第二話 死後に待っていたのは駄女神ではなくド鬼畜天使(男)だった


 小学生の頃、明丸は『死』について考えて怖くなってしまったことがある。丁度、母方の祖父が病気で亡くなってしまった時だった。

 優しかった祖父。通夜の前に、両親と祖母が気を利かせて少しだけ触れさせてくれたのだ。いつも温かだった手が冷たく、まるで硬いビニールみたいな感触だったのを今でもよく覚えている。

 死んだ人は、肉体を残してどこに行くのだろう。天国とか、地獄に行くのだろうか。それとも、幽霊になってその辺を彷徨うしかないのだろうか。もしくは、眠っている時みたいに何もわからなくなってしまうのだろうか。

 考えても、どれだけ考えても答えはわからなかった。それが怖くて、情けないことに『弟』に泣きついた記憶がある。アラサーになった今でも、死んだ先に何が待っているかなんてわからなかった。こうして実際に死んでみるまでは。


 そして、あまりにも予想外の展開で何の感慨も無かった。



「というわけで、テメェは死んだ。理解したか、道武明丸」

「……はあ」


 第一印象としては、検事が題材のドラマでよく見る検事官室のようだった。ただ、周りは天井も壁も無く真っ暗。なぜか頭上からスポットライトのように照らされているが、そこに電灯か何かあるのかさえわからない。ていうか眩しくて見ていられない。

 明丸は死んだはずなのに、なぜか正座をさせられていて。縛られてもいないのに、身動きが出来ない。床がキンキンに冷えていて結構キツイ。

 そんな謎空間には、明丸以外に青年がもう一人居るだけだ。書類が山積みになった机に足を置き、行儀悪く座りながらファイルをばらばらと捲っている。


「自ら電車に轢かれ、右上肢と左下肢の断裂と内臓破裂、出血性ショックの為に死亡……ったく、また自殺か。後のことを何も考えずに、空き缶か何かみてぇに命を捨てやがって。オレの仕事が増えるばっかりじゃねぇかクソが、クソクソクソ!」

「あの、えっと……すみません」


 ところで、今自分が置かれている状況は一体何なのだろう。金髪をがしがしと掻きながら、苛立たし気にファイルに羽ペンで何かを書き込んでいる。十代後半くらいだろうか、口元の艶ボクロが特徴的な容姿は若くてやんちゃな俳優のよう。

 でも、その顔にあるのは疲労とストレスだけ。不良でもそんな顔出来るんだ。


「コッチだってなぁ、理不尽な上司に滅茶苦茶な量の仕事を押し付けられて、毎日サービス残業なんだよ……クソ、オレだってラクになりてぇ。電車に轢かれた程度じゃ死なねぇけど」

「は、はあ」

「ふん。でも、どうせ死ぬなら上司にありったけの嫌がらせをしてからだ。だから、今は仕事をきっちりこなすぞ。オレはテメェとは違うからな」


 ファイルを閉じて、勢いよく机に叩きつける青年。暴力的な音にびくりと肩を震わせていると、つかつかと少年が歩み寄ってくる。

 ビジュアル系のがちゃ付いた服に、踵が高いレザーのブーツ。今までの人生で、出来るだけ接触を避けてきた人種にしか見えない。

 どうしよう、凄く怖い。


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったか。メンドクセェし、何の意味も無いだろうが……一応決まりだからな。オレはサリエル。死者の魂の管理をしている」

「さ、サリエル……さん? なんか、天使みたいな名前ですね」


 思わず、相手の姿をじろじろと見てしまう。元来無宗教ゆえにそこまで詳しくはないが、サリエルと言えば結構エライ天使だった筈。

 そんな天使の名前を堂々と語るとは……あ、でも日本でもキラキラネームとかあるし、そこまでやいやい言えないか。


「おい、みたいじゃなくて。オレは天使だぞ。正真正銘、ホンモノだ」

「へ?」


 ヤバい。ヤバい人だ。そういう設定ってやつか。


「あ! テメェ、信じてねぇな!? クソ野郎が、死んだ後で出会うのは死神か天使って決まってんだろ!」


 怒鳴られた! 何なのこの人、怖いよう!


「い、いやその。そもそも、俺って本当に死んだんですか? 死んだのなら、何でこんな風に喋ってるんですか。なんか、自覚が出来ないんですけど」


 恐る恐る、片手を上げて問い掛けてみる。そうだ、考えてみれば色々とおかしい。自分は本当に死んだのか、それとも夢を見ているだけなのか。

 多分、まだ夢の中なんだ。起きなきゃ、遅刻してしまう。また怒られてしまう。


「……へえ、死んだ自覚がしたいのか」


 茶色の瞳を蔑むように細めて、サリエルが先程のファイルを手に取り再びばらばらと捲る。そして真ん中辺りのページから写真を一枚取り出すと、明丸に突き付けた。

 思わず逃げるように仰け反って、口元を押さえる。


「う、ぶ!?」

「これは、テメェが死んだ直後の写真だ。言っただろ。右上肢と左下肢の断裂と内臓破裂、出血性ショックの為に死亡。ひでぇ光景だったぜ、あそこに居た客全員のトラウマになっただろうぜ。なんなら、当時の痛みも天使様権限で思い出させてやっても良いけど」

「も、もう良いです」

「んだよ、病院の事務員だろ。こういうの見慣れてんじゃねぇの?」


 ニヤニヤと口角を上げるサリエル。見慣れているかどうかなんて関係ない。

 自分の顔が、身体が。血塗れの挽肉になっていたら、吐き気くらい催すに決まっている。


「ま、茶番はこのくらいにしてやる。本題に入ろう。道武明丸、テメェは大罪を犯した。自分の命を、自分で捨てるという大罪をな」


 写真ごとファイルを机に置いて、サリエルが改めて明丸を睨み付ける。何なのだ、彼の威圧感は。

 まるで見えない縄に縛り付けられているように、動くことが出来ない。


「オレ達天界と、テメェら人間界における罪の基準には乖離がある。オレ達にとってテメェらの一番の大罪は盗みでも殺人でも無い。自分の命を、自分の勝手で捨てることだ。それは、これまで犠牲にしたあらゆる存在、培ってきた全てのもの、神々への冒涜、そして……道武明丸という個人に与えた希望を全て踏みにじる行為だ」

「俺に与えた、希望?」

「今のテメェに何を言っても無駄だろうけど。でもな、罪を犯したことには変わりはない。知らなかったじゃ済まさねぇ。死んだ人間は天使になって天界で極楽に過ごすか、地上で贖罪するかで分かれるが……道武明丸、テメェには罰を受けて貰う」


 指をパチンと鳴らすサリエル。次の瞬間、物凄い量の空気が一斉に動いた。風の強い日に、部屋の窓を開けた時と似ている。実際、それと同じだ。空間の一部が、外へと繋がったのだ。

 後ろから差し込む、眩しい光。窓……否、両開きの扉が全開になっていた。ん? でも、やっぱり窓かもしれない。いやいやいや、それにしてはやけに大きい。明丸が立ったまま容易にくぐれそうだが。でも、こんな高所に扉なんてある? ていうか開く?


「うわっ! あ、あのー……ここ、随分高い場所なんですね」

「当たり前だろ、天界なんだから」

「今更なんですけど、天界って何ですか?」

「おいおい。それはほら、テメェが好きなラノベ知識で補完しろよ」


 ラノベでこんな展開ありましたっけ? 天界だけに? っていうか、ラノベって言うなら可愛いドジッ娘駄女神連れて来いよ。

 何でこんなド鬼畜な天使なんだよ。


「えっと、つまり天国っていうか……空の、上?」

「正解。空とは言っても、テメェが今まで見ていた空とは違う。星の数程ある世界を見守り管理する、荘厳で退屈な場所だ。で、あの扉は空から世界へと続くありがたい扉だ。今、テメェが生きてきた世界とは別の世界へ繋がっている。その世界で、テメェにはもう一度、人生をやり直して貰う」


 猫のように首根っこを掴まれ無理矢理立たせられると、引き摺るようにして扉の元まで向かう。

 いや、いやいやいや!


「ま、待って待って!」

「テメェには二つの罰を与える。一つは、人生をやり直すこと。そしてもう一つは、ことだ」

「ちょっ、ちょ! ななな、何ですかそれ!」

「ああ? 言葉の通りだよ。おら立て、自分で歩け。そんで潔く堕ちろ、地上まで」

「ち、地上!? ここ、どう見ても雲の上なんですけど!!」


 荒々しく吹き込む風に負けないよう喚く。扉の外から見える空は透き通るように青く、眼下にちらちらと見える雲は雪のように白い。地上? どこですかそれ?


「天気は良好、地上は平和。これ以上ない堕天日和だ。紐もパラシュートも必要ねぇ、神に許されたいならピクニック気分で飛び降りやがれ!」

「嘘でしょ!? どんなイジメですか! こんな高さから飛び降りたら確実に死にますよ!」

「一回死んだくせにウルセェな。大丈夫だ、一回だけサリエル様のありがたーい加護を付けてやるから」


 背中を押され、ついに足が端へと立った。さあっと頭から血の気が引く。


「むむむ、無理! ていうか、死ぬ! 絶対死ぬ!!」

「電車に飛び込むのと大差ねぇだろ。良いから早くしろ、忙しいんだよコッチも」

「お願いします! 何でもしますから、勘弁してください!!」

「……へえ、何でも?」


 明丸の懇願に、サリエルの声が若干弛緩する。やった、助かった! そう喜んで、振り返って、後悔した。

 自称天使様は、眩しいくらいの満面の笑みで。


。そうやって守れない約束するのがテメェの悪い癖だから、改めた方が良いぜ? カッコワリィから」

「ま、前からって。一体どういう――」

「これ以上失望させんなってこと。飽きるまでは見守っててやるからよ。じゃ、バイバーイ」

「ちょっ、ま……あああああ!?」


 明丸の背中を、思いっきり蹴り飛ばしやがった――

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