第13話 ガチのホラーはほんとに覚悟を決めてから見た方が良いです

 歩いて五分ほどでモールへと着いた俺たちは、まず最初の目的地である映画館へ行くため、エレベーターを使って最上階へと向かった。ドアが開いた先には、明らかに他の階層とは異なる空間が広がっていた。


 黒を基調とした壁と床、ぼんやり薄暗い照明、その中で鮮やかな色彩を放つ映画のポスター。こういう一種の非日常とも言える雰囲気が、自然と気持ちを高揚させる。


「で、何を見るのかはもう決まってるのか?」


「ええ、これです」


 卯崎が言いながら指を指したのはとある映画のポスター。真っ黒の背景の中に一人の少年がこちらを向いて立っている。その背後には不気味な容貌の人型らしき化け物。そのポスターは、一目見ただけで恐怖心と好奇心を煽るものだった。


「……ってこれホラー映画じゃん」


 下の方に「全米が震えた!」とか書いてあるし。


「ええ。もしかして先輩、ホラーダメですか?」


「いや、別にそういうわけじゃないが……でも何でホラー?」


 卯崎のことだからてっきり恋愛映画でも見るのかと思ってたんだが、こういうのが趣味なんだろうか。

 そう思って尋ね返してみたのだが、卯崎の答えは全く違うものだった。


「実はとあるサイトにホラー映画は吊り橋効果を狙うことが出来る、と書いてあったんです。なので、今回の依頼にもぴったりなのではないかと思いまして」


 吊り橋効果。それは、恐怖によるドキドキと恋愛によるドキドキを脳が同一のものと誤認することによって、男女に恋心が芽生えてしまうという、有名な恋愛心理の一つだ。つまり卯崎はホラー映画が見たいのではなく、ホラー映画を見ることによって起こる心理変化が目的というわけだ。何だか本末転倒のような気もするが、今回の目的はあくまでも南川と相田のため。結果に結びつくならば何でも使ってやろうということなのだろう。


「分かった。これで行こう」


「では、券売機へ急ぎましょう。後15分ほどで始まってしまうそうなので」


「え? そんな急ぐのか? 一時間後に同じやつの上映があるし、そっちでもいいんじゃないのか?」


「ダメです。それだと今後のスケジュールに差し障ります」


まじか。デートってこんなタイトなスケジュールが普通なの? ストレスたまらないか?


 そんな疑問を抱えながらも、俺は卯崎と共に15分後に上映の映画のチケットを買った。


「先輩、ポップコーンと飲み物も買っておきましょう」


「え、いや、上映まで後10分しかないんだけど」


「売店はそれほど混んでいませんし、大丈夫です」


その卯崎の言葉に押されるようにポップコーンと飲み物を買い、案の定上映時間ぎりぎりに慌ただしくシアター内に入る。

真ん中よりもやや前の席に座った俺たちは、スクリーンに映る顔面カメラの映画泥棒が顔面ランプの警官に捕まる映像を見ながら上映が始まるのを待っていた。


やがてシアター内を照らしていた照明が消え、あたりが暗闇に包まれる。スクリーンも暗転し、隣の卯崎の表情も見えなくなる。だがそれも一瞬のこと。すぐにスクリーン上に映画の配給会社のものと思われるロゴが映し出された。


いよいよ映画が始まる。


***


 二時間あまりにも渡った映画もようやく終わり、スクリーンにはスタッフロールが流れていた。俺はそれを、半ば放心状態で眺めていた。


 やばい。何がやばいってもう全部やばい。想像以上に怖すぎた。軽い気持ちで見て良いもんじゃなかった。


「これ吊り橋効果どころじゃないだろ……」


 むしろトラウマになりかねない。「全米が震えた!」の煽り文句は伊達じゃなかった。


「……これは、確かにそれどころではないですね」


 さすがの卯崎も少し後悔しているらしい。


「ま、取りあえず出るか」


「はい、反省は次の行き先でしましょう」


 俺たちは逃げるように映画館を後にした。長くいると恐怖を思い出しそうだった。


そして映画館を出てからしばらく。俺たちは予定通りカフェへと来ていた。


「……で、ここでは何をするんだ」


 店員に注文を伝え、水で喉を潤してから卯崎に尋ねる。


「……ええと、ですね。本来ならここで先ほど見た映画の感想を言い合ってお互いの中を深めるのが目的なのですが……」


卯崎は若干気まずそうに言った。


「……それはやらなくても良いんじゃないか」


「そうですね」


 皆まで言わずとも、俺たちの意見は一致していた。


「そうなると何をするかという話になる訳なんだが……」


「まあ、取りあえず先ほどの反省をしましょう」


 反省。反省ね。


「そもそも、卯崎はなんであの映画を選んだんだ? もっと他のホラーもあっただろ?」


「ええ、ありました。でも、吊り橋効果を狙うのなら、なるべく恐怖を感じるものの方がいいと思い選んだのですが……何がいけなかったのでしょうか」


 その顔は本気で分からないと言った様子だ。


「いやいや、何事にも限度ってものがあるだろ」


「限度、ですか?」


「ああ、限度だ。本当は落ちないと深層心理で理解しているからこそ吊り橋効果は成立するのであって、これが冗談抜きで落ちる吊り橋だったら脳が勘違いしてる余裕なんかないだろ」


「……確かに、そうかもしれません」


「だろ? だから吊り橋効果を期待するんだったら、ほどほどの怖さのものを選んでおくべきだったんだよ、多分」


 まあ、なんとなくそれっぽいことを言ってみただけだったりするんだけど。


「では、南川先輩たちにはマイルドなホラー映画を探しておきましょう」


「マイルドなホラー映画ってなんだよ……。というか今更なんだが、わざわざ恐怖でドキドキさせなくても、普通に恋愛映画を見てドキドキさせれば良いんじゃないのか?」


「……なるほど」


 俺の言葉に、卯崎はまるで考えもしなかったとでも言うように軽く目を見開いた。


「そんなに驚くようなことか? いたって普通のことを言ったつもりなんだが」


「いえ、私は今まで恋愛映画をみてドキドキした、という経験が無かったものですから。その発想はなかったです」


 『恋愛』が何か分からない卯崎は、その手の映画を見ても何に感動して何に興奮するのかが分からない、ということなのだろうか。よく分からん。


「まあ、その辺は卯崎に任せる。俺はあくまでも協力者だからな。最後に解決方法を最後に決めるのはお前だ」


 前回の依頼はむしろ俺が解決方法を決めていたような気もするが、それはそれだ。あのときは少し調子に乗っていた。


「分かりました。まあ、ひどすぎるチョイスにでもしない限りこの段階で何かが決まるというわけでもないですし」


 そんなこんなで話がいったん落ち着いたのを見計らったかのように注文した料理が届いた。


「それでですね、先輩。この後の予定についてなのですが」


「……ん、ああ、次はゲーセンに行くんだっけ?」


 カルボナーラをフォークに巻き付けながら言った卯崎に対し、ペペロンチーノを飲み込んでから言葉を返す。ここのペペロンチーノうまいな。


「ええ、そこで先輩にはUFOキャッチャーでぬいぐるみをとってもらいます」


「ほう」


「その次にレースゲームで私と対戦して貰います。私が勝つように先輩は手加減をしてください」


「なるほど」


「そして最後に二人でプリクラを撮ります」


「……分かった、ちょっと待とうか」


 俺は半分ほど食べ終えたペペロンチーノの皿にフォークを置き、右手を前に突き出した。

 最後のプリクラは分かる。狭い空間で密着しながら二人仲良く写真を撮って距離を縮めようと言うことだろう。正直リア充爆発しろと言いたいがそれはまあいい。問題はそれ以外だ。正直何言ってるのかよく分からなかった。いや言ってる意味は分かるんだけど言ってる内容が分からないというか。


「まず、俺はぬいぐるみが欲しいとは思っていないんだが」


「ええ、分かっていますよ。私のために取って欲しいんです」


「なに、卯崎ってぬいぐるみ収集の趣味とかあったの?」


「いえ、別に」


「じゃあお前は俺に何をさせたいんだよ……」


 ぬいぐるみが欲しいわけでもないのにぬいぐるみを取れとおっしゃる。もう僕には何が何だか分からないよ。

 そんな俺の心中を察したのか、卯崎がその行動の真意を語る。


「良いですか先輩。とある情報によると、女性は男性から何か形のある、目に見える『愛』を欲するのだそうです。また別の情報によると、女性は心のどこかで『恋愛』に困難や苦難が立ちはだかることに期待しているのだそうです」


「へえ、そうなのか」


「ええ。なので、この二つを組み合わせた『苦労して取ったぬいぐるみを彼女に渡す』というシチュエーションは南川先輩が相田先輩に愛されているということを感じることの出来るものだと思うんです」


「……ほう、なるほど」


 今のなるほどはさっきの適当な相づちとはちがう、しっかりと納得をした上での返答だ。今の卯崎の理屈は理解できた。情報のソースが分からないことだけが不安と言っちゃあ不安だが、卯崎のことだ。その辺は信頼できるはずだ。

 そして次の卯崎の方針も大体つかめた。


「つまり、ゲーセンは南川の相田に対する意識の改善が目的ということか」


 南川と相田はお互いがお互いのことを想っている。だがその想いは一方通行なのではないか、とこれまたお互いが勘違いしていることに今回の依頼の原因がある。そのうちどちらかの考えを変えることが出来れば、もう片方も勘違いだったと気づくことが出来るはずだ。おそらく卯崎はそう考えているのだ。

 俺の予想の的中を裏付けるように、卯崎は「そうですね」といった後、


「その次のレースゲームもそういうことです。彼女に花を持たせる彼氏を演出することで、相田先輩の優しさを南川先輩にアピールする、というわけです」


「…………」


 卯崎のその言葉を聞いた俺は心の中で驚いていた。卯崎がこんなにも恋愛心理を理解し、かつそれを他人の恋愛に還元できるなんて思わなかった。それで『恋愛』が分からないとか言うし、実際普通に分かりそうなことが分かっていないのだから謎である。


「と、こんな感じの方針で行きたいのですが。よろしいでしょうか、先輩」


「あ、ああ。それでいいと思うぞ」


 考え事をしていた俺は卯崎の言葉に少し詰まりながらそう返した。


「よかったです。それでは昼食も終えたことですし、食後の紅茶を飲んでから午後の予定に移りましょうか」


 卯崎はそう言った。紅茶のところで少し嬉しそうになったのは気のせいではないだろう。ここはコーヒーがメインの店が多い喫茶店の中でも珍しい紅茶をメインに扱う店らしいのだ。ここだけは完全に卯崎の個人的趣味で選んだのだろう。


 その紅茶はそう待たないうちにやって来た。まあ当たり前のように俺はなんの茶葉が使われているのかなんて分からないわけだが、立ち上る湯気からほのかに香る紅茶の香りだけで相当美味しいのであろうことだけは分かる。


 程よい温かさになるまでしばらく待ち、さあそろそろ飲むかとカップに口をつけたとき。


「あ、あれはもしかして新……と、え? 卯崎、桜さん?」


 後ろから聞き慣れた声が。恐る恐る振り返る。別に何かを恐れる必要なんて無いのだが、なんとなくそんな心持ちになってしまった。


 果たして、そこにいたのは。


「桃……」


 後ろにいる三山と買い物にでも来ていたのだろうか。私服姿の幼馴染み、弥生桃の姿がそこにあった。

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