祝祭の前夜

「さぁさぁ、遠慮なさらないで食べてくださいね」


 次々とテーブルに料理を運びながら、レナの母カーラが言った。

 蒸かしたポタモに卵とバターと砂糖を練りこんで焼き上げたスイートポタモ、茹でたポタモをつぶして丸め、油で揚げたポタモコロッケに棒状のポタモフライ等々、多種多様なポタモ料理が目の前に並べられていく。


「レナさんにも話しましたが、この村のポタモ料理の多様さには驚かされますね」


 テーブルの上に所狭しと並べられたポタモ料理の数々を前に、ゼノは賞嘆の声を漏らした。

 相変わらずの無表情だったが、カーラは嬉しそうに「まぁ、そうなの?」と言いながら、取り皿に料理を盛り付けていく。盛り付けられたポタモにかけられたとろりと伸びる不思議な食材を見て、ゼノは訝しむように眉を寄せた。


「もしかして、チーズを食べたことがないの?」


 妙に嬉しそうな顔をしたレナが、ゼノの顔を覗き込む。向かいの席のアルドもやたらと目を輝かせていた。

 チーズという食材の名前には聞き覚えがあった。ゼノの脳裏に、故郷の母親が家畜の乳で作っていた食べものが浮かんだ。


「チーズと言うと、動物の乳とレモンの汁を混ぜてして作るアレでしょうか。私の記憶にあるものとはかなり見た目が違いますが」


 考え込むようにしてゼノが尋ねると、レナとアルドは顔を見合わせ、さも不思議そうに首を傾けた。料理を取り分け終えたカーラが会話に混ざる。


「カッテージチーズね。私の祖母がよく作ってくれたわ」


 和やかに微笑むカーラに、アルドが勢い込んで詰め寄った。


「おまえ、チーズを知っていたのか? なんでもっと早く言わないんだ」

「あらやだ。だってあなた、聞かなかったじゃないですか」


 驚きを隠せないといった調子で問い詰めたアルドだったが、カーラは軽く夫の言葉をかわす。そんな両親の掛け合いを見て、レナが満面の笑みを浮かべる。

 暖かな家族団欒の様子を眺めながら、ゼノは顔を綻ばせた。

 ぶつくさと不満を溢すアルドをあしらって、カーラはゼノに「冷めないうちに」と料理を勧めてくれた。故郷では見慣れない数々の料理を興味深げに観察しつつ、ゼノはそれらを口へと運ぶ。調理法や味付けに使う香辛料について詳細を尋ねるたびに、カーラは嬉しそうにゼノの問いに答えてくれた。

 賑やかな食卓を囲みながら、ゼノは故郷に遺してきた家族との遠い日の記憶に想いを馳せた。



 子供の頃は毎朝毎晩、両親と祖父母と賑やかに食卓を囲んだ。子供はゼノひとりだったから、皆に甘やかされ、大切にされてきた。友達と言える存在はイシュナードだけだったが、あの日、彼が手を差し伸べてくれたことで、ゼノは随分救われたものだ。

 そしてもうひとり、友達と呼ぶにはあまりにも程遠い存在だったけれど、ゼノに話しかけてくれたひとがいた。


 あれはゼノが年頃になった頃、イシュナードに婚姻の申し入れがあった。相手は朱紅あかい鱗の子。里で唯一人の若い娘であり、里の若い男の好意を一身に集めていた少女だった。

 延々と続いたくだらない争いから里を統率した白銀の鱗の一族であるイシュナードは、その血を後世に遺す権利を得たのだと、噂を知った誰もがそう考えた。しかしイシュナードは、「自分はそんな器じゃない」と屈託のない笑顔を浮かべて、あっさりと申し入れを断ってしまった。

 付き添いの大人に連れられて呆然として去っていく少女を、ゼノは森の小径で呼び止めた。イシュナードが婚姻を受け入れなかった本当の理由を彼女に伝えた。そのとき既に、イシュナードは里を出ることを心に決めていたからだ。

 彼女はちからなく微笑んでゼノに言った。「きみは優しいね」と。付き添いの大人を退がらせて、イシュナードに婚姻を申し込んだ理由をゼノに打ち明けてくれた。


「イシュナードは白銀の鱗の一族だからわたしに選ばれたと思われているようだけど、それは違う。里のみんなは鱗の色で人の良し悪しを判断して、きみの家族を傷つけてきた。けれど、イシュナードだけは誰にでも平等で、優しかった。だからわたしは彼を選んだんだ」


 そして、真剣な表情で話に耳を傾けるゼノを見上げて、勇気づけるように彼女は言った。


「きみの髪は、安息をもたらす夜の闇のように優しい色だね。わたしは好きだよ」


 

 その年の収穫祭の夜、少女は燃え盛る炎を背に祝祭の舞を踊った。鮮血のように朱紅い長い髪を躍らせて、彼女は優雅に舞った。

 イシュナードに自身の存在を認めて欲しかったのか、儚く散ってしまった想いを昇華させようとしたのか。

 彼女の舞は切ないながらも躍動感にあふれ、包み込むような優しさを観るものに感じさせた。彼女の舞を観ていた誰もが、生きていることに喜びを覚え、生まれてきたことに感謝したに違いない。

 里の誰よりもその想いに縁遠かったゼノでさえ、そのひとときは儚い幻想に囚われた。

 ゼノは朱紅い鱗の少女に憧れていた。恋ではなかった筈だ。ただ、舞い踊る彼女の姿を目にして、あのときの言葉を思い出した。

 自分はここに居てもいいのだと、生きていても良いのだと言われた気がした。


 今日、レナの舞を観て、ゼノはあのときと同じ感覚を覚えた。自分の何十分の一しか生きていないはずの少女が、あのような素晴らしい舞を踊ってみせたことに驚いた。

 もう一度許された気がして、それが嬉しくて感動したのだ。



「ねぇ、カッテージチーズのつくりかた、あとで教えて?」


 上の空になっていたところでレナにひそひそと耳打ちされ、ゼノはハッと我に返った。瞳を輝かせて良い返事を期待するレナと向かい合い、小さく頷いてみせる。

 希望に満ちたレナの顔は、朱紅い鱗の少女とどこか似ている気がした。


 夕食を終えると、レナとカーラは連れ立って食事の後片付けを始めた。流しに向かうふたりに農場の様子を見に行くと告げて、アルドが席を立つ。扉へと向かうその背中を呼び止めて、ゼノは尋ねた。


「ヤンの家に行きたいのですが、道を教えていただけませんか」



***



 闇に覆われた夜道を、ゼノはアルドと共に農場に向かって歩いた。

 明日の祭りに備えて煌々と明かりを灯し続ける中央通りを背に、深い闇の奥へと進む。提げられたランタンの小さな灯りが、細い道を照らしていた。

 やがてふたりの視界に、月明かりの下、静まり返る農場が現れた。ヤンの家は農場を挟んでレナの家の反対側にあるという。アルドの言うとおり、農場の向こう側に僅かな明かりが灯っていた。

 農場の柵を開くアルドの背中に感謝の言葉を告げ、ゼノは早足でヤンの家に向かった。

 どうしても今日のうちに、ヤンに伝えておきたいことがある。ゼノがに気付いたのは、正午に差し掛かるよりも少し前のことだった。


 昨夜、ヤン親子から、他所者好きの村長は旅人の来訪があるたびに記録を残していると聞いたゼノは、今朝早く村長宅を訪問した。

 その記録は村長宅の裏に建つ小さな小屋に保管されていた。ゼノは村長の許可を得て、過去三十年分の来訪者記録を読み漁り、イシュナードの名前を探した。人間の文化に興味津々な彼ならば、この村の祭りにも顔を出したことがあるのではないかと、僅かに希望を持って。

 だが、その希望は見事に打ち砕かれた。全ての記録に目を通しても、イシュナードの名前は見つからなかったのだ。

 無駄足だったと溜め息をつき、ゼノが小屋の外に目を向けたとき、切迫した様子で丘を駆け降りて行くヤンの姿が目に入った。何かあったのかと不思議に思いつつ、ゼノは小屋の外へ出て、村長宅の庭に回り込んだ。小高い丘の上から村周辺の景色を一望すると、遠方の草原に点々と連なる岩陰から人影が走り去るのが見えた。

 山育ちで目はいい方だと自負するゼノだ。見間違えるはずもなかった。

 あれは確かに、昨日ゼノを襲った二人組と同じ装束を着ていた。



***



「本当に見間違いじゃないのか?」


 苦渋に満ちた表情で、ラウルはヤンに尋ねた。昼過ぎに蒼白な顔で帰宅したヤンは、村長の家の庭で見たものを父親に報告した。


「あのときの野盗の仲間が村を偵察してたんだ」


 その言葉はラウルが最も恐れていたものだった。

 窮地に陥っていた他人を救おうとしたヤンの行動を咎めることはできない。その行為は勇気ある行動であり、決して人として間違った行為ではない、とラウルは考えたからだ。

 しかしラウルは知っていた。それがヤンの良心とは裏腹に、村にとって非常に危険な行為だったことを。

 野盗から逃れた帰路の途中、ラウルが真っ先に考えたのは、息子が助けた見知らぬ男を街道の何処かで降ろしてしまうことだった。ことの発端は彼なのだから、街道に遺された彼が息子の目の届かないところで野盗に襲われてくれるのが一番手っ取り早い解決法だと思ったのだ。

 だが、荷台の上のふたりの会話を聞いてしまうと、それを実行するのは躊躇われた。武器を持っていなかった彼は、野盗二人を足払いでその場に倒して気絶させただけだと言ったからだ。

 彼がその程度のことしかしていないのであれば、万が一にでも野盗の恨みを買うとしたら、それは彼等に銃口を向けた息子のほうかもしれない。それに、保身を考えて夜道に旅人を置き去りにすることで、大切な一人息子に軽蔑されるのは避けたかった。

 そもそも追い剥ぎに失敗して気絶させられた程度で、野盗が報復行為に出るとは限らない。散々思考した結果、ラウルはゼノを村に連れ帰ったのだ。

 しかし、その行為が今、最悪の事態を招きつつある。息子が言ったとおり、本当に野盗がこの村を偵察していたとしたら、原因は昨日の一件に違いないのだから。


「今すぐにでも村長に知らせるべきだよ! 自警団の詰所に連絡して、朝一で憲兵隊に救援を頼めば……!」


 ヤンの訴えにラウルが頷こうとした、そのときだった。家の扉を叩く音が廊下に響き、ふたりは同時に玄関を振り返った。


 祭りの件で何かあったのか、それとも……。

 

 最悪の事態を予測しつつ、ふたりは揃って玄関へと向かう。壁際に立て掛けてあった猟銃を手に取ると、ラウルはヤンに目配せして扉の左右二手に別れ、壁に背を預けて顔を見合わせた。

 扉に銃口を向けて猟銃を構えるラウルを横目に、ヤンが恐る恐るドアを開ける。


「こんばんは」


 眼前に突き付けられた銃口に怯みもせず、夜の闇に溶け込むような闇色の髪と黒いコートの男が軽く頭を下げて言った。


「ゼノ!」


 緊張を和らげたヤンが安堵の息をつく。だが、銃口を向けられても顔色ひとつ変えようとしないゼノの様子に、ラウルは僅かばかり畏怖の念を抱いていた。



***



「やはり私が原因でしょうね」


 指先を組んだ手で口元を隠してテーブルに肘をつき、考え込むようにゼノは目を伏せた。


「たったあれしきのことで根に持つなんて、器の小さい連中だよ!」


 ヤンが憤慨するのも無理はない。勝手に人を襲っておいて、返り討ちにあったから仲間を連れて報復に来るなんて、あまりにも横暴で理不尽極まりない。

 しかし、ゼノには恨まれる心当たりがあった。

 ヤンに嘘をついたわけではないが、そこにはいささか誤解がある。

 それを言ってしまえば自身がどれほど異質な存在として扱われるか、ゼノは理解していた。だから、敢えて詳細を省いてヤンに説明したのだ。

 あのときゼノは、目の前でヤンに気を取られていた二人組の足を払った。それは本当だ。ただし、ひとつだけヤンに伝えていなかったことがある。

 正確に言うのであれば、あのときゼノは身体に竜気を纏って野盗の足を払った。その結果、二人組の両の脛から下は切断されたのだ。

 大怪我をさせるつもりなどなかった。ただ人間という生き物が、ゼノにとって余りにも脆すぎただけだ。

 大量の血を流しながら地面を這いずり呻き回る二人の姿を見ても、罪悪感など微塵も感じなかった。どうせ働きもせずに弱者から金品を巻き上げて生活する、性根の腐った連中だ。憐れむ必要などないと、あのときゼノは思ったのだ。


「とにかく、明日の朝一番に村長と自警団に伝えよう。祭りの当日に厄介ごとを頼むなんて申し訳ない限りだが、この際仕方ないだろう」


 唸るようにそう言うと、ラウルは大きく息を吐いた。ヤンもゼノも、異論はなかった。


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