「正義」の暴走

義を人から与えられ、「義をコントロール」されることはとても危険なことなのだ。


人は「義」と「勇」が有ればなんだってできる。

死すらも厭わない。


それが時の権力者に利用されることは非常に危険だ。

しかし、実際に歴史上何度も起こっているし、今も起こっている。


人間が最も残酷になる時は「自分が正義と信じている時」である。


「義」を振りかざしてはいけない。

それが「誤義」であれば悪行となる。

それが「正義」でも「仁」を伴なわねば、やり過ぎてしまう。


「正義を考える」ことはとても重要で、有意義なことだ。


マイケル・サンデルの凄い所は「これが正義だ」と答えを決めない所にある。

「こんな考え方がある」

「こんなことをいう人がいる」

と例を挙げて、いろんな正義を見せてくれる。


我々はそれを見て考える。


「正解」は人それぞれだ。


人それぞれの「正解」を聞いてもいいだろう。

それが「対話」である。


「遠方より朋来る在り、また悦ばしからずや」


論語の二つ目の言葉であるが、

何故、孔子が儒教思想の最も重要たる「学」の次に、「友との会合」を説いたのか少し分かった気がする。

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