野盗の森

 生い茂る草が風に煽られ、海のように波を打つ。

 草と草が擦れ合い、かさかさと音を立てるなか、突如として甲高い笛の音が鳴り響いた。

 散り散りになっていた隊員の意識が一点に集中する。この耳障りな笛の音は憲兵隊に招集を掛ける呼び笛によるものだった。


「隊長、みつけました!」


 駆けつけたオルランドに呼び笛を吹いた部下が敬礼し、背の高い草を掻き分けて手招いた。地面には馬の蹄の痕が点々と続き、草の根元が踏み荒らされている。かなり新しいその痕跡は、オロステラで保護した三人の馬のものに違いなかった。


「よく見つけてくれた。この痕跡を辿れば野盗の隠れ家を突き止めることができるだろう」


 部下に労いの言葉をかけて、呼び笛で他の隊員を招集すると、オルランドは森に続く獣道へと歩を進めた。

 オルランドの後に、ジルドとテオ、そして二班の隊員が続く。森の探索に当たる隊員は十人にも満たない少数編成ではあったが、いずれも第十七隊の中では精鋭中の精鋭だった。


 森の中は薄暗く、紅く色付いた樹々の木の葉の隙間から糸のような陽の光が降り注いでいた。昼間だと言うのに辺りは静まり返り、道を覆う落葉を踏みしめる乾いた音が耳に届く。小道の両脇には、長身のオルランドの肩まで伸びた茂みが並び、大岩や樹々が遮蔽物となって視界はすこぶる悪かった。

 地面に残る馬の足痕を追って、枝分かれした獣道を進んでいく。周囲を警戒しつつ無言で前進していたオルランドが、不意に足を止めた。

 声を出さずにその場に留まるよう後列に合図を出し、息を殺して五感を研ぎ澄ます。吹き抜ける風に煽られ、木の葉がかさかさと音を立てた。

 やがて風が止み、樹々の葉音が途切れたそのとき、殺気を孕んだ視線をオルランドの全身が捉えた。


「囲まれたな……」


 呟きを洩らすと、オルランドは前方を見据えたまま、腰に提げた剣の柄に手を掛けた。両脇に神経を集中するジルドとテオに続き、二班の隊員も同様に周囲を警戒する。

 静寂が場を支配した次の瞬間、茂みを薙ぎ、朽葉色のマントを身に纏った数十にものぼる人影が、一斉に憲兵隊へと襲いかかった。

 

「迎え討て!」


 剣を抜いて檄を飛ばし、オルランドが野盗の群れへと先陣を切る。相対する野盗の懐に飛び込み、脇腹を剣で突き刺し、薙ぎ払う。跳び散った赤い飛沫がオルランドの袖を汚した。

 剣身を濡らす鮮血を振り払う間も与えずに、別の野盗がオルランドの背後から斬りかかる。振り下ろされた刃を受け流し、大勢を崩した相手の胴を斬りつけると、オルランドは後方で武器を構える野盗に向けて、先の野盗を突き飛ばした。怯んだ野盗の右肩をオルランドの剣が貫くと、くぐもった呻き声をあげ、野盗はその場に屈み込んだ。


 ――数が多い。


 周囲に散らばる無数の殺気に神経を研ぎ澄ませ、オルランドは更に歩を進めた。

 野盗の数は森に入った憲兵隊の数を優に五倍は超えていた。だが、民に害を及ぼす野盗や獣を昼夜問わず討伐し続ける『腐った林檎』が、訓練を受けた騎士や傭兵相手ならいざ知らず、そこらの野盗を相手に遅れを取るはずもない。

 いや、あってはならなかった。例えその数に、圧倒的な差があろうとも。



「終わったか……」


 周囲の野盗を斬り伏せ終えたオルランドが、剣を鞘に納め、後方を振り返った。獣道に折り重なるように倒れた野盗を踏み越え、徐々に隊員が集まってくる。

 数人の負傷者が確認できたが、野盗の撃退には成功したようだ。


「隊長、お怪我はありませんか」

「大丈夫だ。それよりも、彼等が発していた異常な殺気が気になるな……」


 テオに身を案じられ、苦々しく口の端をあげると、オルランドは素早く思考を巡らせた。


 エストフィーネ周辺に隠れ家をもつとされていた野盗の一味は、バルトロという名の男を頭目とする、人数にして八十余名のかなり規模の大きな盗賊団と聞いていた。

 村を襲撃してから一夜が明けて、野盗達も隠れ家に戻っているはずだ。眼前に倒れ伏す野盗の数から考えて、まだ半数以上が隠れ家に残っているに違いない。

 略奪に成功し、お祭り気分でいたところで捕らえた三人の脱走を許してしまい、興が冷めて気が立っていたとも考えられる。だが、先程の殺気は尋常ではなかった。


「先を急ぐぞ」


 険しい表情で隊員に告げると、オルランドは隠れ家に続く獣道を早足で進んでいった。



***



 隠れ家までの道のりは、途中幾つか枝分かれしていた。季節柄、半日前に残された馬の蹄の痕さえも落葉に隠されてしまい、正しい道を辿るのに随分と苦労した。

 幸いにも野盗の襲撃は先の一度限りだったが、オルランドは周囲の警戒を怠らぬよう、慎重に馬の蹄の痕跡を追った。

 やがて周囲の木々はまばらになり、薄暗かった足元を陽の光が照らしはじめた。森が拓けたその先で、掘っ建て小屋を広げたような簡素な造りのその建物は、家主の不在を示すように静かに佇んでいた。

 物陰に身を隠しつつ、野盗の隠れ家と思しき建物との距離を詰める。歪にひしゃげた扉の隙間から建物の中を覗き込み、オルランドは眉を潜めた。

 半壊した扉から窺える広間には、嗅ぎ慣れた異臭が立ち込めており、目を覆うばかりの無数の屍が重なり合って倒れている。床に広がった血溜まりは赤黒く変色し、所々酸化して赤茶けていた。


「凄い数ですね……」


 口元を掌で覆いつつテオが洩らした呟きに、オルランドは黙って頷いた。

 確かに尋常ではない数だ。道中にオルランド達が迎え討った野盗達と同数か、それ以上――おそらく残る野盗の殆どが、この広間に遺体となって転がっているようだった。

 しかし、一体どのような凶器を使えば、生きた人間をこのような惨たらしい姿に変えることができるのか。頭部が爆ぜた遺体を見下ろして、オルランドは不快に顔を曇らせた。


 薄暗い広間の奥で啜り泣く女の声が響いていた。部屋の片隅に目を向ければ、全裸でうずくまる女達の姿が目に入った。憲兵隊を前にして、女達はがたがたと身を震わせていた。

 これまでにも、襲撃された村や盗賊の隠れ家で同じような光景を幾度となく見てきた。略奪行為の前では『女』は物でしかなく、財宝や資源と同様に村から奪われ、慰み者にされる。そこに人としての尊厳など認められるはずもない。

 羽織っていた外套を脱ぎ、オルランドが歩み寄ると、数人の部下がそれに倣って後に続いた。部屋の片隅で寄り添い合い、怯えた目を向ける女達に、憲兵隊の面々はそれぞれ外套を掛けてやった。


「もう大丈夫だ。君達は我々が保護する」


 穏やかな声音でそう告げて、ジルドに後を任せると、オルランドは蹴破られた扉の奥へと単身で歩を進めた。



***



 それは余りにも異様な光景だった。

 煌びやかな装飾が施された室内には美しい紋様が描かれた絨毯が敷かれており、およそこの場に似つかわしくない高級な家具や調度品が並んでいた。絨毯を禍々しく染め上げた血痕は、物言わぬ主の居場所を指し示すように、点々と部屋の奥へと続いている。

 さながら謁見の間の如く飾り立てられた部屋の奥で、王の玉座に似せて造られた座具に、彼は沈黙して座していた。

 来訪者の存在も意に介さず、項垂れたまま身動きすら取らないその男の両腕は、肘から先を失っていた。赤黒い切断面が、部屋の明かりを不気味に照り返している。


「死期を悟り、己の死に場所を選んだのか……」


 血の気を失い青ざめた顔には、覇気など欠片も残されていなかった。だが、この男が手配書で確認した野盗の頭――バルトロだという事実は一目で理解できた。

 両腕を斬り落とされては相当な出血だった筈だ。おそらく彼自身では血を止める術がなかったのだろう。

 森の奥の隠れ家に助けなど来ようはずも無く、村の焼き討ちを任せた部下達の帰りを待つにしても時間がかかり過ぎる。

 自らが統べる者たちの王として、激痛に耐えながら身体を引き摺り、彼はこの玉座で果てたのだ。


 野盗の頭目バルトロの死を確認し、憲兵隊は森を後にした。

 あれだけの人数を従えていたのだ。バルトロは野盗達にとって、よほど信頼の置ける頭目だったのだろう。

 彼の死と、仲間の惨たらしい死体の山。隠れ家に向かう途中に襲ってきた野盗が殺気立つ理由はこれだったのだ。

 憲兵隊が野盗を討伐する際、このような残虐な殺戮行為を行うことはない。だが、彼等にとってそんなことは些細な問題でしかなかったのだろう。

 何故ならば、現実は更に常識を超えている。あの凄惨な光景を造り上げた者はおそらく、たったひとりの人間なのだから。

 

「マリア……、きみが捜している男は……」


 死神か悪魔か。

 人間が忘れかけていた異種族への畏怖。その本質を、オルランドは垣間見た気がした。


 目の前に続く石畳みの街道の先に、灰色の煙が立ち昇っていた。

 陽が傾きかけた紅い空を背に、オルランドは馬を走らせた。



***



 村の外れの湖のほとりに彼は佇んでいた。

 人家が連なる一帯は焼き払われたが、ここまでは火の手が及ばなかったらしい。

 穏やかに水を湛える湖畔も、水辺を取り囲む夜光性の植物も、何も変わっていなかった。


 肌や髪に付着した赤茶けた血を洗い流し、一息ついて、彼は草の上に寝転んだ。


 酷い気分だった。

 昨夜から一睡もしていない所為か、撃たれた衝撃で後頭部から倒れた所為か。あれから度々、眩暈と吐気が襲ってくる。

 表面上は無傷であっても、内部にはそれなりの損傷があったのだろうか。


 目を閉じれば、砕ける瞬間の相手の顔や粉砕された肉片、鮮血の飛沫が脳裏にちらついて、胸の奥でぞわりと不快感が込み上げた。


 あのときの彼は、人間の脆さにしか考えが及ばななかった。けれど、人間の身体から流れた血は、彼の身体を流れる血と同じ色をしていた。


 のではない。

 彼は人をのだ。


「気持ち悪い……」


 気怠げに呟いて目を閉じると、彼は深い眠りに落ちた。


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