禁軍、北陽王軍、激突す。

 勝敗について説け。


 陳粋華ちんすいかの答え。


 勝敗など汎華はんか(宇宙、世界)に置いて無きの如し。ときには敗者が勝者に勝者が敗者になりにける。


 羅梅鳳らばいおうの答え。


 論ずるまでもなし、力の在るもの、無きものの差のみ。武人に此れを訊くほど愚かなものは無し。


***********************************


 この戦を眺めるに於いて。ここより良い眺望が得られるところは恐らく無いだろう。

 そう陳粋華ちんすいかは思った。

 掘りを掘るのに当たって出た土砂はまず、総大将の李鐸りたく、上司軍の指令所の土台に当てられた。

 で、その後方両脇に小山を造り櫓を建て戦の指示を出す戦鼓が二台、控えている。

 棄明きめいの奥の長壁まで聞こえそうな大太鼓である。

 そして、さらに余った土砂が丘のように陣の後ろに捨てられ丘か山になっているのが、軍師、尉遅維うっちいと臨時兵部右筆、陳粋華ちんすいかの居場所となっている。

 総大将、李鐸の真後ろに居て、しかも小高く全軍を見晴らせる。

 

 しかし、李鐸の姿はよく見えない。一応、陣幕が張られ、その後ろには予備兵(将棋で言えば持ち駒)が大軍で行ったり来たりしてて、わちゃわちゃしててよくわからない。尉遅維のお弟子さんの淳于寧じゅんうねいによると、相手からよく分からなくするためにわざと動かしているのだそうだ。


 今朝は、天気は良くない。

 境州に入ってから、始めて曇った。境州では秋は天高く曇りだすと本格的な冬の到来を示すらしい。

 もう間近に冬が来ている。北陽王軍は棄明に籠もり、籠城戦にして境州の真冬で禁軍を凍えさせるのも一つの策だったのではないか?とこれまた、尉遅維の弟子の呂樺りょかが教えてくれた。

 ただし、これにも対応策があり、攻囲する卒を残し本隊は、近くの城壁都市、襤府らんふに駐屯し交代で攻囲しつつ越冬するらしい。

 北陽王は蜂起したとはいえ、境州全州を配下にすら収めていない。押さえたのは、たった境州十四郡のうち六郡だけである、州都の重垓ちょうがいには攻めてすらていない。重垓ちょうがいには境州、州牧しゅうぼく范律えんりつがでーんと構えている。

 

 遠近感もあるのだろうが、北陽王の軍勢がいかに小さいか如実に分かる。棄明の城壁の前にわらわらと馬の乗って一塊がいるだけである。

 それに比べると北伐軍は将に地平線から地平線という感じである。

 軍事には疎い陳粋華でも知っている。鶴翼の陣らしい。両端に騎馬部隊を配置し

中央には馬防柵と掘りの土塁に守られた歩卒(ほへい)部隊と盾卒(盾兵)、その脇に盾卒に射撃位置を守られた弓といしゆみ隊。

 鶴の両翼にあたる騎馬部隊は大きく羽を広げ。前、前を伸ばしつつある。

 数が少ない為、前に北陽王の軍勢がいないせいもあるが、いきり立つのが騎馬部隊はおさえられないのである。 


 禁軍の卒や武官は一応に朝、緊張していた。茶や白湯しか飲めないものもいた。逆に最後の食事になるかもしれないとめちゃくちゃ食べるもの。普通でないのは全員だった。酒は昨晩はかなり振る舞われたが、子の刻を持ってぱっちり憲卒けんそつ(憲兵)が戈を持って取り上げ打ち切り。

 酒で恐怖を紛らわせるなければいけないものは、禁軍に必要ない。

 軍師、尉遅維ですら落ち着かない。

 美しい灰色の葦毛の雄馬に乗ってこの小高い丘に現れたものの、自慢の鮮やかな髷留めは斜めにかしいでいるし、淳于寧が入れた茶を飲んだり、己の竹筒に入った水を飲んだり、下馬するや呂樺が用意した床几に座ったり、物見櫓に小便を掛けた卒を怒鳴りつけたり、一時もじっとしていない。


 に比べると陳粋華は、昨晩もよく寝られたし、朝もすっきり、美味しい煎り米と境州で採れるニラネギを入れて炊いた粥を頂いた。

 というか、陳粋華の緊張は、前日の北陽王との会談だったのだ。今日は昨日の疲れで多少ぼーっとしているぐらいの感じ。

 戦はすぐに始まらないという話しだったので、おばあちゃんのおとなしい牝馬ひんばには、乗らずポクポク轡をもっていっしょに歩いて丘にはやってきた。

 

 空は、曇天どんてん。風が少し出てきた。

 禁軍の戦鼓の予行演習が始まった。どーん、どーんとものすごい間延びした長音。小さな音から始めて、少しづつ大きな音へ。腹に響き、禁軍全員これで心を落ち着かせるのだそうだ。

 陳粋華は尉遅維の二人のお弟子さんに教えてもらってばかりだ。

 

 尉遅維の緊張は限界らしい。この丘に小さな物見用の高台を木材で作るよう工卒に命じた。

 慌てて土工の校尉がやってきて突貫工事で制作したが、尉遅維は結局一度そこにのって、会族の覗き筒で眺めただけだった。


 そのときだった。ガシャーンと銅鑼が鳴った。北陽王の軍でだ。さらにもう一回。

 尉遅維が言った。


「陳氏はご覧にならないうほうがいいですよ」


 陳粋華は尉遅維を見直した。陳粋華も文献資料では読み知っている。

 が、見なければならない。


 胡族のいくさの前の儀式である。銅鑼が幾度も規則的であり規則的でなく鳴り続ける。

 巨大なお面を付けた、上半身裸の男が、狂ったように踊りながら北陽王の軍勢の前に現れた。

 この寒空さむぞらもと、裸である。下半身も藁を束ねたようなものを巻いているのみ。

 巨大なお面といっても、口元は空いていて人の口が出ている。鼻から上を巨大な板で頭の三倍から五倍ぶん伸ばして、そのお面の重みでわざとフラフラ踊っている。

 そこには、六つ目が描かれていて、それぞれの目が泣いたり、怒ったり、笑ったり、あっち向いていたりする。人のすべての感情を表しているという。

 民芸品としては最高だと思うが、文字すら持たない蛮族のものである。

 このお面が演じている、胡族の神の名も陳粋華は知っている。


 天駆里テンクリだ。


 胡族の儀式というが、ここら長壁以南の境州は本来混血だったり、まつろわぬ胡族が住んでいるのである。実際は半農半牧ぐらいで暮らしているという。

 本物の胡族は長壁の北と西に追いやられている。

 それにこの儀式を目の前で見る。北陽王は元は皇弟、完全な汎華民族はんかみんぞくである。

 どんな思いでこの儀式を見ているのか。

 それに、完全な汎華民も多く棄明には暮らしていたはずである。


 銅鑼が止まった。と思ったら、一頭の子馬が引っ張ってこられた。

 

 天駆里テンクリは踊りをやめた。

 胡族の卒が大きななたで子馬の首を撥ねた。子馬から恐ろしいほど血が吹き出す。

 子馬の首を撥ねたのは卒、男だったが、その吹き出す血を小さなお面を付けた女が器で受け、天駆里テンクリの躰になすりつけていく。

 これで、天駆里テンクリの神聖化が増すらしい。


 また、うるさいほど、銅鑼が鳴りだした。

 

 天駆里テンクリが先程以上に激しく踊る。倒れた子馬もそのまま首もそのまま。

 今度は、木組みをバッテンに結ばれたものに人が逆さまに手足が縛られたものが

何体か運ばれた。

 人はぐったりしていて、生きているのか死んでいるのかわからない。

 しかし、人がどちらの陣営のものかは分かる。

 斥候にでたまま戻らない物見がたくさんいるという。

 木組みに逆さまに縛られているのは禁軍の卒か武官である。


 禁軍、北伐軍の面々に生気というか勢いがなくなった。


 天駆里テンクリは、木組みに縛られた禁軍のものを木組みごと恐るべき力で逆さまにし、もとに戻すと、人の首元に噛み付いた。

 その為にお面の口元が空いているのである。

 一体、また、一体。もう事切れて死んでいるのか悲鳴をあげないものもいるが、両陣営を貫く激しい悲鳴が上がる。

 天駆里テンクリはどんどん噛み付いていく。

 中には、激痛のため木組みごとはねあがるものもいる。

 銅鑼はテンポが早まり、音も早まる。全員の喉元に天駆里テンクリは噛み付いた。

 天駆里テンクリはご満悦らしい。

 首を小刻みに振って震えて愉悦に入っている。

 そして、小さなお面を付けた女たちが又現れ、なにかヌルヌルしたものを木組みを一体化した人に掛けていった。

 銅鑼は最高潮に鳴っている。

 首に噛みつかれたぐらいでは、瀕死にはなるものの人は死なない。


 そして、銅鑼が急に鳴り止んだ。盛大に鳴っていたものが鳴り止むのも、かなりの衝撃だ。

 天駆里テンクリは木組みと一体化した人の列の前に出た。最前列である。

 そして、子馬の血で血塗られた躰でしゃがみ、下から手をゆっくりと上にあげた。

 小さなお面を被った女たちが、松明で木組みに火を一斉に付けた。

 もう、事切れて死んでいるもののいたが、またもや、両陣営を貫く悲鳴が炎をともに上がった。

 木組みにされた人は生きながらに焼かれた。

 もう、銅鑼は鳴っていなかったが、禁軍全員に悲鳴と銅鑼の音が頭の中で鳴り響き続けた。


「蛮族め、!」

 李鐸は、怒りの余り、抜刀し、指揮台に剣を思いっきり起てたのちに、自分の床几をめったに斬った。


 陳粋華も見るべきものでなく、文字すら持たない獣の所業だと思いながらも目を離せなかった。

 はくを拾った邑で言われた言葉を思いだした。


<火は酷い死をもたらす>


 胡族は火を愛する。すべてを燃やす。牧畜用の牧草を育てるために一面にわざと火を放つという。

 耕しても農作物も育たない、寒い氷や雪の大地にこそ炎をつける。分からなくもないが、耕し、必死に水を引き農作物を育て貯め、蓄える汎華民族はんかみんぞくからは思いもつかない。

 

 李鐸が野太く北陽王に聞こえるぐらいの声で叫んだ。


戦鼓せんこぉーっ」


 戦鼓の最大級の長音が一発。

 どーーーーーーん。

 それに合わせ、禁軍全卒が、


「うおっ」


 と叫ぶ。

 盾卒も重い盾を上から下へ落とす。騎馬隊は馬を反らせ、同時に前足を降ろさせる。十万人の声霊だと思っていい。

 すごい一発だ。


 今のは、左の戦鼓が出した音に過ぎない。続いて、右の戦鼓が長音を一発。

 どーーーーーーん、。


「うおっ」

 先程より、大きな声量、盾の音、騎馬の馬蹄があがる。


 そして、続いて左右の両方の戦鼓が短音を連続で

 どどどどどどどどど、と鳴らす。

 それに合わせ、禁軍全員が、

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 小さな低い声を出しながらどんどん音量、声量、低い音から高音へ上げていく。


 禁軍の陣営に居る、陳粋華は耳を塞ぎたいほどの音量だ。

 天が裂け、天が落ち、山も裂け、火を吹き、地が割れ、鳳が飛び、龍が舞い上がる。

 それほどの勢いを持った軍隊こそ、この汎華最強の軍隊、禁軍なのである。天子でさえ安易に使うのを躊躇う軍団。首都では解散し兵符にしなければならないほどの最強の部隊。それが禁軍なのだ。

 まさに武そのものを忌むべき存在と定めた授教が唯一、その価値観を乱すものを討伐するときのみ使用を認めた、”武”。軍団なのだ。


 音はどんどん戦鼓とともに大きくなる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 そしてクライマックスを迎える。


 最後は”お”すらない。一言。


シャア


 それにあわせて、戦鼓は左右あわせて最大の単音一発!。

 十万人の”殺”。

 陳粋華には、シャでなく、ジャに聞こえた。

 卒や、武官の中には、感動からか、緊張が限界を超えたのか、泣いているものすら居る。

 陳粋華が左右を見ると、幼い、淳于寧じゅんうねいは泣いていた。


 李鐸の野太い大声が再び響いた。


「戦鼓ぉーっ!」


 李鐸の背後、多少の高さを付けた舞台の上で左右の戦鼓が

どーん。どーん。どーん。と長音を響かせる。

 攻撃準備。弓隊は矢を番え、弩隊はギリギリと足で、弓を引く。歩卒は槍を握り直す。

 戦の始まりである。

 長音の音はどんどん大きくなりだし、周期は短くなる。

 そして、戦鼓が一瞬途切れた。

  半拍の休止のあと、

 どどどどどどどど、大きな音の単音の連打になった。

 禁軍全軍進撃である。


 もう左右の翼端に配置された、両騎馬隊は長音のときから、足踏みから歩みだし。

 戦鼓の進撃音のときには、最大速度になり北陽王軍の両脇目指し、突撃しだした。


「始まりました」


 最後方の丘の舞台の上で、尉遅維が言った。

 言われなくても、陳粋華にも分かる。


 思いの外、北陽王軍の反応は鈍い。突撃してこない。

 陳粋華の戦に対する、理解では、戦は先手必勝ではないのか?少しでも早く始めたほうが、陣地の前で相対せるのではないのか?。まさ軍勢に勢いがつくのでないのか?。

 理解ができない。これも、羅梅鳳が言っていた。北陽王の胆力なのか?。

 

「来ました」


 尉遅維の声である。

 禁軍の両端の騎馬隊がハサミのように中央に刈り込むべく、曲線を描き、の北陽王軍の側面に到達する瞬間。

 北陽王は全軍の突撃を命じた。

 北陽王の全軍は騎馬であるが、それが怒声にも例えられない声を上げ、突っ込んでくる。しかし、東西の地平線まで広がる禁軍に比べると思い他少ない。たった六千。


 陳粋華にもわかった。なるべく、禁軍の騎馬隊をギリギリまで引き寄せて、禁軍の本陣本隊と騎馬隊を切り離したいのである。

 最初の数十歩の駆け足で生きたまま火刑の処された、ばってんの木組みは跳ね飛ばされた。


「敵は紡錘の体型です」


 興奮しているのか、淳于寧がいった。

 陳粋華でも知っている。槍の穂先のような隊形で突入してくる。北陽軍の騎馬隊は馬蹄を響かせ、最大戦速で迫ってくる。

 斜め、ジグザグに配置された短い小さな馬防柵にはもう少しで到達する。

 李鐸が立ち上がり、舞台の最前列に立ち頃合い図っている。敵がジグザグの馬防柵に敵が到達するのを待っているのだ。

 敵騎馬隊の最前列が短く低いジグザグの馬防柵に届くと同時に李鐸はぱっと右手を振り下ろし叫んだ。


「戦鼓ぉーっ」


 右の戦鼓が短音、長音を二発打った。


 どっ、どーん。

 

 盾兵の間に控えていた、投槍兵が、ざっと一歩盾から横にずれ現れる。

 そして持ち槍より一廻り短い槍を投擲とうてきする。相手が弓兵を持っていないせいもあるが、この戦いに弓矢の放ち合いはない。  

 

 北陽王軍の騎馬兵は小さな馬防柵を弾き飛ばす。また手綱を急激引き馬をあやつり馬防柵を避ける。

 と同時に、禁軍の投げ槍が振ってきた。

 

「ぐえっ」

「ぎえー」

「がっ」


 騎馬隊からは、悲鳴が少し聞こえる程度で馬蹄の大きな響きしか戦場には響かない。

 迫りくるたった六千とはいえ北陽軍の騎馬隊が迫る恐怖に耐えかね矢を放ってしまう弓卒が数人出た。弓隊の武官が殴りつけその卒を止め、もう一度矢をつがえるように無理やりうながす。

 北陽軍の騎馬隊を充分に投げ槍で削いだとは言い難い。気休めに過ぎない。乗り手をうしなったり、落伍した騎馬を見ればその少なさに驚かされる。 

 

「騎馬隊を戻さないと────、、、」


 思わぬ、尉遅維の小さな声に淳于寧も呂樺も陳粋華も尉遅維を見た。

 そう言われ、自軍の騎馬隊を見ると、敵を陣から放つことには成功したものの北陽王軍の元陣地で遊んでいる部隊も多い。

 一部は北陽王の騎馬隊の後部を追い立てている。

 しかし、如何せん少ない。

 尉遅維が珍しく叫んだ。


「使い番っ!」


 母衣をつけた伝令の卒が一人尉遅維の前に膝まづいた。


「はっ」

「李鐸上司軍に両翼の騎馬隊を火急に戻すよう御指示ごしじを」

しょう


 しかし、たった十丈(30メートル)も離れていない、尉遅維と李鐸の間でこの伝令は伝わらなかった。

 李鐸の居る、本部はそれどころではなかった。いままさに、敵騎馬隊がもっとも頼りとする馬防柵に到達しようとしていた。

 この策、作戦の肝である。

 わざと少し低く創った馬防柵にぶつからせ、止まらるなら良し、飛び越えたなら、飛び越えた先は、お互い陣に対する縦深にして三十丈(60メートル)深さ三丈(9メートル)の空堀りが待っている。

 飛び越えるのは無理だ。落ちるのみ。丁度、馬防柵を飛んだ着地地点に掘ってある。

 そこへ、弓、いしゆみ、盾卒に守られ土塁で守られた戈を持った卒が上から襲いかかる。

 李鐸は今か、今かと、タイミングを待っている。そこへ尉遅維の出した母衣ほろ付きの伝令がいたがそれどころではない。

 北陽王軍の最初の馬が柵に達した。


「まだじゃっ」


 李鐸は自分に言いきかせるように言う。

 騎馬隊の全員いや、概ねが飛び、掘りに入った時がまさにころあいなのである。


 しかし、ここで、禁軍にとって思いがけないことが起こった。

 最初、北陽王の騎馬隊が馬防柵で止まったかに見えたが、違った。

 馬防柵のところで、真っ二つに北陽王軍の騎馬隊が別れた。禁軍から見て左に別れた騎馬隊は、馬防柵を舐めるように禁軍の陣左辺を真横に滑っていく。

 しかし、残りの騎馬隊は尉遅維や李鐸が図ったとおり、馬防柵を飛び越え、あるいは、柵にぶつかり止まり、乗り手は馬から放り出され、逆さ三丈(9メートル)の掘りに次々と落ち込んで行った。

 

 李鐸は逡巡しゅんじゅんした。

 敵騎馬隊の半分が左に流れたのはわかった。しかし、半分は策どおり掘りに落ち込んだのだ。

 どちらに対応すべきか!?。

 本来なら、全く未知数の動きに出た、左に別れた騎馬隊を攻撃もしくは行方を見定めなければいいけないはずだ。

 孺子じゅし(ガキ)でも分かるだろう。それに三丈(9メートル)の掘りだ、騎乗したままで出てこられるわけはない。

 騎馬隊としては死んでいる。

 しかし、半数は策にまんまとハマったのだ。此の期をのがすのは、十万の禁軍全員で掘った掘りの意味が全て失われる、人ならそうおもうはずである。

 

 李鐸は、叫んだ。


「戦鼓ぉーっ」


 短音三発。

 どっどっどっ。

 堀に対する攻撃開始の合図。

 開戦前の策どおりに盾卒から弓、弩、戈をもった卒がずれ、掘りの中でのたうち回りもがいている三千の騎馬隊に持てる全攻撃力を発した。

 矢は至近距離から雨のように降り注ぎ、弩から放たれる強烈な短い矢は、馬も人も貫通し貫いた。長く伸ばされた二丈(6メートル)から三丈(9メートル)はある戈は、土塁の上から跳躍乱舞した。

 堀の中は、もう戦闘ではなかった。

 虐殺である。

 戦鼓は間隔を開けて、短音三発を繰り返す。

 どっどっどっ。

 継続攻撃。

 どっどっどっ

 現在の攻撃継続

 自軍の掘り、馬防柵の目の前を悠々と駆けていく半数になった敵騎馬隊がいるはずの左翼の弓卒、歩卒も、中央部中央部へとよって、堀に攻撃を仕掛けている。

 

「愚かなっ」


 尉遅維が叫んだ。

 陳粋華は目の前でいろんなことが起こりすぎて、なにがおきているのかわからない。いやわかっているのだが、どう理解していいのかわからないのだ。これがいくさ

 その時、呂樺りょかが尉遅維に叫んだ。


「師匠!!」


 左翼の果てを指さしている。

 西の遠くに砂煙が見えた。騎馬隊だ。こっちに向かっている。率いる上司軍の名前の汎字を記した旗を持っていない。胡族の騎馬隊だ。すなわち敵である。

 尉遅維は会族の覗き筒で確認している。


「伏兵かっ、使い番っ」


 尉遅維が言った。叫んでいない。声は冷静だ。


「李鐸上司軍に連絡、左翼に伏兵の敵騎馬隊突撃中。呉洸ごこう中司軍ちゅうしぐんの騎馬予備隊(将棋で言うところの持ち駒)をただちに左翼に向けるべし。と」


 赤い母衣ほろを付けた使い番がすぐ下まで駆けていく。

 なんと騎馬の予備部隊も持っていたのか、、。


『さすが、ウッチー、、、すげー。やっぱ状元じょうげん、、、、(^o^)』


 尉遅維の姿に後光がさして見える。しかし、誘い出しに使った両翼の騎馬隊をすぐに呼び戻していたら、こんな大慌てになっていなかったはすである。両翼に割り振ったとはいえ、騎馬隊の数でも圧倒している。敵も半分になったのである。

 今回は、李鐸にも余裕があったのか、伝令はうまく伝わり。

 李鐸の物見櫓の脇から、どーっとかなりの数の呉洸ごこう中司軍率いる騎馬隊

が陣を横切って左翼に向かう。


『助かったぁ、、、、マジで駄目かと思ったもん、、、、(・_・;)』


 やがて、禁軍の最左翼では、呉洸ごこうの騎馬隊と突如現れた伏兵の騎馬隊と半数に別れた騎馬隊が合流して戦いになった。

 北陽王の騎馬隊のほうが遥かに数が少ない。車懸りの陣で円周にそって動きつつどうにか機動防御も図り対応しているが 呉洸ごこうの騎馬隊が如何ともし難い数の差のちからで囲み、圧しつつある。


『これ、マジでこのいくさ、武功一番は、ウッチーだよ、、、m(_ _)m』


 陳粋華が膝に手をついて、ふーっと大きな息を吐いた時、ちらっと右手が見えた。

 うん?。

 もや、かな。

 かすみ、かな。

 きり、かな。

 陽炎かげろう、かな。

 りん、かな。

 戦場は砂埃が半端ないので砂が目に入ったかも知れない。

 うん?。


 もう物見櫓の卒も気がついていた。非常用の敵襲の警報。半鐘はんしょうがガンガン鳴っていた。


「師匠、右翼に少数なれど騎馬隊の敵影発見!」

 

 淳于寧が叫んだ。

 陳粋華は尉遅維を見た。尉遅維の口は半開きになり、会族かいぞくの覗き筒も落とさんばかりの持ちようだ。

 その右翼に現れた、騎馬隊は少数だが、禁軍のように旗をかざしている。


 旗には<袁>の一文字。


 袁拓だ。北陽王だ。先帝、烈帝れっていの息子がやってきたのだ。

 馬蹄の音がぜんぜん違う。刺蹄してつと呼ばれる胡族独特の殺傷能力のある鉄の刃がついた蹄鉄だ。

 袁拓の騎馬隊はものすごい勢いで進軍し、禁軍の右翼の卒とぶつかり、巻き上げ、切り崩していく。

 陳粋華が叫んだ。


「軍師殿、右翼へ援軍を、予備部隊を右翼へ!!」


 尉遅維は腰を抜かしたようにへたりこんでいた。


「もう、騎馬隊の予備隊は、ないのです」


 声は小さいにも関わらず、はっきりと聴こえた。

 陳粋華は今までの人生でこの言葉を訊いたときほど驚いたことはなかった。


『えーーーーーーーー(・_・;)』


『というか、終わったの、、、、じゃない、負けたの、、、(;_;)』


 ちょっと下では李鐸が残りのすべての予備隊、各種兵種の卒を右翼に送り込むよう指示を出している。

 しかし、卒を送れど、卒と騎馬隊では勝負にならない。袁拓の騎馬隊が馬防柵と掘りの裏側を回り込み禁軍陣地を蹂躙しながら進んでくる。

 陳粋華の耳には禁軍卒たちの斬り殺される悲鳴だけが聴こえてくる。

 よく見ると、左翼に突如現れた、伏兵は空馬からうまだ。

 只の馬の群れだったとは言わないが、一人が合わせた手綱で五六頭率いていただけだったのだ。

 今、みて陳粋華も気づいた。


 もう一つ、驚きがあった。

 殲滅、虐殺したはずの中央の掘りでも恐るべき光景が広がっていた。

 血まみれの馬と血まみれの胡族の騎馬兵が、掘りを登り、土塁を越えようと登ってくる。

 三丈(9メートル)の掘りを両手両足を使い、血まみれのまま這い上がってくる。

全身には何本もの、矢が刺さり、片方の手足がぶらぶらしたままの卒もいる。

 それでも掘りを土塁をよじ登ってくる。


「嘘だ、斬ったぞ」

「確かに、突いたぞ、、、」

「なんで、こいつら死なねぇーんだ」


 驚嘆に満ち満ちた禁軍卒の声が陣地中央でもこだまする。


 尉遅維が震えるような声で言った。


亡者もうじゃの兵か、、、」


 陳粋華も書物で読んだことはあるが、長壁の向こうのはるか北の胡族の伝説だという話だ。

 死肉をあさり、生ける屍となった亡者もうじゃなんてこんな壁南にいるわけがない。 

 

「軍師殿ぉっ!」


 すがるように、尉遅維に声を陳粋華がかけた。


「陳氏どうか、お逃げを、、身の安全を最優先に図って下さい」


 弱々しい声が帰ってきた。

 こんな北の果てまでやってきて、逃げるってどこに?。 


「確証はありませんが、空城になっているかもしれない棄明きめいの城に昨夜のうちに卒を送りこんでいます。当初は、北陽王の陣を挟撃し殲滅するつもりでしたが、いまとなっては、唯一の退き口になるやもしれません。敗残の卒を纏め、棄明へ」

「軍師殿は、」

「私は、天子様に忠誠を誓い兵符を預かった身、逃げることなどできません」

「──────」

 

 短い沈黙があった。

 

 陳粋華があたりを巡らすと、使い番の母衣を付けた卒が赤い母衣ほろをつけたまま、馬から飛び降りた胡族の卒と斬り合っていた。

 淳于寧は卓に広げてあった布に書かれた地図を焼いている。

 呂樺は、必死に樽の水を竹筒に入れている。

 下は、もっと恐ろしいことになっていた。

 全身の鎧に矢が刺さったままの血まみれの李鐸が一段高い舞台の上で十数人の亡者の兵、胡族の卒に囲まれ、剣の先をありとあらゆる方向へ向けていた。

 そこへ、袁拓が現れた。矢傷一つ受けていない。兜には龍の頭立てがついている。自身が天子だと言わんばかりだ。

 手には奪ったのか、最初からもっていたのか、装填された弩を持っている。


「無残だな、天下の禁軍の上司軍ともあろうものが。貴様の敗因を教えてやろうか、我が剣術指南の師匠よ。あぶり出しに使ってしまった騎馬隊をすぐに呼び戻さないからだよ。まぁ、呼び戻しても一緒だったかもしれんがな。あの予備の騎馬隊の司軍もクソだな、空馬と戦って勝ったとは大恥だろう」

「このあと、どうするつもりだ?境州きょうしゅうすべても落とせてない貴様が、天京てんきんまでは遠いぞ」

「俺を馬鹿にし哀れみをかけた罰だ。あんたには、すべてを見てもらう」

「なに?」


 李鐸に間があった。自決しようと李鐸が自身の長剣を首の横に当てた瞬間に袁拓は弩を放ち李鐸の右肩口に矢を当てた。

 矢のせいで李鐸は剣をしっかり持てなくなった。袁拓はさらに李鐸に歩み寄るや、その長剣を蹴り飛ばした。

 

「こいつを生け捕りにしろ」


 袁拓が言った。

 陳粋華は少し上ですべてを見た。母衣を付けた使い番の卒は善戦していたが胡族の丸い刃に引っ掛けられ、刀を飛ばされ切りすてられた。

 胡族の卒は淳于寧にでもなく呂樺にでもなく陳粋華に意味不明な胡族のあざけりの言葉を叫びながら切りかかってきた。

 陳粋華は羅梅鳳に教わった”死の舞踊”を踊った。半歩引いて半身になった。

 胡族の丸みをおびた剣は空を切った。


「今です。陳氏」


 呂樺の声だった。淳于寧と呂樺と陳粋華はだっと一段高い舞台から駆け下り、馬がとめてある、場所へ走った。

 尉遅維の葦毛の馬も含めて、全頭無事だった。それが悲しかった。

 三人は馬に飛び乗ると駆けた。


『お願いだから、頑張って、走って!!、おばあちゃん、、(´;ω;`)」


 三人と三頭は蹂躙された禁軍の陣内を駆けながら叫んだ。


「棄明ーっ」

「棄明ーっへ、全軍、棄明へ」

  

 馬に乗った胡族が追いかけようとしたが、北陽王は手を軽くあげて遮った


「捨てておけ。それより、亡者の兵の始末をしろ」


 胡族卒たちは、死肉を漁るようにうろついている、亡者の兵の首を一体づつ馬も含めて丸い円刀で切り離していった。

 そうすると、亡者の兵は馬も含めて、倒れ、二度と起き上がることはなかった。


*************************************


陳粋華の男性レポ。




            ケメン度     在 不在(男として、ありかなしか)


一人の使い番の卒    七十八        在

  

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