GHOST_SCANDAL

戸村綴

ゴーストを取材せよ

第1話 GHOST




 紅くかがやく満月が、とても綺麗な夜だった。


 その日私は、ゴーストに恋をした。



 長い長い、地の果てまで続いているように思える石造りの階段を降りた先。燭台の上で揺らめく蝋燭が淡く橙色に照らし出す地下牢で、私は初めて彼と出逢った。



 --私はルクレツィア王国に暮らすしがないルポライターだ。

 一応、王国三大新聞社に名を連ねる『エルドア新聞』の専属ライターだし、はたから見れば一流企業勤めのキャリアウーマンに見えるかも知れないけれど、その実態は婚期に焦って最近王都で流行の『合コン』なる集まりに足繁く顔を出す行き遅れ気味の新聞記者。ただ、それだけの女。


 二年ほど前から出会い欲しさに顔を出すようになった、『お食事会』と言う名の合コンだけれど、未だ理想の彼には出会えていない。

 私の理想が高すぎるのか、たまたまやって来る男性が悪すぎるのか。

 結婚はおろか交際にすら発展しないその集まりに、最近では諦めすら感じつつある今日この頃。



 特に昨晩のお食事会は最悪だった。友人が用意した3対3の男女親睦会。

 頻繁に行われ過ぎてもう何度目かも分からないそのお食事会には、昨晩も運命の殿方は居なかった。

 いや、運命の殿方どころか『妥協出来るぎりぎりラインを超えている殿方』すら居なかった。


 1人目は騎士団所属の騎士様。騎士と名乗れば聞こえは良いし、鍛え上げられたその肉体も魅力だけど、平の騎士団員の薄給ぶりは有名だし、もしも戦争が起これば未亡人街道真っしぐら。

 加えて、騎士学校に行かず傭兵からの中途採用で騎士団に入ったと言う目の前の男性は、誰が聞いても出世コースに乗っているとは思わないだろうし、平団員のままなら薄給な上に死亡率も極めて高い。

 決っして高望みをするわけじゃないけど、生涯の伴侶は安定安全のお仕事をしている人が良い。結婚しても仕事を辞める気は無いから生活費の面は私が支えて行くとしても、……ちょっとなあ。


 18歳が女子の平均初婚年齢のこの国で、21歳になってもまだ浮いた話すら出て来ない自分の男運の無さは自覚しているけれど、私はまだそこまで妥協出来るほど諦めもついて居ないのだ。


 うーん、ちょっと無しかな。次だ、次。


 2人目は王都で貿易業を営む商人だった。高価そうな衣服や装飾類から収入は文句の付けようがないと分かったし、商人らしい巧みな話術は相手を飽きさせない卓越したものだった。

 経済面でも安全面でも、彼は理想的な結婚相手に思えた。……顔以外は。


 酷い言い方にはなるが、わりと本気でトロールかと思った。

 肉付きの良すぎる身体と二重顎。ニキビだらけの油ぎった肌。ぎょろぎょろ動く出目金のような瞳を見ると、申し訳ないけれど生理的に嫌悪感を覚えた。


 ……無理だ。悪い人では無さそうだけど、これに抱かれるのは絶対無理。目を瞑って我慢しても、きっと私は泣いてしまう。


 これならまだいくら危険で貧乏でも平団員の騎士様のほうがマシに思える。


 ……ごめんなさい。パスで。


 作り笑顔で相槌を打ちながら、心の中で失礼な品評を謝罪する。私の心中など知る由も無く、満面の笑みで話を振ってくる彼の視線が痛かった。


 最後の1人は王立魔法学校で教鞭をとる魔導師の男性だった。

 魔法学校の職員ならば国家公務員だし、しかもそこそこ高給取りである。自己紹介を聞いて直ぐさま目を輝かせて彼を見たが、瞳に映ったのは四十路過ぎのおじ様だった。

 しかも話を聞けば、彼はバツ5の子持ちらしい。……バツ5って、バツ5ってなんだ。彼はどのつら下げて合コンなんかに参加したんだろうか。


 柔和な表情で身の上を語る目の前の男性に、一周回ってむしろ興味が湧きかけたけど、流石に初婚の相手がこぶつきの一回り以上歳上なんて風情も情緒もときめきも無さ過ぎるし、四十路過ぎでは後妻業には若過ぎる。


 ……無しだ、無し。一番無しだ。


 開始5分の自己紹介でそのお食事会から興味を失った私は、花より団子とばかりに料理にがっつき、浴びるほどワインを飲んで、周囲をこれでもかとばかりにドン引きさせてから帰宅した。


 十代の頃に比べると理想はかなり落としたつもりだけど、『この人となら』と思える男性には一向に出会えず、気付けば初めて合コンに参加してから早二年の歳月が経っている。

 努力すればするほど遠ざかる婚期と寄る年波、日毎に焦燥だけが募っていた。



 『バスティル大監獄へ、ゴースト・・・・の取材に行ってくれ』。


 浴びるほど呑んだワインのせいで強烈な二日酔いの頭痛に悩まされながら出社した私に、編集長がとんでもない業務命令を与えたせいで私はこんな時間にここに居る。


 流石に夜にもなれば二日酔いの頭痛は治まったけれど、今は全く違う種類の頭痛で倒れそうだ。

 薄暗く陰鬱とした地下深くの空間で昨日からの自分を思い返した私は、昨晩の惨憺さんたんたる合コンと、今朝の編集長の傍若無人な業務命令を思い返し深いため息を吐いた。




 ここは凶悪犯罪者のみを収監した王国最悪の万魔殿パンデモニウム。リアルパンドラの箱。


 『特級刑務所バスティル大監獄』。


 地上の通常の凶悪犯罪者が収監されたエリアを越え、地下深くへと続く長い長い大階段を降りた先。そこにはゴーストと呼ばれる特殊な犯罪者が居る、らしい。

 らしいと言うだけで正確なことは何も分からない。王都で都市伝説として語られている真偽不明の存在、王国の暗部。


 編集長が一体どんなコネを使ってこの取材のアポを取ったのかは知らないが、と言うか知りたくもないけど、私はその都市伝説とこれから対面することになっていた。


 湿度の高いジメジメとした地下空間。案内役の看守さんの後ろに続き、長い一本廊下をひたすら歩く。

 一定間隔で壁に掛けられた燭台が煌々と光り、石畳みの廊下を薄ぼんやりと照らしていた。


「……あの、まだ、着きませんか」


「…………」


 階段を降りてからもう5分は歩いている。不安と恐怖が礼儀を上回り、失礼を承知で恐る恐る聞いてみたけれど看守さんはなにも答えてくれない。


 --怖い。怖すぎる。この地下牢の雰囲気も、何も喋らない看守さんも、この先に居るゴーストとやらも。


 ひんやりとした地下の空気に思わず身ぶるいがして、私は両手で肩を掻き抱いた。


 帰りたい。真剣にそう思い始めた頃、カツカツと石畳みに一定のリズムを刻んでいた看守さんの足音が止まる。


「……こちらになります」


 看守さんがゆっくりと振り返った。深く被った軍帽が邪魔でその表情は読み取れない。

 看守さんの手が指し示す先。そこには大きな鋼鉄の扉があった。


「面会時間は30分です。何かありましたら、これ・・を」


 私に何かを手渡し、廊下の石壁に取り付けられたスイッチを押す。それに呼応して分厚い鉄板の扉が横にスライドして開く。


「これは?」


 私は手渡された小瓶を受け取り、意味がわからず説明を仰いだ。


「劇薬です。一滴飲めば一瞬で死ねます」


「……え? なんで……、そんなもの」


「何かあった時、そのほうが楽に死ねますから。に殺されるよりは」


 全身に寒気が奔った。頭の中では大音量で警鐘が鳴っていた。


「そ、それはどうも。ご丁寧に……」


 震える両手で小瓶を握りしめ、私は大きく口を開けた暗闇を睨む。

 動かそうとした足は泥中のように重く、その一歩目がなかなか踏み出せなかった。


 ……まじで無理。怖すぎ、帰りたい。


 顎門あぎとを開けた鉄扉の前でしばらく立ち竦んでいると、編集長の腹持ちならない小言が頭の中で木霊した。


『--だから女はダメなんだ。肝心なところでヘマばかりして。やはり女に重要取材は任せられん』


 何かにつけて女を小馬鹿にするいけ好かない上司の言葉がこんなところで役に立った。

 気付けば全身の震えは止まっている。小瓶を割れそうなほど強く握り締めている拳は、今や別の理由で震えていた。


 この世界では女性の権利なんてものはまるで確立されていない。前世・・の世界とは全く違う、男女平等の気運すらない遅れた社会だ。

 女性がその地位を認められたければ

男以上の結果を残さなければいけない厳しい世界。


 ……女舐めんな。やってやる。


 私はいけ好かない編集長への怒りと反逆心で覚悟を決めた。

 大きく一つ息を吐き、女は度胸とばかりに鉄扉の奥へ足を踏み入れる。一段と寒い空気が素肌を撫でた。


 しまった。ストールでも持って来れば良かった。


 ただでさえ寒気のする雰囲気なのに、リアルに寒いと心まで冷えてくる。コツコツと不気味に反響するヒールの音が恐怖感をあおって、知らぬ間に眉を寄せていた。


 薄暗い空間。両脇で光る魔灯光の灯りが空間を青く照らしている。


 視線の先に冗談かと思うほど太い鉄格子があった。一本一本が私の腕より太い鉄のおり

 封魔の呪文スペルが刻印されたその鉄格子の向こう側。10メートル四方ほどの広い空間の真ん中には居た。


 その姿を見て私は思わず息を呑んだ。口を押さえようとした両手から小瓶が溢れ落ちて、石畳みに転がり甲高い音を鳴らした。


 彼は椅子に座っていた。両手両足は幾重にも巻かれた封魔の鎖に縛り付けられ、黄金に輝く金剛石オリハルコンの頑丈な手枷が両手の僅かな自由すら奪っている。


 まるで猛獣を捕らえたような……。いや、そんな生易しいものではない。

 悪魔か魔王でも生け捕りにしたような、人を捕らえておくには大袈裟過ぎる設備の中で、彼は静かに座っていた。


 漆黒のローブ。さらさらと流れる銀色の髪。白磁の様な真っ白な肌。その両手の指と耳につけた幾つもの魔術リングで、彼が魔導師であることが分かった。


「……あの、エルドア新聞の、クレア・コールマンです。本日は取材にご協力頂きたく--」


「--取材? ……僕を?」


 圧倒的な存在感と、封魔の鉄格子を挟んでも感じる強大な魔力に声が震えた。なんとか平静を装って自己紹介をすると、彼は話をさえぎり俯いた顔をゆっくりと上げる。


 髪と同じ銀色の瞳は鋭くも綺麗で、通った鼻筋と薄い唇が絶妙なバランスで絵に描いたような完璧な顔立ちを作っていた。


 --え、なに、この人。めちゃくちゃかっこいいんですけど。


 心臓を貫くような強い衝撃を受けた。比喩では無く本当に魔術をくらったのかと錯覚した。全身に電流が抜けたような、そんな感覚だった。


 それまでの恐怖が吹き飛んで、私はただただ見惚れてしまった。


「……とりあえず、話を聞こうか」


 少し掠れた色気のあるハスキーボイス。艶っぽく濡れた唇を微かに動かして彼が言葉を紡ぐ。


 彼の何もかもが完璧だった。一瞬で心を奪われていた。

 十代の頃の私が夢にまで見た高すぎる理想の、その更に上を行く理想の男性は、最低最悪の大監獄に囚われていた。


 ……これが彼との出会いだった。

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