第15話 水族館の魚は食べられません

 ショッピングモールから歩いて五分。最後の目的地である水族館は案外近い場所にあった。


 気づけば時刻は午後の四時。よい子の皆もおやつを食べ終えている時間帯だ。だからなのか、特段待つこともなく俺たちは館内へと入ることが出来た。

入り口の、周りが全て魚の泳ぐ水槽になっているトンネルの通路を、卯崎と並んで歩いていく。上も横も魚に囲まれるという、普段しないような体験に少しだけ気分が高まる。


「しっかし水族館ね……前に来たのはいつだったか。小学生くらいか?」

 

 頭上を泳ぐサメをぼんやりと見ながらふと呟く。

 もっとも、なんとなく行ったような記憶があるだけで、明確に何を見たとか、どんな雰囲気だったとかを覚えているわけではない。まあ、人の記憶力などそんなものだろう。


「私も最後に行ったのは小学生の時でした。もちろんこことは別の場所ですが」


「卯崎はその時のこと、はっきり覚えてたりするのか?」


「ええ。私は一度見たり経験したりしたことはなかなか忘れないみたいなんです」


 こともなげにそう言う卯崎だが、それって所謂天才ってやつですよね。全校生徒の個人情報を覚えているようなやつだからそれくらい出来てもおかしくないのかも知れないが。いや、やっぱおかしいわ。


「あ、先輩。トンネルを抜けますよ」


 そんな卯崎の声に意識を現実に戻す。と同時に、あたりの空間が一気に開けた。


 やはりこの時間帯だからだろうか、人の姿はまばらで、その分ここ周辺にある大小さまざまな水槽を一目で見ることが出来た。薄暗くライトアップされた館内に水色の水槽が点在する様は、宇宙に浮かぶ惑星のようにも見えてなんとも神秘的だ。水族館マジ大スケール。


 そんなことを考えていると、横に並んでいた卯崎がくるりとこちらを向いた。


「さて、先輩。水族館でやることを説明しましょう」


 この水族館に来たのは、もちろん南川と相田の依頼の解決のため。だから卯崎のいう「やること」とは、二人のすれ違った恋人関係を元に戻すためのデートに役立ちそうなヒントを探す、ということだ。


 軽くうなずいた俺を見た卯崎は言葉を続ける。


「まず、どうして私が水族館を選んだのか。それは数あるデートスポットの中でも水族館が一番男女の距離が縮まりやすいからです」


「そうなのか?」


「ええ、そうらしいですよ」


 やはり情報のソースは分からない。卯崎もそこを明らかにするつもりはないのか、話を続けた。


「一つの水槽を二人で共有して見ているという感覚。これだけでも二人の間には相当親密さが生まるはずです。さらに館内は薄暗く、足下も頼りなくなるので、自然と隣にいる相手との物理的距離が縮まります。人間には物理的距離が縮まると精神的距離も縮まるという心理があるそうなので、これでさらに二人の仲は良いものとなる、というわけです」


 つらつらと言葉を並べ立てる卯崎。先ほどのゲームセンターの時と同じく、今回もしっかりと理屈は通っている。というか思い返してみれば、上手くいったとは言いがたいが映画館の時もそれらしい理論を語っていた気がする。


 まあ、今はそんなことを考えていても仕方が無い。俺は卯崎に言葉を返すべく、口を開く。


「で、結局ここでは具体的に何をするんだ?」


「手をつなぎましょう」


 ……はい?


「……いやいやいやいや。それは思春期男子高校生には難易度高いぞ。ていうかどうしてそうなった」


「物理的距離が縮まると本当に精神的距離も縮まるのかを確かめておきたいんです。水族館ではこれが重要ですから」


 全く変わらない表情でそう口にする卯崎。むしろ動揺している俺の方がおかしいのではと思うほどの変化のなさである。


 だが少し考えてみて欲しい。高校生で、恋人でもない女子(しかも可愛い)と、二人っきりで、手をつなぐんだぜ? いくら俺が年上派だとしても動揺するなという方が無理な話である。


 俺は卯崎の考えを改めさせようと、言葉をひねり出す。


「いや、それならわざわざ手をつながなくてもよくないか? いつもより少し近づいて歩くとか、他にやりようはあるだろ」


だが卯崎は考えを変える気は無いようで、


「ただ近寄るだけなんて恋人らしくないじゃないですか。それでは意味がありません」


「いや、でも、そのほら……」


「……先輩。往生際が悪いですよ」


 なおも反論しようとする俺に対し、卯崎は若干呆れたようにため息を吐く。


「そんなに抵抗して良いんですか先輩。大切な秘密が白日の下に晒されてしまいますよ?」


「……喜んで協力いたします」


 そして放たれた言葉は俺にとって効果は抜群で、結局俺は卯崎に従わざるを得なくなってしまった。……なんかこんなのばっかだな、俺。


「ありがとうございます。……では、はい」


 そう言って卯崎は左手を差し出してくる。ここに右手を重ねろ、ということだろう。

 俺は右手をズボンでごしごし擦って手汗がついていないことを確認し、三回ほど深呼吸をして覚悟を決める。そうだ古木新、お前はやれば出来る男。後輩女子の手を握ることくらい、ちょっと心拍数を犠牲にすれば出来るはずだ!


「……よ、よし」


 ぇええい南無三ッ! 


心の中でそう叫びながら、ゆっくりと卯崎の手に俺の手を近づけていく。

やがてちょこんと、互いの手が控えめに触れあうと、じれったく思ったのか、卯崎の手の方から俺の手を捕まえてきた。


男の固くゴツゴツとしたものとは違う、柔らかく小さい手。そこからほのかに伝わる温かさが、隣の相手を否応なく意識させる。

よく漫画や何かで、相手に自分の心臓の音が聞こえているのではないかと錯覚するシーンがあるが、アレの気持ちがよく分かった。お互いの手が触れ合っただけで、その手を通して相手と全てを共有している感覚になるのだ。そりゃ心臓の音くらい相手に伝わっていてもおかしくない。


「さて、行きましょうか」


「……おう」


 そう促した卯崎の声はやっぱり普段のそれと変わりなくて、おかげで俺も少しだけ冷静になることが出来た。


「あ、先輩。クリオネですよ」


「ほんとだ」


 二人で水族館内をあてもなく歩き、辿り着いたのは一つの小さな水槽。そこでは透明の体の一部に赤を持つ生物、「流氷の天使」とも呼ばれるクリオネがぷかぷかとたゆたっていた。


「へえ、結構可愛いなクリオネ」


 ぼーっと見ているだけでも不思議と癒やされる。と、ふと目線をずらすと、なにやら卯崎は水槽の横にある説明書きを読んでいるようだった。


「中身の赤は内蔵で、捕食するときは頭部が裂けて六本の触手が出てくるらしいですよ」


「うわ、グロいなそれ……」


 通称に似ても似つかない悪魔のような姿が想像されてしまう。なんか獣が寄生する漫画でそういうのがあった気がするな。少し見てみたくもある。


「ちなみに、クリオネは食べるとシンナーのような臭いがするらしいですよ」


「まじで? それどこに書いてあるんだ?」


「ここに書いてあるわけ無いじゃないですか。ネットで調べたらそう書いてあったんです」


「なんでそんなもの調べてるんだよ……」


 「クリオネ 食べる」とかでグーグル大先生に尋ねる卯崎の姿を想像して少しだけ鳥肌が立った。……というか今の話を聞いて純粋にクリオネを愛でられなくなったんだが。へえ、クリオネって食べられるんだ、っていう感情が沸き立ってしまう。


「そろそろ次に行こうぜ」


「あ、もう良いんですか?」


「……ああ。俺はこれ以上クリオネを純粋に見ることが出来なくなってしまった」


……まあ、そんな感じで、俺たちは時々水槽の前に立ち止まっては他愛もない話をし、しばらく眺めてからまたぶらぶらと歩き出すを繰り返した。

そうやってマイペースに、ゆっくりと流れる時間の感覚は、それほど悪いものじゃないなと思った。


***


 こうして一時間後。水族館を回り終えた俺たちは館内を出て、夕日に染まる道を歩いていた。もちろんもう手はつないでいない。


「で、実際どうだった。手をつないで疑似水族館デートをしてみた感想は」


「それほど距離が近づいたという感じはしませんね。心拍が早くなったということもありませんし」


「さいですか……」


 なんだろう、この無力感。俺がやってたことって一体何の意味があったんだ……。


「でも」


 そこで、隣を歩く卯崎が一歩、前へ踏み出し、くるりとこちらを向いた。


「先輩と一緒にいるの、結構楽しかったですよ」


 俺に向けられたその顔は、いつかも見た、いつもより柔らかい自然な微笑で。


「……それはなによりだ」


 俺は、わずかに顔を逸らしながらそう答えるのが精一杯だった。


「ところでですね先輩」


 そんな俺に再び話しかけてきた卯崎の表情は、もういつもと変わらないものだった。


「後一カ所だけ、一緒に行って欲しい場所があるのですが」


「どこだ?」


 俺はそんな話聞いていない。つまり、その行き先が遠い場所だったら俺は帰宅という選択肢を選べるということだ。

 そう思いながら卯崎の返事を待っていると、卯崎はそんな俺の思考を吹き飛ばすくらいの、今日一番の衝撃を与える発言をした。


「私の家です。……先輩、お家デート、してみませんか?」

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