第2話 変革と崩壊

「はっはっは、大目玉だね~日高君!」


 怒りに満ちている俺に、軽快に声をかけるこのお方は、大森部長補佐だ。性格は高梨部長とは雲泥の差があり、ユーモアと効率を兼ね揃えた人だ。唯一の欠点といえば、頭が見事にバーコードになってしまったことぐらいだ。高梨部長の頭から髪の毛を毟って大森部長補佐に植毛したいくらいだ。


「ええ、早いとこ片付けたい仕事があるっていうのに、仕事が増えてしまいました」


「まあまあ、丁度手が空いているし、僕が仕事手伝ってあげるからさ! あんまり気を落とさないようにな。部長には部長なりの考えってのがあるんだよ」


「私、3年間高梨部長の下で働いているんですが、未だにその考えがわかりません」


「うん、僕も実は解ってない。けどさ、あの手の輩の考えが解っちゃったら、きっと同族になっちゃうからさ。テキトーに受け流しておけばいいんだよ、テキトーに」


 ケラケラと笑いながら、大森部長補佐は部長から渡された資料の全てを持ち出し、自分のデスクへと運び出した。流石に全部をやってもらうのは気が引けるので引き留めようとしたが、「あ〜なんだか喉が渇いたな〜」とだけ言って、そのまま自分のデスクに資料を置いていってしまった。有難い、凄くありがたいよ大森部長補佐。


 お礼の品として缶コーヒーを差し入れようと、自販機の前に到達すると、丁度同僚の卯月美里うずきみさとが、人差し指を顎に当てて、何を買うか迷っているようだ。この女はなかなか優柔不断で、コンビニでもパン一つ買うのに平気で1時間かける程だ。その内自販機が硬貨を吐き出すだろうから、そのタイミングでちゃっちゃと缶コーヒーを買えばいいだろう。


「………あ、日高くんも買うの?」


 こちらに気づいたようで、返却レバーを引き、どうぞと手の平を見せた。自分でも優柔不断である自覚があったらしい。有難くこちらも頭を下げて五百円を1枚入れると、目的の缶コーヒーのボタンを押して、さっさと受け取った。


「そういえば、さっき高梨部長に仕事押し付けられてたね。終わりそう?」


「ああ、大森部長補佐が請け負ってくれたよ。お礼に缶コーヒーを届けるところさ」


「へえ、あの人いい人だもんね。しかも仕事も出来るし、高梨部長とは雲泥の差だよね」


「ああ、ほんとにな。あの人に部長になって欲しいくらいだよ」


「ね〜。でも、あの人島流しにされちゃったんだよね」


 ……島流し? 島流しって、もしかして左遷のことを言っているのか? 待て、あの人は島流しになるような失態は全くしていないだろ。いつも部下の気配りを欠かさないし、いつも効率的に仕事をこなしているじゃないか。そんなあの人が島流し? なんの冗談だ。


「ちょっと待て、その話本当なのか?」


「知らないの? 部署では皆知ってるよ。広島支社に行けって辞令が出ているんだよ。有能過ぎて目をつけられちゃったみたいだね。ほんと、世の中そんなことばっかりで嫌になっちゃうよね」


 やれやれと首を振る美里だが、俺にとっては同意をする余裕すらない。一年目の時に、死ぬほど世話になったあの面倒見のいい大森部長補佐が広島支社行き。何故だ、あの人は部署の関係者みんなが慕い、そして認める出来た人じゃないか。そんな人を本社から追い出したら、どう考えても大幅な戦力ダウン、損失になるんじゃないのか。それとも、大森部長補佐の代わりに、高梨部長に頼れとでも言うのか? 部下に対して仕事を押し付けるばかりか、功績まで奪い取ってさも自分の実績ですと言わんばかりに花を鳴らす、厚顔無恥だぞ? そんな事が、まかり通って良いのか? そんな事だから、不祥事のクレームが鳴り止まないのではないのか?


 フラフラと平衡感覚を失いつつ、缶コーヒーを握って大森部長補佐の机へと向かう。大森部長補佐は相変わらず呑気な様子で、鼻歌混じりに俺が押し付けられた資料作成を、そつなくこなしている。大森部長補佐は、それでいいのだろうか。


「大森部長補佐、これ宜しければ……」


「お? 丁度喉が乾いていたんだよ。いやー君は気遣いが上手いねぇ」


「ありがとうございます」


「ところで、タバコ吸いたくない? ちょっと付き合ってよ」


 そう言われ、大森部長補佐と共に喫煙室へと向かい、入ると同時にお互いタバコを咥えて火をつけた。今日のタバコは、ちょっと苦々しい。


「なんか浮かない顔してるけど、また部長に何か言われた? あの人うるせぇからな〜大したことないことを大層に言うし」


「いえ、今のところは」


「あら、じゃあどうしたんだい?」


「こんな事本人の目の前で言うのも恐縮なんですが、広島支社に異動するというのは本当なんですか?」


「ああ、本当だよ」


 ああ、いつも通りの飄々とした返事だ。こう飄々として居られると、実は嘘なんじゃないかと思うが、迷うことなき事実だ。しかし、島流しにされたと言うのに、なんでこんなにも飄々としていられるんだ。確かな力を持っているんだぞ、この人は。


「あ、今なんでそんないつも通りにいられるのか不思議に思った?」


「ええ、まあ。あっさりとしてますし」


「僕はね、別に出世しなくても、生きていくのに必要な金だけあれば、後は要らないんだよ。食い扶持稼ぐだけの仕事で、仕事のために生きてはいないからね。その点、高梨部長は真面目だよね。出世のためにあんなに躍起になれるんだから」


「それで泣いている人もいますけどね」


「まあね。でも、そういう目的の為なら手段を選ばない人が、出世するように出来ているのさ。こと、この日本ではね」


 メラメラとタバコの先端を勢いよく燃やし、紫煙を吐き出すと、大森部長補佐はまだ吸える余地が残っているタバコを灰皿に押し付け、2回捻じって捨ててさっさと喫煙室から出て行ってしまった。大森部長補佐の言葉をそのまま信じるなら、大森部長補佐は大してショックを受けている訳ではないようだが、それと同時に辞令は真実であることが証明されてしまった。大森部長補佐の後任は、一体誰になるのだろうか。高梨部長が何処からか自分のイエスマンを引っ張ってきて、自分の部長席を盤石な物にするつもりなのだろうか。いや、もうどうでもいい。考える必要なんてない。この会社も、この社会も、考える人間など、きっと求めてはいないのだから。


 それからは、半場放心状態でパソコンと対面し、気付けば第二定時と言われている夜の9時だった。ため息と共にタイムカードを切り、帰りの電車で揺られながら、ふと、未来について考えてしまう。考えない方がいいに決まっているのに、ついつい考えてしまったのだ。ああ、俺はこの先、このままなるべく何事も考えないようにして生きていくしか術はないのだろうか。何故、他のサラリーマンは、現状について何も声を挙げず、耐え続けることが出来るのだろうか。ああ、そうか。俺と同じで、思考停止しているのか。


 目的地の駅で降り、駅前のコンビニでビールと軽いつまみを買って家につき、飯を作る気力もなく、ただ酒を啜りながら、パソコンの電源を入れた。目的は動画視聴、思考停止した脳みそには中身空っぽの下らない動画が実に心地いい。


 YouTubeのトップページを開くと、一つ、異常な再生数を記録する動画が鎮座していた。投稿日は今日にも関わらず、再生数は300万を超えていた。有名なYoutuberかと思ったが、アカウント名は(あ)としか書かれていない。炎上を狙った動画だろうか。何はともあれ、見てみよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る