第15話 幼馴染

 正樹と孝太郎は大まかなルートを決めると、凛太郎に手を振って家を出る。

「えっと、あっちっすね」

 孝太郎が指さした先には、牙乞山が見える。二人はまず、体力のあるうちに山に登ってしまおうという算段だった。それから商店街の喫茶店に入れば、ランチに丁度いい時間になる。そう提案したのは孝太郎だった。


「なんか飲みもん持ってくりゃよかったすかね?」

 雲ひとつ無い空を見て、孝太郎が言う。東京でもそうだが、こんな日は熱くなると相場が決まっていた。


「ちょっと遠回りになるんすけど、自販機行きましょ」

「あぁ、そうだね」

 さっき出たばかりだというのに、もう汗が吹き出してくる。なにか口を湿らせるものが欲しくて、正樹も同意した。


「孝太郎君は、凛太郎君の幼馴染なんだよね?」

「幼馴染っつうか、兄弟って感じっすかね。名前もタロウタロウで似てっし、よく太郎兄弟なんて呼ばれてましたよ」

「へぇ……」


 おっとりしている凛太郎と、ちょっとやんちゃな孝太郎。性格が反対だからこそうまく行っているのだろうか。

 人は自分にないものを相手に求める。誰の名言か思い出せないが、正樹はそんな言葉を思い浮かべた。


「やっぱり、君が凛太郎くんを連れ回したりしたのかな?」

 「しましたねぇ。今の時期なんか、川でビシャビシャになるまで遊ぶと最高なんすよね。あとで怒られちまったりするんすけど」

「川があるのか」

 山に囲まれているので、てっきり川はないものだと思っていた。


「ウチの村じゃないんすけどね。自転車で一時間半くらい南に降りれば、結構きれいな川がありますよ」

「自転車で……、一時間半……」

 田舎の子どもたちのバイタリティに、正樹は思わず言葉を失う。今の自分に同じことができるかと問われれば、できないと答える自信があった。


「行きはいいんすけど、帰りがキツイんすよね。なんせ山登んなくちゃいけないんで」

「それは大変そうだ」

 心からの同意を示すために、正樹は大きく頷いてみせた。


 そんな話をしていると、遠くに赤い自動販売機が見えてきた。ポツンと一台だけあるその前に立つと、見慣れたお茶やスポーツドリンクからご当地っぽい缶の飲物もある。


「君はどれを買うんだい?」

「そうっすね、やっぱ、ポカリ?」

 よく知るスポーツドリンクを指さし、孝太郎が言う。尻ポケットから小銭を出している間に、正樹は千円札を自動販売機に入れた。同じものを買うつもりなのかポカリのボタンを押し、ガタンという音が足元でする。しかし屈んで受け取る様子もなく、続けて同じボタンをもう一度押した。そこでようやくお釣りのレバーに手を伸ばす。


「はい」

 両手にペットボトルを持った正樹は、振り返って小銭を握りしめている孝太郎に右手を差し出した。

「あ、いいんすか?」

「もちろん」

「あざーっす」


 小銭を戻しながら孝太郎が言う。軽く頭を下げるとペットボトルを受け取った。

「いやー、そんなつもりなかったんすけどねぇ」

 そう言った顔は、満面の笑みを浮かべている。

「用事を遅らせてまで僕の案内をしてくれているんだから、これくらいはしないとね」

「そんな……、大した用でもないんで……」

 一瞬、孝太郎の顔が曇る。何か嫌なことでも思い出したかのように、眉をしかめた。しかしそれを振り払うように頭を左右に動かすと、先ほどと変わらぬニコニコ顔を見せる。初対面の人間に深く突っ込むこともできず、正樹はそれ以上聞かないことにした。


「そういや正樹さんは、東京から来たんすよね?」

 その一言で、話題は大きく方向転換する。

「まあ、そうだね」

「いいよなー、東京」

 心底羨ましい、と孝太郎の声が物語っていた。それに正樹は思わず苦笑いを漏らした。


「まぁ、悪くはないかもしれないね」

「こんな広いだけで何にもないとこより、ちっこくても色々ある方がいいに決まってるっすよ」


 この村を表そうとしたのか、孝太郎は両手を上に広げる。それが少し子供っぽく見えて、おかしさに正樹の口元が緩んだ。それに釣られて、意味もわからず孝太郎も照れたように笑う。二人はドリンクを一口飲むと、今来た道を戻り始めた。


 東京や正樹の学校生活について話していると、どんどん牙乞山が近づいてくる。十分もすると、その麓まで来た。


「ここが山の入り口っすね」

 見たところ、立入禁止の看板やロープは見当たらない。今更ながら神聖な山は見学不可な所もあるのを思い出し、正樹は内心ホッとしていた。

 

「足元、気をつけて。石とかゴロゴロしてるんで」

 見れば確かに、悪そうな道ではあった。こんな道を老人が歩いていることに、正樹は驚く。やはり足腰の強さは都会人とは違うのだろうか。


「なんなら、手でもお繋ぎしましょうか?」

 左手を差し出し、ニヤニヤしながらいやらしく指を動かす。正樹はそれに、余裕の笑みを浮かべて断った。


「僕もそれなりに登山経験はあるもんでね」

 得意げに宣言し、孝太郎を指さしてみせる。孝太郎は肩をすくめてみせると、先に立って山を登り始めた。


 牙乞山の道は右回りのゆるい坂になっており、左右は背の高い木々で覆われている。みずみずしい葉が、頭上でサワサワと揺れていた。


「ここらはよく雨が降るのかい?」

 少し息が上がりながらも、正樹は尋ねる。

「そこそこっすかね。もうちょい南に行ったら凄いんすけど」

「すごいって?」

「台風」


 孝太郎も少し息が上がっており、少し投げやりに答えた。それを最後に、二人は黙って歩くことにする。息が上がっているのを悟られるのが悔しいのか、口を引き結んで浅く呼吸を繰り返した。


 一時間も歩き続けると、もう景色を見る気力もない。自分が今どのくらいの場所にいるのか、高度はどのくらいか。そんなことを考える余裕もなく、足元だけを見て歩を進めていた。


「ついた……」

 頂上の赤い鳥居をくぐり、正樹はその場にへたり込む。肩で息をし、その場に倒れ込むように横になった。柔らかい草の感触が心地いい。


「あー」

 疲労感に抗うように、声を出してみる。

 後から登ってきた孝太郎はそこまでま酷い状態ではなく、膝に手をついて息を整えていた。


「死んでます?」

 正樹の頭上に現れた孝太郎は、まだ口で息をしている。少し心配するように、正樹の顔をのぞき込んでいた。


「正直、舐めてかかっていたよ」

「ははっ」

 少し困ったようにくしゃりと孝太郎が笑う。正樹の隣に座り込むと、持っていたペットボトルに口をつけた。

 

「こんなのを毎年するのかい?」

 信じられないというように、正樹が聞く。

「毎年やってれば、いつかは慣れますよ」

「僕にはもう、これっきりでいいね」


 正樹は起き上がり、鞄からペッもボトルを取り出す。キャップを外すと、容器を大きく傾けた。ぬるくなっているのにも構わず、一気に飲み干す。


 頭から水をかぶりたくなって、さっきの自動販売機でミネラルウォーターでも買っておけばよかったと少し後悔した。

 

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