第28話 君の事が知りたいから

「…………」


 恋愛が何か分からない。

卯崎の吐き出したその言葉に、俺はなにも言えないでいた。


俺は思い違いをしていたのだ。

卯崎はずっと恋愛が『悪』なのだと思っていた。思い込んでいた。だから卯崎のその言葉は予想もしていなくて。

何より卯崎の辛そうな表情を見ていると、俺はなにを言えば良いのか分からなかった。


そこから先は、きっと俺が今まで踏み込むまいとしていた場所。他人の心の中に土足で無遠慮に入っていく事は酷く恐ろしい事だ。

 知りたいと願って、助けられると信じて進んでも、全部勘違いの一人芝居。今だってそうだ。

 結局傷つけるだけの自己満足で終わり、時には無関係の他人まで傷つけてしまう事を俺はよく知っていた。


だけど、今は。今だけは。もう一歩、そこに踏み込まないといけない。

いや、そこに踏み込みたい。


卯崎の事を止めるとかそう言う話以前に。ただ単純に、傷つけていると分かっていてもなお、俺は卯崎桜の事をもっと知りたいと、そう思っているのだから。


恐れているだけではなにも始まらない。傷つけていると分かっているのなら、自分も傷つく覚悟を持ってそこに立ち入る。


なにもしないで見守る事だけが優しさでは、『善』ではないのだから。


「……なあ、卯崎」


 散々迷った末、俺はできる限り穏やかな口調で卯崎に呼びかけた。


「俺のどうでもいい話、聞いてくれるか」


「……?」


 何の脈絡もなくそう話し始めた俺に、卯崎は怪訝そうな表情でこちらを見る。

 そんな卯崎に構わず俺は続ける。


「俺はさ、昔『正義のヒーロー』に憧れていたんだ。なんでそう思い始めたのかは思い出せないけど、いつからか漫画やアニメのヒーローみたいに、自分もそうなりたいって思うようになってたんだよ」


 そう切り出した俺の言葉に卯崎が驚いたように目を丸くする。


 話し始めたのは俺の過去。黒歴史という言葉ですらまだ生ぬるい、中学時代までの俺の話だった。


「実際に小学生の時からヒーローのまねごとみたいな事もしてた。まあ、どっちかっつうとボランティアみたいな事の方が多かったんだけどな。微笑ましいだろ?」


 決して誰にも話す事は無いだろうと思っていた話を、俺は目の前の卯崎に話していた。


「でもそのうち調子に乗り始めてさ、中学の頃には結構分不相応な事もしてた。不良と喧嘩したりとか、スリ犯を捕まえたりとかな。……自分なら何だって出来ると思っていたんだ、あの頃の俺は」


 痛々しくて救いようのない過去。それらを一つ一つ語っていく。

 それはまるで古傷を自分から切り開いてぐちゃぐちゃにかき回しているような行為だった。


「しかもたちの悪い事にそれが全部上手くいった。周りからもたくさん持ち上げられて、俺は『正義のヒーロー』になった気がしていた。そんな訳ないのにな。……そうやって調子に乗ってた俺は当然のように痛い目を見る事になった」


 卯崎は呆気にとられたような表情で俺の話を聞いていた。


「……俺が中三だった頃、桃が誘拐された。俺に返り討ちにされた不良グループの腹いせで。……その時初めてこう思った。俺のやってた事って何だったんだろう、俺は人を助けるふりをしながら、無関係の人まで巻き込んで傷つけていた事にも気づかずに、結局誰かを助ける自分に酔っていただけなんじゃないか、……俺が思っていた『善』は、ただの自己満足だったんじゃないか、って」


 そんな卯崎の様子を見ながら、俺は話をこう締めくくった。


「それで俺は自分のしている事が正しいのか間違っているのか、分からなくなった。それが、俺が『正義のヒーロー』になることを諦めた理由だ。……前に聞きたがってただろ?」


 卯崎には以前、そんな事を聞かれていた。その時は答える事を拒絶していたのに、今になって突然話した理由が分からないのか、卯崎は俺の言葉に疑問をぶつけた。


「……何故今その話をしたんですか」


「理由は二つある。一つは俺とお前が似ているって事を言いたかったからだ」


「似ている?」


「ああ」


 自分の正しさが分からない俺と、恋愛の善悪が分からない卯崎。

 卯崎が分からないという言葉を叫んだとき、俺はいつかのつぼみさんの言葉を思い出していた。


 『あの子が君に抱いているものは好意じゃない。あれは多分同族意識とか、そう言う類のものだ。同族だから、自分の秘密を話しても良いって思えたんじゃないのかな』


 同族というのはつまりそういうことだったのだろう。

 分からないものを心の内に抱え、それをいつまでも消化できずに燻らせている。


 しかし卯崎は、否定するように首を振りながら言った。


「……全然似てないですよ。だって先輩は、それを抱えたまましっかり前を向いている。いつまでもそこから動けないでいる私とは違います」


「俺はただ蓋をして見ないように目を逸らしているだけだ。ちゃんと向き合おうとしているお前の方が凄いよ」


「違います、私は……っ!」


「卯崎」


 否定を重ねようとした卯崎に俺は短く声をかけた。


「俺が自分の事を話した理由の二つ目だけどな。……卯崎、お前の話が聞きたいからだ。お前がどうして恋愛が何か分からないのか、どうしてそれが知りたいのか。お前の言葉で真実が知りたい」


俺の言葉に卯崎が息を呑んだのが伝わった。

やっている事はさっきまでの繰り返しだ。俺が本音で言ったからお前も本音で言えと言っているのだ。ほとんど脅しのようなものだが、俺にはそれしか方法が浮かばなかった。


それに、先に脅してきたのはあっちだ。これでおあいこ。ノーカンだ。


「……腹を割って話そう、卯崎」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る