第四章

結果は必ずしも努力に実るものではない。

第一話 なんということでしょう!


 この一か月……というより、明丸という男が薬局カナリスへやってきてから一か月程。めまぐるしく変化する周りの景色に、ユアは驚きと感心の連続だった。

 家に居ても寂しくなくなったし、食卓も賑やかになった。薬の知識も深まったし、良いことばかりだ。


 そして、もっとも大きく変わったのが薬局カナリスである。


「ユアちゃーん、息子が風邪引いちゃったんだけどさー。粉薬とシロップってどっちが良いんだー?」

「はーい。お子様用の風邪薬でしたら、シロップの方が飲みやすいですよ」

「ユアー、ちょっと火傷しちゃってー」

「まあ大変! でも、水膨れにはなっていないみたいですね。患部を氷でよく冷やしてから、この塗り薬を使ってください」

「ユアー! この薬なんだけどー!」

「はーい、今すぐ行きますー!」


 ユアが店を継いでからは、閑古鳥が鳴いているような毎日だったのに。商品をキルシのレシピ通りのものに変えただけで、今では目が回るような忙しさだ。

 店内を汗だくになって駆け回って、自分の薬を渡して代金を得る。当たり前のことなのに、やっとそれが出来るようになったのだ。

 嬉しい。お陰で毎日寝不足だが、嬉しい悲鳴というやつだろう。


「ねえ、ユア。この痛み止め、アタシ達のお店でチョー流行ってんだよ? アンタ、良い仕事したねえ?」

「ホントホント。箱のデザインも可愛し、今じゃ持ってない人の方が少ないかもね」

「本当ですか! ありがとうございます。そのお薬は、アキマルさんのアドバイスで作ったんですよ」


 褐色肌と色白肌の若いサキュバス二人組が、きゃいきゃいとはしゃぎながら薬の小箱をレジに出してきた。以前のままだったら、絶対に薬局になど立ち寄ることのない人達だ。そう、これも明丸の提案を実行した結果の一つだった。

 彼女らが買い求めたのはいわゆる、『女性特有のお悩み』に特化した鎮痛剤だ。とは言っても、中身は腹痛や歯痛、頭痛に効く普通のものなのだが。女性は扱いやすく、飲みやすく、何より可愛い見た目だったら絶対に興味を持つからと。

 少しでも使いやすく、便利な薬を。ユアの思いも汲み取ってくれた薬が、今では薬局カナリスの一番人気商品になっているのだ。

 うーん、アキマルさんってばよく思いつくなぁ。


「へえー。ぱっと見、まあまあ冴ない感じだけど……そーなんだー? アキマルって今は居ないの?」

「はい。今はお昼なので、エルの庭でアルバイト中です」

「そっかそっか。会えなくて残念……じゃあ、今度うんとお礼しなくちゃ。そうだ! 今度、あたし達のお店に無料で招待しちゃうっていうのはどう?」

「あっは! それ良いかも! 意識抜けるまでサービスしちゃおう!」

「えええ! だ、だめです。だめだめだめー!」


 思わず声を荒げてしまう。だめだめ、それはだめ。だって、この二人はいつも水着みたいな服装だし。出るとこはボリュームたっぷりで、引き締めるべき部分はしっかり細いという信じられないクオリティのスタイルで。そんな二人が、っていうかサキュバスが営む店ってつまりほら。

 なんか、なんていうかそういうお店だから! だめだめ! 絶対だめ!


「きゃはは! うそうそ、じょーだん。流石にトモダチのダンナは盗らないって」

「だ、旦那さまじゃないです」

「じゃあねー……そうだ! 今度、魔界に戻る用事があるから、おみやげたくさん買ってきてあげる。楽しみにしててよね!」


 バイバイ、またねー! 嵐のような二人に、呆然と手を振る。ううむ、お客さんが増えてくれたのは嬉しいけど……なんていうか、濃い人と付き合うことも多くなった。


「……でも、楽しいな。えへへ」


 手渡された代金を、レジの中にしまう。楽しい。とても充実した日々だ。こんな日がずっと続いて欲しい。

 薬を作って、それをお客さんに買って貰って。休日は明丸にハルト、シナモン達と薬草の採取に行って。そんな、大変だけど嬉しくて楽しい毎日が続いて欲しい。

 ……でも、現実はそんなに甘くない。レジの中身が生々しく訴え続けていることに気がつかない程、愚かではない。


「…………はあ」

「こんにちは、ユアさん。あの……大丈夫、ですか?」

「ひょえ? はわわ! あ、アレクさん!」


 一体いつからそこに居たのだろう。レジカウンターを挟んだ向かい側で、アレクが心配そうにユアの顔を覗き込んでいた。相変わらずの厚着だが、意図的に顔を隠そうとはしていないからか表情がよく見えた。

 いけない。慌ててレジの引き出しを閉めると、何事も無かったかのように笑顔を作る。


「い、いらっしゃいませ! 何でもありませんよ、大丈夫です。何も問題などないのです、ええ!!」

「そ、そうですか。それなら良かったです」


 ほんの少しだけ、口元を綻ばせるアレク。彼は最初に出会ったあの日から、大体三日に一度はこうして薬局に遊びに来てくれるようになった。表情もほんの少しだが柔らかくなってきたところを見ると、ユア達に心を許してくれているのだろう。

 それに、


「アトピー、少し良くなってきたみたいですね」

「はい。ちょっとだけですが、薄くなってきました」


 アレクがはにかむ。あれから明丸のアドバイスを聞いて、保湿や生活習慣の改善に真面目に取り組んでいるらしい。それでも、効果は微々たるものだ。

 飲み薬の方も多少は効果を発揮しているようだが。彼の容姿を巣食う病魔の深刻さを、ユアは改めて思い知らされる。


「嬉しいです、これもユアさんとアキマルさんのおかげです」

「そう言って頂けると嬉しいです。でも……うーん」


 考え方を変えれば、アレクの病は命に関わるようなものではない。でも、だからといってこのままで良いのだろうか。

 もっと、彼にしてあげられることはないだろうか。


「ユアさん。またいつもの薬と保湿剤を貰っても良いですか?」

「はい、もちろん」

「良かった、帰る時に貰います。今日は何かお手伝いすることはありませんか?」


 小さく首を傾げて、アレクが尋ねてくる。そういえば、これもこの一か月の中での大きな変化の一つだ。彼は店に来る度に、いつしかこうして手伝いがしたいと申し出るようになっていた。

 最初は丁重に断っていたものの、結果的にはユアが根負けして掃除やら片付けを手伝ってもらうようになっていた。彼は見た目に反して――そもそも、魔族は身体能力が軒並み高いので、見た目や性別はあまり関係ないらしい――体力があって手先も器用なので、すぐに薬局の即戦力としてカウントしてしまっていたりする。

 何より、彼の能力でとても重宝しているものがある。


「あ、丁度良かった! あそこの吊り下げ式の棚にある観葉植物なんですけど……実は、しばらくお世話が出来ていなくて。私では手が届かないし……お願い出来ますか?」


 もごもごと、申し訳なく指を指しつつ。日当たりの良い壁際に吊ってある棚に置かれた、いくつかの観葉植物。スペースを持て余していたのと、飾り気のない店内が気になったというお花屋さんから貰ったのだが。

 位置が高いせいで、台の上に立ったとしてもユアでは手入れが難しい。明丸に任せていたのだが……忙しいせいか、どうも忘れてしまうのだ。


「ああ、あれですね。うーん、確かに手が届かないな……それなら、精霊さんに手伝って貰いましょう」


 ぱちん、とアレクが指を鳴らした次の瞬間。指先から現れた緑色の魔法陣から、ぴょんと手のひらサイズの精霊が現れた。


「ふわあ、可愛い!」


 思わず声を上げてしまう。背中に生える蝶のような羽根に、頭に飾るカラフルな花冠。ふわふわの髪に、お姫様のようなドレス。自らアレクの周りをくるくると踊っていなければ、お人形だと言われても信じてしまっただろう。


「この子はドリアードって言います。樹木から生まれた子なので、植物のお世話に関しては誰よりも上手いですよ」

「まあ! それは頼もしいです。よろしくお願いします、ドリアードさん」


 返事代わりに頷いて、ドリアードがひらひらと観葉植物の元へと向かう。ううむ。アレクはまだ幼いとはいえ、流石は魔人族。彼は、いまではすっかり使える者が減ってしまったという『魔法』の扱いに長けていた。

 どれくらいかと凄いかと言うと、この一か月で彼の魔法に何度世話になったか覚えていないくらいだ。


「ユアさん。ドリアードの作業が終わるまで、ぼくが何かお手伝い出来ることはありませんか?」

「ありがとうございます、アレクさん。それでは、またお手紙を書いて貰って良いですか? 正直、最近はアキマルさんに手伝って貰っていてもお薬を作るので精一杯で……アレクさんの魔法に、頼りきりになってしまって情けないんですけど」


 申し訳ない、とユアが頭を下げる。薬に添付する説明書代わりのお手紙や、包装など。本来であればユアが書かなければいけないのに、今ではほとんどをアレクに任せてしまっている。

 うーん、これはいけない。


「ふふ、良いんですよ。始めて出来たお友達、ですから……出来るだけ、ユアさん達のお力になりたいんです」

「あ、アレクさん……!」


 小さく笑う少年に、心臓がきゅっと締め付けられる。なんて良い人! ああ、私は本当に周りの人に助けて貰ってばかりいる。

 なんて恵まれた環境なのだろう。


「えへへ。それに、お礼を言いたいのは、ぼくの方ですよ。こんな素性もわからないような魔人を、ここまで気に掛けてくれるなんて。この世界に……こんなに心優しい人達が存在するなんて、知りませんでしたから」

「え?」

「何でもありません。それじゃあ、いつものように作業部屋をお借りしますね」


 早口で誤魔化すように言って、アレクが慣れた様子で店の奥へと向かった。今の言葉は一体、どういう意味だろう。

 ユアは胸に引っ掛かる思いに、呻きたくなるのを堪えつつ。結局、新しくやってきた客を迎え入れることに集中せざるを得なかった。

 

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