小豆洗い (3)

 八月一日汐には両親がいない。

 汐が生まれたその日に二人とも命を落としたのだと、親戚が噂しているのを聞いたばかりで、両親の姿も、声も、まともに知らずに育った。

 物ノ怪を惹き寄せる汐の体質は小さな頃から既に発揮していた。それによって巻き起こる不可解な出来事は、霊力も何も無い一般人から見れば、汐が一人で何も無い空間に話しかけ、突然怯えたり、傍で巻き起こる怪現象はさも不気味に映ったであろう。

 汐の体質によって集まる物ノ怪の影響を受け、汐を引き取った親戚はみな、降りかかる不幸は汐のせいだと口々に責め立てた。

 両親がいないということで親戚中を転々とたらい回しにされたが、結局、最後には腫れ物を扱うかのごとく、アパートへと一人追いやられた。家賃も、学費も、何もかも援助してやる代わりに、一人で居ろと。

 そうして今住んでいるアパートに一人暮らしを初めて三年目、汐はその体質から友達も居らず、孤独には慣れていた。

 だが、こうして初めて十左衛門という人物に出会い、初めて人と関わる楽しさを知った。

 最初に汐が榛家にお邪魔した時のように、机で挟んで向かい合わせに座る。手前に座る晴明と十左衛門ではなく、机の下の自身の爪を見つめて弄りながら汐は話を続けた。

「でも、やっぱり、十左衛門さんのこと、怪我させてしまって⋯⋯」

 申し訳なさげに沈む声。俯き、震える睫毛の縁には今にもこぼれ落ちんばかりの涙が溜まっていた。

 瞬きをすれば、ひとつ涙の粒が頬を伝う。

「ごめんなさい、私のせいで」

 謝罪の言葉ばかり述べる汐に、十左衛門は「大丈夫だ」と声をかける。

「八月一日のせいじゃない。避けきれなかった弱い俺が悪い」

「それはそうですね。まったく、十左衛門はよわよわです」

「師匠には言ってないです」

 晴明はぶうと口を尖らせたが、俯いて肩をふるわす汐へと視線を移し、じっと見つめた。

 いや、汐そのものではなく、背景にある何かしらを見据えた。

「汐さん」

「⋯⋯はい」

「榛家に住みましょう」

「はい?」

 あまりに突然の申し出に、汐ばかりか十左衛門も目を丸くし、晴明を凝視した。

 晴明はにこにこと笑って人差し指を立てると、汐の腹部を指さす。

「もちろん、そこの物怪も一緒に、ね」

 びく、と身体を揺らしたのは煙々羅だ。

 榛の屋敷に着いてからずっと、気を失う汐を心配に思いながらもじっとその身を潜めていたが、やはり晴明にはお見通しらしい。

 観念して汐のシャツの袖から身体を出したものの、なるべく晴明から距離をとるために汐の背後に移る。

「おや、思ったよりも可愛らしい」

 晴明は煙々羅の姿を認めると、頬に手を添え微笑む。

 ただその姿を見ただけでは美しく様になっているであろうが、煙々羅には悪魔の微笑みにしか見えない。ぞっと背筋を伸ばし、汐のシャツにしがみついた。

「な、なんやねんコイツ⋯⋯」

 心の乱れが現れているのか、忙しなく揺らめく煙。

「何をお考えですか、師匠」

 好き勝手な事ばかり言う晴明に痺れを切らしたのは十左衛門だ。大きくため息をつき、咎めるような口調で問いかける。

「あなたの」

 晴明はその問いかけに、十左衛門にでは無く、汐に視線を向けたまま答えた。

「その物ノ怪を惹き付ける特異体質は、かなり根深いものです」

「えっ、と⋯⋯」

「最近、物ノ怪の出現率が高いうえに、その力が徐々に手強くなっているようで⋯⋯幾ら汐さんにそこの煙々羅が着いていようと、限界というものは何れ来るでしょう。⋯⋯ああ、いや、既に来ているのでは?」

 最早汐に降かかる物ノ怪の強さは、煙々羅が追い払えるレベルをとうに越えていた。煙々羅もそれを自覚しているし、その事も晴明に見透かされている。

 煙々羅は気まずそうに、身体を縮めた。

「その点、この屋敷は強力な結界を張っていますし、何より私や十左衛門が何時でも傍にいて、汐さんを護ることができる」

 その目がゆっくりと細められ、しかし鋭く眼光は汐を見やった。

「汐さん、これは提案をしているんです⋯⋯どうですか?」

 汐は生唾を飲み込んだ。視線を右往左往に忙しなく動かし、え、やら、う、やらと言葉にならない声を発する。

 困っていることは明らかであったが、十左衛門としては晴明のいう事が充分に理解出来た。

 榛家として、物ノ怪関連で困っている人を見過ごす訳にはいかない。何より十左衛門は次期当主。ここで見捨てておけば、榛家の恥だ。

 汐は暫く言い淀んだ末に、おずおずと右手を小さくあげた。

「⋯⋯あの」

「なんでしょう?」

「本当に煙々羅さんも一緒で構わないんですか?」

「お、おいおい、何言うてるんでィ、嬢ちゃん」

 突飛な発言に驚くのは煙々羅だけでは無いが、汐はなおも続ける。

「ここまで煙々羅さんが私を守ってくれていたのも事実ですし⋯⋯あ、それからベトベトさんも。今更離れ難いというか、なんというか⋯⋯」

 晴明は顎に手をあて、ふむと考える。

 物ノ怪に愛着心を持つとは、変わった子だ。

 晴明は直ぐに口元を緩め「もとよりそのつもりです」と許可を出した。


 かくして、八月一日汐は榛家の居候の身となった。



 榛家の一室、いとの部屋。その部屋に、晴明はいた。

 いとと向かい合う形で座り、いとの傍には宗次郎が佇んでいる。

 重々しい雰囲気のなか、いとは眉根を寄せて晴明からの報告を聞いていた。

 八月一日汐、物ノ怪を惹き寄せる特異体質の少女。榛京終町を中心に巻き起こる物ノ怪の増加と異変、それから。

「──⋯⋯打出の小槌、か」

 いとの呟いた一言に、ピクリと宗次郎は瞼を痙攣させた。

「今回の小豆洗いの一件、物ノ怪を豆粒程の大きさにした汐さんの力⋯⋯打出の小槌と考えて宜しいかと、私は思うんですけどねぇ」

「ふむ⋯⋯確かに、能力としては打出の小槌で間違いなかろう」

 晴明の言葉にいとが頷き、その隣で宗次郎も同意を示す。

「しかしまぁ、ハナから派手に暴走させたみたいですね、その八月一日さんという方は」

 宗次郎の言葉に、いとは大きなため息をつく。

「だがほんに分からぬな⋯⋯なんでまた、たかが少女が打出の小槌を所有しているのか」

 いとは訝しげな顔を見せ、宗次郎もじっと考え込んだ。

 打出の小槌。晴明が思い出すのは、もう随分と昔の事だ。あれは、そう、三百年ほど前か。

 しかし今回とその事は関係ない、と晴明は頭からその思考を消した。

 晴明は汐が眠る間、彼女のことを少しばかりみた所、確かに彼女から打出の小槌の存在が感じられた。

「打出の小槌を持つ少女か⋯⋯」

 いとはふうと息を吐き、それから晴明に向けて言い放つ。

「汝、打出の小槌がまた暴走せぬよう、みてやってくれはせんかの」

「ふふ、そういうと思ってましたよ。分かりました」

 晴明は笑みを深め、頬に手を添える。もとより、この榛家に居候として誘った目的は打出の小槌に関して調べるためでもある。

 頼むぞえ、と告げるいともまた、頬笑みを浮かべた。


 打出の小槌とは、欲しいものや願い事を強く念じながら唱えて振ると、願う通りの物があらわれる小槌であり、神の力を宿した福を招く宝物ほうぶつである。

 打出の小槌の元々の所持者は、晴明の知る限りでは大黒天だいこくてんという人物だ。

 何故打出の小槌を汐が所持しているのか────しかも、体内に打出の小槌そのものを取り込むという形で────その理由を知るには、大黒天に聞く他無いだろう。

 どうやら汐は打出の小槌の存在に気が付いて居ない。そもそも知らないようだからだ。

 汐の体内に取り込まれた打出の小槌は、既に汐と一体化している。打出の小槌だけを取り除くのは限りなく不可能だろう。

 どうやって力を解放したのか、何故使い方を知らない汐が小豆洗いを小さく出来たのかは、かなり詳しく調べる必要がありそうだ。


 しかし、ひとつ困ったことがある。晴明は大黒天への連絡のとり方を知らなかった。

 なぜなら、大黒天は、神様だから、だ。

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