005. ユウシャサマ


 俺は慌てて飛び出すと、カイハニおじさんの足に落ちる所だった斧の柄を、咄嗟に掴む。


「――ったく何考えてんだ! 足の指が無くなっちまう所だったぞ!」


 まだ俺を見たまま震えるカイハニおじさんに、つい怒鳴った。


 ……この斧も見た目の割には、随分軽いな?


「あぁあその身のこなし……。間違い無え……。勇者様だ……! お、おい! 皆あ! こんな何も無え村に、勇者様が来られたぞ!」


 カイハニおじさんとやらは話を聞いていないのか、後ろへ首を巡らせると、村の奥へ叫ぶ。


 すると外に出ていた村人達は、恐る恐るという様子はあるものの、好奇心が勝ったような、慌ただしい足取りで近付いて来た。その頃には追い越していたあの彼女も門を潜っていて、彼女も巻き込むように奥からやって来た村人達は、俺を囲んでサークルを作る。


 俺はどうすればいいのか分からなくて、斧を持ったままキョロキョロと村人達を見渡した。


「な、何だよ何だよ!?」


 然し俺を取り囲んだ村人達は、俺を見るなり好き勝手に喋り出す。


「本当だ……! 導かれし者の証……!」

「私、初めて見たわ……!」

「まさかこんな田舎で、勇者様にお目にかかれる日が来るなんて……!」


 ざっと三十人ぐらいに包囲され、俺は上半身裸という格好でジロジロ見られるという事態に、急激に恥ずかしさがこみ上げ、女子のように両腕で胸を隠した。


「やめろお! ジロジロ見んじゃねえ! キャー!」


 だってまるで、俳優かスポーツ選手でも見るような熱っぽい視線を三百六十度から投げられているのだ。村人も老若男女問わず、聞き付けた人達が皆集まってきたようで、こんなの服を着ていても、何となく照れてしまう。


 すると右手の方からだろうか。四十代ぐらいのおじさんの、至極残念そうな声が飛ぶ。


「ああっ! 胸を隠さないで下さい勇者様!」

「おい誰だ今の言った奴! 愛は自由だが、俺はその対象になるのは受け付けてねえぞ!」


 俺は威嚇するように、両腕で斧を構える。当然本当に斬りかかるつもりは無いが、ぞっとするような身の危険を感じた。


 今度はまた別方向から、二十代ぐらいの男が叫ぶ。


「そのトライバルを、もっとよく見せて下さい!」

「うるせえ! 何だよトライバルって! 虎の、何かっ……。アレか!?」


 聞き馴染みの無い言葉に更に混乱しながら、自分の身体を確かめてみた。

 至って平均的な、高校生らしい体格。太ってもいなければ、痩せ過ぎでもない。とらばーゆは女性の為の求人・転職サイトだから関係無いし、兎に角そんなトラなんちゃらは俺は知らん!


 なのだが、妙なものは見つける。


 左胸に、入れた覚えも無い、大きな刺青のようなものが浮かんでいたのだ。


 黒い、円状の……デフォルメされた蛇か? 内側に向かって頭があり、ぐるぐると蚊取り線香みたいに、尾で時計回りに円を描いている。……いや、小さな翼と、前足のようなものも彫られているから、多分竜だ。西洋っぽいから、ドラゴンって言うべきか。黒い竜が左胸いっぱいに、渦を巻くように彫られていた。


 思わず左胸に、手を当てる。


 俺はこんなもの、彫ってない。


「何だよ、これ……」

「それは、選ばれし者の証です。勇者様」


 しゃがれた老人の声が、ざわざわと俺を取り囲んでいた村人達の中に、ぽつりと響く。


 すると、正面の人だかりが後ろを見ながら左右に別れて、その向こうにいる誰かを通す為の道を作った。


 そこには背中が丸い、フードを深く被った小柄なばあさんがいた。茶色い古びたローブを着て、杖をついて立っている。


「そのトライバルと呼ばれる刺青いれずみは、勇者の証……。いずれこの世界を、正しい場所へと導く使命を与えられた、神の使いという証明なのです……。分からないのはきっと、その使者の証を受けた際に、記憶を失ってしまったのでしょう……。まずは、この村でお休み下され。村を上げて、歓迎しましょう……」

「おお、セモノばあ様!」


 左手に別れていたカイハニおじさんが、小さいばあさんの言葉に目を輝かせた。


 ふむ。あのばあさんは、セモノというのか。多分村人達の反応や、ばあさんの村を代表したような話し方から、多分この人が村長だ。


「そうだ……! この村に、勇者様がやって来たんだ! 村の誇りだ……! よし皆! 宴の準備をするぞ! 畑も家畜も、今日は休みだあ!」


 カイハニおじさんが、太い両腕を突き上げて言い出すと、周りの村人達もぱあっと目を輝かせ、それぞれ歓声を上げたり、飛び上がったりして大喜びし出した。


 うねるような熱狂の真ん中で、ぽつりと置いて行かれっ放しの俺は、どう反応すればいいのか分からなくて、斧を握ったままぽかんとしてしまう。


 村人達の喜びに掻き消されそうになりながら、セモノばあさんはフードの奥でにこりと笑った。フードで影になっていて、最初に見た時はちょっと不気味なばあさんだなと思っていたが、その笑顔はどこにでもいる、縁側でお茶でも飲んでそうなおばあちゃんだった。


「さあ、コノセ。お前は勇者様に、村を案内してあげなさい」


 セモノばあさんは、俺の向こう側を見て言う。


 振り返ると村人に飲まれていたさっきの少女が、人混みをかき分けるように、つんのめりながら円内へ出て来た。


「お、おばあ様……!」


 転ばないよう何とかバランスを取れたコノセは、息を整えるように両手で胸を押さえながら、セモノばあさんを見る。


 セモノばあさんはコノセを安心させるように、優しい笑顔で、ゆっくりと言った。


「お前も私の……。村長の孫なら、立派に役目を果たしてみなさい。大人達を、手伝うんだよ」


 やっぱり村長だったらしい。つまりコノセというこの彼女は、村じゃ中々の存在感があるというか、権力者なのだろうか?


 コノセは、セモノばあさんの言葉を噛み締めるように頷いた。胸から両手を下ろし、俺を一瞥すると、もう一度セモノばあさんを見て、はっきりと答える。


「――嫌です!!」


 嫌なんかーい。


 君もしや村長の孫という事で、ワガママガールだな?


 そういう事にしておいて、俺はやっと口を開く。


「あの……。村の前に荷物置いて来ちゃったんで、取って来てもいいですか……?」 



 別にこの子以外になら誰に伝えても同じだと思ったが、一応ここの代表者である、セモノばあさんを見て言っておいた。



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