第18話 むかしのこと

 正義の味方、というものに憧れていた。


 いつ、何をきっかけにしてそう思い始めたのかは今となっては思い出せない。だけど、物心ついたときにはもう、それに憧れていた。


 弱きを助け、強きを挫く。誰もが理想とする『善』を成し遂げる。そんなかっこいいヒーローになりたいと思っていたし、実際に小学生の頃にはそんなヒーローのまねごとのような事もしていた。いじめられっ子を助けたり、近所のお婆さんの手伝いをしてあげたりと、そんな如何にも小学生がやりそうな、微笑ましいレベルのものだったが。


 最初は誰かの感謝を求めていた訳ではなかった。

 だが、助けた人たちから「ありがとう」の言葉を貰うのは嫌ではなかったし、むしろ感謝されることに快感を覚えはじめてさえいた。


 ――今思えば、その頃からすでに俺が欲していたものは変わっていたのかも知れない。いや、そもそもその行為に対する見返りを欲している時点で間違っていたのだ。


 中学に入る頃には俺は完全に天狗になっていた。

 自分に救えないものは無いと、自分は何でも出来ると、そう信じて疑わなかった。


 そして調子に乗った俺は、自分の活動範囲をさらに広げた。それまでの、せいぜい近所のボランティア程度だったものから、中学生の領分を大きく超えたものへと。


 万引き犯を張り込みで捕まえたこともあったし、痴漢を現行犯で警察送りにしたこともあった。学校では何度も表彰された。いつからか周りからは地元のヒーローとしてそれなりに有名になった。


 俺はますます調子に乗った。もっと直接的に悪者を罰しようと筋トレに励み、武道も少しだけかじった。それが自分の信じる『善』につながることだと思っていたから。

 そして、はたして、その成果は出た。出てしまった。


 確か中三の夏頃だったと思う。近所で悪名高かった不良グループが見知らぬ男子から喝上げされている現場を見た俺はすかさず止めに入り、殴りかかってきた不良を返り討ちにしてその名前も知らない男子を助けた。

 それはいつものことだった。だからこの時も大して何も思わなかった。ああ、今日も良いことが出来たな、と。そう思っただけ。


 そして俺は今まで周りを顧みず、散々調子に乗っていたツケを払わされる事になる。


 きっかけは一本の非通知着信。出てみると聞こえてきたのは野太い男の声。正直、その頃の俺にとってこの程度のことはそれほど珍しくもなかった。その内容は大抵が俺に対する恨み、罵詈雑言、殺害予告なんてのもあった。まあ実際に殺しに来た奴はいなかったが。


 そんなわけでその時の俺は至って平静に電話の向こうの声を聞いていたのだが、相手がある一言を発した瞬間、その余裕は崩れた。


 「弥生桃を誘拐した。返して欲しかったら一人で来い」


 その言葉とともに場所を指定してくる相手の声は、どこか遠く聞こえた。

 

 誘拐。それも俺ではなく、桃を。何故? 桃は何もしていなかった。いつも俺がしていることを心配そうに見ていただけだ。桃が巻き込まれる意味が分からない、理由がない。そんなこと想定すらしていなかった。


 ――本当か? 本当にお前は、その可能性を考えなかったのか? 

 お前は自分がしている事の危険性を理解していたはずだ。自分のしていることが誰かを巻き込むかも知れないと、そう考えたことはあったはずだ。

 それなのにやめなかったのは何故だ?


 俺のしていることが多くの人を救える『善』だからだ。自分のことを省みず、他人を助ける。それこそが俺の憧れる、正義の味方のあり方だからだ。


 ――嘘だ。お前が顧みていなかったのは自分じゃなくて周りだ。お前が周りを顧みなかったのは、お前は誰かを助けることで感謝されたかっただけだからだ。そんなものは『善』とは呼ばない。

 結局、お前がしていたことは――


 俺がしていたことは、自己犠牲なんかじゃない。ただの自己満足。


 俺は、正義の味方になんかなれちゃいなかった。ただの一度も。


 ***


 窓に打ち付ける雨の音で目が覚めた。時計を見るといつもより十分程遅い目覚めの時間。


「……久しぶりに見たな、あの夢」


 高校入ってすぐの頃まではよく見ていたのだが、最近はめっきり見なくなっていたその夢を今更になって見たのは、久しぶりに降った雨のせいだろうか。


 それとも、昨日の卯崎とのやりとりのせいだろうか。ふと、昨日の卯崎の言葉を思い出す。


『先輩は何故、『正義のヒーロー』になることを諦めたんですか?』


 あのときの卯崎の言葉。俺は諦めたんじゃない。そもそも最初からなろうとすらしていなかったのだ、多分。


「……やめだ。ただでさえ雨なのにこれ以上湿っぽくなってどうする」


 ていうか寝坊してるんだから物思いにふけっている場合ではない。早く準備をしないと神月に教室一番乗りの座を奪われてしまう。去年一度だけ神月の後に登校したことがあったが、どや顔で煽ってきたからな、あのアマ。


 手早く支度をすませ、慌て気味に朝食をとってから家を出た。

 

 この日、俺の住む地域では例年よりもやや遅い梅雨入りが発表された。


 ***


「遅いっ!」


 ただでさえクソだるい朝である上に今日は週明けの月曜、さらに雨まで降っているという人類滅亡級の極悪コンボの通学路をゾンビのように歩いていると、前方から怒りの声が飛んできた。のろのろと顔を上げると、ピンク色の傘をさしてこちらを睨む、むすっとした顔の我が幼馴染み。


「おはよう桃。朝から元気だな」


「うん、おはよう新……じゃなくて! 何で今日に限って遅れた! おかげで雨の中ぬれながら待ったんだから!」


「いや、そもそもお前、雨の日は朝練ないからこのくらいの時間だろ、登校するの」


 むしろ朝練がない日もこんな朝早くに登校する桃は立派だと思う。


「そうだけど、そうだけど……っ!」


「どうした、桃。今日はずいぶん機嫌悪いみたいだけど、腹でも痛いのか?」


「違うっ!」


 桃は短く俺の言葉を否定してから、軽く息を吸い、再び口を開いた。


「昨日のこと! 卯崎さんと何してたのかきちんと聞かせて貰うからね!?」


 ……あー、はいはい。そう言えばあったね、そんなことも。

 さて……どうしよう。


「あ、ああ、それな。……えっとだな、なんというか、その……あれだ。そもそも桃は何を聞きたいんだ?」


 正直まったくなにも考えていなかったので取りあえず質問で返すことにする。こうすることで俺が考える時間を稼ぎ、なおかつ俺が答える範囲を限定することが出来るのだ。……いや、出来るのだ、って誰かに試してみたことはないんだけどね?


「何を、って……全部だよ、全部! 昨日何をしてたのかも、何で昨日、そ、その……デートしてたのかも!」


 即答で答える桃。俺の目論見は全て壊された。……まあ、こうなったら仕方ないか。


「……はあ、分かった。全部話すよ。それでいいだろ?」


 これ以上押し問答を続けていても体力を浪費するだけだしな。


「ただし、周りには言いふらすなよ。面倒になるからな。特に三山とか」


「え? あ、うん。別に誰かに言うつもりもなかったし」


「……よし。じゃあどこから話すかな……」


 降り注ぐ雨の中、二人で駅までの道を歩きながら、俺は桃にこれまであったことをなるべく簡潔に話した。

 夕日が照らす屋上で卯崎と出会ったこと。訳あって卯崎の手伝いをするようになったこと。その一環で昨日は二人で出かけていたこと。


 ……まあ、卯崎に脅されたから手伝いをしている、とは言わなかったが。あと、卯崎がしている事もあまり詳しくは言わなかった。それは俺が軽々しく言って良いようなものでは無いと思った。


「ふーん、そっか。そうだったんだ」


 俺の話を聞いた桃はこちらを見もせず素っ気なくそう呟いた。さっきまではあんなに知りたがってたのに、一気に興味なさげになったな。もっと面白いものだと思ってたのか?


 それきり桃は口を開かず、俺も特に話題がなかったので、二人して無言のまま駅の改札をくぐった。


 駅のホームで電車を待っていた時、ようやく桃がこちらを向いて話しかけてきた。


「……ねえ、新。卯崎さんといるとき、新は楽しかった?」


「さあ、どうなんだろうな。楽しいかと聞かれると決して楽しいとは言えないが、だからといって嫌だったと言うわけでもない」


 ぽつりと呟かれた言葉に、曖昧な表現で答える。


「ふーん。そっか。…………卯崎さん、だったんだ」


 桃は先ほどと同じような反応の後に、小さく何かを呟いた。

 そんな桃の横で、軽く口を開く。


「ただ……」


「ただ、何?」


「……いや、何でも無い」


 そして開きかけたその口をまた閉ざした。中途半端なところで言葉を切った俺に怪訝そうな顔を向ける桃。


 言葉にするのをやめたのは、言っても仕方の無いことだと思ったし、もしかしたら、そんなことは無いと思いたかったからなのかも知れない。


 ――ただ、俺は卯崎桜のことが分からない。


 その一言で、卯崎との間に見えない壁が出来てしまうと思ったからかも知れない。

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