第9話 卒論のテーマ

 二人は何となく部屋で過ごしていると、トントンと襖を叩く音がした。

「ご飯できたわよ」

「はーい」

 

 凛太郎は読みかけの雑誌をその場に置くと、立ち上がった。正樹も立ち上がり、襖を開ける。廊下に出ると、公美子の姿はもう無かった。


 ちょうど顔の高さに摩りガラスが嵌めてある木のドアを開けると、居間に出る。小学校を思い起こさせるような木のタイル張りの床で、テーブルには人数分の椅子が置かれていた。


 テーブルの上にはザルに盛られたそうめんが置かれている。中には氷が涼しそうに光っていた。


 テーブルには、もう座っている人物がいた。健三である。


 健三は公美子とは違い、寡黙なタイプだ。肌は浅黒く、角ばった顔をしている。一見キリッとしているようにも見えるが、お堅い仕事の反動か家ではだらしない姿が目についた。


 二人が入って来たのに気づかないのか、健三はテーブルに肘をついてテレビを見ている。

「父さん」

 凛太郎が呼びかけると、健三は首だけを向けた。正樹の顔を見ると、あっ、とかうっ、とかよくわからない声を上げる。


「よく来たな」

「はい。この度はありがとうございます」

「あぁ」


 チラリと正樹を見ると、それだけ言ってまたテレビに視線を戻してしまった。凛太郎はたしなめようと肩に手を伸ばしかけたが、それを掴んで正樹は止める。振り返れば、正樹は目を閉じてゆっくりと首を振った。


「ちょっと凛太郎、どいて」

 入り口で突っ立ていると、後ろから公美子の声が聞こえた。祖母の春江を支えているらしく、顎をしゃくって退けというジェスチャーをする。すぐに二人は移動して、テーブルについた。


 健三は一番テレビに近い席で、公美子はその正面。ドアから一番近い席が春江が座ることになっていた。凛太郎はそれを説明して、開いている席に並んで座る。それと同時に春江も座った。


 春江は、肩まで伸びた白い髪を後ろで結わえていた。もう歳なのでハリはないが、よく手入れはされているようだ。左足が悪いのか、杖をついて歩いている。

 杖のストラップを椅子の背もたれに引っかけるのを見ると、公美子は自分の席に向かった。


「お父さん。いただきますの時くらいテレビ止めて」

「あぁ……」

 そうは言うものの、健三は一向にテレビから目を離さない。公美子はため息をこぼし、いただきますの音頭を取った。


「おや、公美子さん。こんな子親戚にいたかね」

 正樹を見ながら、春江が尋ねる。それは嫌味のような類ではなく、自分の記憶を疑うような聞き方だった。


「あ、すみません。僕は凛太郎君と同じ大学で民俗学を専攻しているもので、角田正樹といいます」

 箸をテーブルに置き、その場で一礼する。それに付け加えるように、公美子が言った。


「オクイ様に興味を持ったみたいで、卒業論文でうちの村を取材したいんだそうですよ」

「……、オクイ様を?」

 そう聞き返した春江の目は、恐怖の色を湛えていた。それに少し違和感を覚えた正樹は、少し探るような質問をする。


「はい。ぜひともお婆様のお話もお聞きしたいと思っているんですが」

「何も話すことなんかないよ!」


 年寄りとは思えない大きな声で、春江が言った。これには健三も驚いたらしく、思わず声のした方に顔を向ける。その顔はギョッとしたように目が見開いていた。 それは金切り声に近く、投げつけんばかりに箸を置く。春江は正樹を睨み付けると、肩で息をするように大きく上下していた。


「お義母さん」

 公美子は立ち上がると、春江に近寄る。宥めるようにその背中をさすると、心配そうな声で話しかける。


「また血圧上がりますよ」

「はぁ……。はぁ……」

 

 正樹はというと、自分から仕掛けておきながら予想外の反応に思わず固まってしまっていた。判断を誤った、こんなはすじゃなかった、と後悔にも似た思考が頭に渦巻く。

「あの……、す、すみませんでした」

 そんな言葉を捻りだすのがやっとであった。


 凛太郎はと言えば、初めて見る自身の祖母の姿に驚きを隠せないでいる。穏やかを通り越して、気の小さい春江が声を荒げるなど、凛太郎は産まれてから一度も見たことがなかった。


 凛太郎の目から見れば、春江はいつもどこか怯えているように見えた。それは他人に顕著にみられる。それが極端に外出を嫌う原因の一つにもなっていた。

 その春江が、他人に怒りを向けている。凛太郎は驚きの中に、なぜそこまで恐れえるのかという疑問が浮かんでいた。


 長い時間が経過したように感じたが、実際は五分ほどで春江は落ち着いてきた。何度か深呼吸をしたかと思ったら、大きなため息を一つ零す。


「悪かったね、大きな声を出して」

「いえ、僕の方も無神経でした」

 本心はそうは思っていないが、形式だけでも申し訳なさそうにして見せる。もう少し探りたい気持ちもあったが、凛太郎の手前やめておいた。


「公美子さん、悪いんだけど今日はもういいわ。ごちそうさま」

 ほとんど箸をつけていないそうめんを見て、春江が言う。かと思えば、椅子を引いてよたよたと扉に向かった。それを公美子が付いていく。かと思えば、すぐに居間に帰ってくる。


「ごめんなさいね」

 春江の代わりなのか、公美子が正樹にむかって謝った。

「いえ、こちらこそ何か失礼なことを言ってしまったみたいで」

「いつもはあんなじゃないんだけどね。どうしちゃったのかしら?」

 頬に手を当て、公美子は不思議そうに首をかしげる。正樹はそれを苦笑いで返すしかなかった。


「そうそう、論文のテーマって何なの?」

 話題を変えようとしたのか、公美子が質問をした。それに乗っかるように、凛太郎も口を開く。

「そう言えば、俺も聞いてないな。教えてくださいよ」


「あぁ、えっと……。鬼神についてです」

「鬼神?」

 凛太郎は、ゲームに出てくるキャラクターを思い浮かべた。公美子は少しイメージが湧かないようで、頭上に?マークが浮かんでいる。


「昔話なんかでは、鬼は必ずといっていいほど退治される存在です。なのにそれがなぜ祀られているのか。それが不思議で」

 興が乗って来たのか、正樹は少し熱っぽく語りはじめる。


「退治できなかったから祀ったのか、それとも他に理由があるのか。それを実際に話を聞く機会なんて滅多にありませんから」

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