プロローグ

 周当しゅうとうは、傷ついた戦友、凌忠りょうちゅうに肩を貸しながら、北壁に向かい急いでいた。

 地面は下生えの草もところどころにしか、生えぬ荒れ地、岩場である。


「おれを置いていけ、、、」


 弱い声で凌忠りょうちゅう周当しゅうとうに囁いた。


「バカ言え、なんのために、ここまで、二人して、走ってきたんだ。北壁の突眼砦とつがんとりでまでもう一里(500m)もないぞ、頑張れ」


 周当は、凌忠を励ました。


狂奴きょうどの馬の刺蹄してつの音がさっき、風向きが変わったときに聴こえた」

 

 凌忠が弱々しく言った。

 それは、周当にも聴こえていた。風向きが北風になると、たしかに聴こえた。

 汎民族はんみんぞくの騎馬の蹄鉄の足音でなく、狂奴の騎馬特有の刺蹄のドグワッ、ドグワッという土地を耕すような、蹄鉄の音。

 足並みも早足そうそくでなく、突足とっそくで追いかけている。音から判断して、馬数は、五、六騎といったところか?。


「周当、おれが、ここで、防ぎ矢をして時間を稼いでやろう。その間に砦に向かってくれ、そして北壁の連中といっしょにおれを拾ってくれたら、いい」


 凌忠の声は、さらに弱くなっていた。凌忠の甲冑の腹のあたりが赤く染まっていることは知っている。

 それが、一番現実的だが、今の凌忠に矢が放てるだろうか?


「あれは、なんとしても、中央にいや、突眼砦とつがんとりでまで運ばなければ、、。」


 と凌忠。死を前にすると、言葉数が増える奴がいることは古参の防壁卒が言っていた。

 しかし、その思いは、凌忠だけでなく周当も同じだ。

この懐に入れた骨を、、、。この骨だけはなんとしても、、天京、いや突眼砦とつがんとりでまで届けなければ、、、、。

 と、思い、視線を目の前に戻すと、腰の高さほどの大きな岩があった。

 周当は、凌忠を岩の背後に隠すと、内抱で包んだ骨を凌忠の横に置いた。

 そして、少しでも凌忠の放つ矢が増えるように自分の矢籠も帯から外すと、怪我をしている凌忠の横においた。


「防ぎ矢をしてくれ、追ってきているのは、少数だ、狂奴は、俺が始末する」

「本気か、お前一人だろ」

「これでも、おれは、突眼砦一の剣士だぞ。狂奴の馬は汎華の馬より小さい。狂奴など組みかかり馬から引き連り落としたら一撃だ。それより、半時して俺が、戻らなかったら、俺のことは、忘れて、突眼砦にこの骨といっしょに向かってくれ」

「おい、周当」

「じゃあな」


 周当は、帯に付けた大刀の鞘も置いていった。もう二度と鞘に刀を収めることはないらしい。


「周当ぅっ」  

 

 腹部を片手で庇いつつ凌忠は弱々しく、言った。

 周当は、抜き身の大刀を持ち腰をかがめ、小走りでジグザグを繰り返しながら、北に向かった。追っ手の狂奴を出来るだけ傷ついた凌忠から引き離すつもりだったが、これで狂奴の追っ手が連れている半野生の大朱犬おおあかいぬ大蒼犬おおあおいぬの鼻をごまかせるとは、到底思えなかった。


「周当ぅっ」


 凌忠の顔に北の辺境州特有の砂混じりの乾いた北風が吹き付けるだけだった。

 寒いというよりヒリヒリとして痛い。

 日差しは、まだかなり高い。

 追っ手の狂奴には明るさは有利なだけだ。

 傷ついた凌忠は矢を射ろうとしたが強烈な劇痛が腹部に走った。

 凌忠は一本も矢を放つことはできそうになかった。

 


 それから、四半時が経った。

 

 血まみれの男が、凌忠の隠れていた岩のところに、足を引きずりつつやってきた。

 周当だ。

 もう刃こぼれした小刀しか持っていない。

 そして全身真っ赤だ。

 返り血なのか、自身の血なのか、周当自身にもわからない。

 よろめくように、相棒が座っているはずの岩の南側にどさっと腰を下ろした。

 

 凌忠は眠り込んだように、岩にもたれかかり、うつむき座っていた。


「おい凌忠、もう安心だぞ」


 周当が凌忠の肩を揺さぶった。


 その瞬間、紫の目の色をした凌忠が恐ろしい咆哮とともに、


「ぎゃあああああああああぉおおおおおおお」


 顔を上げると、周当の喉元に噛み付いた。


「ぐはっ」


 六騎の狂奴卒きょうどそつをたった一人で倒した周当は、仲間の汎族によって、喉を噛み切られ絶命した。

 紫の眼をした凌忠は口に周当の喉の一部を噛んだまま、よろめきながら立ち上がると、突眼砦とつがんとりでとは真逆の北に向かって、ゆっくり、ゆっくり歩みを進めた。

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