ベトベトさん

 肉吸いの件から数日後。

 学校からの帰り道、ちょうど偶然校門にて梅谷と出会した汐は、軽く世間話に花を咲かせながら歩いていた。

「榛さんって生徒会長だったんですか!?」

 その流れで十左衛門の話になり、今日は生徒会の仕事だと知ると、汐は目を丸くさせて「知らなかった」と言った。

 始業式で挨拶をしていたのだが、汐は煙々羅の件もあり、暑さでぼーっとして舞台を見ていなかった。生徒会長の挨拶も話半分だったことを伝えれば、梅谷は苦笑いを零した。

「そ、そういえば私、何度も助けていただいてるのに、なにも榛さんのこと知らないです」

 申し訳なく項垂れる汐に、梅谷は「じゃあ、教えてあげるよ」と笑う。

 それから梅谷は、十左衛門が榛家という呪術家系の次期当主だということ、今は修行中の身であることなどを軽く掻い摘んで話をしてくれる。

 汐は驚きつつも、あの不思議な強さはそれでか、とひとり納得をする。

「ほーん、どうりでいけ好かないわけでィ」

 一通り話を聞き終わると、するりと煙々羅が姿を表した。

 汐の肩という所定の位置に腕を組んで頬ずえをつくと「やっぱり坊ちゃんて呼び方であってやしたな」と嫌味を零した。

「あの憎たらしい顔にピッタリなあだ名や」

「もう、そんなこというとまた怒られますよ」

「初めに坊ちゃんて言うたんは嬢ちゃんでィ」

「そ、そうだけど⋯⋯」

 たわいない会話を続けながら歩いていると、ふと梅谷が「気づいてる?」と小さく問いかけてきた。

 それまでの話から一変して少しばかり真剣な目付きで問う梅谷に、なんのことか分からずに考え込む。

 煙々羅もなにかに気がついていたようで、「足音やな」というと黙り込んでしまった。汐も口を閉ざし、聞こえてくる音に耳を澄ます。

 スズメか何かが遠くの方で鳴いている声、風が木々を揺らす音、それから──。

 ぺたぺた、と、まるで素足の子供が歩くような音が、汐達の後ろから着いてきていた。

 よくよく聞かなければ聞こえないほどの、微かな足音。

「⋯⋯普通の足音では?」

 疑問に思って口に出せば、梅谷が首を振ってそれを否定する。

「人間の足音じゃない」

 そう言われてもう少し後ろへと意識を集中させる。

 ぺたぺたぺとぺと。足音は、しっかりと、汐達の後ろにぴったりとくっつくようにして聞こえてきていた。恐る恐る横目で振り向くも、人らしき姿は確認出来ない。

「も、物ノ怪ですか⋯⋯?」

 汐が思わず小声で問いかけると、煙々羅が答えた。

「うーん、邪気はねぇみたいでィ」

 その言葉に梅谷が緊張の糸を解し「じゃあ大丈夫」とは言うものの、ずっと足音が追いかけてくるのは気になるものだ。

 立ち止まれば足音も止まり、歩き出せばまた足音も着いてくる。

 すると梅谷は、何かに気がついたのか「そうだ」と汐を見た。

「ベトベトさんって知ってる?」

 ベトベトさん。夜道を歩く人の後ろをついて行く物ノ怪で、足音のみで人に危害を加えることはないという。煙々羅曰く、ベトベトさんは勿怪側の物ノ怪らしい。

「ベトベトさんは俺に着いてきてるのかな。それとも、八月一日さん?」

「なんとなーく、嬢ちゃんのような気がする」

「俺も」

「ええ⋯⋯」

 二人からそう言われ、試しに汐だけがその場に立ち止まってみる。するとピタリと足音が止んだ。

 梅谷は汐の背後を見やるが、何も見えない。

 姿を見せず足音だけ聞こえるというのは、なんとも不思議な気分である。

 汐がもう一度歩き出し梅谷の隣に並べば、ぺたぺたと足音も着いてきた。

「やっぱり私みたいです⋯⋯」

「そうみたいだね」

「嬢ちゃん、ほんに物ノ怪を引き寄せるなぁ」

 呆れなのか感心なのか。そもそも煙々羅自身、汐に惹きつけられたうちのひとつであるにも関わらず、ため息混じりに肩を竦めた。

「まあでも今回はオイラがどうこうするより、嬢ちゃんが行動してくれなきゃどうにもならねぇんでぃ」

「どういう事ですか?」

「ベトベトさんへの対処法があるんだよ」

 梅谷が人差し指を立てて、口角を緩く上げた。

 ベトベトさんは足音だけだが、放っておくとずっと着いてくる。気にしない人なら構わないが、常に見られている感覚になるのは不快であるし、怖いものである。

 梅谷は、対処法をこっそり汐に耳打ちする。

 汐はそれを実行すべく立ち止まり、道の端に寄った。梅谷も同じように片側に寄る。足音もペタリと立ち止まった。

 汐は何も見えない後を見つめて、おずおずと「べとべとさん、お先にお越し」と言い放つ。

 しばらく無音であったが、ぺた、と一歩踏み出す音が響くと、やがてゆっくりと汐達の前を足音が過ぎ去っていった。

 ぺたぺたぺた。足音が遠ざかり、汐は大きく息を吸い込んでからため息をつく。

「な、なんか緊張しました⋯⋯」

「でも悪い物ノ怪じゃなくて良かったね」

 胸に手を抑えてへにょりと顔を緩める汐に、梅谷が笑顔で返した。



 次の日、同時刻。

 放課後の校門付近で再び出会でくわした汐と梅谷は、今度は十左衛門も一緒に同じ帰路についた。

 そういえばと昨日のベトベトさんについて話していれば、十左衛門の片眉がぴくりと動く。

 その反応にもしやと意識を向ければ、後ろから昨日と同じような足音がぺたぺたと引っ付いてきていた。

「今日もかよ」と煙々羅が呆れ声で独りごちる。

 十左衛門も流石に害はないと察知しているのか、何時ものように短気に呪符を取り出すようなことはしなかった。

 がしかし、気になるといえば気になる。

 汐は道の隅に寄って「べとべとさん、お先にお越し」と台詞を述べる。すると、ぺとぺと、と足音が遠ざかっていく。


 それが一週間毎日のように続く頃、汐は流石にもう疲れ半分、諦め半分で参ってしまっていた。


「あはは、随分気に入られたんだね、八月一日さん」

 笑窪えくぼを見せながら朗らかに笑う梅谷だが、少し疲れた様子の汐におっと、と口を抑える。

「まあ、悪さはして来ないので、もう諦めます」

 そう言って深い深いため息をつく汐だが、ぺたぺたと続く足音はまるで気にしていないかのように汐の後ろをついてまわる。

 汐と、それから後ろを一瞥し、十左衛門は「気になるなら祓ってやるが」と言った。

 真面目な顔でそんなことを言うもんだから、汐は首を振って大丈夫だとかえした。悪さをしていないのに祓ってしまうのは何だか可哀想だ。

 煙々羅もここ数日一緒に足音を聞いていたが、ただ着いてくるだけなのですっかり慣れたようだ。

 ぺたぺたぺとぺと。無言で歩く三人と、四つの足音。

 ずっと足音を聞いていた煙々羅がふと顔を上げると、おもむろに「オイラいいこと思いつーいた」と煙を何かの形に形成しだす。

 ふよふよとうごめき、次第に煙々羅は小さい子供の姿をかたどった。

 そうして、ベトベトさんの足音に合わせて足を出して歩く。

 実際には煙なので地面には足が着いていないが、にこにこと顔の部分を笑顔に変えて、楽しそうにしている。

 今日はお先にお越し、と言われなかったからなのか、それとも煙々羅に合わせているのか、心做しかベトベトさんも楽しげな足音に変わる。

 きゃっきゃとはしゃぐ物ノ怪に「呑気な」の苦言を零す十左衛門だが、汐はまあいいか、とその様子を眺めながら歩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る