第17話 喫茶二コラ

 孝太郎の案内で、ようやく小さな商店街の入り口が見えてくる。アーチを通ると一気に人通りが増え、様々な人とすれ違う。

 

 お目当ての喫茶店は、道の中ほどにあった。オレンジ色の看板には、二コラの文字が大きく書かれている。

「ここっす」

 人差し指で示せば、その顔は心なしかほころんでいる。孝太郎は先に立って、店の扉を開けた。


「こんちはー」

「あぁ、いらっしゃい」

 中年男性の声が、奥の方から聞こえてくる。孝太郎は慣れた様にカウンター席に座った。その隣を正樹に勧める。鞄を肩から降ろすと、その足元にそっと置いた。


 店内は明るく清潔そうで、ウッド調のインテリアで統一されている。正樹達以外の客はおらず、ラジオのパーソナリティが原稿を読み上げる音だけが店内に響いていた。


「あぁ、太郎兄。いつものか」

「オムライス。ってか、その言い方止めてくんない?」

 奥から五十代くらいの、少し腹の出た男が出てきた。この店のマスターなのだろう。親しげに孝太郎と会話をしていたが、正樹の存在に気が付くと顔を引き締めた。


「い、いらっしゃい」

「どうも」

 当たり障りのない笑顔で、正樹は軽く頭を下げる。それに少し困惑したような顔で、マスターは孝太郎を見た。その視線に気が付いたのか、紹介するように説明をする。


「この人、凛太郎の先輩なんだった」

「ほう……、じゃあ、東京の?」

「はい」

 マスターは、へぇ、と感心したような声を上げる。


「俺が案内してるんだぜ」

「案内もなんもねぇだろう。あんたも、よくこんな村来ようと思ったね」

「そう、なんもねぇから二コラに来たんじゃねぇの」

 少々恩着せがましく、孝太郎が言う。それを軽くいなすように、はいはいとマスターは返事を返した。


「で、何にしましょう?」

「えっと……」

 慌ててメニューを見ると、サンドウィッチなどの軽食からパスタ類の名前が書いてある。その一番上には、人気ナンバーワンの文字と共にレモンパイの挿絵が入っていた。


「じゃあナポリタンと、アイスティーと……、このレモンパイを」

「あ、それ、気になっちゃいます?」

 得意げな様子で、孝太郎が言う。

「マスターの奥さん特製なんすよ。これがちょーうまいの」

「だろうね」


 その会話を聞いていたマスターも、すこし誇らしげに笑う。

「注文は以上かな?」

「えぇ」

 それを確認すると、また奥の方へ引っ込む。するとまた店内は、ラジオの音に包まれた。


「この店は、奥さんと二人で?」

「そうっすよ。紅茶はマスターの方が淹れるのうまいんすけど、料理はちょっと……」

「聴こえてるぞ」

 厨房からの声に、一瞬ビクリと肩を震わせる。しかしすぐに大声で反論した。


「別にマスターの飯がまずいって言ったわけじゃねぇじゃん」

「おーおー、悪かったな」

 音からして、調理をしているのはマスターなのだろう。調理器具が触れ合うカチャカチャとした音が座席まで聞こえてきた。


「奥さんは、いらっしゃらないのかな?」

「あぁ、寄り合いじゃないっすか」

 そう言えば、確かに今朝公美子も婦人会があるとか言っていた。多分それのことだろう。


「うちの母ちゃんもそう言って出てきましたけど」

「そうそう、客足の少ないこの時間にな」

「いつも閑古鳥鳴いてるくせに」

 マスターは氷の入ったお冷を二人の前に置く。帰り際に孝太郎の額を小突くと、笑いながら去っていった。それを少し恨めしそうな顔で見送る。


「余計なことは言うなってことじゃないかな」

「ただの世間話じゃないっすか」

 痕跡を消すように額を擦ると、グラスを掴んで水を一気に飲み干した。


「孝太郎君は、よくここへ来るのかい?」

「うちの親父とマスターが親友なんすよ。だから母ちゃんに内緒で二人でよく来てました。先代の時から」

「じゃあ、今は二代目なんだ」

「結構頑張ってるんすよ」


 あんな軽口を叩いてはいるものの、孝太郎自身けっこう気に入っているのだろう。また、長い信頼の証でもある。


「正樹さんは、どれくらいこっちにいるんすか?」

「そうだね、四日ぐらいを目安にしてたんだけど」

「四日も見るもんありますかね」

「まぁ、きっと資料館とかに缶詰めだよ」

 丁寧に読み込めば、きっとそれくらいにはなるだろう。凛太郎の両親、特に公美子にはもう少しいてもいいのにとも言われてしまった。


「じゃあ、また明日も来てくださいよ。そしたら今度は絶対奥さんの料理、食えますから」

 こぶしを握ってみせ、孝太郎は力説する。

「食わなきゃ絶対損しますって」

「そ、そうだね」

「明日ならそうだな、一時くらいにオレ、いつもいるんで」


 頭の中でスケジュールを確認して、孝太郎は言う。確かに、正樹一人でここで食事をするのは少しハードルが高いような気もした。


「じゃあ、僕もそれくらいに来ようかな」

「よし、決まりっすね」

 パチンと指を鳴らし、孝太郎は笑顔で言う。その喜びようは少しオーバーなんじゃないかと思うほどだった。


「レモンパイも、今日のはたぶん作り置いたやつだと思いますけど、出来立てがやっぱ一番うまいっすから」

 正樹はレモンパイというものを食べたことはないが、少し想像力を働かせてみる。パイなんて大体見た目は同じだろう。切り分けられたそれが皿に乗って、カウンターから出てくる。それはほのかに湯気が立っていて、レモンの爽やかな香りが広がるのだろう。


「たしかに、そうだね」

「奥さん優しいんすよ。オレの時間に合わせて焼いてくれるんす」

「それは確かにいいね」

 きっと並の常連じゃこうはいかないのだろう。それが少し羨ましくもあった。


「マスターの嫁なんて信じらんないくらいっすよ」

「正真正銘、俺の嫁だよ」

 孝太郎の前にアイスコーヒー、正樹の前にアイスティーを置きながらマスターが言う。孝太郎は悪びれた様子もなく、ニヤニヤと笑っていた。


「まぁ、俺も不思議だわ。よくこんな村に嫁いで来ようと思ったかな」

「そうそう」

 ストローを持ち、コーヒーを吸い込みながら孝太郎が言う。


「でも最近じゃ、ネットが普及してっからよ。映画も観れるし、電子書籍ってので本も読めるらしいわ」

「オレなんかずっと見てると頭痛くなるっての」

「それはただ単に字ぃ読むのが嫌なんじゃねえのか?」

 お返しとばかりに、マスターが言う。少しムッとした様子で、孝太郎は豪快に笑うマスターを睨み付けた。

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