対 物ノ怪

肉吸い (1)

 榛京終町はりきょうばてちょうという町は、町の至る所に由来の分からぬ地蔵がぽつりぽつりと立っていたり、神社や寺の数も多い。

 昔から信仰心の強い住人も多く、その影響により実に物ノ怪などの存在が多いところだ。

 しかしその事実を引いても、最近の物ノ怪の出現率は群を抜いて多くなっていた。

 汐の件もそうだが、彼女にまとわりついていた物ノ怪たちも、力は微力ながらあんなに大量にわくこと自体が珍しい。

 もともとああいった名もない物ノ怪たちは、勿怪もっけとひとくくりに呼ばれている。小さくてふわふわとしたケセランパサランや、人のお腹に住み着く腹の虫等、ひとつひとつにあまり力のない妖怪もこの勿怪のうちのひとつと考えられている。

 しかし、力がないと言えども大量に集まれば話は変わってくる。塵も積もれば山となる。

 現に汐は多くの勿怪を惹き付け、立ち上がるだけでもしんどいほどに体力の消耗が激しかったのだ。

 これほどまでに増えている変異に、なにかよからぬ事が起きるのではと、十左衛門は胸の奥がざわりと震えた。

「こら」

「っ⋯⋯!」

 唐突に肩に衝撃が走り、思わず声が出る。振り返れば、手におうぎを持ち、呆れた顔をして立つ晴明がこちらを見下ろしていた。

「ぜんぜん集中できていませんよ、十左衛門」

 今は宗次郎から課せられた修行のひとつ、黙想を行っている最中である。黙想とは、簡単に言えば身体と精神を統一させ、深く深く沈思することだ。

 余計な事を考えてしまった為か軸がぶれたのだろう。

 扇で叩かれ赤くなった部分を押さえた。

 普段は広い屋敷の、大分奥まったところにあるこの部屋を使って黙想をしている。

 ただ畳が敷かれただけの何も無いここは、人の行き来も少なく集中するのに丁度良い。修行だけではなく、個人的に考え事をする時にもこの部屋を利用することが多い。

 そのため、あまり顔をのぞかせることの無い晴明が珍しくここに居る理由が分からなかったために、十左衛門は「師匠がなぜここに?」と疑問を投げかけた。

 宗次郎と晴明の二人から修行を付けてもらってはいるが、内容は全くもって違うものである。

 父である宗次郎から課せられる内容は己の肉体や精神を鍛えるもので、こうした黙想や、腹筋、素振りなどが多い。そのため部屋の中での修行が多くなるが、晴明との修行では呪符の使用や陰陽道など実戦向けのものが多く、中庭や、山や森に出向いて行うことが多い。

 十左衛門が首をかしげて応えを待つ。

 晴明は扇を口元に寄せ、目を細めて「もう七時ですよ」と時刻を告げた。

 今日は月曜日だ。

 慌てて立ち上がり部屋から飛び出していく十左衛門に、晴明は「行ってらっしゃい」と声をかけた。



 梅谷が屋敷の門の外で待っていると、十左衛門が急ぎ足でやって来る。それに手を振り、笑顔で挨拶を交わした。

「おはよう、十左衛門。今日はいつもより遅いね」

「ああ、おはよう。少し修行が長引いた」

 二人は並んで歩きだす。湯浴みをして直ぐに来たのだろう十左衛門の髪は、湿気を帯びていつもよりボリュームの少ないキノコ頭になっている。

 十左衛門の見た目は、はっきり言って個性的だ。まろ眉、かなりキツイつり目、そして髪型はまんまるおカッパ頭に近い、きのこのようだ。確か以前、散髪は晴明に任せている、と十左衛門が言っていた。

 きちんと1番目のボタンまで閉じられた制服は、彼の真面目さをより強く象徴している。

 口元は常にぎゅっと固く閉じられており、あまり表情が豊かな方ではない。

 反対に、梅谷はかなり今どきの爽やかな好青年だ。色素の薄い髪色と整った顔立ちは、格好良いと評判である。

 対象的な二人が並んで歩いているのはなんともチグハグであるが、二人は幼馴染というだけあり、昔からよく一緒にいる。

「榛さん、梅谷さん!」

 明るい声が二人を呼び止める。立ち止まって振り向くと、汐が軽快な足取りで近付いてきていた。すぐに追いつき少し乱れた髪を整えると、顔を上げて「おはようございます!」と満面の笑みを浮かべて挨拶をする。

 それに応えて挨拶を返せば、汐は十左衛門の隣を並んで歩き始めた。

「あの、この間はありがとうございました!」

「もう体調は平気?」

 頷いてガッツポーズをとり「はい!」という汐に、よかったと梅谷は微笑む。

 十左衛門は、そんな汐をじっと凝視すると、そのまま眉間に皺を寄せた。

「⋯⋯連れてきたのか」

「え? ああ、煙々羅さんですか?」

 そう言うなりしゅるりと汐の制服から煙が伸び、煙々羅が姿を表す。既にそこが所定の位置となったのだろう。煙々羅は煙で両手を作ると汐の肩で頬ずえをついた。

「ちっこい勿怪くらいならオイラが払ったるって約束したんでね、学校に着いていくくらい多めに見てくだせぇよ」

「べつになにも言っていないだろう」

「あーん? 文句あるような視線よこしてたやないですかィ!」

 ばちばちと火花でも飛び散る勢いで睨み合う二人のやり取りを諌め、梅谷は「ところでさ」と話題を変えた。

「八月一日さん、お家こっち方面なの?」

 梅谷の質問に、汐は頷いて答える。

「そうです。梅谷さんと榛さんは、ここら辺なんですか?」

「十左衛門の家はね、さっき八月一日さんが声をかけてくれたところにあった、すっごく大きい家なんだよ。俺は、その隣の普通の平屋」

「ええ!? あのお屋敷がですか!?」

 汐は驚きで声を荒らげるが無理もない。十左衛門の屋敷は、家と言うには些か大きすぎる程の広大な敷地に建っている。

 一般的な民家が数軒は建てられそうな広さを、榛家の術者で結界を張り、物ノ怪が入れないようにしているのだから、その甚大な強さが分かるだろう。

 汐が関心して目を大きく見開き、十左衛門に「お坊ちゃまなんですね」と言った。

「ぶはははっ、お、お坊ちゃま! 確かに髪型がお坊ちゃまって感じやもんな!」

 煙々羅が思わず吹き出すと、十左衛門はポケットから呪符を取り出す。慌てて口を塞いで汐の服に隠れた煙々羅と、自分の発言にしまったと顔をしかめる汐に、十左衛門は「誰がお坊ちゃまだ!」と叫んだ。



 煙々羅は珍しい煙の物ノ怪である。

 物ノ怪というものは、大きくわけて2つの種類に別れている。ひとつは、長い年月をかけて使われた道具などに強い念がこもり「物」が動き出した姿で、これらはつくもがみとも呼ばれており、勿怪もこちら側に入る。

 そしてもうひとつが、人に近い形をまとった妖怪たちだ。河童や天狗など限りなく人に近い容姿だが人ならざる者。一見するだけでは人との区別がつかないものも居るが、なかには超越した力を持ち神通力や妖力などを操ることができる者も居る。

 煙々羅は勿怪側の物ノ怪だ。とはいえあまり力の持たない勿怪の中でも、地獄の業火と言われるだけはあり、妖力は他の勿怪と比べて少しばかり強かった。

 だからこそ十左衛門に祓われそうになった際「嬢ちゃんに近付く物ノ怪を追っ払ってやる」等と強気に言えたのだが。

 約束通り、煙々羅は汐の惹き付け体質に引っ張られてくる物ノ怪を追い払っていた。

 気持ちが落ち込んだりした人間の負のオーラを感じ取り取り憑く物ノ怪も多いが、汐の場合、ほかと比べ物にならないほど酷かった。

 毎日必ずと言っていいほど物ノ怪がつられて近付いてくる。汐は見えていてもどうすることも出来ず、大人しく物ノ怪を引っつけて日常を過していた。

 煙々羅はそれらをほとんどひとりで追い払っていたが、あまりにも汐が惹き付けてくるので少しばかり驚いていた。

 まさかこれ程までに物ノ怪を惹き付ける能力を持ち合わせているなんて。

 煙々羅は今もふらりと近寄ってきた小さな勿怪を手で追い払うと、呆れたように汐に話しかけた。

「嬢ちゃん、昔っからこんな感じなのかぃ?」

「そうなんですよ、もうずっと。なんでですかねぇ」

 汐は、学校帰りの帰路なのでなるべく目立たないよう小声で返すが、少しばかり遅い時間なので人通りは少ない。

 閑静な住宅街を歩きながら、すっかり薄暗くなった空を見上げながら呟いた。

「小さい頃からこんなんだから、もう慣れましたけどね。⋯⋯あ、靴紐が」

 交差点の直前で汐が靴紐を結び直すためにしゃがみこむと、すぐ目の前をスピードの速いバイクが過ぎ去って行く。汐が立ち止まっていなければ、きっと直撃していたであろう本当にギリギリのタイミングであった。

「わ、びっくりした」

 汐はあまり気にもとめず、立ち上がって再び歩き出す。

 ここ数日、煙々羅が汐と共に過ごしてみて分かったことがある。それは汐がかなり強運の持ち主でもあるという事だった。

 ジャンケンで連続勝ち続けたり、100円を拾ったり、コンビニでくじを引けば飲み物が当たったりと、その一つ一つは些細なものだがこれがよく続く。

 惹き付け体質というマイナスの面を、強運というプラスの面で補ってバランスでも取っているのだろうか、と煙々羅は思考を飛ばした。

「あ、そうだ! 煙々羅さん、今日、クッキーでも焼こうかなって思ってるんですけど、煙々羅さんって食べ物とか食べられるんですか?」

「クッキー! 食べなくても死ぬこたァないがね、オイラ人間の食べ物ってだぁいすきなんでぃ!」

 煙々羅が目の部分をキラキラさせて喜べば、汐は楽しそうに「じゃあ沢山作りますね」と笑った。

「───もし」

 ふと、誰かに呼ばれて汐と煙々羅は振り返る。

 そこに立っていたのは綺麗な顔立ちの女性で、それまで人のいる気配が無かったためにおどろいたが、わあ綺麗な人、と汐はその女性に見とれた。

 煙々羅は、なにかイヤな感じがして汐、と呼びかけるが、その声を遮るようにして女性が話し始めた。

「火を」

「え?」

「火を、かしてくれませんか」

「えっと⋯⋯火?」

「汐!! 逃げろ!」

 何かに気が付いた煙々羅が叫んだ瞬間、女性はその身体を巨大化させ、汐に向かって一気に距離をつめて長い爪を突き立てた。

 あまりにも突然のことに汐は少し反応が遅れたが、煙々羅がすかさず女性からの攻撃を叩き落とし、もう一度汐に向かって逃げろと声を張り上げる。

 汐は状況をいまいち飲み込めずにいたが、とにかく足を思い切り走らせてその場から逃げ出した。

 どうして女性が突然化け物のような姿に変わったのか、どうして襲われているのかが理解できなかったが、捕まれば死ぬ。それだけは分かって必死に走った。

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