理由と同じで、2ヶ月も後の選抜戦で2年、3年が僕らの妨害をするとは思えない。考えられるとしたらB組以下のクラスが選抜戦の参加資格を狙っての事だろう」

「それで場外乱闘で一人ずつ闇討ちして、弱ったところで仕掛けてくるっていうのかよ!」

「なんて卑怯な奴らなんだ!」


 義憤に燃えるA組生徒たち。実際のところ、彼らの頭にあるのは被害を受けた良樹の敵を討つといった仲間意識ではなく、自分たちの選抜戦の邪魔をされる可能性に対する憤りなのだが、それでも彼らの意思は統一された。


「しばらくの間、B組の生徒を中心に警戒しておこう。C組とD組が大人数で攻めてきても、逃げに徹すれば被害を避けられるだろうし、E組に関しては……」

「あら、そっちは全く問題ないでしょ?」

「そうそう、E組の雑魚共なんて、百人束になったって勝てるぜ!!」

「……ふっ。それもそうだね」




 最低クラスの弱さを思い出したリーダー格の少年は、侮蔑を込めて鼻で笑う。そんな風にE組を嘲りながら去っていく彼らの会話を、蒼髪の少女……景久が校門ですれ違った女子生徒は、〝カーネリアンのバーガーショップ〟で見聞きしていた。

 

「むぅ……ここまで的外れのことを言っていると、なんだか滑稽で笑えてきますね。アハハハ」


 抑揚を感じさせない声色で、内心では楽しげに笑う少女は、校門ですれ違った男子生徒のことを思い返す。

 入学してから何度か顔を合わせただけで、話したこともないクラスメイトだった。こちらの顔をジロジロと見てきた時は、馴染みのある気持ち悪い視線を感じるなぁ、くらいにしか考えていなかったが、カーネリアンに向かう途中で財布を忘れていることに気付き、急いで寮へ戻ってきてみれば、そこでは良樹が眼鏡をかけたクラスメイトに向かってカツアゲをしている場面だった。

 見ていて気分の良いものではないし、寮の前でやられても邪魔なので介入しようとしたが、その前に景久が行動に移していた。


「まさか、鼻の中にマスタードとケチャップを流し込むなんて……思ってたよりも鬼畜な人なんですね。正直ガクブルものです」


 当然怒り狂った良樹は景久魔術を発動。省略された詠唱によって2回、3回と烈風が吹き荒れ、景久の突拍子もない行動に呆気を取られていた彼女も、いい加減その場を収めようとしたその時、景久たち3人の姿が消えた。


(姿を消す魔術など聞いたことが無い・・・・・・・・。聞いた話では、あの人のスキルでもそのような芸当は出来ないようですし)


 そして次に姿を現したと思ったら、全身ボコボコにされた、正真正銘エリートの良樹が地面に転がっており、魔力量でも技量でも劣るE組の景久は満身創痍どころか至って無傷だったのだから驚きだ。


『ふん。無暗に喧嘩売るからこうなるんだ。…………いや、先に喧嘩売ったの俺か』

『あ、ありがとう。おかげで助かったよ。……それより、君は一体……?』

『あぁ、礼とかいいから。それより俺は今、目立ちたくないわけよ。だからここでの事は忘れて寮に戻れ』


 もっともな疑問を口にしようとしたメガネの少年に向かって何かを……恐らく魔術の詠唱を呟くと、メガネの少年は何者かに乗り移られたかのような呆然とした表情で寮に入っていった。

 これまた聞いたことのない魔術。姿を消す、相手を操るといった類のスキルならば聞いたことはあるが、魔術ではそのようなものは一切存在しない。仮にも熱心に魔術を学習する身だけあって、それだけは断定できる。


『さてと……目撃者は居ないかなっと』

『っ!』

『…………居ない、みたいだな。』

 

 急いで景久の視界から隠れる。そのまま気付かずに立ち去って行ったので、何らかの魔術を施されることもなく、こうして景久のことを思い返せるのだ。


(さぁて、どうやって話を持ち掛けましょうか? 男子に話しかけること自体あまりないですから、こういう時どうすればいいのやら)

 

 さながら恋する乙女のように両手の指を絡め合わせ、一人の少年に想いを馳せる。何か話のネタは無いものかと、彼女は自分のスマートフォンの検索画面を開く。検索ワードはズバリ、「男の子と仲良くなる方法」だ。




 スマートフォンの日記アプリの最後には、こんな文章が綴られていた。


『今日は図書館で、異世界から使い魔という存在を召喚して使役する魔術を見つけた。大会とかでも悪魔を召喚使役する選手もいるから、これも似たようなものだろう。これを成功させてE組から脱却できれば、きっと父さんや母さん、妹も俺のことを見直してくれるはずだ』


 平行世界の間宮景久は、自分と同じく……あるいは、自分以上に家族との関係が悪化していながら、関係を修復させようと躍起になっていたらしい。こういうところでも平行世界による違いを発見し、何とも言えない気持になる。


「ま、悪縁だと思って諦めてくれ。俺もいきなり平行世界に飛ばされて迷惑してるんだ。悪いが、あんたの居場所に居座らせてもらう」


 この世界に現れた場所である山。削れた魔法陣の近くに横たえたミイラの横に座り、特に悪びれた様子もなく死者に向かって淡々と告げる景久。

 結局、最も手っ取り早く住居や身分を手に入れるために、平行世界の自分になり替わることを選んだ景久。本来なら警察に届け出るのが正解なのだが、それはそれでかなり都合が悪い。

 警察にもう一人の間宮景久の死を伝えれば、二人目の間宮景久の存在を明らかにしなくてはならなくなり、研究所行きか保護という名目の監禁かは分からないが、間違いなく大事になることは目に見えている。

 そしてそれが一輝の耳に入れば、自分を排除しようと動くことも予想に難くはない。そうなれば対抗する手段がないのだ。

 様々なリスクや倫理を踏まえた結果、「バレなきゃ問題ない」理論でなり替わりを決意。魔王と勇者とで全く同じ手段をとることは何とも皮肉な話ではあるが、景久もなりふり構ってはいられない。


「さてと、ここを誰かに見られると都合が悪いんでな。悪いが火葬させてもらうぞ」


 そう言って、景久はミイラを桜の木の根元に掘った穴に収め、右手を向ける。


「《荒べ業火。天焦がし紅蓮を生み出すは、火竜の咆哮》」


 さながら火炎放射器のような火炎を手のひらから放射する中級魔術、【ブレイズバーナー】が乾燥し水分を失ったミイラを骨の髄まで焼き尽くす。

 殺傷能力も高い危険な魔術であり、基本的には異能者養成学校を始めとする特例の敷地外での使用は固く禁じられているが、なり替わりの証拠隠滅は図らなければならない。これもバレなきゃ問題ない理論である。


「よしっと。じゃあ、安らかに眠りな。せめてお前の分まで生きといてやるよ」


 焼き目と灰だけが残った穴を埋め、景久はもう一人の自分と永久の別れを告げて山を後にした。


(今日はこのまま学校に戻って、ちょいと探索するか)


 何せ周囲には今日初めて来たばかりの学校を、入学して数日経った風に見せなければならないのだ。このまま1年半ぶりに街で食い歩きをするのも魅力的だが、下手にクラスメイトとかの前でボロを出して怪しまれては面倒だし、大人しく寮へ戻ることにした。


「そういえば、あの二人にかけた【マインドアウト】解かれたとかないよな?」


 赤髪と眼鏡の二人の少年に施した精神干渉魔術、【マインドアウト】。記憶や認識をある程度操ることができる、対人交渉では汎用性の高い魔術であり、異世界から戻ってくる前はこれで都合の悪いことは改竄しまくろうとか浮かれていたものだが、魔術が普及した平行世界で使ったのは浅はかだったかもしれない。


「……バレてたらどうしよう」


 周囲に人は確認できなかったし、赤髪の苛めっ子を全裸にひん剥いて縛り上げた後に校門の前に放置したところも誰にも見られてはいない。しかし万が一のことを考えると不安は残る。


「あぁ、もう! 俺のバカ! 地球に戻ってきたと思って迂闊すぎるぞ!」


 やってしまったものはしかたない、なるようになれとしか言いようがない景久は、ヤケクソ気味に帰路につくのであった。




 そしてその日の夜。帰寮時間ギリギリまで学校敷地内の探索をしていた景久は、タオルと着替え、石鹸やシャンプーを持って浴場を目指していた。

 今日は山を上り下りし、町や学校中を歩き回って汗を流している。この汚れを奇麗さっぱり落としてリフレッシュがしたい。何せ彼からすれば、実に1年半ぶりのちゃんとした風呂なのだ。

 中世欧州風の世界だけあって、異世界では風呂がない。体や服の汚れを落とす魔術はあったが、それでも日本人らしく暖かな浴槽に肩まで浸かりたいという欲求が絶えることはなかった。

 そして今日、ようやくその望みは叶う。E組寮では男子と女子とで浴場の使用時間が異なり、レディファーストとして女子が16時から18時、男子が18時過ぎから20時までとなっている。

 簡単な話、風呂が一つしかないから時間を分けて使いましょうという意味だ。その事を聞いて景久は少しだけドキドキした。


(女子が入った後の浴槽に浸かるのか……ふへへ)


 実に変態である。しかし年頃の男子なら、歳の差が一歳前後の女子の後に入浴すると言われれば、多少なりとも意識してしまうというもの。同じようの風呂場へ向かおうとしている男子の後をつけて浴場の前へ到着した景久だが、そこには扉の前で列を作る男子生徒たちの姿があった。


(え? 何? なんで皆入らないの?)


 もしや女子が時間超過で使用しているのだろうかと考えたが、しばらく経って出てきたのは男子生徒が10名。そして列の内10人が中に入り、残りは再び扉の前で待機していた。


(…………あれー? 何だろう、すごく嫌な予感がするぞー?)


 そしてようやく景久が浴場に入った時、彼は愕然とした。

 まず第一に、更衣用の棚が10人分しか用意されていないのだ。この時点で大人数で入ることを前提にしているとは考えにくい。もしやシャワーの数が少なかったり、浴槽が狭かったりするのではないだろうか? ……そんな楽観的な予想は大きく裏切られることとなる。


(……シャワー室ですやん)


 更衣室からガラス戸を一つ隔てた先にあったのは、景久が思い浮かべていた浴槽付きの風呂ではなく、スポーツジムとかでよく見かけるシャワー室だ。

 この時点で景久の『浴槽に肩まで浸かる』という望みは絶たれた。しかも年季が入った建物なだけあって、ところどころ黒いシミのようなものが目立つ。


「……何だこのシャワー。しょっぱい」


 シャワーは暖かかったが、心は冷えたままだった。出てくるのは真水のはずなのに、口には入ったのはしょっぱい何かだった。だが彼の苦難はこれで終わりではない。それは食堂に夕飯を食べに行った時のこと。


「なんでE組の寮だけ食堂から離れてるんだよ」


 本校舎と食堂の間の道を挟むかのように、A~D組の寮が建てられており、食事になれば目と鼻の先にある建物に入ればいいだけなのに対し、E組寮だけやけに離れた場所に位置する。

 雨が降った時を想定してもE組だけ差別されていることがわかる。他のクラスは屋根付きの通路を渡って進める造りになっているが、E組だけは傘をさして進まなければならないという謎仕様。冬になったら湯冷めするのは間違いないだろう。

 

「身がパサパサの何の種類かよく分からん焼き魚に味が薄い味噌汁……ご飯に漬物。ははは、何この絵に描いたような献立」


 そのうえE組だけほぼ毎日同じ献立らしい。壁に貼られたメニュー表を見る限り、せいぜい漬物や焼き魚の種類が変わるだけのようだ。

 これだけなら文句はない。過酷な異世界で生き延びた景久からすれば、毎日十分な食事量にありつけるだけでも儲けものだし、特に食事が不味いわけでもないのだ。


「でもだからって、こんなに他のクラスと差をつける必要があるのかねぇ!?」


 実はメニュー表通りの献立があるのはE組だけで、他のクラスは食券機で毎日自分の好きなものを食べられる仕様になっている。しかもA組には週に1回、高級レストランのような豪華なメニューが提供されるというオマケつき。

 こんな所でもE組が雑に扱われていることに嘆く景久。しかも食堂で食事をする際に他のクラスから向けられる、侮蔑と憐れみ、優越感に満ちた視線の数々がウザい事この上ない。


「……改めて……こ・れ・は・ひ・ど・い」


 本日三度目の台詞を呟いてから寮の自室に戻り、寝袋を枕に不貞腐れる。施設、待遇、周囲からの視線や態度。それら全てに対してもそうだが――――


(E組寮にいる連中、皆してつまんなさそうな顔してるんだよなぁ)


 月観川学園に限らず、全国の異能養成学園では成績向上により上位クラスへの転入が認められている。このクラス毎によって違う待遇も、「良い環境に移りたいと思わせ、生徒の意識を向上させる」という名目で世間に認められている。

 しかし授業も無く、他の生徒や教師からの風当たりも冷たいせいでアドバイスを貰うこともできず、自分たちのスキル才能も乏しいとなれば成績の向上など見込めるはずもない。

 その結果、この寮に住む生徒たちは諦めたかのような表情を浮かべて、毎日を片隅で息を潜めるように過ごしている。この平行世界に来てまだ1日と経っていない景久にも伝わるくらいなのだから、傍から見てどのくらい酷い環境なのかは誰にでも理解できるだろう。


(もう一人の俺となり替わったのは失敗だったかな……? いや、でも出来る限り目立ちたくないしなぁ。もしそれで勇者と関わる羽目になったら――――)


 ――――本当にそれでいいのか?


(……いやいやいや、間抜けか俺は。何が悲しくてあんなウザったいチート野郎と関わらなきゃなんねぇんだよ)


 そんな考えを振り払うようにスマートフォンのネット画面を開いた矢先、木製のドアを軽く叩く音が2回響いた。


「はーい、今出る」


 客かと思い、次に一体誰が尋ねに来たのかと警戒しながら扉を開くと、真っ先に目に飛び込んできたのは宝石のように輝く蒼。


「どうも。夜分遅くに失礼しますね」


 それは、景久が校門ですれ違った美少女だった。

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